第42話妹
「ローゼは!?」
「いないっ!!」
足を止めることなく再び廊下を駆け出す僕の後を、追い付いてきたフロレンスが追いかける。
声に気付いた使用人たちが部屋の前に集まる前に、僕とフロレンスは邸宅の二階から、外に繋がる扉がある中央フロアまで一気に階段を降りていった。
「ジークヴァルト、行き先に心当たりは?」
「大公領の鉱山だ。あそこにしか自生していない植物の葉を、ローゼは握っていた。群生地で川の近く…ローゼの足で行ける範囲は、一ヶ所しかない!!」
ローゼリンドの亡骸が握っていた植物の形を懸命に思い出しながらフロアを駆け抜けると、フロレンスが邸宅の扉を押し開く。
出入り口を守護する守兵が止める間もなく、二人で外に出て、フロレンスは馬車停まりに待たせていた馬に飛び乗った。
嘶く馬の手綱を御すと、彼女は僕に手を差し伸ばす。
「掴んで!」
フロレンスの声に反射的に手を取ると、僕の成長した身体は軽々と引き上げられた。
僕が馬の背を跨ぎ、フロレンスの腰に腕を回すや否や、馬は邸宅の前門を抜けて、一気に疾走していく。
「君のいう通りに向かう、指示をくれ」
「分かった」
僕の示すままに、馬が駆け抜ける。
貴族街を抜け、市民街の荒れた道を蹴る馬は、駿馬だとしても信じられないような速度で疾っていた。
「これは、
「そうだ。ただ馬の力を無理矢理引き出しているから、使いすぎると、馬の命が削れる」
僕の身体に緊張が走った。
フロレンスや馬への負担、そしてローゼリンドの無事を考えると、一度の迷いが命取りになる。
僕の神経は、否応なく研ぎ澄まされていった。
程なくして、市街地を囲う石壁を越えて、カンディータ家が所有する農耕地帯を走り抜ける。黄金色に波打つ穀倉地帯の先に、大公家所有の鉱山があった。
帝国との境を作る鉱山は高く、天然の要塞としての働きもある。そのため、人夫が入る道以外は人の出入りを阻むようになっていた。
ただでさえ険しい道から外れるように指示を出すと、より危険は増す。
伸びる枝が顔に当たりそうになるのを避け、倒木を飛び越える。
斜面を駆け上がっていき、溪谷に行き当たると、僕の心臓は早鐘を打った。
もうすぐ、目的の場所に行き着く。
ローゼリンドの亡骸が握っていた植物だけを頼りにここまで来たが、もしもそれが間違っていたら。
幾つものもしも、が頭を過る度に、足元が揺らぐような恐怖を覚えた。
───それでも、自分を信じるしかない。
僕は自分を奮い立たせ、まっすぐに視線を前に向け目を凝らす。
遠くに見える枝葉が激しく揺れ動き、深緑の間から人影が覗いた。
その人影は追い詰められるように、上へ上へと登っていく。先にあるのは、断崖だけだというのに。
そしてその行き詰まりは、僕とフロレンスが目指している場所でもあった。
逸る気持ちのまま僕は思わず身を乗り出すと、フロレンスが鐙で馬に発破を掛ける。
僕たちが断崖に辿り着く前に、追いかけられていた人影が、木々の合間から飛び出した。
崖の際に追いたてられた人影が、来た方を鋭く振り返りローブを被った追手と対峙する。
「わたくしは、お前なんかに殺されない!わたくしの命は、わたくしが捨てる場所を決めるのよ」
雄々しい声は、間違いなく僕の妹の声だった。
距離が縮み、影となっていた妹の姿は色彩を帯びる。
同時に、ローブ姿の男の手に下げられた刃が、青白く輝いた。
「ローゼェェエエエエ!!!!」
気付いた時には、僕は力の限り、声を絞り出していた。
ローゼリンドとローブ姿の男が反射的にこちらを振り返る。
ローゼリンドの瑠璃色の瞳が、驚きに見開かれて僕とフロレンスを映し出していた。
