時空超常奇譚6其ノ壱. 妖怪時乃輪が行くⅡ/黄昏ハピネス

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚6其ノ壱. 妖怪時乃輪が行くⅡ/黄昏ハピネス

妖怪時乃輪ときのわが行くⅡ/黄昏たそがれハピネス


 JR蒲田駅東口を出て、迷いそうになりながら裏路地を奥へと入って行くと、古びたビルの1階に「喫茶店タイムトラベル」が存在している。そこにはオーナーであり女店員でもある妖怪の時乃輪ときのわがいて、迷い込んで来た人間を時空を超越するシステムで未来または過去へといざなっている。そのシステムは、顧客のニーズに合わせて限界はあるものの、未来、過去どちらでも自由に選択する事が可能だ。

 とは言っても、男女を問わず殆どの場合は過去へと旅立っていく。例えば、どんなに素晴らしい未来が待っているとしても、それでも人はやり直したいという感情に駆られて過去へと時を遡る事を望む。過去に翔んだからと言って、結果的に自分に関する歴史の大部分は何も変えられないシステムである事を知って尚、人は何故か過去のリフレインを望むのだ。きっと、人生とは後悔そのものなのかも知れない。

 例えそれが思い通りにはならないまでも「過去」を選択して再出発、人生一発逆転の巻き直しを望む者は、凡庸ではあるが極々常識的な感覚を持っていると言えるだろう。それに対して、このシステムで「未来」を欲する者は、大概良からぬ魂胆を隠し持っている。その思惑は時として目的に対する重要な部分を見落とす原因となったりもする。

 ある日、ネットでこの店の噂を聞き付けてやって来た客が席に着くなり強圧な口調で「寿命の限りで未来を見せてくれ」と女店員に言った。高級感のあるジャケットに身を包む見るからに富裕そうな紳士然としたその中年の男は、訊いてもいない事を次から次へと話し始めた。

「私は不動産業を営んでいて年収は軽く1億を超えるが、長い人生の内で最も大切なのは貪欲に知識を得て見聞を広める事だ。そこにこそ、人としての成長があるのだ。もし、この喫茶店が噂通り本当に未来を見せてくれるのなら、この店の素晴らしいシステムに自分の寿命を使うのは何と素晴らしい事だろうか。世の若者達は皆私のように考えるべきだ、キミもそう思わないかね?」

 中年男は、大義を並べ立てて自らのはかりごとを正当化したが、狡猾そうなその眼と言葉の端々に未来を知る事で達成しようとする姑息な意図が透けて見えている。

「この船は、時を翔ぶ事が出来ま・」

 中年男は女店員の言葉を遮り、高飛車に叫んだ。

「そんな説明はどうでもいい、全て調査済だ。時間が勿体ないだろ、本当に未来へ行けるのなら一刻も早く翔ばせ!」

 女店員は、顔色一つ変える事もなく慣れた調子でさらりと言う。

「説明を聞かれた方が良いのではないかと思いますが」

「煩い黙れ、全て調査済と言っただろ。出来るかどうかも疑わしいこんな戯言に、態々わざわざこの私が時間を割いてやっているのだ、早くしろ」

 経験のない事を知ったかぶりして進めるのはやめた方がいい。世の中には知っている事よりも知らない事の方が遥かに多い。だから、知っているという思い込みには常に危険が待ち構えている事を忘れてはならないのだが、「煩い黙れ」言われたら仕方がない。

「承知しました。それでは準備は良いでしょうか?」

「勿体付けるな、とっとと寿命の限りで翔ばせばいいんだよ」

 女店員は、苛立つ男の未来への旅立ちを見送りながら、満面の噓笑いで淡々と告げた。

「お客様、規則ですので一言だけ申し上げます。お客様の寿命は残り30年ですので、30年後の未来への時を翔ぶ事になります」

「30年か、思ったよりも短いな。まぁいいだろう、未来へ翔ぶ事が出来たら30年分の未来を知り、戻ってから不動産に株と競輪、競馬、競艇で大儲けしてやるぞ。いや一層の事、予言者か教祖にでもなってやろうか」

 口角を上げてほくそ笑む中年男に、更に女店員は笑顔のまま付け加えた。

「尚、全て調査済であれば説明の必要はないかと存じますが、この超時空間システムは片道切符ですのでこの時代に二度と戻る事は出来ません。また、お客様は30年を翔んだ事点で寿命が尽きますので、その旨宜しくお願いします。では、行ってらっしゃいませ」

