時空超常奇譚6其ノ弐. 妖怪時乃輪が行くⅢ/背徳テンプテーション

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚6其ノ弐. 妖怪時乃輪が行くⅢ/背徳テンプテーション

妖怪時乃輪ときのわが行くⅢ/背徳はいとくテンプテーション


 JR蒲田駅東口を出て、間違いなく道に迷うだろう事請け合いの、裏路地を奥へと入った場所に立つ古びたビル。その1階に「時を翔ぶ喫茶店タイムトラベル」が存在している。そこにはオーナーであり女店員でもある479歳の妖怪時乃輪ときのわがいて、迷い込んで来た人間を時空を超越するシステムで未来または過去へといざなっている。そのシステムは、顧客のニーズに合わせて一応どちらでも自由に選択する事が可能となっている。


 一般的な店舗の立地には到底向かない裏通りにある喫茶タイムトラベルの店内には、ここのところ閑古鳥が鳴いている。立地の悪さから客が来ない訳ではない。それどころか毎日そこそこの来客があり、女店員時乃輪は愚痴を零す暇もなくせわしなく動き回っている。

 にもかかわらず、商売はさっぱりで閑古鳥の登場となる。何故なら、来る客来る客が皆「ここが時を翔ぶ喫茶店かぁ」と冷やかし半分の物見遊山で珈琲を飲んでは帰るのだ。先日など、店内に入り切れない客の行列まで見られた。

 ネット社会というものは便利には違いないし、客商売にとっては必要不可欠なのだろうが、500歳を目指す妖怪には邪魔でしかない。

 まぁそうは言っても、喫茶店なのだから文句など言う筋合いではない、取りあえず何の目的だろうが来客の注文には応えるのは当然の事だ。だから、珈琲を出して代金を受け取る。有り難い事に珈琲の評判は上々で、必然的に日銭だけが貯まっていく。

 時乃輪は「困ったな」と嘆息しながら、元気な「お子様」という名のクソガキ共がオリンピック選手ばりに手加減なしで店の端から端へ走る姿を、大海のような広い心で見守っている。


 一息ついて店内を見渡していると、店の片隅にある固定電話が鳴った。電話が鳴る事など何年振りだろうか、妖怪の店が世間一般に電話番号を公開する意味はないので、電話の相手は身内か知り合いに決まっている。

 受話器を取ると「おい乃輪のわ、元気か?」と、脳天気な声がした。従姉妹で同期の時乃乃ときののだ。

 寿命取引を行う為の資格試験に合格するには寿命ポイント500歳を取得する必要がある。寿命の採取自体は寿命学校生でも出来るが、取引する為には資格試験に合格しなければならない。現在寿命学校の生徒である時乃輪と時乃乃は、寿命取引士の資格を取得する為の試験中なのだ。電話の向こうで時乃乃がぶっきらぼうに言った。

「アンタ、調子はどないやねん?」

「まぁまぁかな。今日は何でスマホじゃなくて固定電話なの?」

「そんなん気分や、気分。それより、アンタの「時を駆ける喫茶店」の噂、聞いたで。ネットでちょっと騒がれてるみたいやな」

「うん、だからヤバいのよ。場所変えようと思ってる」

「そやなぁ、ウチ等の商売は騒がれてもエエ事なんぞ一つもないからなぁ。ところでアンタ、幾つになった?」

「479歳」

「凄いやん、私は480歳やけどな」

「それ自慢?」

「違ゃう、違ゃう。ウチがアンタに自慢しても何の得にもならんやんか。それより、時乃狐ときのこってヤツ覚えとるか?」

「覚えてるよ。ワタシ達と同じ時翔ときとび族で、凄く押しが強くて優秀だったけど、ワタシは話が合わなかった。それに言葉遣いも乱暴だったし」

「そうやな、何かガツガツしとるヤツやったやん。その時乃狐が今月トップになってな、もう直ぐ500歳なんやて」

「先月まで大した事なかったじゃん?」

「そうなんや、変やろ?」

「まさか?」

 時乃輪が含みのある声を出した。

「その通りや、「禁断」使ぅたらしいって噂なんよ」

「違法じゃん」

「違法かどうかは内容次第やろな、脱法行為にはなるかも知れへんけど」

「確かに禁止されてはいないけどさ、いい訳ないじゃん」

「まぁ、禁断て言うても色々あるし、どれも確かにエエとは言えんけどな」

 別の同期生が禁断の方法を使ったらしい。妖怪世界にも掟がある。禁断とはそれが全て掟を破る事にはならないまでも、境界線ギリギリの方策であり脱法行為になる場合が多い。

「何をやったの?」

「詳しい事は知らんねんけど、子供らしいで」

「それって、絶対やったら駄目なヤツじゃん!」

「けどな、アンタもウチもそんな事言ぅてる場合やないやん。試験期限は、残りあと1ヶ月しかないんやから」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 寿命取引士の資格取得は、300年間で500歳を超えないと合格出来ないだけでなく、存在自体が消させられてしまうという厳しい命懸けのシステムだ。

「アンタもワタシも、今年達成せな消されてまうんやで」

「わかってるよ」

「いや、わかってへん。禁断は駄目なんぞ言ぅてる場合やないねんで」

「それはそうだけどさ。じゃあ、乃乃は禁断なんて使う気あるの?」

 時乃輪の問い掛けに、時乃乃が肩をそびやかして言い切る。

「ウチを誰や思てんねん、見損なうなや。そんなん使うくらいやったら消された方がマシじゃ」

「そうだよね」

 時乃乃の言葉に、時乃輪が嬉しそうに微笑んだ。二人には、妖怪としてのプライドだけは捨てない強い信念がある。

「でな、ヤツから連絡があって「会社に見学に来ないか」って言うんや。どないなもんか見に行ったろうと思てんねんけど、アンタも行かへん?」

「うぅぅん、気が進まないなぁ」

「エエやんか、見るだけやったらタダやし、一人で行くのは嫌やんか。直ぐに行くからな、ウチの船まで来てや」


 喫茶店タイムトラベルに鳴く閑古鳥が煩いので、時乃輪は仕方なく時乃乃の時空船まで時空移動装置で行く事にした。尚、閑古鳥とは郭公カッコウの事を言うらしい。

 ワームホールの漆黒の穴が開き、蒲田駅東口にある喫茶店タイムトラベルと川崎駅東口アーケード裏にある時乃乃の船の時空間が繋がった。久し振りに見る時乃乃の店、そこはまるでキャバクラのようだ。天井にミラーボールが輝いている。

