第11話「限界は突然に」
シルディアが皇国に来て早二ヶ月。
竜の王について調べてからというもの、シルディアは書庫への立ち入りを禁止されていた。
読書をしていれば長い一日も一瞬で終わるというのに、それは許されない。
皇王の指示は絶対だ。
そのため、シルディアは得意でもない刺繍をしてみたり、昼寝をしてみたりと、あの手この手で無意味な時間を消費していた。
「そろそろ飽きてきたわ。せめて庭園に行くことが出来れば気分転換になるのに」
リビングルームの大きな窓を開け放てば、春の匂いがした。
窓辺に立ち尽くし、全身で春風を感じる。
「もうすぐ雪解けね」
最近は窓から外を眺めるのが習慣化してしまった。
外の空気を少しでも感じたいという、シルディアのわがままだが咎める者はいない。
窓の下を覗き込めば、柔らかな日差しが小さな湖を照らし、水面がキラキラと輝いた。
「本当、わたしを逃がす気がないのね。いえ、むしろこれは侵入者対策かしら?」
バルコニーすらない部屋。
もし侵入するなら壁を登るしかない。だが小さな湖があるお陰で侵入すら至難の業だ。
バルコニーがなければ窓を割ることも困難だろう。
「はぁ。暇だわ」
アルムヘイヤで影武者として生きてきた時は、入れ替わった際本物に劣らないよう毎日勉強漬けだった。
幸いシルディアの母である王妃が教育係をかって出たため、シルディアが退屈をすることはなかった。
しかし、今はどうだ。
ただ無意味に時間を消費しているだけ。
なんの目的もなく生かされているだけだ。
結婚すれば皇族の末席に加えられるはずだが、上皇陛下夫妻への挨拶もしたことがなければ、貴族たちにお披露目をする気配もない。
「しなくても構わない程度の存在だと思われているのは明白ね。わたしがつがいと言うのもどこまで本当なのか……」
皇国と王国では価値観が違うのは理解できる。
とはいえ許容できるかと言われれば、できないと答えるしかないだろう。
「どちらかの価値観を押し付けるのって、離縁まっしぐらだと思うのよね」
そう呟いた瞬間、執務室続く扉が開いた。
「シルディア」
彼は満開の花が咲いたような笑顔をシルディアへと向ける。
それを横目に見たシルディアはため息まじりに彼の名前を呟いた。
「……オデル」
「おまたせ」
「公務は終わったの?」
「休憩だ」
「そう」
素っ気なく答えれば、オデルは困ったように笑った。
不便を強いているのを理解しているのだろう。
だからといって彼が譲歩することはなかった。
「結構暖かくなってきたけど、まだ少し冷えるね」
窓を開けていることには触れず話題を振ってくる。
シルディアはオデルに返事をせず窓の外に視線を向けた。
困った顔のままへらりと笑った彼は、一目散にシルディアへ近づかずソファーへと足を向けた。
シルディアが薄着なことに気が付いたのだろう。
ソファーに用意されていた少し厚めのストール手に取ったオデルは、シルディアへと近づいていく。
肩にストールをそっとかけられたかと思うと、冷たくなった体を温めるように後ろから抱きしめられた。
「ねぇ」
「ん? どうしたの?」
「読書ができないと、一日が長く感じてしんどいの」
「うーん。シルディアの願いはなんでも叶えてあげたいんだけど、書庫に行ったらまた竜の王について調べちゃうでしょ?」
「知ってほしくないならそう言ってくれれば調べないわよ」
「シルディアは好奇心旺盛だからなぁ」
「はぁ。つまり、信用してないのね。わたしのこと」
「そんなことないよ」
焦ったように否定するオデルだが、そうとしか取れない言動が原因なのだ。
否定されたところで「はいそうですか」と頷けるはずもない。
オデルの腕から逃れ、シルディアは体の正面を彼へと向けた。
「書庫に行く以外なら叶えてくれるのね?」
「俺に叶えられることなら」
「庭園に行きたい」
「!」
ざわりと全身の毛が逆立つような重い空気がシルディアを包んだ。
