ハートの降る、誕生日。
「お邪魔しまーす」
今、なんと葵家に来ている。緊張しすぎて口から心臓を吐き出しそうだ。
「いらっしゃい。さあ、どうぞ」
玄関ドアを開けると、広い土間があり、左側には自転車やアウトドア用品が置かれていて、右側は来客用のシューズクローゼット、奥は家族用のシューズインクローゼットがある。見えにくいように配慮された作りになっている。
みんなそれぞれ挨拶をしてリビングへと入っていく。けれど、俺はひと段落あるようだ。
「おっ、きみが絽薫くんかな?」
「えっ? あっはい! 笹井絽薫と言います。今日はありがとうございます」
自分が何を喋っているのかほとんど理解できていなかった。
「いいね、ハキハキとして」
「ありがとうございます、お父さん。あっ! 百彩の、あっ、百彩ちゃんの葵さんのお父さん」
アハハッと声に出して笑われてしまった。
「そんなに緊張しなくていいんだよ」
「はい! ありがとうございます」
肩に手を置かれて力を込められた。そして、みんなには聞こえないように耳元で皮肉な笑顔を浮かべながら「節度を保ってくれたらな」と少し凄みのある声で言われた。
エアコンよりも何よりも真っ先に背筋が凍りついた。「半分冗談だよ」と笑いながら俺の肩をドンドンと叩いていた。
これが彼女の父親の威圧感ってやつかと、心が折れそうだった。
今日、八月二三日は百彩の誕生日だ。先週、盆踊りの日にアキホリが聞き出し急遽、誕生日会をやることになった。
♧ ♧ ♧
来てから一時間ほど経っただろうか、二曲踊った後、俺と百彩ちゃん、輝紀、みっちゃん、昇流、アキホリで屋台を回っている。ちょうど夕飯時、腹がギュルルと鳴り止まない。
それぞれ、焼き鳥やら、フランクフルトやら、チョコバナナやら、手にして食べながら歩いていると、どこからか俺を呼ぶ声がした。
百彩ちゃんは立ち止まり、後ろを振り返り首を傾けた。
「絽薫くん、後ろ」
「えっ?」
振り向くと、ニヤリと笑みを浮かべた磨都と女の子が立っていた。
磨都は最近反抗期真っ只中なのか、少し生意気な態度がちょくちょく出てくる。
みっちゃんや輝紀に対しては何もなかったし、アキホリの凄みには怯んでいた。けれど昇流に対しては違っていた。キャラを理解した上で、うまく転がしていた気がする。
「わっ、やべー」
「やべー、何がやばいんだい?」
「ビジュは上の中かな? でも、中身下の下?」
「こいつしぶっ飛ばしてもいいのか?」
言いたいことはわかる。けれど、初対面には失礼な気がする。あえて言っている気もしなくはないが、やはり失礼だ。
昇流は腹いせなのか、身長差でマウントを取ろうとしているのか、胸を張りピッタリと磨都の真横についていた。
そんなことは何のその、俺の少し後ろにいた百彩ちゃんに気づいた。
「あれっ、もしかしてあの人がもあしか勝たん? みーこちょっと待ってて」
そう言うと磨都は百彩ちゃんのところまで駆け寄った。
「どーも、絽薫の弟の磨都です。初めまして」
「磨都くんも大きくなっ……初めまして」
百彩ちゃんは何かを言いかけたけれど、かき消すように、和かに挨拶を返した。
「兄ちゃんの何がよかったの? 俺は?」
「えっ?」
磨都は最近祖父の影響でパリピ化している気がする。
「なあ、中原美衣くん。あれはナンパってやつじゃないのか? あれでいいのか?」
昇流はここぞとばかりに中原さんの感情を掻き立てる。
「えっ? よくないです」
「行ってきたらどーだい?」
「はい」
中原さんは昇流に言われるまま、ふたりのところへと駆け寄った。
「磨都、行かないの?」
「えっ? なんで?」
「だって。……あの失礼ですけど中学生でもいいんですか?」
