theater7: 本当に怖いのは
■「開けてくれ」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
扉を叩く音がする。
最初は弱く、そして徐々に荒々しく。じきにいつものように扉の向こうで喚き出すだろう。
「開けてくれ」と。
死ねばいいのに。
吹けば飛びそうなあばら家の中で、震えて縋り付いてくる弟妹たちを強く抱きしめながら、俺は扉を叩く父を呪った。酒を飲んでは怒鳴る度に、母や俺に暴力を振るう度に、会社の上司や出世した同僚やその他のありとあらゆる人間を口汚く罵ったあと、畳の上に腹を出してひっくり返り、よだれを垂らしながら眠る姿を見る度に、父の死を強く願った。
都会の住み慣れた家を夜逃げ同然に離れて、過疎が進んだ集落にある父方の祖母の家に転がり込んで何年経っただろう。当時小学4年生だった俺は何が起こったかまるで分らず、突然のことに泣き喚く双子の弟妹とさらにその下の妹の世話に追われた。あとで知ったところでは、株取引で失敗した父が、会社の金に手を付けたかヤバい筋の金融会社に借金したかで、にっちもさっちも行かなくなったと。ヤケを起こした父が、浴びるように飲んでは怒鳴り散らし物に当たり、母や俺に手をあげるようになるのに時間はかからなかった。さすがに祖母や幼い弟妹たちにまで手を出すことはなかったが、その分、母と俺の身体には生傷が絶えなかった。
ある日の朝、ゴミ出しに行った母はそのまま二度と戻ってこなかった。逃げやがった、俺を捨てやがったと父は荒れ、俺は母の分まで、時に命の危険を感じるほどの暴行を受ける羽目になった。
「開けてくれ、おい、開けろよぉ」
ろれつの回らない、唸るような声が切れ切れに聞こえてくる。暗い台所の片隅で背を丸めて正座し、震えながらブツブツと小さな声でつぶやき続ける祖母の横で、俺は両腕に泣きじゃくる弟妹たちを抱えて守るように強く抱きしめた。
何もかもが憎かった。暴れる父のことはもちろん、俺たちを置いて出て行った母のことも、息子の暴挙を止めることも出来ず、ただおろおろするだけの祖母も、見て見ぬふりをする隣近所の人々も、そしてそんな状況をどうにもできない弱い自分自身も。
父は家だけでなく外の一杯飲み屋でもへべれけになるまで飲み、千鳥足で帰ってきては玄関戸を叩いた。最初は弱く、そして徐々に荒々しく。苛立ちを隠すことなく「開けろ」と喚く。その音と声が聞こえる度に俺たちは恐怖で震えた。
帰ってこなければいのに、死ねばいいのにと何度も思った。この手で殺せるならそうしたかった。しかし、暴れる父に対し、俺はあまりに非力で貧弱なガキで。
ああ、飲み過ぎで倒れて死ねばいい、用水路に落ちて溺れ死ねばいい、車に轢かれて死ねばいい。死ねばいい。
呪って、呪って、呪い倒して。
だから、喜びしかなかった。道端に転がっていた飲み帰りの父の息が止まっていると知ったあの時は。
ずっと俺のケガを診てくれていた医者は何も言わずに死亡診断書を書いてくれたし、罪滅ぼしのつもりか、集落の人たちが率先して葬儀の手配してくれたおかげで、明日の朝一番に焼き場へ運ぶところまでスムーズに進んだ。
なのに、あり得ない。
息を吹き返すなんて、あり得ない。
急ごしらえの棺は父の身体には幾分小さかった。ぎゅうぎゅうに押し込まれているため、今は手首から先くらいしか動かせないだろうが、本格的にもがけば、あんな安っぽい板切れなどひとたまりもないだろう。
震えながらブツブツと念仏を唱え続ける祖母の傍に弟妹たちを押しやると、俺は台所の隅に捨て置かれている濡れ雑巾を手に取り、奥の6畳間に入って障子を閉めた。
殺風景な部屋の真ん中に置かれた棺の扉の上部には、ご丁寧にお別れ用の小窓がつけられている。要らないと言ったけど、あって良かった。
棺にまたがって小窓を開ける。手にした雑巾をうるさい口と小汚い鼻に押し付ける。
どうってことない。非力なガキでもできる簡単なオシゴトだ。
どうってことない。
(suspended animation・Fin)
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