第13話「女の本気」

 アルバート達は村長の家に依頼達成の報告をしたあと、早々に宿へと戻ってきていた。

 二階建てで厩舎きゅうしゃ付きの宿だ。

 一階は受付と食堂。二階が貸し部屋となっている。

 彼らは宿屋の女将に勧められるがまま、全員別々の部屋を借りたため、いつもの騒々しさはない。

 アルバートが明日に備え床に就こうとした瞬間、控えめなノックの音が部屋に響いた。

 ため息をついて彼は扉の前まで移動し、右手をドアノブにかけた。


「……どうしたの? こんな夜遅くに」


 開けた扉の前に立っていたのは、村長の娘であるアリシアだ。

 彼女は赤く染まった顔を隠そうともせず、両手を胸の前で組んでいた。


「子供は寝る時間だよ」


 アルバートが優しく諭せば、彼女は涙目になりながら首を横に振った。

 彼の眉間に少しシワが寄る。


「わたし、子供じゃありません。アルバート様のことが……」


 アーシャはそんな様子を屋根裏から盗み見てしまい、ため息をつきたくなった。


 ──他人の色恋沙汰を覗き見るのは趣味じゃないのよね。


 アーシャがそれに続く言葉を悟るのに時間はかからなかった。

 昼間、アリシアがうっとりとした顔で彼を見ていたことを知っているからだ。

 むしろここまであからさまな態度を見れば、気づかない人はいないだろう。

 アーシャは、アルバートがどのような対応をするのか、純粋な好奇心から次の言葉を待った。


「だめだよ。その言葉は、本当に好きな人が出来た時に贈るものだ」


 左手の人差し指を自身の唇に寄せたアルバートが微笑む。

 その仕草は見惚れるほど美しく、彼が己の顔の良さを自覚しての行動なのだと、アーシャは一人納得した。


 ──彼の色香になら、簡単に騙されるのでしょうね。


 外見だけで人を悶えさせ、惑わせる事が出来る彼は、己の武器を正しく理解している。それがどれだけ厄介な事か。

 だが、アリシアは惑わされなかった。


「好きです。アルバート様が好き」


 彼女はアルバートと視線を逸らさずに告げた。


「悪いけど──」

「わかっています。商団にいた女性ですよね?」

「……わかっているなら、何故ここにきた? 俺は君の想いには答えることはできない」


 それが素なんですねと笑ったアリシアは強い娘だ。

 想いを手折られてもなお立ち向かうなんて。

 屋根裏から見守ることしかできないアーシャは、この話の終着点はどこなのだろうと息を飲んだ。

 アルバートが「じゃあ気をつけて」と扉を閉めようとするが、アリシアは引かない。

 彼女は強い覚悟の籠もった瞳でアルバートを見つめ、震えた声で呟く。


「一夜だけでいいんです」

「あ?」

「一夜だけ、お傍に置いてくれませんか?」


 そう言葉を紡いだアリシアは、死を覚悟した人間の顔をしていた。


 諦め。切望。恋慕。絶望。そして決意。


 様々な感情が混ざり合い、固まった顔つき。

 女性にここまでの顔をさせるアルバートは、女泣かせというものなのだろう。

 もしアルバートが彼女の提案に乗るのなら、アーシャはこの場を離れた方がいいだろうか。

 人の情事を覗き見る趣味はない。

 アーシャの心配を他所に、彼は眉間のシワを深くしてため息をついた。


「……おやすみ。気をつけて帰るんだ」


 彼女の決死の言葉を聞かなかったことにして、アルバートは今度こそ扉を閉めたのだった。




                ◇◆◇◆◇◆




 東の空が明るく世界を染め始めた頃。

 宿で朝食を食べていたアルバート達は、


「ブランジェに行きたい」


 というルーナの言葉に、首を傾げていた。

 ブランジェは、ここドゥート村から更に北。ドゥート村から三日ほど馬を走らせた場所にある、国境近くの港町だ。

 ブランジェには冒険者ギルドの支部もあり、比較的栄えた町である。


「帝都に帰る方が速いじゃねェか。なんでブランジェなんだ?」

「一週間後、ブランジェの定期市が、開催される。あたしは、それに行きたい」

「定期市?」