中原さんは百彩ちゃんにしっかりと目を合わせて見つめた。
「……きれい」
「えっ?」
「だよね? みーこもそう思う?」
「うん。悔しいけど、この人には勝てないと思う」
「みーこそんなことないよ。みーこは世界一だから」
「磨都……」
「じゃあ行こっか?」
「うん」
つむじ風のように、場を荒らして気分次第でどこかに行ってしまうようだ。
「じゃあ、みなさん。祭り楽しんで!」
そういうと名古屋城の方へと駆け出した。
「百彩ちゃん! よかったらモアちゃんにも会いにきてくださーい!」
言い忘れていたかのように、途中で立ち止まり大声で叫んでいった。
「ロカ男、何だったんだ?」
「ごめん、中学生になって少し生意気になって、じいちゃんの影響でパリピ化してる」
「可愛い弟じゃんか」
輝紀はうんうんと頷きながら、磨都の行った方を目で追った。
「ある意味可愛いかもね。将来が楽しみ」
アキホリは人差し指を立てて、含み笑いで遠くを見つめていた。
「あのさ、ろくん、もあちゃんに会いに来てって何?」
「えっ? あー、小学生のとき拾った子猫がいてさ。モアって名前つけたんだ」
「もあ?」
「そう」
「あれっ? でも猫なんて飼ってたっけ?」
「それがさ、見つけた次の日に死んじゃって……」
「なんか運命感じるぜ! 同じもあなんて偶然か?」
「たしかに、出会う運命なんじゃないか?」
「うちが思うに確実に」
「そーかな?」
みんなそれぞれ好き勝手なことを言っているけれど、運命だなんて照れくさい。
百彩ちゃんに視線をやると、すっかり夜になった空を眺めていた。
隣に行こうと足を踏み出したけれど、立ち止まった。祭りの明かりに照らされた姿は、まるで夏夜に現れた妖精のように輝いて見えた。
光に引き寄せられるカブトムシのように、百彩ちゃんの隣に並んだ。
「きれいだ」
「えっ?」
「百彩ちゃん、好きだ」
みんなには聞こえないように耳元で言った。
「絽薫くん……わたしも好き」
耳元に柔らかな吐息のような声が、ふたりきりでいるかのように錯覚させる。肩に手を置いた。
……何やら視線を感じる。
「ちょっとー、いつの間にイチャついてんの?」
「俺たちだってなあ?」
「うん。……じゃない」
四人はこちらへと集まり、壁のように立ち尽くした。
しめしめといった雰囲気で、腕を組み一歩ずつこちらに迫ってくるような勢いだ。
「な、なに?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみろ?」
「うちらはいつめんでしょ?」
「だから……」
このまま迫られる前に行くしかないと思った。
「百彩ちゃん、行こ」
そう言うと手を繋ぎ強引に走り出した。
「絽薫くん?」
顔を合わせるとふたりとも笑顔だった。汗だくになるのを覚悟で、名古屋城まで一気に駆け抜けた。追いかけてくるみんなの顔に楽しいと落書きしてあるようだった。
♧ ♧ ♧
「よーし、準備完了」
リビングの飾り付けをした。みっちゃんとアキホリが百均やら、雑貨屋で揃えてくれた。俺たちも行こうかと言ったけれど、あんたたちには任せられないからと、あっさり断られた。
煌びやかな装飾が、この前の祭りとは一味違った華やかさを見せた。
「みんなありがとう。なんだか季節外れのクリスマスみたい」
百彩は両手を胸の前で握り、目を輝かせた。
「あっ……、狙い通りっちゃ狙い通り?」
「りんりん、うちらの選択に間違いはない!」
「綺麗ならいいんじゃん? 誕生日会なんだからさ」
食事は百彩の両親が出かけるのと入れ替わりで、デリバリーしたピザとパスタが届いていた。
「それでは、ピッツァとパスタを並べようじゃナカラッツェ」
