BORDER

SELUM

Chapter 1 - Scouting

Ep.1-1 A Sage / 賢者

 2145年 3月某日深夜


 深夜の暗闇とは不釣り合いな無数の明かりが都市全体を照らす。都市の周囲を花弁のように重なり合った巨大な外壁群が包み込む。その花弁防護壁ペタルム・ランパートと呼ばれる外壁群が反射した光をぼんやりと薄白く広げる様子は、夜の妖しさをより一層助長する。


 アスター・シティ・ステイト


 人類が『新地球ネオ・アース』に移住して以降、建設された27の都市国家のうちの1つである。その中心地域であるメガロアーバン市。その歓楽ネオン街・アップビート地区では日々の疲れを癒す目的で多くの労働者が遊びに興じる。

 そんなアップビート地区の手前、繁華街・ダウンビート地区にて既に閉店している地区最大の複合商業施設『カズナパーク』が、歓楽街の光を一身に受け止めるようにして聳え立つ。そんなカズナパークの屋上で、黒のフード付きオープンショルダーカットのジップアップパーカーを着た女が1人静かに佇む。 

 女はフードを外すとホワイトシルバーカラーの髪を振り乱し、切りっぱなしウルフレイヤーのショートヘアに一段と無造作感を加える。パーカーのジップを下げると白のクロップド丈Tシャツが顕になり、腹部が覘く。パーカーのだぼっとしたボリューム袖に付着した埃を軽く手で払った後にチャコールグレーのカーゴパンツのポケットに手を突っ込む。

 生暖かい風が肌を撫でるように通り過ぎる感覚を彼女が目を瞑って楽しんでいると、彼女の人工電脳への通信を知らせる着信音が脳内に鳴り響く。彼女は煩わしそうにして軽く右手で首筋に触れると通信相手との会話を始める。


——何か用?


 自身の落ち着いた時間を邪魔されて少し苛ついた彼女は相手に聞こえるか聞こえないかくらいの舌打ちを打つ。


——何ってお前、仕事の確認に決まってんだろ? それに舌打ちなんかして可愛い顔が台無しだぜ。どうせまた眉間に皺、寄せてんだろ?


 女はM B人工電脳通信相手であるカーク=アボット=シグルストンの言う通り、無意識のうちに眉間に皺が寄っていることに気付いた。続いて彼女はオンラインとなったことにより人工電脳に自動で表示された画面を見て、ビデオ・オフになっていることを確認する。


——別になってないわよ

——嘘つけ


 カークは馬鹿にしたように笑いながら、舌を出して指をこちらに向けてくる絵文字アバターを連続で女に送信してくる。彼女は内心、M B人工電脳ウイルスをカークに送り付けたい衝動を抑えながら尋ねる。


——で、仕事の確認って?


 カークはため息をついて女に返答する。


——お前なぁ、毎回やってんだろ? もしも本当に覚えてねぇんならテメェの人工電脳と義体をメンテナンスすることをお勧めするぜ、〝O.W.Lオウル〟さんよぉ

——皮肉言ってる暇があったらとっとと話を進めたら?


 カークは「へいへい」と言いながら白髪頭を綺麗に整えた、吊り目の高齢者男性の顔写真をオウルに送る。その後すぐに年齢や生年月日、職業、住民登録IDといったデータが次々に追加されていく。彼女はそれらの情報をそのままカークに伝える。


——名前はマルト=ジンカワ、2069年7月11日生まれの満75歳。住民登録IDはSV66014983。ふーん、ソムニウムヴェレ地区在住……って、シンドウの役員じゃない


 カークはO.W.Lオウルの言葉を聞いて呆れを隠さず、大きなため息をつく。


——お前まじか

——標的なんて見た目と名前が分かれば十分でしょ?

——もしもってことがあるだろ。それにこの確認作業、そのもしもの時のためにログ残すんだし見とけよ

——私にそんなもしもなんて今まで無かったじゃない

——別件で何回かあんだよ。面倒くせーんだぞ? ただでさえは俺らのこと嫌ってんだし


 O.W.Lオウルは「はっ」と鼻で笑うとカークに続きを促す。カークはやれやれといった具合に頭を左右に振った後に話を続ける。


——今回は向こうからのリクエスト多めだぞ。覚えてるか?

