文化祭、キツく締まった瓶の蓋。

 目の前を緞帳がゆっくりと降りていく。いわゆる黄色い声援というやつだろうか、きゃーっ! と、歓声が会場を包み込んでいる。規制があるはずもなく、写真を撮るシャッター音、スマホをこちらへと向けている姿が何人も見えた。


「古楠! 古楠! 古楠!」


 俺の演じた古楠琥亜こなんこあのコールが鳴り止まず、目の前の光景に圧巻されていた。幕が降りて観客席が見えなくなるとふと我に返った。力の抜けた両手を見る。俺を……俺を呼んでいたんだよな? と、今まで感じたことのない興奮が、激流になって身体に流れているようだった。

 荒くなっていた呼吸を整えようと深呼吸をしていると、昇流に呼ばれて緞帳の前に出て行った。


「お待たせいたしました! 再び古楠琥亜の登場です!」


 汗だくなんだと気づいた。手で拭いながら目の前の歓声に目を向けた。

 全く予定にはなかったことでどうしていいのかわからない。そんな中、客席にいる百彩と目が合った瞬間、距離なんて関係ない。ふたりだけの空間がそこにはあった。けれど、昇流の押しの強い声にかき消されてしまった。


「さあ、どうですか? やり切った感ありますか?」

「えっ? いや、あの、その、えっ?」


 いつもの鈍臭さが発動中だ。九八パーセントの視線を一斉に浴びて、何も浮かんでこない。頭の中が真っ白だ。客席が宙に浮いたように思うと、ドサッと何かが落ちた音と共に、意識がどこへ吸い込まれていくようだった。

 目が霞んでいく中、涙を流し俺を抱き寄せる百彩が見えた気がした。



     ♤   ♤   ♤




「百彩、大丈夫?」


 百彩はかなり緊張しているようで、舞台袖までついてきてほしいと言われ、のこのこと来てしまった。


「絽薫、わたし怖い」

「大丈夫だよ。練習めっちゃ頑張ってたじゃん」

「そーだよ、もっちゃんあたしたちがついてるんだから」

「うちら、みんなで楽しもう」

「うん、そうだよね?」


 落ち着くように、ゆっくりと深呼吸をして息を整えている。俺は大丈夫だよと、百彩の頭をポンポンと撫でてあげることしかできない。


「もっちゃん、愛夏の目にくるいはない。信じて」

「うん」


 榎園さんの確信し切った強い眼差しに、百彩の目つきが変わったようだった。


「絽薫、見ててね」


 俺の手を握り、ほっぺにチュッとした。


「頑張れ」


 小声で、けれど、最高にでかい気持ちで声をかけた。百彩を見送り、俺は輝紀と昇流の待つ客席へと出ていった。

 演劇部の公演の一時間前、アイドル部が三曲を歌い上げた。唯一無二のアイドル部、榎園愛夏に葵百彩、三咲凛花、新座明歩が助っ人として加わり、今日限りのアイドルユニット詩音’sしおんずを結成した。

 浴衣をアレンジした衣装は和のテイストを残しつつ、華やかで煌びやかで、それぞれの個性に合った雰囲気で、かわいくもあり、かっこよくもあった。


「みんなありがとうー。最後の曲はわたしがこの日のために作った曲なの。四人の詩音の曲。シオンにのせて」 


 百彩のソロパートがきた。カラオケで聞いた歌声と一緒かもしれないのに、別人のようにも感じてしまう。

 百彩しか勝たん!

 みんな最高にかわいくて本当のアイドルのようだった。でも、俺は百彩にメロメロだ。振りで手を上げたりステップを踏んだりするたびに、キラキラと星の瞬きのようなオーラが見えるようだった。何よりも誰よりも愛しくてたまらない。


 百彩が大好きだ。


 この夏を振り返ると色々あった。こんな言葉なんかじゃ言い表せないくらいに。百彩に出会って恋をして恋人になって……。

 初めて尽くしの夏だった。きっと今もサッカーをやっていたらこんな夏はなかった。それはそれで充実したサッカーライフだったかもしれない。けれど、今のこの気持ちは絶対にない。

 ——あの怪我をしてよかったんだ。

 あの日、怪我をしなければ、こんな出会いも経験もなかった。

 初めてかもしれない、怪我のことをよかったって思えるなんて。

 そんなことを考えながらステージを見ていたら、涙が流れてきた。頬に垂れてくる生温い涙を手で拭った。


「もあーー!」


 俺だけの百彩だと主張するように、大声で叫んだ。

 目が合い手を振る。ただの推しを応援するその他大勢のようで、少し空しかった。 

 でも、俺の大切な彼女だ。一生なんて言ったら重たいとか言われそうだけれど、一生一緒にいたい。心の底からそう思っている。




     ♤   ♤   ♤





 ここはどこ? と気づくと何も見えずに感覚だけがあった。瞼の向こうの光が透けていて、何かの映像が映り込んでいるようだった。柔らかなものに包まれているのかほんのり温かくて心地いい。そこに誰かの声が聞こえてきた。


「今日もありがとね」


 母親の声だと思う。何をしているのだろうか。俺の存在に気づいていないのか、何も話しかけてこない。


「いえ、また来ます」


 今度は誰なのだろうか女子の声がした。聞き覚えがあるし、かなり近くで聞いていた声だ。ものすごく大切だろ? と心臓が音を立てているのに、わからない。すべてを忘れてしまったかのように。