「何語だよ!」
執事のように気取った言い方をした昇流に、脇腹をいつものように突っついてやった。
「なんか俺悪いことでも言った?」
膝をつき横っ腹を抑えながら、最高に極まっている変顔でこちらを見た。
「ちょっと福助やめてよ。顔ヤバみ」
「福助あんたそんなことしてたら、いいところ身長しかなくなるよ」
「そんなことないよ。福助くんの面白さは最上級」
「さすが姫、わかっておられる。俺は武士、お前は非人、そなたは若君!」
昇流は刀を振り回すような動作をして、俺は斧を振り下ろすようにしながら、隣に行く。
「せめて農民にしてください!」
以前ならこれで終わりだった。けれど、盆踊りのとき勢いづいた昇流が輝紀まで巻き込んだ。
「苦しゅうない。皆のものちこう寄れ」
男三銃士見参だ。
祭りの時は浴衣の上をはだけさせ、サッカーで鍛え上げられた肉体を見せつけていたけれど、今日はTシャツだ。裾をめくりシックスパックを見せつけた。
「輝紀、祭りでは女子たちに騒がれてたからって調子乗らないでよ」
みっちゃんは強めの目力を込めて輝紀に視線をやった。
「はっ? 俺が見せたいのは凛花だけだよ」
そんな調子のいいことを言いながら、みっちゃんに寄りかかる。
「もう、わかった」
見つめ合うふたりの目線はいやらしい。
「あっ、もっちゃん。いいのいいの、うちらが並べるから」
ふざけている間に百彩が食器をセットしようとしていた。
「もっちゃん、あたしやるから。このお皿使っていいの? あんたたちも手伝って」
「はい!」
ピザ、パスタ、もろもろを中央に皿やフォーク、スプーン、グラスを並べた。
「あれっ? ふたつ多くない?」
俺は間違えたのかと片そうとした。
「あっ、いいのいいの。もうそろそろ来るんじゃない?」
みっちゃんがそう言うと玄関チャイムがなった。百彩がインターフォンを出る。
「たのもー!」
液晶画面に見えたのは、榎園さんと大屋涼、小学、中学で共にサッカーで汗を流した仲間で、盆踊りのとき合流してみんなで遊んだ。なぜこのふたりがここに来たのかよくわからない。
「やっと乙女が来たか」
「涼ちゃんもきたね」
昇流と新座が前のめりに液晶画面を覗き込んだ。
「お邪魔しまーす。サプライズゲストのいつでもどこでも至ってアイドル! 榎園愛夏です」
「お招きいただきありがとうございます」
みっちゃんと輝紀が玄関まで迎えに行き、ふたりはリビングに現れた。
「涼ちゃん、どうしたの?」
俺だけなのだろうか、この状況を理解していないのは。
「ろくんはホントに鈍い野郎だね」
外が暑かったからか、涼ちゃんは裾を摘んでパタパタと揺すっていた。
「えっ?」
「ろくん、あたしが誘ったの」
「みっちゃんが?」
「そう。人数いたほうが誕生日会だし、盛り上がるでしょ?」
言われてみればそうもしれない。人数が多い方が盛り上がる。
「それに愛夏がいれば強制的にテンション上がるでしょ?」
「えっ?」
「ロカ男、えっ? じゃない。乙女は重要だ」
「あっ、推しの彼女様! おめでとうございます」
「あの、ありがとう」
全員が揃い、誕生日会がスタートした。もちろん、飲み物はコーラやジンジャエールだけじゃない。ビールや缶酎ハイのノンアルコールも持参してきた。こういう時の大人気分は逃せない。
「もっちゃん、次何飲む?」
「えっとジンジャエールにしようかな?」
「あいよ!」
みんなテンション高めに飲み食いして、あっという間に平らげてしまった。
ゴミや皿などグラス以外の片付けを終えると、みっちゃんが百彩を廊下に連れ出す。
「もっちゃん、そういえばトイレットペーパーなかったかも。どこにある?」
「あっ、ごめんね。ちょっと待ってて」