 男は耳を疑った。

「な、何だと、片道切?寿命が尽きるとはどういう意味・」

 中年男は、予定通りに何の問題もなく30年後の未来へと旅立っていった。勿論、男が再び戻って来る事はなかった。 


 この店に来訪し時空を翔ぼうとする客の内で「未来」を欲する者の目的は決まっている。男の場合は大抵不動産やら株、その他ギャンブルの類が目的である事がほぼ100パーセントだ。一方、女の場合は直接的なギャンブル目的であるケースは殆どなく、多くの場合「宝くじの当たる売り場を知りたい」とやって来る。未来に翔んで当たる事になっている宝くじ売り場を知ったところで、そのくじが買える筈はないし、ロトやビッグやナンバーズなら売場など関係はない。それに、そもそもこのシステムは片道切符なのだから、宝くじを買いに未来に行く事自体が何の意味も持たない。

 基本的には、男であろうと女であろうと、目的が金儲けである事に変わりはないが、時には特異な目的でやって来るケースもある。

 ある時、苦虫を噛んだ顔の一人の女がでやって来た。20代後半に見える女は、1年だけ未来に翔びたいのだと言う。

「1年間ですか?」

「そう言ったでしょ。何度も訊かないでよ、馬鹿ね」

 客とは言え横柄な物言いが鼻に付く。接客という仕事柄、ぶっきらぼうだったり愛想のない客には慣れているものの、こういう不遜な輩は不得意だ。

 女店員は、あからさまに不愉快そうな顔をした。それにしても1年間とはどういう事なのか。そんな疑問が沸いてくる。1年という時空間を超えて未来に行って、何がどうなるというのだろうか。

「お客様、1年先の未来に意味があるとは思えませんが……」

「意味があるかないかはアナタが決める事じゃないでしょ。本当に馬鹿なのね」

 女店員は、久し振りに憤りを覚えたが、女が1年を翔びたいと言う意味を知る為に感情を呑み込み会話を続けた。

「確かにその通りですが、もしお客様が1年先の未来を知り、再びこの時空間に戻って何かをしようと考えておられるなら、それは不可能です。この超時空間システムは片道切符ですのでその目的を達する事は出来ませんし、そもそも基本的に10年以内を翔ぶ事は出来ません」

「えっ、そうなの?」

 女の落胆ぶりから察するに、やはり何かを企て勘違いしていたに違いない。

「最低10年先かぁ。まぁいいわ、それで翔ばしてよ」

「ですから、片道切符なのですよ」

 噛み合わない会話に女店員は繰り返し念を押したが、女の意思は変わらない。

「……実はね、翔びたい理由があるのよ」

 女は、急に何かを吹っ切るように胸の内を吐露し始めた。嫌味な物言いは、精神的な痛みに耐えているからだったようだ。

「私ね、ダンナの浮気でさっき離婚したばかりなのよ。1年経てばきっと辛さも癒えるかなって思ったんだけどね、10年先なら次の人生も始まっているかも知れないし、丁度いいわ」

 女はその言葉を残して笑顔を浮かべ、10年後の未来へと旅立った。女店員は、「なる程、そういう考え方もあるのか」と、納得顔で見送った。


「この辺の筈なんだけどな」

 女はJR蒲田駅周辺で何かを必死に探していた。東口を降りて裏通りを奥へと進むが、目的の古いビルが見つからない。入り組んだ道を歩いて環八に出てはまた戻る事数回、やっと古びた小さな看板を見つけた。

「あった。きっと、ここに違いないわ」

 腐り掛けた木製の看板に「喫茶タイムトラベル」という文字と矢印が描かれ、路地裏を示している。奥へ進だ左側に古いビルがありその1階に「純喫茶」と書かれた紫色のガラス扉の店が見える。

 周囲は聞いた状況と殆ど差異はないものの、そこが目的の場所なのかどうかは確信が持てない。外観は年期の入った小汚い建物にしか見えず、その1階の内部はきっとカビ臭い独特の臭気が纏い付くのだろう、そう想像せざるを得ない。


