〈王国記13〉 入団初日 模擬戦 決着
エナの髪が揺れ、雫が跳ねて前方向に落ちた。私には、ふっ、と彼女が笑ったように見えた。
カルムが、杖を構えながらエナに近づいていく。
エナが身を隠している遮蔽物まで残り五歩という位置まで近づいたところで、杖を構える。
そして彼女が身を隠している地面の隆起の、すぐ右側の空間に照準を合わせた。
そして懐から、もう一本の杖を取り出した。今まで使っていた方よりも大振りだ。そちらは左側の空間に向ける。
二人は、今、隆起した地面をはさんで向かい合っている。人一人が隠れられるくらいには大きな遮蔽物。
カルムが杖を二本持っていることを、エナは知らない。
カルムが、エナがどちらから飛び出してきても対応できるよう準備を終えたことも、把握していない。
カルムが右手に持った杖から水球を放った。まっすぐ飛んでいき、隆起物に向かいあったエナのすぐ左横を通り過ぎる。
カルムは少しの間を置き、今度は左手の杖から水球を射出した。それはまるで、一本しか持っていない杖の照準を遮蔽物の右から左にずらしたかのような、嫌らしい間だった。エナのすぐ右側を、水球が通り過ぎていく。また、同様の間を空けてから、カルムが右手の杖から水球を放った。
エナが足に力を籠めるのが分かる。自分の真横を水球が通り過ぎた瞬間、反対方向から走り出る気だ。けれどそれはいけない。カルムはすでにどちらにも照準を合わせている。そして、左の杖には、ここからでも感じられるほどの量の水元素の魔力が集まっていた。
右の杖から放たれた水球が、エナの横を通り過ぎる。
だめだ、と叫びそうになった。
けれど、その必要はなかった。エナが右にも左にも踏み出さなかったからだ。
彼女が選んだのは、上だった。思い切りジャンプし、隆起した地面の頂点を、両手でつかむ。そのまま思い切り腕を引き上げ、身体を持ち上げて、跳び箱のように足を開いて飛び越えた。
カルムが上を見上げる。太陽の光が目に入ったのか、瞳が眩しそうに細められる。両腕を伸ばし切った状態のその姿は、自由を奪われ、磔にされているようにすら見えた。
エナが空中で体勢を整え、音もなくカルムの真ん前に着地する。そのままもう一度、跳躍時と同じ、強い加減で踏み出す。突き出された右手には、いつの間にかナイフが握られている。
カルムがどうにか射出準備に入っていた魔法を解除し、腕を前に持ってこようとする。すでにエナのナイフは目の前に迫っている。
決まった、と思った。
しかし、ぎりぎりでカルムが間に合い、刃は、顔の前で交差された杖で受け止められた。
そのままエナは力を籠め、振り切った。カルムはどうにか力を逸らしたが、勢いにおされ、たたらを踏みながら後退する。
見れば、右手に持った方の杖は折れていた。彼もそれに気づいたのか、投げ捨てる。両手で杖を構え直し、地面を踏みしめ、どうにか体勢を立て直す。
フィールドの中央を挟んで向かい合う。ちょうど、会場に入場し、はじめの合図を待った立ち位置と、互いに入れ替わるようなポジショニングとなった。
カルムが立ち止まったのを見たエナが、嬉しそうに笑った。
その瞬間、私は勝負がついたことを確信した。普段クールな彼女が人前でそういう顔をするのは、何かがものすごく綺麗におさまったときだけだ。
エナがナイフを持っていないほうの掌を、地面につける。
その瞬間、地面が脈を打った気がした。錯覚かもしれない。けれど、静かに試合を見守っていた私の周りの隊員たちも、わずかにみじろいだ。
一瞬の静寂の後、カルムの足元の地面が裂けた。
「土属性魔法!」
カルムが吐き捨てるように叫ぶ。けれどその声色の中には、ようやっと相手が手の内を見せたことへの喜びも隠れているようだった。この状況を何とかする術を、まだ持っているような。事実、彼は杖を持ち変え、何かの予備動作に入ろうとする。
でも、甘い。
割れた地面から、それが顔を出す。驚愕するカルムの目の前で、瞬く間に成長し、彼の右足を這い上る。
杖を持った右腕が、特に素早い一つによって拘束された。彼の周囲の地面から、それは次々に顔を出す。目の前で動くものを無心で追いかける、赤ん坊の瞳のような無邪気さで。夢のために突き進む、探究者のようにまっすぐな姿勢で。彼の身体をめがけて伸びていく。
「
エナが名前を呼ぶと、蔓たちは歓声をあげてカルムの四肢に絡みついた。地面を割って表れた無数の蔓が、通常ではありえない速度で生育し、まさぐるように彼の身体を這い、全身を覆っていく。身体の先端部分から真っ先にからめとられ、息を飲むスピードで胴体まで覆いつくした。カルムは目を見開いて変わっていく自分の身体を見ていた。
「
十分に成長しきった蔓たちが、エナの号令でカルムの身体を強く締め付けた。カルムがうめき声をあげ、その手から杖が零れ落ちる。
それは地面に落ちる前に蔓の一つにからめとられ、決して手の届かない位置まで放り投げられた。何か言葉を発そうとしたカルムだが、口の端をつたに引っ張られ、まともな詠唱ができていない。やがてその口も蔦や、勢い余って咲き始めた薔薇の花にふさがれる。
エナは、彼の杖が地面に落ちていることをしっかりと確認し、また、周囲に魔力の痕跡がないことを確認した。訓練前に、忘れ物がないか確認するときのような落ち着きっぷりで、息をするのも苦しそうなカルムを尻目に、抜けや洩れ、思わぬ落ち度がないかを探る。模擬戦中でなければ指折り確認でもはじめそうな様子だった。
わが友ながら、徹底しすぎていて、少しだけ今日できたばかりのほうの友人に同情した。
ようやく脳内のチェックリストが埋まったのか、エナは、よし、と小声で呟いてから、走り出す。
その右手にはナイフが。先端は、彼の胸元に向いている。エナが最後の踏み込みをし、ナイフを突き出す。
最高にかっこいい友人の勝利を、心の中で祝福しようとしたときだった。
私の眼が、カルムの右手をとらえた。そこだけ蔓が黒く焦げ、掌があらわになっている。明らかに異様な状態だった。そのこぶしが、不穏な気配をまとって握られた。
エナも異変に気付いた様子だった。踏み込んでいた足から、慌てて重心を戻そうとする。けれど、すでに踏み込み過ぎていた。上体は後ろに戻ろうと動くが、腕は止まらず、刃先は進んでいく。エナとカルムの視線が一瞬かち合う。
その瞬間、なぜかカルムが握っていた拳から力を抜いた。エナのナイフが、まるでやさしくつつくかのような弱さでカルムの胸を刺した。
ぱんっ、と、空気の膜が割れる音、エナの勝利を意味する音が鳴った。
「やったーーー!」
と叫んだのは私で、周りの訓練兵は声量に驚いたのか身を引き、何人かの教官がこちらを睨んだ。あわてて口をふさぐ。カルムは緊張が解けたように笑い、身体についた蔦をはらっている。エナが片手で頭をおさえ、首を振っているが、少しだけ嬉しそうだった。王女様がやぐらの上で楽しそうに隣の騎士に話しかけていた。
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