殿!令和でござる!

羽弦トリス

第1話島津の退き口

慶長5年9月15日、関が原においてこの話では東軍、西軍と書いて説明申し上げなん。その前に、それがし、薩摩藩主島津義弘公の家臣の末裔まつえいの羽弦と申す。(これは、マジで!)

午前8時頃に、東軍の鉄砲の攻撃を合図に東軍・徳川家康、西軍・石田三成の軍勢がどっこいどっこいの勝負をしており申した。

しかし、午後1時、松尾山に布陣せしめる小早川秀秋の軍勢が西軍ながら、東軍・徳川家康に寝返り、小早川勢1万5千の軍勢が西軍・大谷吉継勢に攻めかかり、それを見た西軍の諸将は挙って寝返り、西軍一の宇喜多秀家勢総崩れ。

石田三成も戦場を離脱。

西軍の負けは、午後2時には濃厚になり申す。

そこで、二度の朝鮮の役で手元不如意の我が主君、島津義弘公は前後左右東軍に囲まれ、傍らの家臣に尋ねる。

「敵方は、いずかたが猛勢か?」

家臣は、

「東寄りの敵、殊の外猛勢」

「では、その猛勢の中をあい駆けよ!」

我が主君、義弘公は千の軍勢で敵の防戦一方で減らした残りの300名足らずで、福島正則勢に突進致し申した。

勇猛果敢な福島正則勢もひるみ申す。

そして、徳川家康本軍の目と鼻の先をかすめ、街道筋へ馬を走らせたので有り申す。この、敵中、中央突破は後の世で、「島津の退き口」として、語り継がれる事に相なりもうした。

話は、その時の様子から始まり申す。

では、本文へ。


「まこて、豊久とよひさまでうしのうた。これから、堺の港まで駆け抜けっど」

と、義弘は家臣、足軽に話す。

「殿!ちった、休憩をせんな足軽が付いてこれんですが」

「あぁ、千はあった兵も百も残っとらんが。無駄な戦をした。あん、鳥居元忠が鉄砲を打たんなら、東軍やったとこれ」

と、義弘は残念がる。

「殿!必ず、生きて薩摩に戻らんな、お家取り潰しは免れんでごわす。生きて、言い開きをせんな」

「分かっちょい。おいは、生きてもどい。……ちった、喉がかえた。水はなかどかい」

家臣は田んぼの周りを探した。

「殿!井戸がありもす」

「井戸ちな?よっしゃ、おいがいっで!(自分が行くから!)」

義弘は馬を蹴り、井戸に向かった。しかし、馬が暴れ、義弘は投げ落とされた。

運悪く、義弘は井戸の中に落ちてしまった。

「殿!殿!」

騎馬武者、足軽、全員で井戸に落ちた義弘を助けようと井戸に飛び込む者がいた。

しかし、義弘の姿は見えない。ただ、甲冑と刀だけが井戸の底から見つかった。

「殿がおらん!殿が消えてしもた!」

「こいや、いかん。殿を探さんなら」

残された、騎馬武者、足軽は義弘を探しに探しだが見つからず、全員、堺の港まで落ち延び、船で薩摩に帰った。

家臣は、義弘の具足と刀を形見として持ち帰った。

義弘は、さてどこへ行ったのか?

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