第49話 人形の恋

 ハル爺がナツ婆に連れ去られた後、狛は猫田を連れて家を出た。確か、今日は午後からナツ婆はアスラと共に仕事に出る予定のはずなので、ハル爺は数時間で解放されるだろう。ハル爺は可哀想だが、少しの間耐えてもらう他ない。

 もちろん、あの人形も持ち出してきている。

 

「ふーん…人形の恋人探しねぇ。まさかそんな曰く付きのモンだとは思わなかったぜ。こうしてみると、普通の人形にしか見えねーけどな」


 猫田がそう言って人形の頬を突いていると、突如人形はカッと口を開き、思いきりその指先に嚙みついた。


「いててててっ!?な、なんだコイツ!?」


「ね、猫田さん大丈夫?!ちょっと、ねぇ止めて…こら、止めなさい!」


 狛が慌てて引き剥がすと、人形の口の中には牙のように鋭く尖った歯が何本も生えていた。表情は変わっていないのに、口だけが変化しているのはかなり不気味な絵面だ。ガチガチと音を立てて口を開け閉めする様はちょっと、いや、かなり恐ろしい。


「いってぇな…!このクソ人形、ぶっ壊すぞ!?テメー!」


「ふん!私を壊そうだなんて、やれるものならやってみなさいよ、この猫又風情が!」


「言ってくれるじゃねーか、たかが人形神ひんながみ如きがよ!」


「ちょ、ちょっと待って!落ち着いてよ二人共ー!」


 まだ山を降りきっていないので、この辺りは犬神家の土地ではあるが、真昼間からこんな所で暴れられては困る。狛は心の底から嘆きの声をあげた。


「で?どーすんだ?これから」


 なんとか猫田と人形を宥めすかして、狛達は街へ降りて来た。正直な所、街に出てきても狛にはイケメンのあてなど無いのだが、それは家にいても同じ事である。であれば、まだ人のいる場所をうろついていた方が、道が拓ける可能性もあるだろう。そう思って出てきたのだが。


「どうしようね…正直に言って、私、イケメンの男の人なんて猫田さんとお兄ちゃんくらいしか知らないんだけど…」


 さっきの衝突から言って、猫田と人形の相性はすこぶる悪い。いくら恋愛に疎い狛でも、とてもこの二人がくっつくとは思えなかった。


「そういや、拍の奴はどこ行ったんだ?ここんとこ、しょっちゅういねーみたいだが」


「何かね、凄く大変な仕事を任されたみたい。家に帰っては来てるみたいだけど、夜中に帰ってきて、明け方には出かけてるんだってハル爺が言ってた。無理してないといいんだけど…」


 兄の事が心配な狛は、ハル爺から話を聞いてずいぶんと胸を痛めている。天野の予言の事もあるし、心配の種は尽きないと言った所か。猫田は狛の気持ちを察して、黙って頭を撫でるだけであった。


「そんなことより、早く私の恋人を探してよ!時間がないんだから!」


「あ、うん。ごめんね、ヒンちゃん」


 ヒンちゃんとは、狛が人形につけた呼び名である。この人形は、猫田曰く人形神ひんながみという妖怪であるらしい。狛はてっきり九十九つづらのような付喪神の一種かと思っていたのだが、それは違ったようだ。ひんながみなのでヒンちゃんという、ストレートなネーミングであった。


 猫田のジャケットの胸ポケットから、ヒンちゃんが顔を出し、街を歩く。傍から見れば、オレンジ髪のホスト風青年が人形を胸に納めたまま歩く姿はかなりシュールだ。一緒に歩いている狛は私服なのでまだいいが、いつもの制服姿だったらどんな風に見られるか解ったものではない。

 

「あ!あの人格好いい…!」


「え、どれ?どの人?」


 ヒンちゃんが指差す先から、強面の男性が歩いてきた。纏う雰囲気といい、その筋の人間っぽい感じがする。どうやらヒンちゃんはワイルド系が好みらしい。器用にも目はハートに変わっていて、すっかりその気になっている。


