◆閑話: 仇敵、相討つ魔獣たち 後編

 重い身体からだを引きるようにしながら、黒き獣はようやくおのがねぐらへと辿り着く。

 そこは、どれだけ行こうが決して途切れることはなく、真上を仰ぎ見れば遙か天空まで続く、ひたすら巨大な岩壁の一角に空いた小さな洞穴ほらあなだった。


 短期間に傷を負いすぎた獣の生命力は、既に限界が近い。

 一見すると、その肉体に負傷の痕跡など残っておらず、万全な状態を保っているように思える。

 だが、先ほどまで戦っていた白き獣――風の魔獣によって負わされたダメージだけの話ではないのだ。


 さかのぼること数日前、厄介な火の魔獣の棲む領域へ足を踏み入れてしまい、それに関してはさほど労せず仕留めることができたものの、直後襲い掛かってきた水の魔獣に不覚を取り、共に倒れる相討ちをきっしていたのである。


 地の魔獣として身に備わった無尽蔵の生命力により、どうにか死の淵から蘇ることはできたが、この到底とうてい万全とは言い難い状態で風の魔獣にまで戦いを挑まれたのは痛恨つうこんの極みと言う他ない。


 かねてより縄張りを巡って争い合う仇敵だった風の魔獣。

 本来であれば、不意討ち以外に怖れる要素などありはしない相手だ。

 ……が、厄介なことに、その不意をく勘が悪魔的にえており、今回も最悪のタイミングで仕掛けられ、こうして死を覚悟しなければならない生命いのちの瀬戸際まで追い詰められたわけである。


 いや、水と火の魔獣をほふったこともあわせ、これほどの短期間に連続して魔獣同士が死闘を繰り広げるなど、かつてあっただろうか? 少なくとも、黒き獣の記憶・・には存在していない。


 ここ数日の間、今この時も、身の内より湧き上がってくる高揚感こうようかんがあることを改めて意識する。

 ひょっとすると、他の奴らもこれに掻き立てられ、無謀な戦いを挑んできたのだろうか。


 この地に何かが起ころうとしている。


 ――と、頭をぎった予感に同調し、悪寒おかんが走るかのように、突然、全身から力が失われる。

 生来より肉体に宿してきた大地の力が……急速に、抜けていく……。

 体力の回復速度と拮抗きっこうしていた疲労が一気に押し寄せ、どう!と巨体が横倒しになってしまう。


 それは、あまりにも唐突で理不尽な裏切りであった。

 最も信頼していたしもべ――地の精霊たちが、仮初かりそめの主を見捨て、新たな主へと目を向けた。

 黒き獣にはそうとしか考えられない。


 何故だ? 力を寄越せ! この雪原の! 氷壁の! 最強の王は自分だったはずだ!


 猛り、唸り、咆哮ほうこうを上げようとするも、既に肉体にはそんな力すら残されてはいなかった。

 代わりに周囲へ響き渡ったのはガラガラガラ!という崩落する岩の音。

 岩壁の上から降ってきた大きな落石が運悪く頭部へと直撃し、黒き獣の意識は遠のく。


 バカな!? この俺が……大地の攻撃によって生を終えると言うのか……?


 続けて降り注いできた雪崩なだれじみた氷雪に、獣は巨体をうずもれさせる。

 二度と目覚めることなき眠りへくため閉ざされようとしているその目が最後にとらえたのは、遠くからこちらへ向かってゆっくり歩いてくる、二体の見知らぬ生き物の姿だった。






     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 二匹の動物が対峙たいじしていた。

 共にふわふわの毛に覆われ、丸っこい体型をした動物たちである。

 風でも吹いてこようものなら、ころころと転がってしまいそうな危うさが、その場にはあった。


 どうやら、かたわらに置かれたたった一つの獲物を巡り、二匹は睨み合っているようだ。


「にゃあ!」

「……わふ!」


 一方は白い子猫、もう一方は黒い子グマだ。

 小さな鳴き声を上げて不機嫌をアピールする二匹だが、互いにまったく引く様子を見せない。

 徐々に苛立いらだち、やがて双方、攻撃態勢を取り始める。


 身を低くし、長い尻尾を立てて尻を左右に振り始める子猫。

 短い後ろ足で立ち上がり、やはり短い両手を左右に広げる子グマ。


「みゃっ!」


 先に仕掛けたのは子猫! 真っ直ぐ子グマへ跳び掛かる。


「わふっ!?」


 子グマは前足を振るって子猫を迎撃しようとするも目測を誤って空振り。

 だが、子猫もまた目測を誤り、両前足を空振りしながら勢い余って子グマへ激突してしまう。


――ごつん!


「……にゃあ」

「……わふ」


 頭同士がぶつかり、涙目になりながら二匹は共にうずくまる。

 だが、痛みをこらえつつ身を起こせば、そこからは取っ組み合いの始まりだ。


 子グマは小さな手を振り上げ、ぺしぺし!と子猫を叩く。

 仰向けになった子猫は、後脚でとととっ!と連続蹴りを繰り出して迎え撃つ。


 もはや、どちらかが疲れるまで戦いは終わらないというのか!? そこへ――。


「おいおい、ケンカするな。もう一個、まだ石が残ってたから」

「そもそも黄色い石はベアきちの分でしょう。意地汚いですよ、ヒヨス」


 現れた人間の男女が二匹を抱き上げ、気をなだめるように背を撫でていく。

 一瞬で機嫌をくした子グマと子猫は、彼らが差し出してきた小さな石を一心不乱にペロペロめ始めるのだった。




                       閑話: 仇敵、相討つ魔獣たち 【完】


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 お忘れの方もいらっしゃいますよね。

 前半のクマは「第二章 - 第三話: 寝覚めと覚醒」で遭遇した巨大グマです。

 二人が初めて解体し、食料や防寒具として有効利用しました。

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