 また、意識が遠くなっていく、真っ白な光に包まれて。


「忘れないで」


 悲しそうな声が耳元でいい匂いと共に消えていった。







「さすがにボーッとしすぎだぞ、ロカ男。ロカ男」


 首を揉まれて、自分の呼ぶ声が聞こえてきた。


「えっ?」


 気づくと舞台の上で昇流がマイクを片手に俺に擦り寄っていた。


「だから、完全燃焼しただろ?」


 瞬時に状況が飲み込めた、というかほんの一瞬キョドってしまい意識がぶっ飛んでいたようだ。


「あ、あの……古楠琥亜はアイドルで世界を取りまーす!」

「いえーーい!」


 大歓声だった。他校の生徒やら、先生、ご近所の方たちが、こちらに手を振っていた。スターにでもなったかのような気分で手を振り返し舞台袖に戻っていく。


「ロカ男、マジでヤバいぞ! 誰かが上げたPop Movの再生回数爆上がりらしい」


 昇流はポケットからスマホを取り出し、画面を見るや否やニヤけ出した。


「はっ?」

「サッカードが今ROWくれてさ」

「まさかそんな、古楠琥亜が?」

「詩音’sよりもヤバいらしい」

「先輩、撤収すよ。舞台片してくださいよ」


 大会ではないため余裕をぶっこいていたら、メインキャストをしていたゆきち、架橋、三屋本が血相を変えてこちらへときた。簡易な大道具しかないけれど、俺のインタビューのせいで時間が押していて、袖にいる演劇部顧問の長谷部先生が鬼の形相だった。


「やべー、長谷部先生あんな顔するんだな」

「って、怒ってるわりに先生泣いてない?」

「先輩、先生怒ってるんじゃなくて、俺たちの舞台見て感動して泣いてるんすよ」


 ニヤニヤと俺の顔を見て、男気を見せろと言わんばかりに、みんなが俺の前の道を塞いでいる。

 本当か嘘か確かめるために、ひとり恐る恐る長谷部先生のところへと近づいていった。


「笹井、よかったよ。この勢いで中部大会も行こまい」

「はい!」


 ドヤ顔でみんなの方を見たのに、しれっとすでにいなかった。小さくため息を吐くと、右手のブレスレットが目に入った。何か忘れているような感覚がしたけれど、特に気にせずにみんなの後を追った。



「お疲れ様でした!」


 体育館脇にみんな集合して、終礼をしている。このまま文化祭を楽しんでいってもいいし、帰ってもいい。俺たちの出番は終わったんだから。


「かなり好評だった。地区大会の時は今は二年、一年だけじゃ厳しくないか? なんてことを言われたけど、今なら俺はいけると思う。大会は違うけど、来年の合発この勢いで優勝だ!」 


 昇流が勢いよく拳を突き上げた。


「お疲れ様でした。初舞台で緊張したけど、って、マジでヤバかった。最後の歓声とかさ、なんて言うんだろ? まあ、感想はさておき、俺も地区大会のとき、堤大山のキャストが一年だけって聞いたときはさすがにへこんだ。でも、今なら負けないって思えるし、同等に戦える。普段の練習から気合い入れてこう」


 見に来てくれていた先輩たちにあいさつをして、解散となった。

 俺、昇流、アキホリは輝紀とみっちゃんに合流して一通り文化祭を楽しんだ。その後は各々別行動した。輝紀とみっちゃん、アキホリと文化祭に遊びに来ていた涼ちゃん、昇流と今日はフリーだよと言っていた榎園さん。そして、俺は……。また後でねと、手を振りみんなを見送った。

 なんか変な感覚だ。俺も隣に誰かいたような感覚だ。やれやれと目を擦ると、ブレスレットが目に入った。書かれている文字、イタリア語でボスコサポーレだよね? ……誰かの顔が浮かび上がりそうだった。けれど、誰なのかさっぱりわからない。


「あれっ、古楠だっけ?」


 連絡通路のベンチに座って考えていると、おちょくるように役名を呼ばれてそちらを向いた。道脇だ。


「道脇? ここで何してんの?」

「いたらいけねーのかよ」

「そんなこと言ってないけどね」


 どういうわけか隣に座ってきた。


「つーか、お前がひとりって珍しいな。いっつも……」

「何だよ」

「いや、いっつもいたよな? あの、ほら、あれだよ。あれ?」

「輝紀たちならデート中」

「いや、違くてさ。あれ? ……お前キモイな」


 バカにしているのか、めちゃくちゃ腹が立ってきた。


「道脇、お前」

「まあ、よかったよ。古楠だっけ? だから言ったんだよな、あのとき演劇部入れって、あお……」


 何かを少し考えたかと思うと立ち上がった。


「よくわかんねーわ、じゃあな」


 珍しく笑顔で手を振って正門まで向かっていった。キモイ? お前に返すよその言葉と、学校を出るまで目で追った。

 ふーっとため息混じりに上を見た。あの日よりも暑くないかな? と少し思い出に浸ると自然と笑みが溢れていた。夏休み最後の日のデート——、えっ? 頭が混乱していた。誰のことを思い出していたのだろうか? 三一日はみんなと花火をした。

 それだけだ。

 それなのに、どこかへ行ったような気がしてならない。誰かと……大切な誰かと……。

 キツく締まった瓶の蓋のように、思い出が閉じ込められているようだ。目一杯力を入れても緩まない……緩めたくないのかもしれない。自分でも訳がわからないけれど、そんな感覚がする。

 

 心臓が爆音のような鼓動をして、身体から響き出しそうだ。血液が熱くて、汗が吹てき出して、自分が壊れてしまったのかと思えるほど、違和感しかない。

 俺は何をなくしたんだろう?

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