第3話 陰キャと美少女とロボットの話

 あんなことがあった翌日でも、平日であれば学校には行かなければならない。


 近くて、俺の乏しい学力でも入れそうだったから、という理由で選んだ高校は、おそらくそこそこ荒れている。見るからに不良、という奴は少なくともこのクラスにはいないけど、授業中もそこら中で私語が飛び交うし、休み時間にもなれば、教室をゴムボールまでもが飛び交っている。


 なんで教室でキャッチボールするんだよ......。というクレームは、心の中にそっとしまっておくにしても、静かに過ごせる環境ではないことは確かだ。俺はゴムボールが頭に当たらないように身をかがめて、じっと時が過ぎるのを待つ。もちろん、クラスに友達なんて一人もいない。


 昼休みになって、俺はトイレに立つことにした。用を済ませて戻ってくると、俺の席に人が座っている。校則違反上等で髪なんか染めた、背の高い男子生徒だ。俺の後ろの席とその机も、彼と喋っている他の陽キャたちによって占領されている。全員、名前は知らない。そもそも、このクラスの生徒かどうかも定かではない。


「......あ、あの」


 席の前に立って呼びかけるも、小さすぎる声は彼らの馬鹿笑いにかき消される。

 もう少し大きい声を出そうとしても、さっきと同じくらいの声量しか出ない。


 しばらくそのまま立ち尽くしていると、ようやく一人が振り返って、こちらに気付いた。


「あ? なんだお前」

「いや、そこ俺の席......」

「はぁ? おいおい空気読めよ~」


 げらげら、と笑う陽キャたち。彼らはそのまま、馬鹿話を再開してしまった。

 昼休みの時間は刻一刻と減っていく。彼らがこのまま俺の席を占領し続けたら、俺はどこで弁当を食えばいいんだ? 便所飯か? 勘弁してくれ。


「いや、その......」


 再び俺が話しかけても、完全に無視。こうなると、俺は途方に暮れてしまう。

 と、その時、一人の女子生徒が近づいてきた。陽キャたちも気づいて、お互いの肩を叩いて会話をやめる。


「水戸くんたち、何してるの?」

「ん? いや、喋ってただけ。なんか用事?」


 陽キャの一人が平静を装って答えるが、その声はやや上ずっている。陽キャといっても経験人数はせいぜい一人か二人の高校二年生なんて、その程度の免疫しかないのだろう。


「ううん、水戸くんたちには何も。......烏丸くん、お弁当持ってこっちおいで」

「俺?」


 身体を小さくしていた俺は、自分の名前が呼ばれて驚いてしまう。クラスメイトに俺の名前が呼ばれることなんて今まであったっけ。最近は教師ですら忘れ気味なのに。


 訳が分からないまま、彼女の席まで連れられていく。学校を休んでいる生徒の椅子が、彼女の机の横に設置されていた。


「はい。私の机、半分使っていいよ」

「......どうも」


 お礼を言いながらも、目の前の状況が理解できない。人助けしたい気分になったのなら、あの陽キャに一言言えば彼らは席を退きそうな雰囲気だったが。

 俺が椅子に座って、下を向いてどぎまぎしていると、彼女は俺の顔を両手で持ち上げて、無理矢理目線を合わせてきた。


「もしかして、気づいてない?」


 何のことだ? クラスに女子生徒の知り合いなんていない。そう思いながらも、強制的に彼女の顔を凝視させられる。


「......あ」

「気づいた?」


 髪を結んでいるだけでかなり印象が変わっていたけれど、彼女は比良鐘ハルカに間違いなかった。

 いや、それだけじゃない。どうやら昨日俺が「学生らしい薄いメイク」と評したのは、薄い「風」のメイクだったらしい。今日のが本当の、朝に時間がなくて慌ててしたような薄いメイクだ。......たぶん。


「私も、昨日は気づかなかったんだ。今日、学校でふと烏丸くんの顔を見て、昨日のあの人だ、って」


 俺は頭が追い付かず、パニックになる。登録者数120万人超えの配信者がクラスメイトで、昨日俺が、っていうかシロが助けた?