「キャバクラみたい」

「あれ、言ぅてへんかったか、今ここはバリバリのキャバクラやで。キャバ嬢が酔っ払いのオッサンの青春を取り戻したるんや、エエ考えやろ?」

「ふぅん、前は高級クラブだったのにね」

「ここんとこ不景気でクラブはさっぱりで、キャバクラにしたんや。千客万来にはなったんやけど、ハゲ爺達からの愛人のお誘いばっかりなんよ」

 時乃輪は、時乃乃の話など上の空で「子供かぁ……」と呟いている。

「何や、さっきの話か?」

「どんなに切羽詰まったって禁断はダメ、子供はもっとダメだよ」

「まぁ、そうやな。ウチは酔っ払いのスケベ爺翔ばすだけやからエエけど、子供なんぞ翔ばしたら、心が痛んで夢に出るで」

「ワタシも無理だな、大体子供には何て言っているんだろ?」

「「未来を見に行かないか」なんぞとノータリンな事言ぅてんちゃうかな」

「それってさ、ちゃんとした判断力のない子供を騙す詐欺行為じゃん?」

「その可能性はあるわな」

「可能性の問題じゃない、だって帰って来れないんだよ。その詐欺行為によってその子の未来を奪う事になるんだよ」

 時乃輪の興奮が止まらない。

「まぁまぁ、落ち着けや。その子の未来が消える訳やないねんから」

「ダメだよ、ダメ。凄く腹が立ってきた」

「乃輪、落ち着けや。今から、その詐欺師に会いにいくんやから」

「乃乃、ワタシが我慢出来なくて、暴れたら止めてね」

「嫌や、アンタが暴れたらエラい目に会うやん。寿命学校の「本校舎破壊事件」を忘れた訳やないやろな、知らんとは言わせへんで」

 かつて、寿命学校の担当教師が余りにも理不尽だったので、時乃輪は暴れて学校の本校舎を破壊した過去を持っている。関係者からは「爆弾娘」と呼ばれているのだが、本人は全く覚えていないと言い張っている。

「何で、学校破壊したアンタが何のお咎めもなしやったん?」

「さぁ、私にもわからないし、そもそもそんなの覚えてない」


 二人は、西新宿の超高層ビル街にいた。数え切れない人々が先を急ぎ、機械仕掛けの人形のように行き交っている。静寂という言葉が似合わないこの街の、いつもと変わらない騒めく人の渦に、時乃輪はふぅっと息を吐いた。

 かさず時乃輪を「人の波に酔う田舎モン」と嘲笑わらった時乃乃の顔が青白い、妖怪も人間と大差はない。

 二人は人波に呑まれそうにながらも、やっとの思いで西新宿の超高層エリアに辿り着いた。天空を突き刺さんばかりに聳え立つビル群を間近で見ると、一段とその巨大さがわかる。その内の一つ、新宿○○タワーが目的のビルだ。

「ここやで。凄いビルやなぁ」

「うん、凄いね」

 その超高層ビルの一階フロアは、圧倒される程に天井が高く無駄に広い。

「どないしたらエエんやろ?」

「スマホで呼べばいいんじゃない?」

「そやな」

 時乃乃が一階からスマホで連絡を入れると、暫くして時乃狐らしき若い女が姿を見せた。ゆったりした白シャツと黒のタイトスカートを着こなし、長いストレートの茶髪を靡かせながらピンヒールで歩く颯爽とした姿は、見るからに大都会に生きるバリバリのキャリアウーマンだ。川崎のキャバ嬢や蒲田の女給とは顕かに違う。

「時乃狐、久し振りやな」

「時乃狐さん、お久し振り」

 二人の挨拶に、昔と変わらない調子で時乃狐が応えた。

「オッス、こんなに早くオマエ等が二人して来てくれるとは思わなかったぜ。尤も、それだけ焦っているって事か?」

「煩いわ、唯見学に来ただけや。それより何やねん、ここは?」

「何って、見りゃわかるだろう。オマエ等みたいな田舎者には絶対に縁のない大都会のオフィスさ」

 上から目線の言葉に時乃乃が苛ついた。

「自分かて、元々はウチ等と同じド田舎者やないか」

「まぁ、そんな事より、オレの会社を見せてやるよ」

 肩で風を切りつつ闊歩する時乃狐に案内されて、二人は高速エレベーターで地上52階の最上階フロアに着いた。

「耳、痛いな」「痛いね」

  言われるままに着いた最上階で二人は仰天した。エレベーターホールからガラス越しに見えるオフィスには、デスクに座りインカムで誰かと話し続ける数え切れない女妖怪達がいる。そのオフィスの奥に、白仮面で顔の見えない男の姿があった。男は、時乃輪と時乃乃の二人を見た途端に逃げるようにどこかへと消えた。

「何やねん、これ?」

「見た通り、ここはオレの会社「ライフゲットコーポレーション」だ。会社組織で、テレアポから客を見つけるのがメインワークだ」

「テレアポで時空間を翔ぶ客を見つけるんか、ここに何人おんねん?」

「500歳試験の瀬戸際にいるヤツ等と、資格は取ったが食えないヤツ等で約100人が社員だ。瀬戸際のヤツ等なんざ必死だぜ、何たってあと1ヶ月で死んじまうかどうかだからな」

