第14話火花
長い回廊をフロレンスと共に歩いていくうちに、どうにか頬の熱は落ち着いた。
再び華やかなフロアに辿り着くと、彼女の姿に気付いた貴族たちのざわめきが聞こえてくる。
国境付近で隣国との小競り合いがあったからと、ロザモンド公爵家の次期当主である彼女が駆り出されたのは、3日前。
ちょうど、妹が居なくなった日のことだ。
公国の領土がさして広くない、といっても驚くべき進軍速度だった。
しかも戻って来ている、というこは片付いた、ということで。
───お化けを見たみたいにざわつのも、当然だ。
色んなショックから抜けきれず、変に冷静な目で周囲を眺めている僕の耳に、甘い声が聞こえてくる。
顔を向けると、ヘリオスの笑顔が輝いていた。
「お帰り、フロレンス公女」
「やあ、出迎え感謝するよ。大公子殿」
バチッ、と蒼白い火花が散らされそうな二人の視線に、僕の方がたじろいだ。
ヘリオスの完璧を絵に描いたろうな綺麗な笑顔は、笑っているのに全くそう見えない。
「#女だてらに__・__#、また随分とご活躍されたようで」
真綿から飛び出しまくった、トゲ全開の言葉がフロレンスに投げられる。
フロレンスはヘリオスの嫌味に、猛々しく笑って見せた。
「ええ、誰かさんが何の考えもなしに、三日前に出陣を命じてきましたので、さっさと片付けて可愛いローゼの晴れ舞台に間に合うよう、夜駆けで戻って参りました」
軍門の長である
「フロレンス公女の能力を信頼してのことですよ」
「私などを信頼して頂き、ありがとうございます。こうして式に間に合ったのも、あなたの叔父上であらせられるサイラス
フロレンスの薔薇色の瞳は細められ、唇はヘリオスを哀れみ、侮辱にするように美しく歪んだ。
ヘリオスの目蓋が僅かに痙攣し、目には怒りの炎が揺らめいて見える。
このままでは、刃傷沙汰に発展しそうだ。
止めようと僕が口を開きかけると、先に太く威厳に満ちた声が二人を諌めた。
「まったく、晴れの日だというのに。よさないか」
決して大きい声ではなのに、人を従えるだけの強さを持った言葉は、大公閣下の姿をそのまま表すようだった。
大公閣下がゆっくりと二人の側まで歩み寄ると、フロレンスとヘリオスは膝を折る。
「申し訳ございません。大公閣下」
「口が過ぎました、お許し下さい。父上」
寛容に頷く大公閣下は、眦に皺を寄せるように眼差しを和めると、フロレンスに視線を落とした。
「弟が随分活躍しているようだな、フロレンス」
「はい、隣国だけでなく帝国にも武勇が轟くほどです。降伏した者には寛容に対処し、政治力にも優れていると」
大公閣下と歳の離れた弟は勇猛果敢で有名だ。
戦神と崇められ、平和を尊ぶ王家の中では異質な存在であった。
兄弟仲が悪いから公的な場に姿を現さない。
なんて噂がまことしやかに囁かれているが、満足気に頷く大公殿下の姿から、そんな気配は感じられない。
「フロレンス、なかなか無茶な弟だがこれからもよろしく頼むぞ」
「はい、大公閣下」
フロレンスの肩に軽く手を置くと、大公閣下はゆっくりと踵を返して立ち去っていく。
気配が遠ざかると、跪いていた二人はゆっくりと立ち上がった。
ヘリオスは僕の方を振り向くと、手を差し伸ばす。
「私達も行こう。ローゼ」
手を取りたくない。
反射的にそう思ってしまった。
さっきまで妹以外の女に愛を囁いていた唇で、触れていた指先で、誘いかけるヘリオスがおぞましくて、仕方なかった。
───妹は、どんな想いでこの男の手を取っていたんだろう。
考えるほどに
───それでも、微笑みながらこの男の手を取るしかないのか?
絶望的な思いを飲み下し、手を伸ばそうとした時、僕の身体はあらぬ方向に傾いた。
「申し訳ございません。ローゼは体調が優れないようなので、私が送っていきます」
「フロレンス…っ」
見上げた先には凛とした美しい顔があった。
薔薇色の瞳が、眩いほどに鮮やかに燃えて見える。
僕の肩を抱き寄せる暖かな体温に安心すると、ふと、力みが抜けていった。
「ローゼ…、…良い子だから、こちらへおいで」
ヘリオスの背筋を凍えさせるような、甘ったるさが鼓膜を震わせた。
従順なペットの不始末を叱るような、猫撫で声。
僕を見つめる青い瞳が、冷たく光って見える。
───こんな男に従ってたまるか!
僕は立ち向かうように姿勢を正すと、精一杯美しく膝を折って、顔を下げる。
「ヘリオス様、申し訳ございません。わたくし、今日は先に失礼致します」
僕の頭を見下ろすヘリオスの視線は、どんな色をしているのか。
今はそれが酷くおぞましかった。
「そうかい、なら仕方ないね。後日また二人で話そう。気を付けてお帰り、愛しいローゼ」
「はい、ヘリオス様」
微かな溜息と共に、ヘリオスの優しげな声が鼓膜を撫でた。
僕が顔を上げると、妹の婚約者は何ごともなかったかのように、優しく微笑んでいる。
全てを知るまでは完璧だと思っていた笑顔の仮面の下で、今は考えているのだろうか。
僕は嫌な想像を巡らせながら、フロレンスと供にフロアを後にした。
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