第9話女子修道院の異変
女子修道院の街のとある医院内。
「――それマジっすか隊長!?」
ロベールの素っ頓狂な声が上がり、エドゥアールとフィリップが声を小さくしろと揃って人差し指を立ててしーっと窘めた。ロベールは慌てて手で口を塞いで「しゃーせん」と謝った。いつもなら「しゃーせん」と謝っても笑って肩を竦めペロリと舌を出す反省皆無のロベールも、さすがに今は焦ったようだ。
現在、男三人は一つのベッドを囲んでいる。
そこには幼い少年が横たわって寝息を立てていた。薬を処方してもらって飲んだおかげか辛そうな表情はもうしていない。ゆっくり回復を待つのみだ。
「じゃあ今までの馬上お姫様抱っことか甲冑椅子とか無謀かつやべえ痛さだなって思ってたロジェ嬢に対する隊長の諸々の奇行は、全てあの方のだったって事っすよね」
「あ、あの方はそんな事までしてたのか……」
エドゥアールは部下からの信頼や自分のイメージが著しく損なわれるので正直止めて欲しかったと思ったが、後の祭りだ。だがしかし、身の潔白はたった今証明された。天は見捨てなかった。だがだがしかし、心に負った絶妙に落ち込むダメージは簡単には消えない。
エドゥアールが大きく肩を落として嘆息すれば、ロベールは器用に小声でからからと笑った。
「あの方だったなら納得納得大納得っす。何か隊長らしくないなーって思ってはいたんすよね。あの方って粛清とかも容赦なく苛烈でしたよね、だからああこりゃ恋愛事に関しても破格にぶっ飛んでるんだろうなーって思ってましたけど、アハハまさにその通りでしたね」
「どんな理屈だよそれは……。間違っても本人に言うんじゃないぞ」
「そこは俺だってまだ死にたくないんでー」
ここ最近の銀甲冑の秘密をやっとロベールにも明かせたのは良かったとエドゥアールは思っている。同席しているフィリップからは公園横でヴィクトル入り甲冑が消えてまもなく、エドゥアール本人として路上で姿を発見されて一足先にバレていた。
フィリップの消えた三分間はトイレではなくエドゥアールを問い詰めていた三分間だったのだ。しかしフィリップも最初はドッペルゲンガーだと思って本気で上官の命を案じたという。
「ですがどうしてあの方は直接ご自身の姿をお見せにならなかったんでしょうか」
「ははっ喧嘩でもして顔を見たくないとか言われたんじゃねー?」
フィリップが心底疑問そうにすれば、ロベールの口から出任せ予想が
エドゥアールがジジ臭くも自分の唾を変な所に入れてしまってごふっと噎せた事から真実らしいと部下二人はすぐに悟って表情を微妙なものにする。特に失言を堂々としていたロベールは顔面蒼白を通り越して土気色だ。
「た、隊長……マジで
「よく聞け、某たちが今もこうして生きている事が、不在の証明だ」
「「なるほど」」
この場に皇帝本人が居なくて本当に良かった~~……と三人は未だ健全に我が身の首と胴が繋がっている五体満足の僥倖をしみじみと噛みしめたのだった。
「んん……ん? ひえっ、ふぇっ、助けて下さいうわあああん!」
少年が目を覚ましたのはちょうどそんなタイミングで、変なおじさん三人に囲まれているのに気付いて大泣きした。
すぐに何事ですかと駆け込んできた看護師からガミガミ叱られ、後は責任を持って少年を泣き止ませるように言われた。