「時乃狐よ、オマエ自身は大丈夫なんか?」

「そんなのは当然だ。この299年11ヶ月の間、オレだけならとっくの昔に合格になってたんだけどよ、このシステムを完成させるのにちょいと時間を食っちまったって事さ。今オレは499歳、今日辺りフルポイント達成だ」

「と言う事は、ここにいる受験生の資格取得を応援しているって事なの?」

 時乃輪が単純な疑問を投げた。時乃狐は、怪訝な顔でその言葉を即座に否定した。

「相変わらず時乃輪は甘ちゃんだな、オレがヤツ等の応援なんかする意味がないだろうよ?」

「じゃぁ、何故?」

「ヤツ等はこのシステムで成果の30%を得る、残りの70%はこの会社に累積されて実質オレのものになる。give&takeで、win-winの関係って事さ。オレは、寿命取引士になった後もずっとこのシステムで未来永劫寿命を手に入れて、老い先短い爺や婆に売り続けて儲けられるって事だ。例え、この中に500歳に成れずに消滅するヤツが何人いようが、オレにとっちゃどうでもいい事だ。最近じゃ、寿命取引士で稼ぎたいと思ってる妖怪なんざ腐る程いるから、幾らでも補充出来るって訳だ」

「補充なんて言わないで、もっとここにいる妖怪達を応援すべきじゃないかな」

「30%か、ガメついな」

「二人共、昔からちっとも変わねぇな。そもそも、オレ等にとって寿命取引士の取得試験にはかなりのリスクがあるよな。オマエ等も知っている通り、試験は300年間で500歳の寿命ポイントを集めれば合格して資格が取得出来るけど、それが出来なけりゃ消滅する命懸けのシステムだぜ。足を突っ込んだら、我武者羅にどんな手を使ってでも500歳を達成するしかねぇんだよ。だからと言って、その為のお助けアイテムを天命創生協会が与えてくれる訳じゃないよな?」

「それは、そうだけど……」

「そういうシステムなんやから、仕方ないわな」

「オマエ等知ってるか?毎回運良く合格出来るのは僅か10%未満、残りの90%以上は100歳にも成れずに消滅しちまうんだぜ」

「そうなの?」「そうなんや」

「結局、資格取得者に成れるかどうかは、その為のアイテムを持っているか否かって事なんだ。時乃乃のキャバクラだって時乃輪の喫茶店だって同じ事だ。そのアイテムを持ってねぇヤツ等にチャンスを提供してやってるオレのやり方は、かなり良心的だと思うけどな」

 時乃輪は、そんな屁理屈に言い返せない自分に腹が立った。確かに、時乃狐が言う通り自分は甘ちゃんかもしれないが、それでも必死に目標を達成しようとしている妖怪達を小手先で使って自身の利益を肥やそうとするやり方など、絶対に肯定する気にはなれない。尤も、そんな事を言っている余裕などないのだが。

「お前、何で新宿のこんなデカいビルで会社経営が出来るんや?」

「企業秘密だ」

「企業秘密て何やねん?」

「オマエ等だって喫茶店だのキャバクラやってるじゃねぇか、何も不思議な事じゃねぇだろ?」

「ワタシ達は天命協会からの成績上位者の奨学金でやっているからだけど、それでもこんな繁華街の超高層ビルで会社経営なんて普通出来る訳がないわ」

「ここにいる一人一人の奨学金を合算すりゃ、結構な額になるんだよ」

「ほな、今オフィスの奥にいた白仮面のオッサンは誰やねん。協会関係者やないし、一族でもないやろ?」

「それも企業秘密だ」

 寿命学校の生徒が天命創生協会から奨学金を得る為には特待生でなければならず、事前に行われる特待生試験の合格率は僅か3パーセント以下と言われている。時乃狐は、その超難関試験をクリアした成績優秀者である。因みに、時乃輪と時乃乃の二人は試験なしで特待生として入学している。

 従って、特待生とは言え一介の学生に何故こんな大掛かりな組織運営が可能なのかという単純な疑問の答えが見つからない。それに、時乃狐に指示しているらしい白仮面の男は誰なのか、それもまた理解の出来ない不思議な点だ。

 時乃輪は、単純に答えの出て来ない疑問に首を傾げながら腹を立てている。

「乃乃、さっきのあの男は誰だと思う?」

「そやな、建前は事業協力者、その実はパトロンか黒幕てとこやろな」

「だよね、気に入らないね」

 二人が小声で呟き合う横で、時乃狐が意味あり気な提案をした。

「二人ともどうせ来たんだから、テレアポのバイトでもしていけよ」

「いや、テレアポやのぅて、オマエのところの「翔空」について聞きたいんやけど」

 寿命取得の最前線である「翔空」にこそ禁断を使う余地がある。

「「翔空」か。それなら専門部門の責任者に案内させてやるから、そっちでバイトしていけよ、オマエ等なら成果上げられるだろうから、バイト代はタンマリ弾むぜ」

 そう言い残して、時ノ狐は隣室へと消えた。


 次いでやって来た上下白いスーツ姿の女は、微笑みながら「推進課長の虚夢こむです。社長に代わりご案内致します」と言ってエレベーターに乗り、二人を別フロアへ案内した。

「虚夢さん、ここにいる試験受験者は順調に寿命ポイントを取得出来ているんですか?」

「皆さんもご存知のように、寿命ポイントの採取はそれ程簡単ではありません。このシステムが始まって間もないので、順調かどうかは何とも言えません」

「けどな、ウチ達同期の中で、時乃狐が急に取得ポイント成績を上げたんやわ。何でやろな?」

 時乃乃は、唐突に真ん中も真ん中のどストライクの質問をぶつけた。

「それは、それだけウチの社長が優秀で、しかもシステムが素晴らしいからではないでしょうか?」

「それは、まぁそうなんでしょうけど、急に成績が上がるのは変ですよね」

「そやで、何か隠してるやろ?」

 当該フロアに着いてエレベーターの扉が開くと、ガラスの向こうの区切られた幾つもの空間にソファが置かれているのが見える。

「これをご覧ください。これが、私共ライフゲットコーポレーションの「翔空」現場です。テレアポで面接の予約をし、ここで相談に応じたり各種対応をするようになっています。顧客は40代から50代の方々が殆どで、稀に60代から70代の方々がおられます」

