レドパインの死

 レドパインたちが本陣を離脱して半刻程の事だ。


「敵が追ってこない」戦馬で全力疾走しているジュラールは自分たちの退却は上手くいったのかと思い始めた。


「もう少し先に我が皇国軍が物資を置いている窪地が有ります。そこで一旦態勢を整えましょう。良いですね、レドパイン殿」


「任せたぞ。しかし上手くいったな」レドパインがジュラールの提案に賛同した。


 しかし、そう甘くはなかった。


 百メートル程前の空間が歪むのをジュラールは見逃さなかった。


 果たして、十数人程の人影が出現した。


 黒装束の長身の人影と白い髪を伸ばした黒い鎧の男、赤毛の小男―—いずれも馬に乗っていた―—がこちらを包囲しようと手勢を散開させる。


 ジュラールは後ろにも異変を察知した。


 振り返ってみれば後ろにも黒い鎧の男に指揮された軍勢がいた。


 その脇に青い法衣ローブの男がいる。


 レドパインが悲鳴を上げた。


 目に見えなかったはずのその姿が突然表れる―—解呪ディスペルだ。


「レドパイン―—その首貰い受けるぞ」前から襲ってきた黒い鎧の男が哄笑する。


「エルリック―—この裏切り者が―—」レドパインは歯ぎしりする。


「騎士達よ―—レドパイン殿を守れ」ジュラールは片手半剣バスタードソードを抜くとエルリック目掛け飛び出した―—ジュラールも姿が表れる。


 皇国の透明化魔法では攻撃しようとすると術が破れる―—視覚を欺く魔法技術で皇国は他国より遅れていた。


 エルリックは魔剣ストームブリンガーでジュラールを迎え撃つ。


 片手半剣と魔剣がぶつかり合い、凄まじい火花が散った。


 返す腕でジュラールは大盾をエルリックに振るう。


 魔剣ごとエルリックの胴をへし折らんばかりの一撃だった。


 エルリックは魔剣で大盾を受け流す。


 体勢を崩されたジュラールは際どい所で踏み止まる。


 ―—二人の戦いに手出しする者はいなかった。


 *   *   *


 レドパインを囲む様に皇国騎士たちは展開した。


 ジュラール以外の近衛は全員金色の全身鎧に身を包んでいる。


 前から襲ってくる忍者装束の男―—だと騎士たちは思った―—は短刀ダガーの様な長さ15センチほどの剣を両手に握って騎士たちを襲う。


 忍者に同時に襲い掛かった二人の騎士の腕と太腿を短刀が切り裂く。


 後ろからくる黒い全身鎧の戦士にも腕利きの騎士が立ち向かう。


「我が名はユベール=ド=ヴェドニール、死神の騎士と見受けする。いざ尋常に―—」


 アトゥームは背中から両手剣を抜きざまにユベールに斬りつける。


 ユベールは盾でデスブリンガーを止めようとした。


 盾が真っ二つに割れる―—魔法で強化された盾にも関わらず、バターを切る様に切断された。


 ユベールは呻く―—盾を襲った一撃で腕まで負傷していた。


 無事な右手で剣を振るおうとしたが、馬が棒立ちになってユベールは放り出された。


 更に三人がアトゥームに襲い掛かる。


「レドパイン、先に行け!」ユベールが敬語を使う事も忘れて怒鳴った。


 レドパインはたしなめる事も出来ず、慌てて馬に拍車を入れる。


「逃がさない――キミには聞きたいことが色々有るんだ」短刀を両手に持った黒装束の――声で女だと初めて分かった――姿がレドパインの行き先を遮る。


 レドパインを護衛する騎士の空白地帯だった。


 女忍者――ホークウィンドは苦無をレドパインの肩口目掛けて投げる。


 苦無は防御結界を突き抜け見事に突き刺さった。


「ひいぃ!」レドパインは悲鳴を上げる――くつわを引っ張られた馬は棒立ちになった。


 あっさりとレドパインは落馬した。


 騎士たちが駆け戻ろうとする。


 一方、アトゥームと斬り合っていた三人の騎士の内、後ろをうかがおうとした一人が斬られた。


 レドパインは落馬した衝撃で息が詰まりながらも必死に透明化の魔法を唱え始める。


 しかし詠唱も動作も途切れ途切れで、術を完成させることが出来ない。


 騎士たちは間に合わない。


 ホークウィンドは鞍に掛けてあった細身剣を取ると馬上からレドパインに突き付ける。


「降伏するんだね。さもなくばこの場で――」怜悧な声だった。


「グランサールの騎士たち―—君たちの主君は負けた。大人しく降伏すれば命は助ける。戦うと言うなら最後までいく事になるよ」青い法衣の男――軍師ウォーマスターラウルが数十騎の騎士達と共にレドパインたちを囲む。


 エルリックとの決着が着かなかったジュラールも剣を降ろした。


「レドパイン殿は見逃して頂けないか――代りに我ら近衛が捕虜となる」ジュラールが近衛騎士を代表してラウルに乞う。


「逆なら良いんだけどね」ホークウィンドは今にもレドパインを斬りかねなかった。


「レドパイン、キミはアトゥーム君に統合失調症を悪化させる魔法をかけたね」


「い、いや……それは」レドパインは狼狽した。


 戦いに卑怯も何も無いという事は騎士達も知っていたが実際にそのような事を主君代理がしていたと知って良い気分でいられる者はいなかった。


「キミの仕える主君がそうしろと言ったのかい?」ホークウィンドが冷たい声で尋ねる。


「いや、違う――発案したのは私だ」戦皇エレオナアルはレドパインの案を聞いた時二つ返事で了承したのだが、それを言えば騎士たちの心証は悪くなるのは火を見るよりも明らかだった。