——もちろん


 O.W.Lオウルはそう言いながら先日渡されたシャードからインストールしたデータを探し出してカークに伝える。


——電脳への攻撃前に別部位への攻撃必須。その際ハッキングや拳銃はNG、ナイフで直接刺突すること。通りのどの辺にいるとかいう事前情報は提供されない状態での実行。計画性のない通り魔的状況をご希望。あー、あと女性限定。変態ね

——結構、負担でかいぜ。まぁ報酬はその分跳ねるけどな。あ、あと15分以内に現場から離れろってさ

——はぁ? 清掃屋の連中、ヤケになってるわね。どうせエリオットでしょ? まぁ余裕だけど。そう言えばお手伝いキャストさんの起用は許可されたの?

——5人までの起用は認めさせたよ。交渉大変だったんだぜ? 感謝しろよな

——せめて10人は認めさせるって息巻いてたじゃない

——うるっせーなぁ。お前、そもそもキャストなんかいらねーだろーが

——今回やることないんだし、少しは働けば?


 O.W.Lオウルはカークから中指を立てた絵文字アバターを送られているのを無視して左手首部分を右手人差し指で下に擦り、顕れた穴から接続プラグをつまんでそのまま引っ張り出す。

 このケーブルは義体接続リブレ・リンク端子と呼ばれ、様々なデバイスやアクセスポイントに有線接続してデータのやり取りを行う。また、違法行為としてハッキングする際にも使用される。全ての義体には両手首にL L義体接続端子、L L義体接続ソケットを頸椎に4つ、その下に一体化ユニタス接続と呼ばれる特殊な接続のための端子を装備するという規格が定められている。


——とりあえず、おじいちゃん探すわ


 そう言うとO.W.Lオウルはカズナパーク屋上に設置してあるアクセスポイントにL L義体接続端子を接続、アップビート地区に設置された監視カメラにハッキングする。


——残すなよ

——誰に言ってんのよ


 カークの忠告にうんざりしつつ、O.W.Lオウルは通りを歩行する全員の顔をスキャンし、マルト=ジンカワと照合していく。時間にして僅か10秒余り。深夜とは思えないほどの人混みの中から素早くマルト=ジンカワを特定する。

 

——見つけた

——ヒュー、相変わらずお早いこって。さすがはS級ハッカー・O.W.Lオウル

——誰が言い始めたのよ、それ。……早いのは有線でやったからよ

——無線でも30秒くらいだろ? どちらにせよ早えよ

——20秒の差は大きいわよ。……っと、マーキング完了。ついでに全てのカメラと周辺の人間、アンドロイドに顔誤認フェイス・エラーウイルスばら撒いといたわ。この2時間の間に私と彼を見た奴らの記録は、永久にノイズ化される。

——オーライ。そろそろ始めるか

——了解


 そう言うとO.W.Lオウルは屋上から飛び降りる。強化・改造されたO.W.Lオウルの脚は落下への耐性、接地時の音軽減が施されており、静かな着地を可能とする。O.W.Lオウルはそのまま何事もなかったかのように大通りのミコ・ストリートに出て直進すると、現在マルト=ジンカワが歩いているルーキス・アベニューへと向かった。

 ダウンビート地区には百貨店やショッピングセンター、娯楽施設などが建設されており、家族連れの買い物客が多く利用する。21時になると殆どの店舗が閉店し、交差するロックビート・アベニューを境にしてアップビート地区へと賑わいが移行する。

 アップビート地区が近付くにつれて華やかさを増す色鮮やかな灯りとは裏腹に、O.W.Lオウルの琥珀色のM O人工眼球は輝きを失っていく。


(相変わらずね)


 ロックビート・アベニューを横断して、再びミコ・ストリートに出ると、アップビート地区に入る。オウルは通りを一瞥すると、顔をしかめてダウンビート地区とは比較にならない治安の悪さに辟易する。

 鼻をつんざくような不愉快な臭い、怒号混じりの叫び声、歩行者天国となっている道路に倒れ込みながら騒ぐ声、息苦しい光彩、白く透明感のある陶器肌にくっきりとした目鼻と目立つ顔立ちのO.W.Lオウルに声をかける男たち、それら全てが彼女の神経を逆撫でするのだ。