 広い応接室の中で、老齢の男女と営業と思しき女が雑談混じりに話している。

「こういうのじゃなくて、ヤバいのもやっているんですよね?」

「ヤバいのとは?」

「禁断や、禁断。ウチ等はそれを見に来たんや」

「そうですか……暫くお待ちください」

 虚夢は、二人のかなり辛辣なツッコミに動揺する事も否定もしない。ちょっと怪訝な表情を見せた後、携帯で誰かと何かを話し始めた。その相手が時乃狐である事は明白だ、時乃狐も二人の目的がそれである事を初めから察知していたようにも思える。


 虚夢は「承知致しました」と言って携帯電話を切り、二人を別のエレベーターに乗せた。顔は無表情のままだ。「では、行きます」の声と同時にエレベーター内の照明が消えた。周囲どころか何も見えず、どこに行くのか、何が起こるのか、把握も予想すら出来ない。

「どこへ行くんですか?」「どないなっとんねん?」

 暗闇の中に女の気配はあるが、応答はない。

「着きました、こちらへどうぞ」

 扉が開いた。そこに真っ白な空間があった。

「何や、ここは?」

 その白い空間には壁一面のガラス窓があり、窓の向こうには数人の女と子供達が見える。小学校の図書館のようであり、司書らしい女が白いスーツ姿である事からすると、ライフゲットコーポレーションの別室なのだろうか。

「一つだけ申し上げておきますが、ここは時空間が閉鎖されていますので、予めご承知ください」

「どういう事?」「どういう意味や?」

「アナタ方は自力ではこの空間から出られない、と言う事です」

 時乃乃が呆れた調子で言った。

「ウチ等は監禁されたって事かいな?」

 虚夢は機械のように淡々と続ける。

「社長からの伝言を申し上げます。「最低でも一人以上の子供から未来へ翔ぶ承諾をとれ。そうでなければ、決してここから出る事は出来ない」以上です」

「待って、やるとは言っていませんよ」

「おいコラ、お前等ナメとんかい」

「質問は一切受け付けておりません」

 時乃狐もこの虚夢という女も随分強引に勝手な方向へ話を進めていくものだ。二人は嘆息しながらも、目前の光景に興味を惹かれた。

 子供達が白いドアを開けて入って来ては出て行く。ガラス越しに見る子供の頭上に数字が纏い付いている。

「この空間は何やろ?」

「本があるから図書館かな?」

  二人の疑問に、虚夢が答えた。

「ここは日本各所の小学校図書館と時空間が繋がっていて、今日は福岡市の○○小学校です。そのボタンを押すと時空間移動が出来ます」

 ガラス窓の下にショッキングピンク色のボタンがある。それを押すと子供達のいる空間へ移動出来るらしい。

「なる程、そういう事かいな」

「そこで子供を狙うんだね」

「そして、あの黄色い蛍光色の扉が翔空時空間の入口となっています」

 図書館らしいその空間の一角にある黄色い蛍光色の扉の存在が異彩を放っている。そこから翔ぶらしいのだが、誰が選んだかわからない趣味の悪い黄色い蛍光色に違和感が溢れている。どう見ても、交通安全の反射材にしか見えない。

「この空間に来た子供達を、あの扉の中に誘い込む事で成果達成となります。成果の取得ポイントは、子供達の頭上に表示される寿命数字です。扉には感情センサーが付いており、無理矢理に中に引き込む事は出来ない事になっています。原則として本人の意思の下に誘い込み、未来時空軸へと翔ばしてください。とは言え、ある程度は強引でも良しとします。翔ばした子供の寿命×10万円が報酬です」

「ゴキブリホイホイみたいやな」

「やっぱり、禁断を使っているんだ。子供の禁断なんて、使って良いと思っているんですか?」

 時乃輪は、思わず興奮気味に虚夢を問い詰めた。

「今ここで、このシステムの倫理的な是非を議論するつもりはありません。子供を使ったら禁断だから駄目とは一概には言えません。何故なら、子供達の未来に対する意思を尊重する事が前提であれば、何ら問題はないのですから」

「そんなのは詭弁。何だか気分が悪い。暴れたい気分」

「待てや、乃輪。まだ早いて」

「うぅぅ限界。このまま、この空間をぶち壊す」

「おい乃輪、待てや。ちょっと考えがあんねん」

 時乃乃は時乃輪を制止し、小声で耳打ちした。こんな機会はそうはない、暴れる前に取りあえず子供達と話し、序にその空間を探索する価値はありそうだ。

「ちょっとだけ子供と話してみようや」と言う時乃乃の提案を、気色けしきばむ時乃輪が「そんな事する必要なんかない」と否定した。

「ここでアンタとウチが議論しても意味ないやんか。ヤツが禁断使っとるのがわかって目的は達したんやから、後は子供達にこの空間の危険性を教えてやるんが大人の役目やないんかな?」

 時乃乃も、たまには良い事を言うものだ。時乃輪が怒りを抑えて同意した。

「ほな、ウチが先にやるで」

 時乃乃は、ショッキングピンク色のボタンに指を掛けた。虚夢の声がする。

「ではスタートしてください。今日私達は図書館の司書という設定ですので、胸にあるネームプレートを外さないでください。最近の子供達は疑い深いですから、司書に成りきってくださいね、佐山さん、篠田さん」