「ごめん、ほんとーにごめんな?」
「おじさんたち君が心配でここにいたんだよ。驚かせてごめんね?」
エドゥアールとフィリップが主に二人で宥めロベールはしばらく見守っていたが、中々泣き止んでくれず二人が辟易とし始めたそんな頃、ロベールがふと傍に来てにっかと笑って変顔をした。
「マジでメンゴな! だから許してちょ、ん~まげ!」
ロベールはふざけている場合かと睨まれたが、予想外にも彼の陽気さが少年の心を掴んだ。泣いていた子が笑った瞬間だった。
「「…………」」
エドゥアールとフィリップがちょっぴり切ない顔で唖然としたのは言うまでもない。
少し時間をロスしたもののきちんと話をしたら少年は聡明にも理解して、更にはアデライドの存在は覚えていたらしく、彼女の大親友だとロベールが誇張して言うと尊敬の眼差しを向けられた。エドゥアールとフィリップは無言でロベールの脛を蹴ってやった。
しかし和やかな雰囲気で会話をしていたのが嘘のように、その少年はアデライドが女子修道院にいると教えた途端、恐ろしい場所を思い出したように顔色を変えた。
少年自身、たったの今まで状況の急変や心の安寧のために無意識に修道院の存在を忘れていたようだった。あそこは駄目だと、乱暴な怖い大人たちが沢山やってきたのだと、ガクガクと震え出しながら涙を流して「お母さんとシスターみんなを助けてほしい」と何度も繰り返した。
彼は、寝込んでしまった母親のために必死な思いで抜け出してきたそうだ。彼自身も風邪を引いて熱があったにもかかわらず。
訴えを聞く間、少年に怖がられないように表情が険しくなるのを堪えていた三人だったが、自分たちは悪者を倒すのが役目の騎士なんだと安心させてやり、ここで待っているようにとどうにか少年を落ち着かせた。
そうして、病室を出たエドゥアールは即刻帝都に戻っているだろうヴィクトルへと連絡を入れた。
皇帝の執務室の傍らには銀甲冑が鎮座している。
必要な指示を出したらすぐまた戻るつもりだったのでエドゥアールには返さなかった。
そんな甲冑と同じ色だが硬さはまるで異なるしなやかな頭髪を掻き上げ、ヴィクトル・ダルシアクはふと思考を止めた。
ついつい長々と真剣に考えてしまったが、妊娠など所詮は仮定の話だ。
何事も、確かめてもいないうちから過度な結論を出すべきではない。
……この真偽に限っては、早まれば自らの首を絞めるのと同義だからだ。
その事よりも今は必要とあれば大至急対処法を講じるべき懸念が横たわっている。
ヴィクトルはあの街がどこかおかしいと感じていた。人々は確実に何か不安を抱えているようだった。人相の悪い者が多かったのも気になった。先ほど調査を命じたので結果が齎されるのは早くて夜か。
もしも何か良からぬ事があの街に起こっているとすれば女子修道院にも影響が出ていると考えていい。
そうなれば教会側に連絡をつける必要がある、不本意にも。何しろ女子修道院は教会の管轄だ。内部の調査には先方の同意がいる。
何故なら万一の際自分は座してただ調査を待つばかりではいられない。踏み込む正式な許可があった方がやりやすいからだ。
――ヴィクトル陛下。
緊張して微笑んだアデライドの姿が眼裏を過ぎる。
――エド!