「あたしも行くよ」
みっちゃんと百彩が廊下に出るのを確認すると、みんな一斉に動き出した。
この広いリビングダイニング、小上がりの和室そして、吹き抜けのカーテンやブラインドを締めるためだ。
俺は隠させてもらったケーキを冷蔵庫から取り出して、キャンドルに火をつけた。
みっちゃんが頃合いをみて、リビングドアを開けた。
「ハッピバースデートゥーユー……」
真っ暗とはいかないけれど、薄暗い中キャンドルの灯りに導かれるように、百彩がみっちゃんに連れられテーブルの前に来た。
みんながもっちゃんやら姫やらと呼びかけ、キャンドルの火を吹き消すように促す。ふーーっと息を吹きかけ、火が消えた。
「ハッピーバースデー!」
みんなでクラッカーを鳴らした。
「ありがとう」
「さあー、ケーキ切り分けるよ」
「じゃあ、俺らはカーテン開けるぜ!」
みっちゃんと昇流の一声でみんなそれぞれ動き出した。
「えー! ここめちゃくちゃ気持ちいいじゃん。 福居昇流、来てみてよー」
「乙女、今行くぞ!」
小上がりに和室の畳が気持ちいいようで、ゴロゴロと手足を伸ばして転がり合っている。ふたりの顔が向かい合う。
「あっ、福居昇流」
「あっ、乙女」
ふたりは見つめ合い、ドキドキと鼓動がこちらにも伝わってきそうだった。
「あのさ……」
「ちょい待ちふたり! みんないるから」
みっちゃんが慌てて大声を上げた。
「えっあっ、いつでもどこでも至ってアイドル!」
「あ、俺は……俺は武士!」
ふたりとも立ち上がり、何かしらのポーズを決めた。
————。
誰も何も言わずに十秒ほどの沈黙が流れた。
「ロカ男、お願いだから何か言ってくれ」
昇流はストップモーションをしているかのように、微動だにしずに小声で言った。
「はっ? 俺に振る? 俺が……」
「お前は至って高校生だろっ、えいっ」
誰もが目を疑った。俺が困っていたからなのか、百彩がいち早く昇流の脇腹を突っついていた。
「ぐわっし、姫、力の加減が……」
「あっ、ごめんなさい。わたし、やったことなくて、ちゃんと指がめり込んだ方がいいのかと思って」
言葉は申し訳なさそうに聞こえても、顔は楽しそうに笑顔だった。尊すぎて今すぐ抱きしめたい。という願望が頭の中だけに留まらず、気づいたときにはすでに抱きしめていた。
「絽薫」
「えっ? あっ」
「あのね、ろくんも福助も感情のまま行動するんじゃなくて……」
みっちゃんが先生のように説教を始めると、榎園さんが強行突破を図った。
「ミュージックスタート!」
その声と共に、恋人たちが抱きしめ合い、お互いの温もりに触れたくなるようなしっとりとした曲が流れてきた。
「さあ、みなさん最後の曲はお互いの温もりに浸りながら踊りましょう。ほら、手を握って、肩を抱いて、見つめ合って」
榎園さんが柔らかな声で、けれどアナウンスのようにしっかりとした言い方で語りかけた。
まさかとは思ったけれど、百彩を見ると満更でもなさそうで、この流れに逆らわず身を任せることにした。
「ちょっと、ケーキ……」
「みんな踊ってんじゃん。俺らも、なっ?」
みっちゃんは周りを見て、照れくさそうに輝紀にもたれかかった。
「りんりん、たまにはいいんじゃない? こういうのも」
アキホリは涼に抱きしめられながら、みっちゃんにウィンクを送った。
「百彩、めっちゃいい気分だよ」
「うん。絽薫ありがとう」
踊り終わると、みんな照れたように頬をほんのりピンク色に染めていた。顔を見合わせながら、席につきケーキを切り分けた。
百彩をイメージした真っ白なホイップのドーム型ケーキ、中にはふわふわなカスタードとフルーツが入っていて、まったりと濃厚な甘さの中に、瑞々しく甘酸っぱいフルーツが食欲を掻き立てる。鼻に抜けるバニラの香りが最後までケーキをいとおしくさせた。
