〈王国記15〉 休日2

 私の顔が曇ったのを見てか、エナが慌てた様子で「どれにしようかな~!」とメニューをテーブルに広げた。華やかなケーキを見て少し気がまぎれる。


 私はあらかじめ決めていた。果物がふんだんにあしらわれているフルーツケーキだ。緑いっぱいのこの場所で食べるのにふさわしいように思えた。

 エナも同じものにすると言うので、呼び鈴を鳴らすと、お店の奥から店主らしき人が出てきて、オーダーを受けてくれた。物腰の柔らかい、穏やかな初老の男性だ。


 オーダーの後、エナが店内の植物について質問をしていた。

 声をかけられた店主は最初こそ驚いていたものの、エナの口から専門用語が出てくると、すぐに顔をほころばせ、快く質問に答えてくれた。


 二、三言で終わるかと思いきや、一つの答えがまた新たな疑問につながり、エナの興味は尽きることがない。終いにはメモ帳まで取りだして、店主の言葉に適度な相槌を打ちながら手を走らせている。


 お休みの日にまで勉強熱心だなあとまぶしい気持ちになるが、エナにとってはこういうやり取りはきっと楽しいことのはずで、まったく苦にならないのだ。事実、目の前で去っていく店主にお礼の言葉を投げかけているエナの瞳はきらきら輝いている。それを受けた店主の瞳も同様に。敵わないな、と思う。


 努力が、当人たちにとっては努力ではないから。他の人が、取り組もうとするだけで体力を消費するはずの行動を、ノーコストで行うことができる。それだけで、どれほどのアドバンテージが生じるか。

 才能というものが在るとするならば、それは各人の努力という言葉に対する認識の差によって生まれるのだろう。凡人の努力が、何かを好きな人にとっては呼吸なんだ。


 敵わないなあ。まあ、競う気もないけど。


 聞き取ったことを忘れないうちに、机の上に手帳を置いてペンを走らせているエナを見ながら水を一口飲んだ。


 店主が去り、さて、とエナが何か話そうと口を開こうとしたところで。

「エナさん……ですよね?」

 テーブルに立ち寄る影が三つ。私とエナが同じ速度で首を動かし、声の方向を向く。


 見れば、三人の女性が、テーブルの傍に立っていた。椅子が高いため、立っている彼女たちと私たちの目線はほとんど同じ高さだ。けれどその視線はすべてエナの方向に向いている。

「…………はい。」

「わあ! やっぱり!」

 警戒心マックスなエナの表情と、テンションマックスな三人の表情の対比が鮮やかだ。

「あの、五日前の模擬戦、見てました! 中央の水魔法づかいトップスリーのカルムさんに勝つなんて、ほんとかっこよかったです! あ、申し遅れました、三十期入団の、ジェーンと言います!」

「ミサです」「エルマです」と後ろの二人も続く。


 三十期というと私たちと同期だ。五日前の訓練場でこの子たちもエナの雄姿を見ていたということか。


「あんな魔法、初めて見ました! 土属性魔法と水属性魔法の合わせ技ですよね。何もないところから植物を生やす魔法なんて、聞いたこともなかったから、みんな本当にびっくりしてて」

「今も、ちょうどその話をしてて。そもそも、属性を二つ使える人自体、滅多にいないよねって。実際、模擬戦でもエナさんしか使ってませんでしたし。西の出の中には一人もいなかったですし」

「それで、ちょうどお会計をしようとしたら、エナさんの姿が見えたから、思わず声をかけてしまいました」


 みんな目をきらきらさせてコンビネーションのごとく矢継ぎ早に言葉をつないでいる。心から尊敬してるのが伝わってきて、友人として鼻が高い。そうか、エナはもう同期のみんなから一目置かれる存在なのか。誇らしいと同時に、少しだけ寂しいな。


 視線が向けられていないのをいいことに、にこにこと一人で笑っていたが、向かいのエナの表情がぴくりとも動いていないのに気付いた。

 あ、よくない。

「エナさん、今日は肺動脈通りでショッピングされた後ですか?」

 エナとジェーンさんの目がばちりと合う。


「……………………はい。」


 無表情のまま三秒ほどたっぷり沈黙し、繰り出された冷たい返事。

 ようやくどん引かれていることに気づいた三人の表情が固まる。

 すかさずフォローを!

