鳴き声
朱明
前
田舎は嫌いだ。面白味なんて、あったもんじゃない。
十九になって家を出ることも出来るのに、なぜまだここに留まっているのかはコウジ自身も分かっていない。いや、分かっていても、それを認められる度量がないだけかもしれない。
この田舎を出るということは、幼少期の記憶と決別し、大人としての自分と向き合わなければならないということだ。心の表面では「自分は大人だ」とか「子どもの頃とはちがう」などと考えてはいるが、具体的に何が大人であるかと問われれば、黙り込むしかなくなってしまう。それが出来ないうちは、この田舎の呪縛から解かれる時なんて来ないのだろう。
蝉時雨が止まぬ頃、ただ暇を持て余していた。
コウジは大学へ行く用もなく、目的を持たぬまま近所をぶらついていた。トラクターの通った跡をなぞるように歩いていると、目の前に小さなアマガエルが現れた。それは飛び跳ねて逃げることもなく、ただコウジをじっと見つめていた。
「雨なんか降ってないぞ」
返事もしないアマガエルに声をかけるとそいつは小さくゲコッと気色悪い声で鳴いて逃げていった。なんとも奇妙なやつだな、と思いながら空を見上げると頬に冷たい感触が伝わった。雨だと気がつく間もなく音を立てて降り始めた。
夕立から逃げるために近くの寂れたバス停に座った。安っぽい屋根と塗装の剥がれたベンチしかない貧相なものだったが、雨をやり過ごすには十分だった。打ち付ける雨の音をききながらただ漫然と暗くなった空を眺めていた。
「何しよっかなあ……」
そうぼやいた声はすぐに雨音にかき消された。止みそうにない雨が頭にこだましている。いつまで降るだろうか、なんて考えながらコウジは目を閉じた。
バス停には冷たい雫が吹き込んでいた。
十数分経ってバスが停まった。コウジはその音に目を覚まし乗るのか尋ねてくる運転手に適当に断って立ち上がった。そして体を伸ばしながら空を見上げると、虹がかかっていた。舌打ちをして雨上がりの道をまた歩き始めた。
景色がいいのが嫌いだった。空気が澄んでいるのも嫌いだった。ビルだらけの都会に憧れ、排気ガスまみれの繁華街を羨んでいた。都会で暮らしたら広い空に輝く星を見上げることも、緑の匂いで胸をいっぱいにすることもないのだろう。
いつからだったか。田舎のことがこんなに嫌いになったのは。少なくとも小学生の頃はのどかなこの土地を心から愛していたはずだ。それがいつの間にか故郷を憎むようになり、いつからか故郷を切り捨てたいなんて思い、いつまでも故郷の呪縛を解けないでいる。純粋にその時自分に用意された環境と打ち解けていたあの自分はどこに行ったのだろう。
コウジは今年大学に入り、無難に青春をこなしていた。片道二時間の大学に実家から通っていた。大学にはそれなりに友人もいるし、少し前まではカノジョもいた。だから遊びの誘いも少なくはなかった。ただ、行くにも帰るにも不便なコウジはその誘いをうざったく思うようになり、また自由のきかないコウジを誘ってくれるような奴は段々と少なくなっていった。SNSで友人を眺めるのも飽きて少しずつ交友関係を閉ざしつつあった。
それでも、家から引っ越す踏ん切りがつかず、今も一人何もない田舎道を歩いている。子どもの頃とは歩いている景色の見え方も違った。もはや忌々しいものでしかない植物も、昔は輝く宝石のように見えていた。その感覚は残っていないこともないのだが、完全につかみ直すことはできなかった。
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