 女は意を決して純喫茶のガラス扉を開けた。予想したカビ臭はない。

 店の中へと入った女は、得体の知れない不思議空間に迷い込んだ子供のように落ち着きなく辺りを覗ってはいるものの、入店を後悔しているようには見えない。それどころか勇んで店の奥へと歩を進め、何かを探しているように見える。

 店内の照明は比較的暗く、ところどころに置いてある蝋燭とテーブルのセピア色のランプの灯りが幻想的な雰囲気を創り出している。女は、カウンターの中に若い女店員の姿を見つけて声を掛けた。

「あの……」

「いらっしゃいませ」

「アールグレイを一つ……」

「かしこまりました」

 暫くして、女店員が香り高い紅茶を運んで来た。馥郁ふくいくたる香りがその場を癒しの空間に包み込む。待たせる事もなく、程良いタイミングで紅茶が出てくる。紅茶は熱くもなく温くもない中々いい味を出している。カビの臭いどころか至るところに置かれた植物が心地よい花の香りを運んで来る。

「これは薔薇の匂い、それに可愛い女店員もいる。確かに聞いた通り……」

 若い女店員は顔が小さく華奢な感じで、芸能人かモデルのようなオーラさえあって、何と言っても可愛い。寸分も違える事なく聞いた通りの様相を呈している。

「間違いない」

 女は強く頷き、確信した。女店員は満面の微笑で女に声を掛けた。

「当店の紅茶は如何でございますか?」

「紅茶は凄く美味しいです。それよりも、このお店は「時を超える喫茶店」ですよね?」

「えっ、いえ、それは何かのお間違いではありませんか?」

 女店員は唐突な質問に一瞬だけ驚いた表情を見せた後、素知らぬ振りをしながら考えた。

 当然の事ながら、この店は単なる喫茶店ではないから本来の営業はする。だが、客から積極的に問われる場合は慎重に対応しなければならない。何故なら、大概は何らかの目的や企みがある場合か、或いは勘違いのどちらかだからだ。

 この女はどちらなのだろうか、目的は何だろうか?

「そんな筈はありません。ここは時を超える喫茶店タイムトラベルで、アナタは妖怪時乃輪ときのわさん。このお店は開店して300年くらい経っているんですよね?」

 女は一歩も引く様子はないし、強い意志を感じる。一体この女は何者だろうか、何やら良く知っているようだが。

「面白い冗談ですね」

 女店員はそう言いつつ戸惑った。女の問いに「はい、そうです」と返しても良いのだが、面白半分のミーハーや冷やかしの類だったら応対する時間の無駄だし、勘違いだとしたら尚の事で、説明するのも面倒臭い。いつかのように説明なしで翔ばしたとしても後味が悪い。


「惚けても無駄ですよ」

 女は挑戦的に構えて引かない。女店員も引くに引けずに困惑するしかない。

「もしそうだとしたら、どうするのですか?」

 女店員は、落ち着いた仕草で探るように訊ねた。

「私、未来を見たいんです。寿命の内なら過去でも未来でも行けるんですよね?」「未来……ですか?」

 女店員は女の様子を慎重に窺った。未来は駄目だ、どうせ勘違いである事がわかった途端に帰って行くのがオチだ。

「未来を見るなんて、とても興味深いですね。どちらでお聞きになったのですか?」「ネットで知り合った女性に教えてもらいました。かなり高齢だったけど、話はしっかりしていたから間違いないと思っているんです。それも一人じゃなく三人に。それに、ネットでも「時空を超える喫茶店」の噂が出ています」

 取りあえず「なる程」と女店員は納得して見せた。確かにかなりの数の客に営業をしたし、話だけで終わるケースも相当数あったから、その客が別の人間に面白可笑おもしろおかしく喋って連鎖すれば、いつかこんな輩がやって来る事は想像に難くない。

 いきなり「未来を見たい」などという客が来るようになったら、そろそろショバ替えする時期ではある。女店員は「別の場所に引っ越しするのも良い機会に違いない」と思いながら、まずは何やら魂胆のありそうな、この怪しい女をどうしたものかと思索した。

「お願いします。時間がないんです」

 女は唐突に女店員に懇願したが、要領を得ない。時間がないとはどういう意味なのか、そんな興味も湧いて来るが、やはり女店員は女に関わるのをやめる事にした。

「アナタは350歳なんですよね?」

 相変わらず女は詮索を止めない。輩か、勘違いか、どちらにしても相手をしないのが一番。女店員は、女の問い掛けに応える事をやめ、「ちょっと失礼します」と言ってカウンターの奥にあるピンク色の扉の中に消えた。