「そうなの! 私たち田舎ものだから肺動脈通り行くのが夢でさ~! 服とかアクセサリーとかたくさん買っちゃった!」

 三人の視線が私に集まる。今気づいたような注目のされ方にちょっとだけこちらの心臓も冷える。

「あ、そうなんですね。ご友人さんですか?」

 ジェーンさんがにこやかに言葉を返してくれて場は再び温度を取り戻した。でもこの感じ、どうやら私は同期だと認識されていない。同職とすら思われていない可能性あり。

 隣のミサさんからジェーンさんに肘がとび「同期!」とささやき声が聴こえてきて安心する。ぴんときていないジェーンさんに、ミサさんが言う。

「ほら、動かずの」

すかさずその隣のエルマさんが「馬鹿!」と足を踏み、ミサさんが「いたい!」と飛び跳ねた。


 動かずの?

 

 ジェーンさんは完全に私を思い出してくれたようで「失礼しました」慌てて謝ってくれた。

「あ、ぜんぜんそんな」

 動かずの?

 返事をしながらも頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。


 向かいのエナを見ると、彼女はもう三人のほうを見てもいなくて、テーブルの足をのぼるように生えている蔦の一本を手に取ってしげしげと眺めていた。

 私が助け舟を出した瞬間に会話からフェードアウトするこの姿勢、そしてそれが当たり前かのようなすまし顔。


 そうして、当たり障りない世間話がはじまる。話の間、ちらちらとエナのほうに視線が向けられていたが、彼女は爪をいじったり、メニューを眺めたりしていたため、やがてジェーンさんたちも諦め「配属先が同じになったら、よろしくね」という言葉を残してお店を出ていった。お互いに敬語が解けるくらいには上手にお話できた。 

 私と三人は、だが。


「ねえ、やっぱこっちにすればよかったかも」


 パタンと扉が閉まるなり、エナが何事もなかったかのようにメニューの一品を指さしてくるので、私は思わずため息を漏らしてしまう。


「あのさあ、せっかく声かけてくれたのに、あんな態度とるのだめだよ」

 毎度のことではあるが、しっかりと指摘させていただく。

「え、知り合いでもないのに急に話しかけてくるほうが何、って感じじゃない?」 

「いや同期だから! これから一緒に働くかもしれない仲間でしょ?」

「うん。でもアンナが話したそうだったから、譲ってあげた」

 ……この子は。ちょっとお灸をすえる必要がある。


「明らかにエナ目当てだったでしょ。あんなに尊敬してくれて、話まで振ってくれたいい子たちをさあ。訓練生時代、対人関係で何回もトラブルがあったんだから、ちょっとは意識改めなよ! せっかく新しい環境になったのに、そんなんじゃ友達できないよ」

「いや、アンナいるからいいし」

「え? あは、それはそうかもしれないけどさ」

「うわ顔」

 頬のゆるみを指摘され、思わず、エナ! とテーブルに手をついて怒ると、朗らかな笑い声があがる。楽しそうな様子を見ているうちに、だんだん私も笑えてきて、まあいいかという気分になってしまった。


 はぁ……とエナが笑いつかれた様子で目じりをぬぐう。

「それにしても可笑しい。あの子たち、何もないところから生やしてるとか言ってたけど、そんなわけないのにね」


 エナが頬杖をつく。

 試合の話だ。確かにエナの言う通りで、何もないところから植物を出現させるなんて、ありえない。それを信じ切っていたんだとすれば、先ほどの尊敬っぷりもまあ納得はいくけれど。無から有を生み出すなんて、おとぎ話の中の出来事だ。


 実際には、エナは開始の合図がなされるなり、もう準備に取り掛かっていた。あの互いが互いの初動をうかがっていた数分間、エナは後ろ手に自分の足元に種をまいていたのだ。魔力成分の調整された蔦薔薇の種を。そして、土属性と水属性の魔法で土壌を整え、種を地面にもぐりこませ、養分を送った。実は、カルムが初手を繰り出す頃には、いつでも捕縛魔法が発動できる状態だった。後はどうやって相手をその場所まで導くかの勝負で、フィールドを大きく動き回った結果、彼女はそれを成し遂げたのだった。


 ただ、私がそのことに気づいたのは、ようやく蔦が地面を割ったときである。


「私の手の内知ってるアンナには使えない手法だよね。相手が中央の人間でよかった」

 たぶん、私が相手でも普通に成功してたと思う。

 が、くやしいので言わない。

「まあね~」

 目をそらしながらグラスを持ち上げて水を飲んだ。


「あ、そうだ思い出した。さっき話そうとしてたこと」


 エナが頬杖をといて前に身体を乗り出す。さっきというと、あの三人に割り込まれる前のことだろうか。確かに何かを話しかけていた様子だった。


「あの試合の最後、気づいた?」


 私は記憶をたどる。試合の最後の光景は鮮明に覚えていた。蔦に覆われたカルムの身体の中で、唯一のぞいていた部位があった。うなずく。


「右手だけ、おかしかった」

「うん。四肢は真っ先に封じたはずだったのに、私が近づいた時には、あいつの右手は既に自由な状態だった」

「でも、それって変だよね。カルムの適正元素は、水でしょ? しかも戦闘スタイルは、杖を使った基礎魔法ベーシックだったし」

 エナがあごに手を添えて考え込む。

「そもそも、あの状況を打開できる水魔法なんてないはずなんだよ。詠唱もできず、身体の動きを止められた状態じゃ、本当に規模の小さい魔法しか発動できない。例えば、水刃を作ったりなんかは、とても無理」