部屋全体に張り裂けそうな殺気が満ちる。
責めるような無言の声が見えない矢になって突き刺さった。
シルディアは自身にまとわりつく蛇よりも重い執着を宿す赤い瞳を真っ正面から見据える。
「こんなの、監禁と一緒じゃない」
「……」
「ずっとオデルに従ってきたけど、もう飽き飽きなの」
「……」
「一日中部屋にいることには慣れてるから別に構わない。だけど皇妃教育をするわけでも、皇国について勉強させてくれるわけでもない。ただ一日部屋に籠るだけ。ただ時間を持て余すだけ」
無言のオデルに、シルディアは溜め込んでいた不満を言葉にして投げつける。
「そんなの……アルムヘイヤにいた方がマシじゃない!」
ぴくりとオデルの眉が反応を示す。
だがそれでも喋る気はないようで彼はじっとシルディアを見下ろしていた。
「ヴィーニャにずっと監視させて、わたしのこと信用してないのが透けて見えるのよ。傷つけたくない? 違うわね。あなたは自分が傷つくのが怖いだけ」
「……」
「わたしのために入手困難なアルムヘイヤの書物も集めてくれたんだって、嬉しかったのに……。竜の王について調べたからって、書庫の立ち入りを禁止するなんて……!!」
「……」
「わたしは一人の人間で、人格もある。人形じゃないの」
無言を貫くオデルは顔色一つ変えず、シルディアを観察している。
それが酷く癪に障った。
「どうせ、わたしはオデルのつがいではないんでしょ!? だからこうしてわたしが怒っても動揺しない」
「……」
「手放したくない、愛する君、自分が選んだ、ってあなたは言うけど、いまだに竜の王の意識について教えてもくれない! あなたは秘密ばかり。それどころか隠そうとする。本当はわたしのことなんて、どうでもいいんでしょう!?」
「言いたいことはそれだけ?」
首を傾げオデルは笑った。
見惚れるような笑顔だが、目が笑っていない。
どうやら怒らせることに成功したらしい。
「俺だってもっとシルディアを感じたかった。でもシルディアにつがいの自覚がないからずっと我慢していたんだよ? それももう必要ないってことだよね?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味? 俺には愛情表現が足りないって喚いているようにしか聞こえなかったんだけど」
「どう聞いたらそうなるの!? 全然違う! わたしという存在を認めて、話を聞いてほしいの」
「現在進行形で話を聞いていると思うよ?」
「じゃあなんで、わたしは書庫に入れないの? 正当な理由があればわたしだって諦める。でも、そうじゃない」
「そうだね」
「なら――」
「シルディアの要望には応えてあげたいけど、これだけは譲れない。シルディアを失いたくないんだ」
「脈絡がなさすぎる……!! 今の話からどう転んだらそういうことになるの!?」
言葉は通じているのに、噛み合わない会話。
二か月前に戻ったような返答に、シルディアは頭を悩ませる。
「シルディアは俺の隣でずっと笑ってるだけでいい。それだけで、いいんだ」
「一生このまま? お互いの意見を尊重しあうことも出来ず? そんなの……笑えないよ」
シルディアはそう言い残し、窓から飛び降りた。
予想外だったのか大きく見開かれた赤い瞳と目が合ったが、重力に従ってすぐに落ちて行く。
(聞く耳を持ってもらうためだとはいえ、わたしも馬鹿ね。こんなことでしか抗議できないだなんて。まぁ、でも万が一死んだとしても、つがいじゃないし問題ないはずだわ)
ぼちゃんと大きな音を立てて水しぶきが飛ぶ。
予想以上の深さに驚き、食いしばっていたはずの口を開いてしまった。
いけないと思った時にはもう遅く、
「ごぽっ」
と大量の水が口の中に入り込む。
(あ、これは駄目なやつ……)
沈んでいく意識の中、浮遊感と誰かが呼ぶ声が聞こえた。
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