 独り取り残された女は暫く待っていたが、女店員はいつまでも帰って来なかった。女は、応対しないという女店員の究極の作戦に成す術を失ったが、かと言って折角苦労して探し当てたこの場所から帰る訳にもいかない。困り果て、どうしたものかと思案に暮れる女は、ぼんやりと店内を見回す以外にする事がない。客のいない店内には静まり返っている。

 店内には本当に誰もいないのだろうか。もしかしたらカウンターの下に別の妖怪が潜んでいるかも知れないし、時空間を渡る妖怪道具の一つでも隠してあるかも知れない。

 女は、あれこれと妄想した挙句に「あのぅ、お邪魔しますよ」と声を掛け、遠慮気味にカウンターに足を踏み入れた。当然だが、カウンター下に別の妖怪がいる筈はなく、辺りを見渡しても妖怪道具らしい物など何もない。そうなると、次の興味は女店員が消えたピンク色の扉に移る。

 ドラエもんが得意げに取り出し「どこで〇ドア」と叫びそうなその扉自体が時を超越するのか、或いはこの喫茶店全体がタイムマシンになっていて、ピンク色の扉の向こう側に時空を操作する機械室があるのか。はたまた、その扉が時空間を隔てる境界線になっているのかも知れない。

 あれこれと虚妄は膨れ上がり、湧き上がる好奇心と探究心そして知的欲求が、他人のテリトリーに勝手に踏み入る一抹の疚しさを押し退ける。

「開けますよ、いいですか?」

 応答のない扉に向かって遠慮気味に声を掛け、ドアノブを掴んだ。その瞬間、女は思わず「わっ」と声を上げた。氷のような冷たさが指先から伝わって来る。それでも、一瞬離しそうになる指にあらん限りの力を入れてノブを回すと、ピンク色の扉がほんの少しだけ開いた。

 今度は「わぁ」と悲鳴に似た声を出したまま、身体が硬直した。ノブを回して開けた扉の隙間に空が見えたのだ。それは間違いなく空だった。眼下には白い雲の絨毯が左に移動していくのが見てとれる。それは、まるで飛行機の窓から外を見ているような光景だ。我が目を疑い、そして脚が竦む。

「う、動いている……この建物は飛んでいる?」

 身体が言う事を聞かず脚は微かに震え、固まった指で扉を閉める事が出来ない。必死の思いでノブを引っ張り、ドアを閉めた。

「な、何これ?」

 そう独り言を呟きながらフラフラと夢遊病者のように席に戻り、ソファに腰掛けて何とか思考を纏めようとした。頭の中は真っ白で理解は宙を舞ったままだ。これは飛行機なのだろうか、ピンク色の扉の向こうに姿を消した女店員はどこへ行ったのだろうか。自らの解明など覚束ないだろう新たな謎の登場に、女の思考回路は複雑にこんがらがったままだ。ここに来た自分の目的さえ忘れてしまいそうになる。


 どれくらいの時間が過ぎ去っただろうか。ピンク色の扉が開き、女店員は何事もなかったように明朗な声で「留守にして、すみません」と言って、カウンターの中に戻った。

「あ、あのぅ……」

 女は何をどう言って良いのやら言葉が見つからず、迷った挙句に思い切って、不思議なドアの謎を訊ねた。

「ここは、どこなんですか?」

「「どこ」とは、どういう意味ですか?」

「だって、その扉の外に空が……」

「えっ、見たの?」

 女店員が女の言葉に鋭い視線を投げたが、女は更に問い返した。

「な、何故、外に空や雲が見えるんですか?」

「見たんですね、決して見てはならない秘密を。唯ではすみませんよ」

 女は、「見てはならない秘密を見た。唯ではすまない」という予想もしない言葉に驚き、女店員の怪しげな脅し文句に狼狽を隠せない。決して見てはならない妖怪世界の秘密を見てしまった代償はどんなカタチで払う事になるのだろうか。含み笑いを浮かべる女店員はそれ以上答えてくれない。