 エナが、魔力を送ると、彼女のグラスの中の水がさざなみをたて、やがて渦をつくる。グラスの、彼女の指がふれた部分の周囲が、白く曇っている。やがて、渦は静まり、水面には不穏な揺れだけが残った。


「……私、手加減された?」


「カルムくんが、別の元素魔法も扱える可能性を考えてるの?」


 元素魔法は、鍛えれば鍛えるだけ強くなる。使えば使うほど、自身の体内の魔力が、それに合わせて色を変える。だから、仮に火属性魔法を極めていくとするなら、それが強力になればなるほど、身体はより火元素に適合していき、逆に他元素魔法を使う余力は消えていく。


 エナは、もともとの適正元素が水であり、そして、絶えず独学で修練を続けた結果、現在水元素魔法も扱えている。けれどそれはおまけのようなもの。やはり基本となるのは正規の授業を受け、使用してきた割合も高い土元素魔法。しかし、エナの土元素魔法の最大出力は他の履修生と比べてかなり低い。本来なら土元素魔法に染まり切るはずの体内魔力が、一部水元素魔法の色のままなせいだ。うまく二つの元素の使い道を編み出したからよかったものの、やはり適合元素でない魔法に手を出すのは失敗のリスクを伴う。


 何を隠そう、その失敗例が私だ。コース選択前に火の玉を出現させる程度には火元素魔法の適正があった私だが、今では火の粉をあげることすらできない。そして、いざ選択した空気元素魔法の出来はさんざんで、できることと言ったら武器を振動させることだけ。

 色を染め直そうというのだから、既に塗られた色を濃くすることよりも労力がかかるのは当たり前だ。だからこそ


「あれだけの水魔法を扱えた上で、もし他元素魔法も扱えるんだとしたら、こっちは自信なくすどころじゃないっていうか」


 杖を使っていたとはいえ、あれだけ正確な水魔法を扱っていたカルムが他元素魔法を習得しているとは考えづらいのだ。

 先ほどジェーンも、カルムは水魔法づかいのトップスリーに入る腕前だと言っていた。それも、中央のだ。

 そんな人間が二元素魔法づかいだなんてまずありえない。というかそんなことできたら、即大十字グランクロワになれるレベルだ。体内の魔力総量と、バランスがどうかしている。


「何かトリックがあったのかもね。袖口に刃物を忍ばせてたりとか、そういうの。エナ、近くで見てて何か気づいたりしなかった?」

「うん、私もしっかり見ようとしたんだけどさ。注意を逸らされてしまったんだよね。そっちに気を取られて、正面に目を戻したときには、魔法も解除しちゃってて、相手は蔦を振り払ってるところだった」

「カルムが、わざわざ注意を逸らしたってこと? そんなことしてたっけ?」

 そこでエナのじとっとした視線に気づき、私は口を閉じた

 嫌な予感。あ、思い出した。エナが口を開く。

「私の注意を逸らしたのは、アンナの叫び声だよ」

 エナが勝利するなり我慢できず、やったー! と叫んでしまったんだった。目の前のなじるような視線に耐え切れず、そんなに気になるんならさあ! とつい大きい声が出てしまう。

「本人に直接聞けばいいじゃん!」

「それはなんか嫌」

 アンナ聞いといてよ、とまで言ってくる始末。内弁慶な甘えんぼも、ここまでくるとただのわがままだ。


「カルムくんには、いろいろと教えてもらってるんだし、感謝しなきゃなのに」


 カルムとは、模擬戦が終わってからも何度か話した。エナの勝利を素直に祝福してくれて、私の敗北を慰めてくれた。勝ち負けにはあまり執着していないように見えた。むしろエナの実力を知って興味が深まったのか、前よりもしつこく話しかけに来るようになったくらいだ。依然エナには無視されているが。私たちよりも持っている情報の量が多く、彼にはいろいろと助けてもらっている。


 直近だと、叙任式の作法を復習しておけという助言が、大変役に立った。

 エナも、話しながらその時のことを思い出したのか、渋い顔になる。

「叙任式、あんなにしっかりやるなんて、思わなかったよね」

「うん。作法なんて遥か昔に習ったっきりで忘れていた」

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