「あれか、よし。ちょっと話つけてくるか」


「え、猫田さんが行くの?いや、私が行くのも嫌だけど…っていうか、あの人にヒンちゃんはちょっと…」


 相手はどうみてもカタギとは思えない風体をしていて、恐らく50代くらいの男性だ。槐の時も思ったが、とても少女趣味とは思えないし、あの見た目で人形を持って歩いていたら、違う意味で恐ろしい気がする。いくら多様性の時代と言えど、あれはないんじゃないかなと狛は思った。


「おい、お前」


「あん?なんだ小僧。なんか用か?」


 しかし、狛の不安などどこ吹く風で、猫田は全く気にすることなく男に話しかけていた。男の額には既に青筋が立っていて、明らかに不機嫌そうだ。まぁ、見知らぬ若い男にいきなりため口を利かれれば、あの手の人種は怒って当然である。


「お前に一目惚れしたって奴がいるんだが、興味ないか?」


「はぁ?なに言ってんだ、頭おかしいんじゃねぇの。ヤクでもやってんのか?どこにそんな奴がいるんだよ」


「いや、コイツなんだけどよ」


 猫田は胸ポケットからヒンちゃんを取り出して、男の目の前に突き付けた。すると、男はバカにされたと思ったのだろう。勢いよくその手を払って、ヒンちゃんは地面に叩きつけられてしまった。


「舐めてんのかテメー!ぶっ殺すぞ!!」


「ああ、ヒンちゃん…!」


 狛が思わず声を上げた時、地面に落ちたヒンちゃんはゆらりと立ち上がり、恐ろしい形相に変わって男の足に噛みついた。


「うぎゃあああああ!な、なんだ!?痛ぇーーーーっ!」


「ちょ、ちょっとヒンちゃん、まずいって!」


 狛は慌てて駆け寄り、男の足からヒンちゃんを引き剥がす。男の足からはダラダラと血が流れ、かなり深く嚙みついたのが一目でわかるほどであった。まるで、トラバサミにかかったかのようだ。ヒンちゃんは怒りが冷めやらぬと言った風で、ガチガチガチと恐ろしい音を立てて威嚇している。


「ひっ!?ヒィィィィッ!!」


「このDV男!あんたなんかこっちから願い下げよ!!噛み殺してやるわ!」


「ちょ、ちょっと!お願いだから静かにして!人目があるからっ…」


「ちっ!おい狛、しっかり掴まってろ」

 

 肉食獣のように猛るヒンちゃんを無理矢理抑え込む狛を抱え、猫田は目にも留まらぬ速さでその場を後にした。日曜の昼間だけあって人通りはかなり多いが、つむじ風を残してあっという間に消えた狛達に気付いたものはほとんどいないようだ。猫田の咄嗟の機転とその技は、人の世に潜んで長い彼らしいものである。


「ハァ…ダメだったかぁ…」


 結局、ほぼ一日かけて街の至る所を巡ってみたが、ヒンちゃんを受け入れてくれる人間に出会う事はできなかった。駅前でも、佐那の見舞い先でも、街のスポーツ施設でも同様の結果だ。やはり意思を持ち、喋る人形という怪異を受け入れられる人間など、そうそう居ないと言う事だろう。

 

「それで一日、駆けずり回ってたのかい?大変だったねぇ、君達」


 狛達が休んでいるのは、くりぃちゃあの店内だ。あちこちウロウロと歩き回った為に、さすがに疲れてしまったのでこの店にやってきた。事情を聴いた土敷が、コーヒーを持ってきたついでに話に加わっている。彼は座敷童だからなのか、人形の扱いに手慣れているようで、爽やかな笑顔を見せつつ、膝の上にヒンちゃんを乗せて撫でつけていた。


「ありがとう、土敷さん。ああ、コーヒー美味しい…」


 狛が感嘆しているコーヒーを淹れているのも、蛤女房のハマだという。彼女は本当に料理に関しては右に出るものがいない腕前の持ち主だ。ただ、コーヒーまで美味しいとなると、さすがに何か隠し味を使っているのでは?という気になるが、そこは自身の体から出たものは使っていないという彼女を信じるしかない。