 っていうか、俺昨日、ミノタウロス放り出して帰っちゃったけど、大丈夫か?


「とりあえずお弁当食べようよ」


 俺が何も言えなくなっているのを察して、ハルカは促す。俺は機械的な動きで弁当箱を取り出し、電子レンジで解凍したであろう惣菜を口に運んだ。

 ハルカは自分の昼食を食べながら、俺の分までよく喋った。


「昨日は本当にありがとう。私、本当に死ぬかと思った」

「......まぁ」

「ミノタウロスはね、強い人が討伐してくれた、とは報告したけど、烏丸くんの名前は出してない。でも、やっぱり配信に烏丸くんの顔が映っちゃったみたいで、もしかしたら面倒なことになるかも」

「うん......」


 曖昧な返答しかできない俺は、とにかく惣菜を口に含むことで会話から逃れようとする。ハルカの表情が心なしか寂しそうな気がするが、たぶん気のせいか思い込みだ。


「......あ、知ってるかもしれないけど、私、本名は遠野遥とおのはるかっていうんだ」

「あ、俺はあの時名乗ったまんまで」

「知ってる」


 そういえば俺の名前を呼んだっけ。駄目だ、緊張で頭が回らない。


「名前、本名のまんまで活動してるんですね」


 流石に何か喋らなければ、と思い、思いついたことを口にする。


「えっ? あぁ、うん......」


 いっぽう彼女は、なんだか言いづらそうな雰囲気。触れちゃいけない話題だったか? どうしてこう俺は、的確に地雷を踏み抜いてしまうんだ、と自己嫌悪に陥る。


 しかし彼女は、ちょっと恥ずかしそうに答えた。


「多分知らないと思うんだけど、『ラン・アンド・ガン!』ってアニメの、比良鐘秘書官が好きで。それで、苗字をもらって軍服のコスプレして、リスナーの皆の秘書官って設定で活動を始めたんだ」

「.......嘘。『ランガン』観てんの!?」


 俺は米粒をつついていた箸を止め、思わず反応する。

「ラン・アンド・ガン!」はロボットアニメの中ではメジャーだが、第一シーズンの放映が十年も前だったり、そもそもロボットアニメ自体の人気が芳しくなかったりで、同世代で知っている人を見たことがない。


「えっ、烏丸くんも観てる!? 誰が好きとかある?」

「俺......は、意外と四季本とか」

「わかる! 主人公の東より主人公してる時あるよね!」

「22話の......」

「東のために決死で敵のチェリーの足場を崩すとこ?」

「そう、それとか」


 別に共通の話題が見つかったからといって、ハルカが俺と同じ陰キャという訳ではない。すぐに俺が、彼女と流暢に喋れるようになるわけでもない。

 けれど、アニメの話をしている数十分の間に、俺のハルカに対する緊張が少しずつ取れていくのを感じた。これは気のせいかもしれないけど、彼女の方も、そうだった気がする。


 熱く語っていたハルカは、予鈴が鳴ってようやくはっと喋るのをやめた。


「大事な話を忘れるところだった。烏丸くん、放課後時間作ってくれない?」

「......いいけど、何?」

「うちの事務所のマネージャーが、烏丸くんに会いたいって言ってて。烏丸くんにとっても、悪い話じゃないと思うから」


 マネージャーが? いったい何の用だろうか。比良鐘ハルカの事務所といえば、業界でも最大手、株価もうなぎのぼりの上場企業なはずだが。


「じゃ、そういうことで。また放課後!」

「......あぁ、うん」


 俺は席を立ち、自分の席に戻る。そこで初めて、先ほどの陽キャたちがずっと目を丸くして自分を見つめていたことに気づいた。俺が近づくと、そっと席を空ける。


 ハルカの意図も、その事務所の意図もわからない。

 けれど、放課後に女子とどこかに行く約束があるというのは、当然だが悪い気分ではなかった。

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