 既に、ピンク色の扉の謎も苦労してこの時空を飛ぶ喫茶店を探し当てた目的さえもが遥か彼方に飛び去り、女店員の気味悪い薄笑いだけが女の上に覆い被さって来る。

「えっ、えっ、ど、どうなるの?」

「さて、どうしましょうかね。ワタシは妖怪、アナタの魂でももらいしょうか」

「ひゃっ」という女の悲鳴と同時に、ゴン・と鈍い音がした。怯える女が頭を抱えて床に突っ伏した拍子に、テーブルの角に頭をしこたま打ち付けたのだ。驚いたのは女店員の方だった。そんなつもりはなかった。

「だ、大丈夫、ですか?」

「い、痛ぁぁぁいぃぃ」

 女は、テーブルに頭を打った痛さに泣き始め、悲嘆を呼び起こした子供のように泣きじゃくる顔で自らの事情を話し始めた。顔は、既に涙と化粧でぐちゃぐちゃになっている。

「うぅぅ、う、噂を聞いてぇ、ネットで調べて、体験者っていう人を10人探しに行ってぇ、でも3人しか話を聞けなくてぇ、それでも何となくこの辺かなと思ってあっちこっち探して探してぇ、やっと、やっと、この喫茶店を見つけたんですよぅ。それなのに、折角探し当てたのにぃ、魂抜かれて死んじゃうなんてぇ……」

 まるっきり子供のようで良く理解出来ない部分もあるが、必死さは伝わって来る。「わかりました。わかりましたから、もう泣かないで」

「魂を抜かれたら……」

「冗談ですよ。そんな事しませんから」

「こ、ここはぁ、本当に時空間を翔ぶ喫茶店じゃない……」

「それも否定しませんから、ここに来た目的を教えてください」

 随分と長い前置きを経て、やっと二人が噛み合う本題に入った。

「えっと、私は日野原麻友子と言います、25歳です。来月結婚するんですけど、お腹に赤ちゃんがいるんです。だから、30年後の未来に行きたいんです」

「そうなんですか。もう既にご存知かと思いますが、時空間を翔ぶにはそれなりの対価をお支払いいただく必要があります」

「知ってます、寿命の……」

「そうです。今のアナタが持っている今世の残り寿命の範囲内で、過去にも未来にも翔べます」

 女店員は、一拍置いて続けた。

「でも、それは主に後悔のある過去をもう一度やり直したいという欲求に応えるもので、殆どのお客様は過去を選択されます。単純に未来を見てみたいという釣り合いのとれない欲求にはお応え仕兼ねます」

「釣り合いのとれない?」

「そうです。アナタが未来に翔ぶのは可能です、それによってアナタはアナタの未来を知る事になる。でも、それは未来に翔ぶのであって未来を見に行くのとは根本的に違います。未来を変える事は出来ないのです」

「私の残りの寿命が30年ないって事ですか?」

「アナタの寿命を言う事は出来ませんが、仮に25歳のアナタが30年後の未来に翔ぶなら、30年後に翔んだアナタは55歳になるまでを知る事になります。でも、戻って来る事は出来ない。それなら、寿命を減らしてまで未来を知る必要はありません」

「何故?」

「今のまま生きて行くのと何ら変わらないからです。つまりは、何の意味もないという事です」

「でも、それでもいいんです。私の両親も祖父母も身体が弱い上に短命で、皆40歳代で亡くなっているんです。私も同じだったら、子供は産んでも孫の顔は見られなし、もしかしたら子供も産めないかも知れない。だったら、私なんて結婚なんかしない方がいいんじゃないかって思ったら、夜も眠れなくなってしまったんです」

 女店員は「なる程」と頷きながら「マリッジブルーの一種か」と面倒臭そうに小声で呟いた。状況はわかったが、そんなものに付き合っている暇はない。是非とも早々に退店願いたいものだ。

「それに嫌な未来だったら変える事が出来るじゃないですか?」

 その言葉に女店員は顔を歪めて天を仰いだ。大抵そうなのだ、この時空システムは片道切符だと何度説明しても何故か勘違いが多いのだ。多いというよりもそればっかりと言った方が正しい。人と言うのは勝手な生き物で、自分に都合の良い部分は容易に耳に入るが、そうでない部分は素通りして理解しない。

「だから、それは勘違いなのです」

 女店員は即座に言葉を返した。いつもと同様、この女も理解していない。変えられないのだ、歴史の根幹は人間が考えるよりも遥かに固くて動かない。歴史の決定的事実は少しも変わらないのだ。しかも、未来を見た後で帰って来る事も不可能。