ケーキを食べた後はプレゼントを渡した。女子と男子に分かれてそれぞれ用意をしている。女子たちは合宿のとき使っていたボディケア用品を一式、俺たちはこれからの季節に向けた、マフラー、ニット帽、手袋と室内用のもこもこの靴下だ。おしゃれ番長の輝紀プレゼンだ。
記念に残るようにと先を読んでみた。クリスマスに渡せるじゃんやら、先読み過ぎやらと女子からはブーイングがあったけれど、百彩は喜んでいたのでいいチョイスだったと思う。
ふたりになったときに渡そうと思っていたけれど、みんなに絽薫からはないのと言われてしまい、ムードのない中プレゼントを渡すことになった。
リーフの写真立だ。リーフ全体に花を飾ってあるものではなく、右半分くらいのところまで花で装飾されていて、軽やかでナチュラルな雰囲気が百彩には合ってると思った。胡蝶蘭、バラ、ピンポンマムなどと葉が彩りを添えて夏らしくもあり、しとやかでもある。
「ごめん、ほんとはふたりになったときに渡そうと思ったんだけど」
シースルー階段の下においてあった紙袋を手に取ると、カタンッと袋の中で倒れた音がした。その瞬間、本当にこれでよかったのかなと不安になってくる。
百彩を目の前に、何でもないかのように苦笑いをしてみせる。視線が交わり偶然なのか必然なのか、出会った時のようにピンク色の突風が甘い香りと共に吹き抜けた。この距離に、今も変わらない気持ちがあるんだと気づき、自然と身体から緊張は解けていった。
「はい」
「ありがとう」
渡した手が百彩の手と触れ合う。初めの頃はこれだけのことで心臓が爆発しそうだったけれど、今は高鳴りと幸福感が入り混じっている。
ガヤが入らないはずもなく、プライバシーなんて言葉はどこかへと行ってしまったようだ。
「ろくん、何買ったの?」
「絽薫、なんだよ?」
俺は深いため息を吐き、泣く泣くプレゼントを開けてもらうことにした。
「百彩、開けてみて」
「……いいの?」
ガヤと俺を交互に見て、心配そうに聞いた。
「うん」
優しく微笑み返した。
百彩はテーブルに置いて、リボンを解き包装を丁寧に開いた。
目が丸くなったかと思えば、優しく細めて、口元は歯を見せて微笑んだ。
「可愛い。ありがとう」
こっちを見る瞳がキラキラと輝いていた。
ホッとした。どんなプレゼントをあげたらいいのか、選ぶ時間も少なくて悩みどころだった。でも、これならさりげなて邪魔にもならないし、いつの日の思い出でも写真を入れ替えれば楽しめる。
今このときも、そしてこれからもずっと一緒にいたいと願いも込めて。
「ありがとう、今日は本当に幸せだった」
「推しの彼女、いやいや、もっちゃん。振り付けはROWで送るから見といてね。あと、リンリンもアキホリも」
「うちはわかってる。女に二言はない」
「あたしも言ったからにはちゃんとやる」
女子三人は盆踊りのとき、文化祭でアイドル部助っ人として出ることにしたらしく、帰る前に榎園さんが振り付けを披露していた。
去年に引き続きみっちゃんがやるとは思わなかった。でも、百彩もアキホリもやるなら自分は経験者だからと姉御肌を発揮してしまったようだ。
みんなを見送った後、百彩を自転車の後ろに乗せた。チラッと振り向けば暑さの中、涼しげに微笑む彼女がいる。何気ない瞬間がたまらなく尊い。
夏に降る雪はないけれど、小さなハートが空から降っているようだ。赤やピンクやオレンジ色が足元を埋めて積もっている。
「何だか、ちっちゃなハートが降ってるみたいだ」
何のことはない。雪で滑ったかのように、心の声がツルッと出てしまった。でも、返された言葉は予想外、よりかは予想を遥かに超えていた。