 いつの間にか、二人の胸に白いネームプレートが付いている。時乃乃がそのネームに文句を付けた。

「佐山マユミって何やねん、もう少しマシなんあるやろ?」

「私は篠田マユコか」

 時乃乃がボタンを押した。次の瞬間、全身が青い光に包まれて消え、図書館らしきその空間に移動した。

「では佐山さん、子供達への誘引を開始してください。因みに、会話はインカムで確認していますので、呉々も乱暴な言葉を使ったりする事は避けてください」

 時乃乃は、「了解やで」と言って手を振りながら一人の子供に近づいた。

「こんにちは、どんな本を探しとるん?」

「こんにちは、司書のお姉さん?」

「今日はそういう事になってるから、マユミお姉さんって呼んでや。キミのお名前は何?」

「田中翔平」

「ほんで、ショウヘイ君は何を探しとるん?」

「これから、咲良ちゃんと勉強するんだ」

「咲良ちゃんって、君のコレか?」

「?」

 マユミお姉さんが小指を立てたが、小学生には何の事やら伝わらない。咲良ちゃんらしき女生徒が現れると、「やっぱり外で遊ぶ」と言って二人の小学生はドアの外に出て行ってしまった。子供の気まぐれに文句は言えない。

「ハゲのオッサンのようにはいかへんな」と愚痴り、時乃乃は両手で白旗を振りながら早々に戻った。

「次は、篠田マユコさん、お願いします」

 時乃輪も同じようにボタンを押し、青い光に包まれて図書館らしきその空間に移動した。時乃輪は、静かに子供に近づき話し掛けた。

「こんにちは、どんな本を探してるんですか?」

「アナタは司書のお姉さん?」

「はい、篠田マユコと言います。何か困った事があったら声を掛けてくださいね」

「ボクは仲谷ケンタ、お姉さん美人ですね」

「あらら、お口がお上手ね」

「女の人にはそう言いなさいって、お祖母ちゃんが教えてくれた」

 教わった事とは言え、いきなり言えるのは遊び人の才能がある。時乃輪も悪い気はしない。

「なる程、いいお祖母ちゃんね。将来は何になりたいの?」

 時乃輪が子供と話す姿を見ていた時乃乃は、世間話でもするかのように隣の虚夢に訊いた。同時に目前で何かが一瞬だけ光った。

「なぁアンタ、名前は何やったかな?」

虚無こむです」

「虚無ちゃん、ウチの特妖術は何やと思う?」

「さぁ何でしょう?」

「特別に教えたるわ。それはな、「音声催眠」やねん。ウチの声を聞いただけで、物凄く楽しい世界に行けるんやで」

 虚夢の意識と身体が硬直した。時翔ときとび族の妖怪は、特妖術という特別な能力を持っている。時乃乃の能力は催眠、相手の意識と行動を一瞬で操作する事が出来る。相手は催眠世界に引きずり込まれた事さえ気づかない。

「悪いけど、ちょっとだけ寝とってな」

 時乃乃は再びボタンを押して、子供達のいるその空間へ飛んだ。

「上手くいった?」

「一時間は目ぇ覚まさん筈や。ウチの催眠の力は最強やで」

「知ってるよ。妖怪としては、何の役にも立たない力だって事も良く知ってる」


 二人の興味は同じだった。図書館と繋がっているのなら、外の世界はどこかの小学校である筈だ。大した意味はなかったが、その世界を確認したかった。

 二人は図書館の白いドアを開けて外に出た。そして、その光景に目を見張った。

「何や?」「あれ?」

 虚夢の説明によればここは小学校の筈だが、何やら様子が変だ。小学校なら校舎があり児童が走り回る姿があって当然なのだが、そこにはない。校舎も子供達も、いやそれだけではなく何もないのだ。建物や人、木々も、空も音もない。ショウヘイ君や咲良ちゃんやケンタ君はどこへ行ってしまったのだろうか。

「どないなってんねん?」「変だね」

 白い空間、静寂の真っ白な空間、360度全方位が白の世界。雪景色のような単調な美しさはあるが、頭ごなしに押さえつけられたような感覚で落ち着かない。

「ここは、学校じゃないね」

「という事は、どういう事なんかな?」

「乃乃、時ノ狐の特妖術は何?」

「ん?何やったかな。えぇと……そうや確か「空間支配」やった」

「多分、この白い空間はそれだね」

 時乃輪の名推理に呼応するように、天の声がした。それが時乃狐の声である事は直ぐにわかった。

「オマエ等の魂胆なんぞ、最初から全部まるっとお見通しだ」

「何やとコラ、ナメとんかワレ?」

「幾ら粋がっても無駄だ。オマエ等はオレの支配空間から永遠に出る事は出来ないんだよ」

 二人を絶対的支配空間に拉致した時乃狐の声が遥か天空から降って来る。白い空間と強圧的な声が響く中に監禁されているのは中々にキツい。

「どうだ、泣いて叫んで許してくださいと言えば、許してやらなくもないぞ」

「煩いわボケ、お前なんぞに誰が頼むかい」

 時乃狐の居丈高な威嚇を断ち切る時乃乃の横で、天変地異のような何かが起ころうとしている。時乃乃はこの状況に怯む事も焦る事もない、それどころか時乃狐の勝ち誇った物言いを鼻で笑ってさえいる。何故か、それは時乃乃がこの状況の結末を知っているからだ。