「何が勘違いなんですか?」

「そういう考えをされる方が多いのです。もう一度説明します。例えば、この先50年の寿命がああったとして、アナタが50年の時を未来に翔んだ場合、その未来を知った後、つまり25歳+50歳で75歳から人生を再スタートする事になるのです。未来を知って25歳から人生をやり直せる訳ではないんです」

「どういう意味?」

 駄目だ、女は理解しようとしていない。内容は難しいものではなく言葉通りそのままなのだが、「未来に翔ぶ⇒未来を知る⇒人生をやり直す」というバイアスが邪魔をして、正常な思考が出来ないのだ。只管ひたすら面倒臭い。女の必死な懇願が続く。

「兎に角、私は未来に行きたいんです。いえ、行かなければならないんです」

 女の決心はかなり固い。固いが故に他人の言葉が耳に入らないのだろう、理解させる事は出来そうにない。

「これは困ったな」と思いながらも、実は50年の寿命は美味しい。+50年の数字が女店員の頭を何度も過る。

 女店員は人間ではなく妖怪で、人間の寿命を得る事を「現在の仕事」にしている。何としても、出来る限り早く500歳にならなければならない事情がある。これで50年が手に入るという事は、現在430歳だから一気に480歳になる。そうなれば500歳の達成も見えて来る、美味しい客である事には間違いないのだ。

「でもなぁ、勘違いのまま翔ばすのは嫌だなぁ……」と女店員の本音が漏れた。


 時空間を翔んで過去や未来に行くこのシステムは、決して夢幻やら暗示などの虚構ではなく、時空間を移動するという現実なのだ。従って、それはそれなりの犠牲を必要とする。犠牲というと大概「魂を抜くのか」と問われるが、昔ならいざ知らず現代においては魂など得たところで妖怪には何のメリットもない。逆に、魂は生モノだから取り扱いが難しい上に、売買するには特別な資格と許可を必要とする。そんなものよりも、魂がチャージしている寿命という時間を対価として得る方が遥かに大きなメリットがある。

 何と言っても、魂の持つ寿命という時間は需要があるのだ。寿命の取引は500歳になって寿命取引士の資格さえ得れば自由にする事が出来る。最近では高額所得者の中々死なない後期高齢化した爺や婆が更に長生きを望み、寿命相場は随分と高騰しているらしい。

 現在、女店員である妖怪時乃輪ときのわは寿命取引士の最終実務試験の真っただ中で、合格の為には500歳にならなければならない。故に、440歳への甘い誘惑には喉から手が出る程だ。だが、だが、例えどんなに美味しくとも、勘違いのまま翔ばしてしまうのは気が引ける。葛藤は続き、答えは出ない。


 女は、戸惑いを見せる女店員の説明を否定した。

「違うんです、50年後を見る事が出来ればいいんです」

「未来をやめて、過去をやり直してみては如何ですか?」

「そんなの、私には何の意味もないんです。楽しかった事だろうと苦しかった事だろうと、既に終わった事になんか執着したって大した意味はないじゃないですか?」「まぁ、そういう考え方もありますね」

 価値観の相違は如何ともし難いが、女の目は真剣だ。

「だから、未来に向かって翔ぶんです。そんなに欲を掻かず50年後の未来、もっと行けるなら寿命の内で出来る限り先の未来を、知りたいだけなんです」

 十分に欲は掻いているようにも思えるが、そんなツッコミが女の耳には届くとは思えない。

「何故、50年後なのですか?」

「私が25歳で結婚して子供を産んだ50年後に私は75歳、子供は50歳になっている筈です。子供が孫を生んでいる可能性だってあります。私は無事に子供を産めたのだろうか、子供は元気に育っただろうか、孫の顔を見る事は出来たのだろうか。そう考える事は変ですか?」

 確かに女店員の目的は寿命の内で未来に翔ばす事なのだから、仕事になるなら過去であろうと未来であろうと客の要望に合わせて望み通りに対応するべきなのだろう。だが、明らかに認識に勘違いがある場合はそうはいかない。はかりごとのある輩なら気にもしないが、勘違いしたまま翔んだ客は事後にきっと後悔するだろうし、女店員自身も良心の呵責に苛まれる事になるのだ。青臭いと言われようが何と言われようが、妖怪としてのプライドが許さない。