「フロレンス、それに…お兄様!!」
二度と聞けないと思っていたローゼリンドの柔らかな声が、僕を兄と呼んでくれた。
聞いた瞬間、涙で僕の視界が滲んでいく。
嬉しい
嬉しい
嬉しい
こんなにも喜ばしい事があるなんて。
僕たちに向かって駆け出そうとする妹に、僕は手を伸ばす。
「くそっ、せめて…命だけは貰っていくぞ!」
毒づいた男の声が、妹の背中に吐き掛けられると同時に、剣が妹に襲い掛かろうとした。
その瞬間、僕の理性が怒りで焼け落ちる。
耐えきれず僕の中から溢れ出す憎悪に呼応して、妹を襲いう男を足止めするように大地が割れた。
「貴様にくれてやる程、僕の妹の命は安くない。痴れ者が…っ」
低く地を這う僕の声に応え、無数の蔦が一気に湧き出て、妹を奪おうとした刃を絡め取った。
「なっ、これはっ」
男の動揺の声が終わる前に、刃は腐った果物のように蔦に握りつぶされ、どろどろと溶け出していく。
フードの奥に隠された男は剣の柄を手放すと、悲鳴が上げた。
「ひっ、っ」
滑りやすい地面に足を取られ、よろけながら後ずさる男を示すように、僕は手を向けた。
その瞬間、蔦は僕に従い男の足と手首を、絡め取る。
蔦が触れるだけで、嫌な音を立てて布地が腐り落ちていく。
動くことができなくなった男は、震えながら立ち竦んだ。
「ゆ、ゆるして…やめ、やめてくれ…、…頼むっ、め、命令されただけなんだ!俺の意思じゃない、俺は、悪く…ないっ、お願いだっ」
「貴様の命乞いは、妹の爪先ほどの価値もない…存分に、未来を悔いるが良い」
僕達が間に合わなければ、この男は確実にローゼリンドを殺していた。
未来がそう、示しているのだ。
僕は怒りに任せて、差し延べた手を握り潰すように握り込む。
途端に蔦は男の肉に食いつき、皮膚が溶ける嫌な臭いが鼻をついた。
「ぐっ、がっ…ぁっ」
男の悲鳴が、森の中を木霊する。
膨れ上がる憎悪に、僕の意識が捕らわれていく。
このまま、目の前の男を殺そうとした瞬間、凛とした声が僕の鼓膜を貫いた。
「駄目だ、ジークヴァルト!!」
僕はびくり、として身体を強ばらせ、声のした方に視線を下へと向ける。
そこにはいつの間にか馬から下りていたフロレンスが、ローゼリンドを抱き締めて僕を見詰めていた。
再び同じ過ちを犯そうとしていたことに気が付くと、僕は大きく息を吐き出し、ゆっくりと身体から憎しみを逃がしていく。
同時に蔦は、意識を失った男の手足から離れ、大地の裂け目の中へと再び戻っていった。
「…、…ごめん、フロレンス」
「心配ない、ジークヴァルト。君に何かあれば私が止める。それに、君のお陰で…ローゼリンドはこうやって生きているんだぞ」
力なく呟く僕に、フロレンスの言葉がゆっくりと染み渡っていく。
僕が視線をフロレンスの傍らに向けると、そこにはローゼリンドが立っていた。
銀色の髪は途切れ、ドレスは破れ、肌は傷付いているけれど、それでも妹は、確かに生きていたのだ。
「お兄様…、…もう、逢えないかと思ってた」
ローゼリンドの両目から、溢れ出るように涙が零れ落ちていく。
妹を助けることができたんだという実感が、僕の両手を震わせた。
僕は馬から飛び降りると、ローゼリンドに両腕を伸ばして、力の限り強く抱き締めた。
「ローゼ…っ…ローゼっ…ッ、良かった」
僕の魂。
僕の片割れ。
妹を失った時の悲しみが、取り戻した喜びと混ざり合って、僕の両目から伝い落ちていった。
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