 アルバートの問いに、ルーナは目を輝かせ、異国の食材や品物が惜しみなく市場に並べられる、特別な催しだと答えた。

 国境近くの港町なだけに、異国の品物が手に入りやすい。

 ただ、本来、庶民に異国の物が渡る前に、貴族が買い占めてしまう。

 だからこその、定期市だ。

 庶民にも異国の品物を売りたい商人達が、お上の目を掻い潜るために考案したものだ。


 ──そういえば、魔の国産のシャンプーとコンディショナーが無くなりそうって侍女たちが言っていたわね。


 四年前まではどこでも買えていたその商品は、今では定期市でしか入手できない品物になっている。


 ──技術力は確かなのに、残念だわ。


 アーシャはそう思いながら、アルバート達の会話に耳を傾ける。


「ルーナさんは、なにか買いたい品物があるのですか?」

「もちろん」

「ルーナがそこまで言うんだし、行ってもいいんじゃないか? な、アル」

「そうだな。たまには休息も必要だしな。行くか」


 アルバートが頷けば、嬉しそうに笑うルーナ。

 その様子を優しげな眼差しで見つめるカルミアは、いつもより少しばかり憂いて見えた。


 彼らの会話を天井裏で聞きながら、アーシャは異国の品に思いを馳せる。

 ブランジェよりも更に北にある氷山を超えればもうそこは隣国、ニクス帝国だ。

 ニクス帝国は、凍えるような大地に根付いた民族が築き上げた国で、夏は冷害に襲われ、冬は雪に埋もれる。ただ“生きる”という唯一が難しい国でもある。

 冬は雪に覆われ、街と街を行き来することも難しいかの国の国民は、必然的に家の中で過ごすことが多くなり、時間を気にせずに没頭できること、陶芸や刺繍、絵画や音楽などが発展した。


 ――そういえば、アルバートが用意していたのもニクス帝国のティーセットだったわね。


 その数々の芸術品の中でも、ニクス帝国名産の白と青が織りなす芸術のような陶器で紅茶を飲むのがアーシャは好きだ。

 ニクス帝国では、ジャムを紅茶の共として食べるのだという。目の当たりにした時は、合うわけない。邪道だ。とも思ったが、やってみると意外と美味しかったのを覚えている。


「じゃあ、出発するか」

「早くね? ……あァ。まァ、アリシアちゃんと鉢合わせして気まずいのはアルだけどな」


 けらけらと笑うカルミアに拳を落とし、アルバートは早々に宿を出た。

 人間離れしたカルミアの耳には、昨夜のアルバートとアリシアの会話が聞こえていたのだろう。

 何があったのかを知らないルーナとレモラは、お互いに顔を見合わせていた。




 アーシャは彼を追うように、村の周りに生い茂る木々に身を隠し、監視を続けている。

 アルバートが宿の厩舎から馬を出し、馬を村の外へと誘導していれば、彼の後ろに現れた一つの影。


「……君も懲りないね」


 後ろを振り向かずに紡がれた言葉に、アリシアは言葉に詰まってしまった。

 沈黙。

 だが、それもつかの間。

 アルバートの元へカルミア達が到着したのだ。


「あれ、アリシアちゃん。どしたの? お見送り?」


 優しげなカルミアの言葉に、これ幸いと彼女は頷いた。


「皆さんのおかげで助かりました。ありがとうございました」


 深々と頭を下げるアリシア。

 そんな彼女に、頭を上げるように言ったのはルーナだ。


「あたしたちは仕事だから。あなたも気をつけて」

「はい!」


 元気の良い返事をしたアリシアは彼に恋慕していたことが嘘のように、清々しい顔で笑っていた。

 それを見たアルバートは警戒を解き、


「それじゃ──


 胸ぐらを引き寄せられ、唇を塞がれた。

 可愛らしいリップ音と共にアリシアが離れていく。

 顔を茹でタコのように真っ赤にした彼女は、踵を返すと自身の家へと逃げ込んでしまった。

 そんな彼女の行動に目を丸くしたアルバートは、彼女が入って行った扉を意味もなく見つめている。

 口笛を鳴らしたカルミアが「モテる男は辛いねェ」とニヤニヤと笑っていた。

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