 

「結局、見つからなかったって事は…コマ、あなたの喉をもらうってことでいいわよね?」


「えっ!?いやいや、ちょっと待って!それは困るよ!」


 どこからともなくハサミを取り出したヒンちゃんに、狛は焦ってしまう。というか、ここまで頑張った上に罰を受けるなんて酷過ぎる。テンパる狛を抑えて、庇うように猫田が立ち上がった。


「お前、いい加減にしろよ。狛はこれだけお前の為にやってやったってのに恩も感じねーのか?これ以上は俺が黙ってねーぞ」


「ふん、猫又に何が解るのよ。どうせ初恋もしてないようなJKなんて生きてても無駄じゃない」


「何をっ…!」


「こらこら、猫田、店の中で暴れられちゃ困るよ。でもね、人形神。狛君は僕らにとっても大切なお客様であると共に、大切な友人でね。おいそれと傷つけさせるわけにはいかないんだよね。解るかな?」


 土敷がそう言うや否や、いつの間にか周囲は異界に変化し、店で働く妖怪達に取り囲まれていた。中には煮え滾る湯が張られた鍋を抱える蛤女房のハマや、狛を気に入って良くしてくれる蛇骨婆、他にもたくさんの妖怪達が睨みを利かせている。他の客は眠らされて隔離されているようであった。


「皆…!待って、落ち着いて!」


「我々は皆、誰も彼も人間が好きで、人の世にそっと隠れ潜んでいる妖怪達の爪弾き者だ。だからこそ、例え君が同胞であっても、狛君を傷つけるつもりならば容赦はしない。理解したかな?」


 あれほど優しげだった土敷も、おどろおどろしい気配を放ち、恐ろしい形相に変わっている。狛は皆の暴走を必死に止めようと声を上げているが、一度殺気立った妖怪達は、そう簡単には止まれないようだ。ヒンちゃんの答え如何では妖怪同士の殺し合いに発展しかねない、一触即発の空気が漂っていた。


「む?店長、これは一体…」


 そんな異界と化しているはずの店内に、一人の男が入ってきた。プロレスラーのような体格にやや赤い肌をした中年の男は、眼鏡の奥の瞳までが赤く揺れている。


鬼部おにべか…」


 彼の名は鬼部といい、土敷と一緒に店を切り盛りしている男だった。その名の通り鬼であり、なんでもあの有名な絵本のモデルとなった鬼だという。彼もまた人間好きが高じて人の世に潜んでいた所を、土敷に見出された妖怪である。

 鬼部は両手一杯に野菜の詰め込まれた段ボールを抱えていた。どうやら一人で仕入れに出かけていたらしい。他の妖怪同様、狛の事は気に入っていて、実の娘のように可愛がってくれる妖怪である。


「ちょっと分からず屋の説得をしようかと思ってね」


「ふむ…あまり他の客に影響を与えないでくださいよ。で、その分からず屋というのは…?」


 足元に段ボールを置いて、鬼部がひょいと顔を出す。その顔を見た途端、ヒンちゃんは顔を真っ赤に染めて、呟いた。


「す、素敵…!」


「…へ?」


「ん?おや、これは愛嬌のある人形だ。付喪神…ではありませんな?ああ、人形神か、珍しい」

 

 鬼部は土敷からヒンちゃんを受け取ると、何とも嬉しそうに愛で始めた。これは一体…?


「鬼部は、こう見えて可愛い物が好きだからね…そうか、ならちょうどいいじゃないか。鬼部、その人形神は君が気に入ったようだ。面倒を看てやれ」


「それは願ってもないことですが、よろしいのですか?」


「はい、私、あなたが好きです!」


 人形神はそう言って、鬼部に抱き着き頬擦りをしている。猫田も狛も開いた口が塞がらない程に驚きつつ、騒動は幕を下ろしたのであった。

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