第八話: 我が家を後に

「忘れ物はないかな」

「はい、お掃除もこれで済みました」


 かれこれ三ヶ月近くも――例によって正確な暦は不明だが――世話になった生活拠点の玄室を引き払うため、大掃除、家具の片付け、素材や食料の分別……等々、数日を掛けて後始末をし、ようやくすべてを終えることができた。

 ほとんどの物は車に積み込んで持っていくつもりだが、重い素材や家具などは倉庫へ仕舞い、この場に置いていくこととする。


 最後にゆったり風呂を使い、初めてこの玄室を見つけたときから今に至るまでのことに思いを巡らせていく。


 はぁ……本当に色々なことがあった……。

 やむにやまれず、思いの外、長居してしまったわけだが、なんだかんだで居心地が良かった。

 とは言え、それも今日で終わりだ。


松悟しょうごさん、お身体からだりをほぐして差し上げましょうか?」


 風呂から上がると、先に済ませてもらった月子に出迎えられ、魅惑の肩叩きを進められる、が。


「いや、今日は遠慮しておくよ。出発前に眠くなってしまいそうだ」


 後ろ髪を引かれる思いを振りきり、防寒具を始めとした装備を調ととのえていく。

 おそらく人里近くに辿り着くまでは車での移動となるため、防寒具を身に着けると言っても、万が一の場合に備えた最低限である。

 それも終わってしまえば、後は出発するだけ。


「そろそろ、行くとしよう」

「もう少しだけ生きやすい環境だったなら、私、ずっと此処ここで暮らしていたかったです」

「ははは、どこかに着いたら、また一緒に隠れ家でも作るかい?」

「くすっ、そうですね、是非」


 と、歩き出すも、入り口である門をくぐろうとしたところで、なんとなしに思い立つ。

 改めて見てみても、まるで祭壇のような作りとなっている立派な門である。

 立ち止まり、頭を下げてみた。


「今まで、お世話になりました。無断で間借りさせていただいたことにお詫びと感謝を」


 魔法があって、神も精霊も実際に存在している世界だ。

 この遺跡?も何某なにがしかの存在がまつられていたり、そうでないとしても誰某たれがしかが作り上げた施設に違いあるまい。いくらなんでも、そうした何かへ声が届いたりまではしないだろうが、礼くらい言っておいても良いだろう。

 そんな風に思えた。


 隣で、僕にならってか、月子も小さく頭を下げる。


 ま、何かあって引き返してくる可能性も決して低くはないんだが……。

 いささか感傷的になり過ぎているかも知れないな。


 そうして、僕たちは玄室――狭いながらも楽しかった我が家・・・を後にした。



 門から出て、最初に見たときのように岩で塞いだ後、既に荷物の積み込みを完了させておいた車へと向かう。


「にゃあ」

「……わふぅ」


 車の左右で待っていたチビども――もうチビとは言い難いサイズではあるが――が、むくりと起き上がり、僕らのもとへと近寄ってくる。

 二頭とも、そろそろ牙が鋭くなっていて恐いため、鼻先から突っ込んでくることはしないよう厳しく教え込んでいるが、それでも勢いよく、頭のてっぺんをこすりつけるようにぶつけてきた。

 しばし、二人と二頭で抱き合って転げ回るほどの勢いでもみくちゃヽヽヽヽヽになる。


「くるるる……にゃにゃっ!」

「ヒヨス、爪はめろ! 牙を振るな! ったく、こいつめ!」

「わっふっ! うわっふ!」

「おすわりですよ……はい、良い子ですね、ベアきち


 旅立ちを理解しているのか、普段よりも興奮気味のチビども。


「ハァ、ハァ……まったく、図体ずうたいがでかくなったんだから手加減してくれ」

「にゃっ」

「ふふ、ところで、あなたたちは本当に良いのですか?」

「わぅ?」

「私たちに付いてくるということです」


 確かに、まだ異世界の生物について何かを推察できるほどの知識を持ってはいない僕らだが、こいつらが他の動物たちとまったく異なっていることくらいは流石さすがに分かる。

 おそらく、この山のヌシか守り神みたいな存在なのではなかろうか。

 二頭揃って他の場所で移住してしまって良いものかと思い、一応、尋ねてみる。


「そうだな。お前たちはここが棲み家なんだから残っても構わないんだぞ?」

「にゃあ!」

「わふぅ!」

「むっ……しかしだな……」

「もう帰ってこられないかも知れないのですよ?」

「みにゃあ!」

「ばうっふ!」


 どうやら、二頭共に決意は堅いらしい。

 いつも通り、特に何も考えていないという可能性がなきしもあらずだが。


「そういうことなら、よろしく頼む」


 ベアきちの鼻面とヒヨスの耳の後ろをぐりぐり撫でてやってから車へ乗り込んだ。

 月子も隣の運転席へと乗り込み、地の精霊へ請願せいがんして車を始動させる。


「そう言えば、この車にも名前が欲しいな」

「別に“車”で構わないのでは?」

「いや、これから長らく世話になるんだ。名前はあった方が良い」

「そうですか? それでは、カーゴではいかがでしょう」

「それだとお荷物みたいだな。カブトムシに似ているし、カーゴビートルではどうだろう?」

「長すぎませんか?」

「ダメかな?」

「いえ、略称をカーゴとさせていただきますね」


 月子はそう言いながらやや深く座席のシートに収まり、ハンドルにはゆったりと両手を掛けて、リラックスできる体勢に移っていく。

 僕の方は、逆に身を乗り出すようにフロントウィンドウへ向かい、前方のテーブルに腕を置く。


「よーし! 車、改めカーゴビートル、発進と行こうか!」

「……松悟しょうごさん」


 その温かい目を向けてこないでほしい、月子。

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