「時乃狐、お前肝心な事忘れとるで」

「肝心な事、何だそれは。この期に及んで戯言か?」

 時乃乃は何かを含むように薄笑いし、そして相手に何かを思い出させる確信に満ちた声で言った。

「ここで問題や、ちょっと難いで。昔、10階建ての寿命学校をぶち壊したアホはどこの誰でしょうか?」

「何だ、それは?」

「破壊を特妖術にしとって、怒ったら見境なく暴れ捲るアホの中のアホの「爆弾娘」はどこの誰でしょうか?」

「そんな戯言はオレには通用しないぜ。そんな戯言は……破壊?爆弾娘?あっ、あっ、あっあぁぁぁぁ、ヤバい忘れてた」

「やっと、わかったんかい。けど、遅過ぎやで」

「ま、待った、ちょ、ちょっと待て」

「残念やけどな、天変地異を止める事は誰にも出来ん。ウチは知らんで」

 時乃輪が唸り声を上げている。唸り声は次第に高く大きくなり、白い空間を激しく震動させた。と同時に、天空を突き抜けんばかりに響き渡る時乃輪の咆哮は時ノ狐の支配する白い空間全体の素粒子の整列を乱雑に攪拌し、時乃輪の全身から発するプラズマの青白い雷光が突然暴発した。一気に燃え上がる青白い炎の柱は超高層ビル52階のフロアを包み込み、どうにも手の付けようがない。時乃乃は、慣れた仕草でさっさと物陰に隠れた。

「MHKニュースです。今日、新宿副都心にある超高層ビルの52階が、突然崩壊しました。原因は不明です」

 その日の夕刻、そんなニュースが流れた。

 時乃輪はその日の事件も記憶が定かではないが、全てはまるく収まったと勝手に思っている。実際に天命創生協会の懲罰委員会からの呼び出しは未だ来ていないので、今回もここまま有耶無耶の内に終わる事を想定している。

「また、「お咎めなし」なん?何でやねん、おかしいやんか」と、時乃乃が再び首を傾げた。


 それから半年が過ぎた頃、表通りから奥へと路地を入った場所にある喫茶店タイムトラベルを訪れる幼い少年がいた。どう見ても小学生にしか見えない。

 小学生らしき少年が一人で喫茶店に来るという事に違和感は否めないが、時乃輪はその顔に微かに見覚えがある。

「こんにちは、お姉さん」

「君は、えっと……えっと、誰だっけ?」

「相変わらず美人ですね、篠田マユコお姉さん。ボク、仲谷ケンタです」

「あっ、思い出した」

 ライフゲットコーポレーション事件で時空間を翔び、一度だけ会って話した少年だった。時乃輪は、再会を単純に嬉しく思いながらも、何故その少年がここに来たのか不思議に思った。

「お久し振りだね。でも、どうしてここに?」

 ケンタは、言い難そうに話し出した。

「お姉さんにお願いがあって、福岡から来ました」

 そう言えば、あの時空間が福岡市の小学校と繋がっていると言われた気がする。

「福岡から、一人で?」

「はい」

「ワタシがここにいる事は、何故わかったの?」

「ネットを調べていたら「時を駆ける喫茶店」の話があって、詳しく調べたらお姉さんの写真が載っていたので、直ぐにわかりました。半年間、お小遣いを貯めて一人で来ました」

 小学生が福岡から一人で東京まで来る目的「お願い」とは何だろうか。嫌な予感がする。

「福岡から一人で来るなんて凄いね。ワタシに出来る事なら何でもOKだよ」

「本当ですか、来て良かった」

 相変らずの幼い笑顔が好感を呼ぶ。

「それで、お願いって何?」

「過去に行きたいんです」

 時乃輪は、背筋に冷たいものを感じた。小学生の少年が過去へ翔ぶ?まだ生まれてから大して歳を経ていない幼気いたいけな少年が、思い出を辿る?仮にそうだとしたら……駄目だ。あってはならない最も避けなければならないケースだ。

「ケンタ君って何歳だっけ?」

「12歳です」

「12歳の君が過去に行くの?」

「はい、どうしてもパパとママに会いたいんです。ボクのパパとママは5年前に交通事故で亡くなって、今はお祖母ちゃんと住んでいるんです。ネットで、お姉さんにお願いすれば寿命の内で過去に行けるってわかったので、お願いに来たんです」

「過去で、パパとママに会ってどうするの?」

「えっと、えっと、とにかく、会いたいんです」

 小学生と言えばまだ子供、死んだ両親に会えるなら何を犠牲にしても会いたいに違いない。それは、福岡から小学生が一人で東京までやって来た事からしても、手に取るようにわかる。

 時乃輪は逡巡した。時乃輪にはケンタの願いを叶える能力があり、それはそれ程難しい事ではない。それに、例え寿命5ポイントであろうとも、現在479歳であり残り21ポイントとなった500歳の寿命取得完了も前進する。原則として寿命10年以上でないと翔べないのだが、例外規定を使えば何とかなる。


 時乃輪は、思わず「了解」と言いそうになる気持ちをぐっと押し堪えた。

「そうなんだ。でも、残念だけど、私にはその願いを叶える事は出来ない」

「何故ですか、ボクには寿命がないからですか?」

「違う。寿命がないからじゃなくて、寿命が沢山あるからだよ」

「?」

「過去に翔ばすのは簡単なんだけど、君はその事に寿命を使っちゃ駄目なの。もっと大切な事に使わなきゃ駄目なのよ」

「パパとママに会う事は、ボクにはとっても大切な事です!」

 ケンタは両目に大粒の涙を溜めて必死で叫ぶ。それはそうだ、子供にとってはそれこそがこの世の全てに違いないのだ。

「あ、ゴメン。そういう事じゃないの。事情はよく知らないけど、君が過去に行っても君にとっては意味がないのよ。君は、そんな後ろ向きの人生を歩んじゃ駄目、真っ直ぐ前に進んで行かなきゃ駄目なのよ」

「でも、でも……」

「何と言われても駄目なの」

 大粒の涙がケンタの頬を伝って落ちる。万感の思いがあるのだろう、小学生が一人で福岡からその為にやって来たのだと思うだけで胸が熱くなる。時乃輪は直ぐにでも願いを叶えてやりたい気持ちになる。

