第39話滅ぶ世界

「フロレンス、何をする気だ!!」


焔の向こうからアスランの声が聞こえた瞬間、僕を阻んでいた壁が一瞬にして消え失せる。

焔の茨でできた牢獄から解放された蔦たちは、怒りを爆発させるように一気に広がっていった。


ローゼリンドを抱えるようにして踞る僕の身体にも、蔦が絡み付く。

青黒い蔦は優しく僕とローゼリンドを囲うと、視界が塞がれ、闇に包み込まれていった。

蔦でできた繭の中に閉じ込められると、僕の中でますます世界へ憎悪が育っていく。


───ああ、僕は…ローゼを殺した世界も、自分も、許せない


心の中に溢れる憎しみを糧に育つ蔦が、大地を押し流していくのが分かる。

津波のように押し寄せる蔦に巻き込まれ、失われていく幾つもの生命の悲鳴が、蔦を介して僕の中を満たしていった。

それでも僕は、止まることができなかった。


全てを飲み込んでも、満足など出来やしない。


もっと、もっとと飢えるままに力を振るおうとした瞬間、目映い光が闇を切り裂いた。

僕と妹を包む蔦の繭に亀裂が走ると、蔦は赤々と燃え上がって崩れ落ちていった。


「やめろっ」


思わず眩しさに顔を背けながら、僕は叫んだ。

僕の声に反応して、再び蔦が絡み合って亀裂を閉じていこうとする。

だが、蔦が閉じきる前に何者かの影が、蔦を押し退け、閉じるのを阻んだ。


「邪魔をするなっ…!」


僕は苛立ちと焦燥を募らせて、叫んだ。

憎悪に満ちた目に邪魔者を映し出した瞬間、僕の瞳はゆっくりと見開かれていく。


「なんで…、…」


思わず漏れた声に、脂汗を滲ませながら僕を見下ろしている邪魔者の目が、力強く笑い返した。


「迎えに、来たぜ…ジークヴァルト」

「…、…マグリット?」


僕がぽつりと呟くと、邪魔者であった者…マグリットはいつも通り軽口を叩くように応えた。

だが、その間にもマグリットの両腕と背中に蔦が這っていた。

繭が閉じないように蔦を握る両手からは、ぐじゅぐじゅと皮膚と肉が腐っていく嫌な匂いが漂い、血と共に滴り落ちる。

溢れ出たマグリットの血は、彼を見上げる僕の上に次々降り注ぎ、頬を濡らしていった。

血はまるで涙のように、僕の頬を伝っていく。


マグリットを見上げる僕の身体から、血の気が引いていった。


「あ…、…ぁ…そんな…」


全身の震えが、止まらなくなる。

マグリットを救わなければと、気持ちばかりが逸る。それなのに、僕は天を仰いだまま、恐ろしさに動けずにいた。

そんな僕の頬と肩に、不意に温もりが触れた。

驚きに肩を跳ね上げ、ぎこちない仕草で顔を前に向けると、マグリットが押える蔦の繭の亀裂の合間から、伸ばされる腕が目に飛び込んだ。


「ようやく、追い付きましたわ…ジークヴァルト、様」


途切れ途切れに呟きながら、ヴィオレッタが這いずるようにして繭の中に入ってくると、僕の頬に滴る血を優しいく拭った。


「ローゼリンド様と、ジークヴァルト様がらいっしゃらないと、わたしたち、寂しくて…追いかけて、きちゃいました」


ヴィオレッタの反対側から同じように僕に近付いてきたダリアが、いつも通り明るく笑って見せると、僕の身体を抱き寄せてくれる。


強ばった身体が傾き、ダリアとヴィオレッタの胸の中に倒れ込む。

同時に伝わってくる二人の体温。そして、濃く漂う血生臭さ。

僕は眦が裂けるほどに瞳を見開き、二人の姿を映し出した。


「ヴィオレッタ…、足が…っ」


喉が急速に干上がって、声が掠れる。

二人の肩越しに僕の目に映る二人の姿は、酷いものだった。

美しいドレスは腐り落ち、纏わりつくばかりとなっている。

布から覗いたダリアの柔らかな腹からは、内側の物が溢れ出し、ヴィオレッタの脚があるべき場所には、血の海が広がっていた。

そしてその血は、二人の優しい鼓動に合わせて今もなお、広がり続けていた。

ヴィオレッタが僕の頭を優しく抱き寄せて、視界を塞ぐ。


「ジークヴァルト様、お見苦しい、すがたで…もうしわけ、ございません…」

「ヴィオレッタ、黙って!」


僕はヴィオレッタの消え入りそうな声を止めたくて、被せるように言葉を返す。

そんな僕にヴィオレッタの肩が優しく震え、微笑む気配を伝えてくれる。

ヴィオレッタはより一層、両手に力を込めて愛情を伝えるように僕の身体を、強く抱き締めてくれた。


「ローゼリンドさまにも…最後まで、お仕え、したかった…、…だから、せめてジークヴァルト様だけでも、お戻りになって…どうか、どこにも行かない、で───」


ヴィオレッタの腕から、力が抜けて僕の身体から滑り落ちる。


「ヴィオレッタっ…ヴィオレッタっ!!」


僕の叫び声に応えることなく、肩に凭れたままのヴィオレッタの瞳は、一点を見つめたまま動かなくなった。

抱き止めたヴィオレッタの身体を揺すりながら、名前を必死に叫び続ける僕を、ダリアが抱き締める。


「ダリア…、…」


僕の顔を真っ直ぐに見つめるダリアの榛色の瞳が、笑うのに失敗した時のような不恰好さで、悲しげに細められる。


ウィリンデ緑の精霊様…ジークヴァルト様、…お二人の悲しみは、痛いほど、わかります…、…だって、わたしたちも───愛していたから、…」


ダリアの瞳から湧き上がっていく涙が、瞬くと同時に溢れ落ちていった。


「だから、どうか…ウィリンデ様、愛する人を、わたしたちから、奪わないでください…ジークヴァルト様を…お戻し、ください」


ダリアが願うように囁く言葉に、僕と同調していたウィリンデ緑の精霊の怒りが、ゆっくりと悲哀に変わっていく。

そして、僕の中からも世界に対する憎悪が緩やかに失われていった。

僕を中心に広がる蔦の勢いは衰えていき、大地に開いた亀裂の外へと身をくねらせるようにして、地の底へと飲まれていく。

僕とローゼリンドを囲んだ蔦の繭がほどけていくと、亀裂を押えていたマグリットが、気力の全てを吐き出してしまったように膝から地面に崩れ落ちて、僕の前に横たわった。

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