第30話想い

傍らに、フロレンスを引き寄せる。

僕だって伊達に社交界デビューしている訳ではないのだ。経験は妹のお供ぐらいであったが、エスコートの基礎ぐらいは分かっているつもりだった。

行き交う人に当たらぬように彼女を守りながら、フロレンスの歩調に合わせる。


───やっぱり、こっちの方がしっくりくる


久々に男性としての立場を得ると、苦手だと思っていたエスコートも懐かしく感じるものだった。


「どう、私のエスコートも捨てたものじゃないでしょ?」


少し上にあるフロレンスの顔へと笑いかけると、僕の腕に預けられた彼女の指先がぴくり、と跳ねた。

同時に、フロレンスの頬が仄かに染まっていく。

僕は驚いて、思わず瞳を見開いた。


「どうしたの、フロレンス?」


途端にフロレンスは視線をさ迷わせ、顔を隠すように掌で唇を覆い隠していた。


「いや…、…すまない。何だか、熱くて」

「大変!熱かしら」


言いよどむフロレンスに、僕は慌てて片手を伸ばすと額に押し付ける。

途端に僕の掌に、燃えるような熱が移った。

僕の心配をよそにフロレンスは困ったように睫毛を伏せると、どこか気恥ずかしそうに掌の奥から小さな声を漏らした。


「違うんだ、ローゼ。熱はないから安心してくれ。ただ、君が……ジークみたいに笑うから、照れてしまって」


フロレンスの告白に、今度は僕の心臓が跳ね上がった。

火傷を負ったように、ぱっ、と掌をフロレンスの額から離すと、自分の胸を手で押さえる。


「そうね。そうよね。お兄様と私、そっくりだものね!」


僕は誤魔化すように訳も分からず言葉を口走っては、フロレンスから顔を背けるように正面を向いた。

心臓が痛いほどに高鳴る。

動揺と焦りが身体の内側を駆け巡って、頭を白く染めていくようだ。


───早く、一人にならないと…っ


理解の及ばない気持ちから逃げ出したくて、僕の視界の中に入った露店を指でさした。


「ちょっと待ってて、あそこで飲み物を買ってくるから」

「え、あ、ローゼ…っ」

「フロレンスは端で待ってて!」


早口に捲し立てながら、露店とは反対側に位置する建物の壁を指差すと、フロレンスは気圧されたように頷いた。

フロレンスが端に向かって歩き出すの確かめてから、僕は自分の気持ちを振りきるように早足で歩き出す。


婚約式の祝賀祭として設けられたマーケットには、記念のとカップと一緒に飲み物が売られている。

公国直下の釜で焼かれた陶器から、ガラス製品、木彫りまで。

個性溢れるカップは持ち帰っても良いし、マーケット内の店に返却すればカップ代が返ってくる仕組みだ。

白いひさしを出した露店の前に立ち止まってカップを見ると、僕は無難な物を二つ取り上げた。


「いらっしゃい!あら、2杯も飲むのかい?」


2つのカップを渡すと、恰幅の良い女将が手際よく果物を絞りながら僕に尋ね掛けた。


「いえ、違うんです。連れが人酔いしちゃって」


僕は反対側に面する建物に目をやると、片手を軽く持ち上げてフロレンスに振って見せる。

僕の仕草に気付いたフロレンスは、片手を軽く振りながら柔らかな微笑みを返してくれた。


「あら、あれがお連れかい?イイ男じゃないか!お似合いだねぇ」


女将は伸び上がるようにして僕の肩越しにフロレンスの姿を見つけると、途端ににこにこと満面の笑みを僕に向けてきた。


「いえ、そんな……」

「恥ずかしがらなくたって良いじゃないかい!!もしかしたら大公子様とウィリンデの公女様の婚約にあやかって、今夜プロポーズされるかもねぇ」


搾りたての果物の甘酸っぱい香りと共に、僕の胸にまで甘い感覚が込み上げてくるようだった。


───恋人でじゃない。なんて、否定しても無意味だよな?


そんな言い訳めいた言葉を心の中で唱えながら、僕は眉を下げて笑ってみせた。


「あはは、プロポーズだなんて……そんな」

「あらまぁ、真っ赤になっちゃって!彼のことが好きなんだねぇ。イイもん見せてもらったし、お代はオマケしといて上げるから楽しんでおいで!」


自分でも気付かなかった頬の熱を指摘する女将は、満面の笑みを浮かべながら二つのカップを僕に差し出した。

飲み物と引き換えに、割安にしてくれた代金を手渡す。


「ありがとうございました」

「良いのよぉ、楽しんでおいで!」


お礼を言うと、僕は踵を返した。

手元を見下ろせば、搾りたての柑橘の香りと、蜂蜜の華やいだ甘さがカップの中から立ち上ぼり、鼻腔を擽った。

僕の心の内側を表すような、甘酸っぱい匂いだ。


───好きなんだね……か


女将の言った何気ない言葉を心の中で反芻すると、舌の上にまで甘やかな感情が広がっていくようだ。

僕はカップに視線を落としながら、人の合間をゆっくりと歩いていく。

一歩一歩進む度に、僕の内側からフロレンスとの記憶が次々沸き上がってきた。


幼い頃に、二人で野原を駆け回って笑い合った裏庭。

母を失った僕を抱き締めて、僕と妹を守ると言って流してくれた涙。

身体の弱い公爵家当主の代わりに、12歳で出兵が決まった夜、僕の腕の中で見せた泣き顔。

人々の歓声に包まれながら凱旋した日、夕日に照らされた凛々しい横顔に宿る、憂鬱の陰。


そして、今。


いつだって妹を守ろうとしてくれる姿が、僕を支えてくれる。

僕を愛してると頬を染める姿が、僕の心をざわめかせる。


僕は気付いてしまった。

必死に見ない振りをして、逃げ回っていた自分の気持ちに今、追い付かれてしまったんだと。


フロレンス、僕は────


───僕は君を、愛している

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