 だが、それはケンタにとって終わらない永遠の悲しみと苦しみの繰り返しに過ぎない。刹那の歓喜と引き換えに与えられる最も残酷な仕打ち、即ち幼い小学生がもう一度両親を失うという悲劇に耐えねばならないのだ。一時の同情で、小学生をそんな地獄に堕としてはならない。両親が生き返る事はないのだ。

 ケンタの前には遥かな未来が広がっている、その輝く未来を生きていかねばならないケンタの命は、例え5年であろうと無駄にしてはならないのだ。

 だが、きっと時乃輪の心がケンタに届く事はないだろう。時乃輪は、再度望みを叶える事が出来ない事を告げた。

「ケンタ君、もう会う事はないと思うけど、念の為に住所と電話番号をそのメモに書いておいて」

 ケンタは無言のまま震える手でメモを記し、肩を落として帰って行った。  

 胸が熱く、痛い。時乃輪はケンタが帰った後も逡巡し続けていた。ケンタの望みを叶えるつもりはない、それでも何としても思いを伝えたかった。

 そして時乃輪は決断した。


「あっ、お姉さん」

 数日後、時乃輪はケンタの自宅前にいた。

「もしかして、ボクのお願いを叶えてくれるの?」

「違う。君が「本当に会うべき人」に会わせてあげる」

「パパとママに会わせてくれるの?」 

 ケンタの嬉々とした声に、時乃輪は首を振りながら言った。

「君は今から時を翔びます。でもそれは、5年前じゃなくて15年後」

 時乃輪は、小首を傾げるケンタを15年後の未来へ翔ばした。訝しげに時乃輪を見ていたケンタは、急激な眠気に襲われ意識を失った。


 気がつくと、朝の食卓。目の前に、若い女と幼い少女がいる。ダイニングテーブルに座る二人が親しげにケンタに話し掛けて来る。

「パパ、早く食べないと遅刻するわよ」

「そうだよ。ちこくしちゃうぞ、パパ」

 ケンタの脳内に、一瞬で15年間の意識が流れ込んだ。少年を「パパ」と呼ぶ若い女と幼い少女は、妻と子供だ。仲谷ケンタ27歳、妻ひとみ25歳、結婚して5年になる。幼い一人娘の沙也加は、幼稚園の年長組だ。

「沙也加、パパと競走だぞ」

「うん、きょうそう、きょうそう」

 他愛ない妻と子供との朝の一時に、言葉には出来ない幸福を感じる。極端に裕福ではないが、ごく平均的な家族の団欒に囲まれているこの時が何よりも大切だと感じる。ケンタの両親は早くに亡くなり、可愛いがってくれた祖母も数年前にこの世を去った。それは仕方のない事で、今は妻と子供が強く生きる力となっている。

 その時、再びどこかで聞いた事のある若い女の声がした。

「今から60年後に翔びます」

 そして急激な眠気に意識を失い、気がつくと病院らしき部屋にいた。ケンタはベッドに横たわっている。

 ここはどこなのか。ケンタの目の前に、老婆と初老の女、そして若い女と幼い子供がいる。ベッドの傍らに立つ3人が沈鬱な顔で話し掛けた。

「パパ、頑張ってくださいね」

「そうだよ、パパ。まだまだ弱気になる歳じゃないよ」

「そうそう、またタケルと遊んであげてよ」

 脳内に、一瞬で60年間の記憶が洪水のように流れ込んで来る。語り掛けて来る老婆、初老の女、若い女は、妻と子供と孫だ。

 仲谷ケンタ87歳、妻は85歳、子供は65歳、孫は33歳、ベッドの横で少年の手を握る幼い二人の子供は5歳と3歳の曽孫だ。

「おじいちゃん、またサッカーやろうよ」

「あ、そうか。タケル、じいちゃんが退院したらまたやろうな」

「うん、サッカー、サッカー」

 妻と子供と孫、そして曽孫に囲まれているこの状況は、言葉に表せない程に嬉しい。3年前と5年前に産まれた曽孫の何と愛しい事か。妻と出会い子供が生まれただけで幸せな上に、孫や曽孫にまで会えたのだ。何と幸せな事だろう。

 昔、誰かに言われた気がする。

『君にとって、5年の寿命を過去に使う事には何の意味もない。その5年を未来に使えば、きっと別の意味が生まれて来る』

 過去に使うとはどういう意味だっただろうか……覚えていない。

「今から75年前に翔びます」

 またも、どこからか聞いた事のある若い女の声がした。何度か経験したような急激な眠気に意識を失い、気がつくとケンタは自宅にいた。


 少年がどこまで理解したのかはわからなかった。時乃輪にはそれ以上の事は出来ないし、何の意味もない事だったかも知れない。それでも、仮にそれが単なる自己満足だったとしても、それで良かったのだと思う。何故なら、時乃輪は自分の正直な気持ちのままに行動しただけなのだから。


「そうだ、ペナルティは倍返しのマイナス150ポイントだったぁぁ!」

 未来に飛んだ後で過去に翔んで戻って来る事は、不可能でも違法でもないのだが、手間と高いコストが掛かる。それを完全に忘れていた。

 未来から戻ったという事は、15年+60年の未来に翔んだ分と未来から戻った分を時乃輪が負担しなければならないのだ。元々余裕などない時乃輪にとっては、とんでもない事だった。

「忘れてたぁぁ。あんな事してる場合じゃなかったぁぁぁぁ!」

 時ノ輪は、ケンタに「後先を考えない行動は、結局後悔する事」を教えたかったのだが、後先を考えていないのはケンタではなく時乃輪自身だった。

 結局、時乃輪は479歳から150寿命ポイントを失い、329歳となってしまった。残り一週間で171歳を得なければならない。焦りに焦った時乃輪は、キャバクラバブルを謳歌する時乃乃から借りる事にした。貸し借りを規制するルールはない。