「お姉さん、可愛いねぇ! 俺たちと良いことしない?」


 O.W.Lオウルは声をかけてきたナンパの人工電脳をハッキング、彼らの人工脳に軽い電気ショックを与えて麻痺させる。O.W.Lオウルは頭を押さえて膝をつく彼らに軽蔑の眼差しを向けながらフードを被って顔を隠し、マルト=ジンカワの下へ足早に向かった。


——標的ターゲット補足


 O.W.Lオウルはミコ・ストリートとルーキス・アベニューが交差する十字路を右折し、こちらへ歩を進めるマルト=ジンカワを見つけると、カークに知らせた。


——OK。キャストさんも準備万端だ。いつでも良いぜ


 O.W.Lオウルは素早くマルト=ジンカワとの距離を詰める。パーカーの胸元からナイフを取り出して躊躇なく右脇腹を深く突き刺す。ズブリ、と肉が裂ける鈍い感触がマルト=ジンカワを襲う。


「……ッ」


 O.W.Lオウルは、マルト=ジンカワが声を上げるよりも早くナイフを引き抜くと、続けざまに右下腹部、左下腹部、臍部の順に素早く刺していく。マルト=ジンカワは呻き声を上げながら倒れ込む。O.W.Lオウルはマルト=ジンカワのL L義体接続ソケットに自身のL L義体接続端子を接続し、その痛覚記憶を回収する。

 その間、5人のキャストはF Eフェイス・エラーウイルスを免れた者たちを特定・ハッキングして記憶データの改竄を図る。


——完了。これから死ぬまでのデータは私の記憶フォルダに自動転送されるわ


 O.W.Lオウルは逆手持ちにしたナイフをマルト=ジンカワのこめかみに深く刺しながらカークに連絡する。


——ご苦労さん

——ハッキングNGなんて指定しなければは電脳破壊にしてあげるのに

——嘘つけ。特に指定なけりゃあハッキングしねぇだろ

——ナノマシンαって優秀よね


 O.W.Lオウルはそう言ってカークとの通信を切って立ち上がると周囲を見渡した。悲鳴を上げる群衆たちが我先にとその場から離れようとしているのを眺めてオウルは嘲笑った。


(勝手なものよね。その辺で倒れてる人たちには見向きもしなかったのに。キャストがわざと掻き回しているとはいえ、自分たちに少しでも危険が及ぶ可能性があると一目散に逃げ始める。そして明日には全て忘れる)


 O.W.Lオウルは人々がいなくなったことでより鮮明に浮き上がってきた道端の吐瀉物に顔を歪める。これ以上、汚らしい場に止まっていられないと感じたオウルはナイフをケースにしまって監視カメラ映像の最終チェックを終わらせる。

 既にキャストの5人はその場から離れており、残すはO.W.Lオウルただ1人。彼女は改造された自身の強化脚で大きく跳躍すると建物の屋上に着地した。O.W.Lオウルはそのまま隣の建物の屋上へと移動を始める。オウルはそのまま次々と屋根を渡り、瞬く間にアップビート地区を脱して闇夜に消えていった。


 その後、程なくして『都市国家捜査局』が到着し、現場の収拾にかかる。


「クソガキが。現場を荒らし過ぎだ。誰が後処理をすると思ってんだ」


 エリオット=ファンス捜査官はそう言って、大量に出血して苦しむ眼前の高齢者男性、悲鳴を上げて逃げ惑う人々、それらを落ち着かせようと務める、『メガロアーバン市警』を見ながら苛つきを隠せず地面に唾を吐き捨てた。


「死亡を確認しました」

「おう」


 ファンス捜査官は科学技術部のトウコ捜査官から知らせを受けて高齢者男性の遺体へと近付こうとする。すると彼の電脳が1件のメッセージを受信したことを通知する。


——はよろしくね、お巡りさん♡


 見計らったかのようなタイミングで送られてきたレイラ=エマ=シエルからのメッセージを見て、ファンス捜査官はマルト=ジンカワと思われる遺体を蹴飛ばしてやり場のない怒りをぶつけるのだった。

 


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