「どの道、貴方は生かしては置けない。亜人種迫害、優生思想、皇国至上主義、それらに権威付けしたのは貴方だ。除かなければ被害は広がる一方だ」ラウルは淡々と言った。


 レドパインはラウルの無表情な目を見て本気なのだと悟った。


 平均より少し低い背に太った身体が震える。


 均整がとれているとはお世辞にも言えない身体つきだ。


「主君の代わりとは言え、守り切れないとあっては近衛の恥。ラウル殿、どうかそれだけは――」ジュラールが懇願する。


「レドパインがキミの婚約者を殺したと言っても、かい?」ホークウィンドが決定的な一言を放った。


 レドパインの顔に恐怖が走る。


 ジュラールの顔にも信じられないという動揺が走った。


「キミの片手半剣には嘘を見破る魔法が掛かっているんだろう、ジュラール=ド=デュバル卿。ここで聞いてみればいいよ」


「待て、主君より任命された私を疑うのか――」レドパインはしどろもどろになりながら抗弁する。


 普通の相手ならジュラールは思いとどまったろう。


 しかし今までの経験からレドパインの性格を知っていたジュラールはついに決断した。


「レドパイン殿。貴方は我が婚約者ユリア=ド=バシェラールの蘇生魔法を故意に失敗したのですか?」魔剣をかざし、レドパインに問う。


「違う、私は」魔剣が赤い光を帯びた――質問された相手が虚偽の言葉を発した証拠だった。


「……貴方は—―!」ジュラールは全身の血が逆流するのを感じた。


 怒りに任せて剣を振るわなかったのは流石戦皇付き近衛騎士だった。


「レドパインをこちらに引き渡してもらえるか? ジュラール卿」今まで黙っていた死神の騎士アトゥームが言った。


 他の近衛騎士たちもレドパインには忠節を尽くす必要は無いと思い始めた。


「だが代理とは言え主君を置いて皇国に帰るわけにもいかない。我々近衛騎士も捕縛されよ、軍師ラウル」ジュラールはあくまでも騎士の誇りにこだわる。


「貴方たち近衛騎士は最初からレドパインの命を受けていなかった。レドパインは近衛を囮にして一人で逃げた所を我々帝国軍に捕まった」ラウルは微笑んだ。


「そういう事にしておけばいい。貴方たち近衛は皇国に帰って構わない」


 ジュラールはしばらく無言だった。


「我々が退却の指揮を執れば皇国軍再建の基礎は残る。それを知ってそうおっしゃるのか、軍師ラウル」


 ラウルはうなずいた。


「レドパインから必要な情報を聞き出したら、貴方に止めを刺して貰って構わない」


「ジュラール、騙されるな! そいつらは私をお前に殺させた後、お前たちも皆殺しにするつもりだぞ。帝国の奴らがかたるのはいつもの事だ!」レドパインが叫ぶ。


 ホークウィンドが馬から降りて剣を改めて突き付ける、レドパインは石の様に沈黙した。