 勝ち誇った時乃乃が叫んだ。

「乃輪、171ポイント貸したる。貸しやで、ひひひ」

「気味の悪い声で言わないでよ、いつか倍にして返すから」

「ホンマやろな。倍やで、忘れるなや」

 そう言いながら、時乃乃は首を傾げた。

「けど、今回も乃輪が暴れ捲って新宿の超高層ビルをぶち壊したのに、何んでお咎めなしなんやろ?」

「だって、私は何も悪い事はしていないもん」

「十分してるやんか。それに今回は懲罰委員会に呼ばれたんやろ?」

「呼ばれたよ」

「そらアカンな、悪運尽きたで」

「そんな事ないよ」

「アンタのその自信はどっから来るんや?」


 日本橋にある天命創世協会の地上30階建ビル最上階に急遽設置された懲罰委員会に、色とりどりの仮面を被った5人の長老達が一同に揃っている。誰もが苦虫を噛み潰した表情を崩さず、今にも怒号の嵐が吹き荒れる様相を呈している。

「懲罰対象者、時翔乃輪ときとびのわ入りなさい」

 時乃輪には反省した態度もなく、後悔の様子など微塵もない。いつもの通りの無邪気な目と実直な顔で懲罰委員会の被告人席に座っている。懲罰委員会は二度目だが、前回は何故か通知のみで終了した。

 委員会規定に基づき、式次第に沿って罪状認否が始まった。対象者に弁明の機会が与えられる。

「時翔乃輪、お前は人間界にある新宿高層ビルの一部を破壊した。それについて言いたい事があれば言いなさい」

「はい、私は何も悪い事はしていません」

 検察官の公訴内容に、時乃輪は潔白を主張した。

「「何もしていない」とは何事か。お前は現に人間界のビルを破壊して、混乱を発生させているのだぞ。しかも、今回は二度目だ。そんな言い分が通るとでも思っているのか、馬鹿者!」

 検察官の憤りの言葉が響き渡る。委員席に座る長老達は、その言葉にいきなり騒ぎ出した。特に、懲罰委員会最高顧問である赤い仮面の老人は、目を剥いて激しく言い立てた。同時に、他の委員達も叫ぶ。

「何だ、その言い方は。言葉を慎め!」

「そうだぞ!」「そうだ、馬鹿者!」「言葉を慎め!」「慎め!」

 懲罰委員会最高顧問たる赤い仮面の老人の一喝でその場に緊張感が走り、委員達の怒りが雰囲気を重く厳しいものにした。

 次の瞬間、早くも時乃輪への判決が言い渡された。

「検察官、何だその言い方は。この事件は乃輪ちゃんが解決したのだ。乃輪ちゃんはいつだって悪くないぞ。言葉を慎め、乃輪ちゃんはお咎めなし!」

「そうだ!」「そうだ!」「お咎めなし!」「お咎めなし!」

 耳を疑うような判決が言い渡された。

 傍聴席で見ていた時乃乃は状況が掴めず、納得のいかない顔で呆れている。厳粛な懲罰委員会がまるでアイドルのファンクラブ集会のようだ。委員会終了後、時乃乃が時乃輪に訊いた。

「何で、お咎めなしなんや?」

 時乃輪は胸を張って答えた。

「当然じゃん」

「何で当然なんや。大体何やねん、あのジジイ達は?」

 色とりどりの仮面を外す事のない天命創生協会長と老役員である老人達の素性は、懲罰委員会が終了した後も決して明かされる事はない。

「委員長がお祖父ちゃまで、委員がお付きの人達だからだよ」

「お祖父ちゃまって誰や?」

「私達のお祖父ちゃまだよ。時翔ときとび族の長老、時翔覚醒ときとびかくせいじゃん」 

「何やそれ、インチキ出来レースやないか」

「乃乃も協会の会長室に顔出しなさいって、お祖父ちゃまが言ってたよ」

「アホくさ、やっとられんわ」


 そんなこんなで、時乃輪が西新宿の超高層ビルを破壊した今回の事件は一件落着した。その原因となった株式会社ライフゲットコーポレーションは即時解散となり、首謀者と思われる時翔ときとび時乃弧ときのこは取得済の寿命を全て没収された上、天命創世てんめいそうせい協会での末席修行二百年が下命された。ライフゲットコーポレーションに所属していたテレアポの女妖怪達は、時乃乃が経営する川崎のキャバクラに転職。今は、キャバ嬢として日銭を稼ぎ、時折ハゲ爺達を過去に翔ばしてウハウハな毎日を送っている。

 だが、一介の受験生にどうしてそんな組織構成と運営が可能だったのか、時乃狐に指示をしていた正体不明の白い仮面男が誰だったのかは、結局謎のままだった。

 当然の事だが、天命創世協会による寿命取引士資格試験は時乃輪と時乃乃の二人を含めて関係者全員が合格した。

 それ以来、特に変わった事もなく、安穏とした毎日が続いている。


 人々は時の彼方にあるものを求めて喫茶店タイムトラベルにやって来る。その目的は、時には忘却の彼方にある過去を振り返る為であったり、良からぬはかりごとの目論見の為であったりもするし、見る事の出来ない未来への期待や希望であったりもする。

 決してそれ等全てが無駄だ、間違いだとは思わない。だが、例えその目的が何であれ、時空間を過去に翔ぼうが未来へ翔ぼうが、結果として人生を都合良く変える事など出来ないのだ。つまりは、寿命という対価を得て客を希望する時空へと翔ばす事自体には、実質的な意味や重要性など何もないという事になる。

 それならば、そんな事をするよりも確りと現実を見つめ、未来の自分の為に今何が出来るのかを真剣に考えて行動する事こそ意味があるのではないだろうかと、時乃輪はそう思っている。尤も、それを言ったら身も蓋もないのだが……。


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