「……そうだね。ほら、温かい。ふわふわ」
その言葉に振り向くと、手でハートを掴んで頬に当てているようだった。
「かわいい」
「えっ? 絽薫もかわいいよ」
「俺?」
「うん」
「ふーん」
「あっ、ちょっとイラっとしたでしょ?」 「してないよ。イラっとなんてするはずない」
俺の妄想に違和感なく付き合ってくれる。最高の彼女だと思う。
いつもの帰り道を今日はふたりで通っている。やっぱり、なんだか嬉しい。うちに連れてくるってことが少しだけ特別な感覚がした。
今日は父も母も仕事で、帰ってくるまであと一時間ほどあるはずだ。
玄関横に自転車を停めて、ゆっくりと鍵を回す。
「どーしたの?」
「えっ? いや、何でもないよ」
何でもなくない。磨都がいるかいないかわからないため、なるべく音を立てないようにしたかった。ドアを開けて靴を確認すると、磨都の靴はなかった。ということは一九時頃までは戻らないはずだから、ふたりきりだ。
「なんか飲む? お茶かスポドリか、オレンジジュースしかないけど」
「じゃあ、オレンジジュース」
「おけ、さき俺の部屋行ってて」
「うん。じゃあ、手洗いして行くね」
「りょーかい」
グラスに氷を並々まで入れて、慎重に二階へと上がった。摺り足のように歩いていき、レバーハンドルを左肘で下に回し「お待たせー」とドアを開けた。
ベッドに座っている百彩にオレンジジュースを手渡し、お互いに目を見交わすと、俺は喉を鳴らして一気飲みした。
「喉、渇いてたの?」
「うん。まあね」
「飲む? 置いとく?」
半分ほど残したオレンジジュースを受け取り、汗をかくように濡れたグラスから水滴が床に落ちた。机の上に並べるように置き、濡れた手をTシャツの裾で拭う。強く息を吐き出してそのまま隣に座った。
百彩もきっと心臓が高鳴っているんだと思う。五秒なのか、一分なのか、それ以上かそれ以下か、ふたりとも前を向き、黙っていた。けれど、だんだんと身体の力が抜けていき、力を込めて握っていた手が解けると、隣でぎゅっとしていた百彩の手に触れた。包むように優しく握り、お互いに見つめ合った。
合図があるわけではないけれど、目を瞑りキスをした。そのままベッドに横になり、ふたりの気持ちと身体が重なり合った。
甘くて、艶やかで、愛おしい時間をいつまでも感じていたかった。けれど、そういうわけにもいかなかった。父母、磨都が帰ってきてしまう。鉢合うと面倒でしかないので、時間ギリギリまでベッドにいて、速やかに着替えを済まして、裏庭まで降りてきた。
「昨日が命日だったんだ。これがモアのお墓だよ」
「これが……お墓なんだね。モアの墓って書いてある」
「自分で削ったんだ」
「……ありがとう」
そう言うと百彩は俺に抱きついた。
「うん」
「わたし、本当にうれしい」
声が少し震えていた。
「どーしたの? 泣いてる?」
「ううん、違うの」
百彩は抱きつく手に力が入った。だから、優しく抱きしめた。
「嬉しいの。誕生日会もそうだし、モアちゃんのことも……。絽薫に出会えてよかった」
泣いていた。百彩は声を抑えながら泣いていた。
素直で、純真で、汚れを知らない心が、純白と言えるほど清らかに感じた。
生意気かもしれないけれど、俺が百彩を守っていきたい。こんな風に泣かなくてもいいように、頼れる男になりたい。
ふたりの周りには、愛の数を数えるように、今もまだハートが降り続いている。柔らかくて温かいふたりの関係のように、きっと高く高く降り積もる。
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