 それに、仮に未来を見に行って戻れたとしても、自分の寿命や良くない未来を知った上で変えられない未来を生きていくのは、それはそれで苦しく残酷な事ではないだろうか。やはり、未来へ翔ぶのは無意味だ。

「私にこの先50年の寿命があるなら、50年後の未来を知って結果としてベストな人生を選択出来るチャンスを逃さないようにしたいんです。ちっとも、変な事ではないと思うんです」

「確かに、選択出来るチャンスが得られるなら逃す手はないでしょう。でも、違うのです。この時空間システムは片道切符なのですから」

 同じ事を何度言えば良いのだろうか。女の認識には根本的な部分の認識に誤りがあり、女店員はそれを見過ごす事は出来ずに何とか理解を得たいのだが、どうにも伝わらない。困った、もうやめにしたい。

「帰る事は出来ないんですよ」

「いいんです。一日でも早く子供の顔が見たい。もしも可能なら、孫の顔も見てみたい。その為なら全てを犠牲にしてもいいんです、お願いします」

 女の意思は固く、説得する事は出来そうにない。説得するのは諦める以外にないのだろう。女店員の口から最後の言葉が漏れた。

「本当に良いのですか?」

「はい。帰れなくても良いので、寿命の内から1年だけ残して、最も先の未来へ翔ばしてください」

「わかりました。アナタの残り寿命50年から1年を引いた49年後にタイムスリップします。その世界でアナタは74歳になっています。行ってらっしゃいませ」

 その声を聞いた途端に辺りは暗闇に包まれ、急激な眠気に襲われた。女店員は満面の笑みで見送った。


 リビングのソファーに座る麻友子は、誰かの呼ぶ声で目覚めた。

「母さん、お昼まだかな?」

 脳内に、洪水のように49年分の記憶が流れ込んで来る。49年前の細かい事は覚えていない。若い女から、何かのコスパが悪いとか、未来は意味がないとか言われたような気がする。どういう意味だったか良く覚えていない。喫茶店で紅茶を飲んでいたような気もする。紅茶の代金を支払ったかどうか……定かではない。

 10年前に定年を迎えた夫、田中仁の声がした。再就職に就く事はなくグダグダと家にいる。鬱陶しいと言えば鬱陶しい。

 田中麻友子74歳、来月は長女が二人目の孫を出産予定だ。男の子なのだと言う、一日も早く顔を見たいものだ。一人目の初孫は女の子で小学6年生。

「あれ、何をしていたんだっけ?」

 流れ込んだ記憶は蒸着するが、未だ寝起きに似た薄い現実の中を泳いでいるような感覚が続いている。

 リビングで宿題中の初孫が、愛らしい顔で祖母の麻友子に訊ねた。

「オバアちゃん、どうしてオジイちゃんと結婚したの?」

 初孫である高田マユミ小学6年生は、学校の宿題「作文『私のオバアちゃん』」を書いている。マユミの愛らしい顔に癒される。

「実はね、もう49年も前の事なんだけど、オジイちゃんと結婚しようかどうしようか凄く迷ってね」

「へぇ」とマユミの目が輝いた。

「それでね、オジイちゃんと結婚したら、きっとマユに会えると思って37年を翔んで来たんだよ」

「えぇ?意味がわかんない」

「昔、時間を翔べる喫茶店があってね、ビュンって飛んで来たのよ。オバアちゃんね、とってもマユに会いたかったの。だから、マユに会えて嬉しいのよ」

 麻友子の心の声が口から言葉となって漏れた。孫のマユミには意味不明の単語が含まれている。

「ふぅん、良くわからないけど、マユも嬉しい」

 初孫の優しい言葉に麻友子は目を細めた。


 1年後、麻友子はこの世を去った。25歳の女が49年の時を翔び、74歳となった世界で一瞬の内に49年間の人生を記憶として覚り、孫二人の存在を知った。

 時空間を翔ばずに単に74年間を生きたとしても結果は何も変わらない。どう考えてもコスパは悪く、意味などないと言えばそうに違いない。それでも、それが果たして本人にとって全く意味のない無駄な事だったのか、それとも限りなく大きな意味を持っていたのか、それは本人にしかわからない。


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