 ラウルとアトゥームも馬から降りる、エルリックだけが警戒の為騎乗したままだった。


「さて、これを見てもらえるかな、レドパイン」ラウルがザックから取り出した握り拳程の陶器を見てレドパインは恐怖した。


「封印魂の壺……!」


 死んだ人間の魂を閉じ込め、成仏させないマジックアイテムだ。


「これに閉じ込めておけば、尋問する時間は無限にあるからね。ジュラール卿、レドパインを」


 ジュラールは無言でうなずくと下馬して剣を構え直した。


「待ってくれ、ジュラール卿、私が悪かった。何でもする。だから命だけは――」


 ジュラールは剣をレドパインの肥満した身体に突き刺した――わざと即死しない様に。


 口から血を吐いたレドパインは声すら出せなかった。


 ジュラールは表情を変えずに剣を引き抜く、レドパインの背中と胸から血が間欠泉の様に吹き上がった。


〝ジュラール卿、そなたの働きは見事だ〟ジュラールたちの頭の中に声が響く。


 全員が顔を見合わせた。


〝そなたはいずれ我がものとなる、それまではこの愚か者の魂で満足しておこう〟若い女の声だった。


「誰だ――貴様」普段幻聴を聞き慣れているだけの事はあってアトゥームが真っ先に立ち直る。


〝我が名はアリオーシュ、混沌界最強の女神〟語尾が笑い声に消えた。


〝この世界を征服した暁にはそなたたちは全員我が配下となろう〟


 どす紅い風が巻き起こった――息が詰まりそうな嵐だった。


 風が吹き止むとレドパインの姿は消えていた。


「レドパインは――」ホークウィンドが辺りを見回す。


「混沌界に連れ去られたんだ」ラウルが答えた。


「レドパインはアリオーシュに通じていたな」近衛の一人が呟く。


「怒れる女神か、混沌神と契約を結んだ者は死後永久にその従僕にされるとか」


「死の王ウールムにとっては仇敵だろうね。死者の魂が汚されるんだから」ラウルは続けた「まさかとは思っていたけど、アリオーシュとはね」


「逃げられたのは残念だが、仕方ない。後は内乱軍の始末だな」アトゥームの声に失望は無かった。


「ジュラール卿、ボクたちは帝都に向かう。キミたちを拘束している暇はないし無暗に人を殺す趣味もない。ここで一旦お別れだよ」ホークウィンドは細身剣を収めると馬に跨る。


 ラウルたちも騎乗するとゴルトブルク目指して駆け出した。


 あっという間にその姿が遠くなる。


「行ってしまったな」レドパインと混沌のつながりを指摘した騎士が息をついた。


「我々も戻ろう、まずは兵士たちを救わなくては」ジュラールが応える。


 ――皇国軍の生き残りを救うべく、近衛騎士たちは馬に乗ると潰走を始めた部隊の方へと走り始めた――。

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