第7話 契約
「はっ……はっ……!」
息を乱しながらも、シルベスタは老いを感じさせない速度で森を駆けている。その表情に焦りや恐慌は無く、未だ醜悪な笑みが張り付いていた。
「ひ、ひひっ……アレは私のモノだ……!あの滑らかな肌も、濃厚な馨りもっ、私の――」
「お前達は信じないのだろうが、私は本当に人間への敵意を持っていない」
「っ!?」
しかし、その声が聞こえると共に足が止まる。シルベスタの行く手にあった二本の木の隙間を縫うように血の槍が出現し、道を塞いだからだ。
「くぅっ……」
慌てて進路を変えようとするものの、その先の隙間もまた槍によって塞がれる。木を貫く微かな音が次々と重なり、数秒もしない内にシルベスタの周囲を壁として赤く染めていく。
「事実私は追手の攻撃に無抵抗だっただろう。いくら理不尽な攻撃を受けようともお前達を害するつもりはない。この考えは力を取り戻した今になっても変わらない」
「っ……ぬああああああああっ!!!!」
雄たけびと共に大量の水を出現させ壁にぶつける。手元に残った杭で削る。決死の抵抗、しかしそれはあまりにも無為であり、そうしている間にも壁同士を繋げるように突き出た無数の槍がシルベスタの頭上を塞ぐ。
そうして出来上がったのは血の檻だった。直前にサンゴへと施した防護の為のものではない、対象を無慈悲に捕え逃がさない為の牢獄であり――浴槽でもある。
「だが、私以外に危害を加えるというのならば話は別だ。……『
以前、血の壁には変化は見られない。しかしそれは外観だけの話だった。耳をすませば僅かに聞こえる程度の異音が内部からは溢れている。
水が煮えるような音。肉が溶け崩れ去る音。そして、哀れな老人の絶叫。
「お前は終始、私ではなくサンゴを狙っていたな。そうすれば私が庇い自ら攻撃を受けると踏んだのだろう。それは正しい。正しいからこそ、私はその考え方を持つお前をこのまま見逃せはしない」
やがて絶叫以外の異音しか聞こえなくなった頃、それを確認したレイは合図をするかのように手を鳴らす。
次の瞬間、目の前にあった赤黒い檻は消滅する。そこにシルベスタの姿は無い。表面が爛れたように荒れた幾つかの木々と、生えていた植物が消え去り一部分だけ剥き出しになった地面だけがあった。
「私が人間に敵意を持つことは無い。
☆
しばらくポケーっと三角座りで待っているといきなり視界が晴れて元の森の景色に戻った。何事かと驚いたのも束の間、目の前にはレイさんが立っていた。
「話は終わった。もう大丈夫だ」
「説得、成功したんですか?」
「ああ。もうヤツが私達を追ってくる事は無い。絶対にな」
凄く力強い言葉だった。まあレイさんがそう言うなら信じるけど、どうやったんだろ?なんか話とか通じそうになかった人だし。魔法とか使って約束させたのかな。
「行こう。まずはあのカゴを取りに戻る事からだ」
「あ、そういえば」
「場所は覚えている。ほら、手を」
レイさんが差し出した手。それを掴み引っ張られながら立ち上がる。ただ、立ち上がった後もレイさんはしばらく僕の手を握ったままだった。
「レイさん?」
「お前は……本当に私と居ても良いのか」
「え?」
「今日のような事がまた起こらないとは限らないと言っているんだ。私という火種と手を結んだのを、後悔してはいないか」
「あー……」
要するに今後もレイさんを襲おうとする人が来るかもしれないし、また僕を含めた争い事になるかもしれない。そう言いたいんだろう。一昨日も同じ感じの確認をされたけど、今回は僕が争いに巻き込まれるのが気になったのかな。
うーん……。
「――ま、大丈夫だと思いますよ!さっきの人も話したら分かってくれる人だったんですし、何とかなります!逆にレイさんは悪い人じゃないって少しづつ広めるチャンスですよ!」
そう言って僕は握られてない方の手で親指をグッと立てて笑う。お爺ちゃん曰く、万事うまくいく、もしくはうまくいきますように、という意味のサインらしい。明るい笑顔も添えれば完璧だとか。
「……そうか」
「本当に悪い人なんて僕は居ないと思ってますから!それが広まれば、すぐにああいう事をする人は居なくなりますよ!」
レイさんは納得したのか、少しだけ頬を緩めて僕の手を離した。
「なら私がお前を守るのはその時が来るまで、だな。そういう――契約にしよう」
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