自分に向けられた閃くような親しげな笑みも。
他の男の名を呼んでいるのは激しく業腹だが、それも自分で招いた事なので仕方がない。
彼女を女子修道院に滞在させていいものだろうかと彼は何度目かの自問自答をする。
「万一、彼女に危害加える者がいたら……?」
居ても立ってもいられずに、ヴィクトルは勢いよく椅子から腰を上げていた。
皇帝としての責務とアデライドへの思慕に板挟みでどうにかなりそうだ。
彼はサクッと私的な処刑を敢行出来る人間だが、同時に愛国者でもあり
ここでふと、ロジェ家の屋敷医ムンムの不可解な行動が思い起こされた。
「まさか、あの男は何か街の事情を知っている……?」
だからこそ急いで屋敷を出た。十中八九彼が向かった先はアデライドと同じ街だ。
各地の医師などの医療に携わる者たちの間には独自のネットワークがあると言われている。
それは皇帝でさえも把握し切れていないものだ。
彼はらしくなく焦りを抱いた。
アデライドは最早とっくに女子修道院に入っているはずだ。
護衛騎士たちの役目もとうに終わっているだろう。そうだとすると銀甲冑も役に立たない代物になってしまった。
「いや……まだ必要ではあるか」
というよりも彼女に会うためには使わざるを得ない。
その後でエドゥアールに纏めて送りつけようと決める。
ともかく、状況が許せばアデライドをすぐにでも帝都に連れ帰りたい。
しかし、果たして彼女は従ってくれるだろうか。拒まれたその時は強引にでも連れ帰るしか彼女の安全を守れない。
だが教会の許可がなければそれも無理だ。
皇帝やその臣下はいかなる理由があっても教会管轄地への無断での立ち入り、そして武力行使や攻撃的魔法発動が不可とされている。反対に帝国領土内で教会の人間も同様の無体はできない。
歴史が刻んできた双方の破ってはならない掟、不文律だった。
「……必要あろうとなかろうと許可を得ておくか。備えは万端にしておくべきだろうからな。報告が上がってきたら我慢してでも直接出向き急かすか」
嫌そうに顔をしかめるヴィクトルの頭に教皇の右腕と言われる若手司教の顔が浮かぶ。皇帝との交渉事は大体彼が担当している。会う度にスマイル全開でふざけた条件を提示してくる狡猾な美貌をヴィクトルは脳内で踏ん付けてやった。彼とは前々から反りが会わない。イライラしてきたので一旦その思考は散じた。
どうして違和感を抱いた時点で彼女を一緒に連れ帰らなかったのか、たとえ結果的に杞憂だったとしてもそうするべきだったと、彼はきつく拳を握り締める。
「ヴィクトル陛下、ヴィクトル陛下、応答願います」
そんな時だ、執務室内に何者かの声が響いたのは。
素早く声の出所を見やれば机の上に置かれている水晶球にも似た丸い石が淡く明滅している。
遠隔地同士の音声のやり取りができる魔法具だ。
最速で進めるよう命じていた件だろうか。
手を触れ応答仕様に切り替える。
「早かったな。何かわかったのか? 話せ」
「え、はい? あーええと陛下、某はエドゥアール・ギュイです」
「……」
「あの、聞こえていますでしょうか?」
予想外の相手からの通信にヴィクトルは一瞬銀甲冑を無駄に凝視してしまったが、密かに溜息をつくと声に少しの硬さを滲ませた。彼からの通信など何か緊急の事案に違いない。
「聞こえている。何かあったのか?」
「はい、至急ご指示を仰ぎたい件がございます」
帝都の空はもうすっかり暗い。
畏まった返事の後でエドゥアールからの急ぎの報告を聞き終えたヴィクトルは、躊躇いなく甲冑へと手を伸ばした。
来たばかりなのもあるけど、妊娠はまだここの誰にも知らせていない。
そのうち明かすつもりではあるけど、とりあえず必要に迫られるまでは用心するわ。ここにはまだジャンヌもいるしね。
……なんて思ってはいても、つわりは整理反応、夕食が運ばれてきた時は危なかった。初め少しうっと吐き気を催したけどその後何とか我慢できて誤魔化せるレベルだったから食べられるだけ食べた。この体には何より栄養が大切だもの。ジャンヌに悟られなかったのは幸いだったわ~。
ただ料理を置きにきただけのシスターニコラからは退室するまで怪訝そうに見られてたけどね。
食後の食器はそのうち頃合いを見計らってシスターニコラが片付けに来るだろうと放置していたんだけど、中々来なかったからジャンヌが自主的片付けに行こうとトレーに纏めたところでノックと共にニコラがやってきた。
「……どちらに?」
彼女はまさに今部屋を出ようとしていたジャンヌを見て何故か険しい顔になる。問い掛けの答えをとっくにわかっていて敢えて問い掛けてきたみたいだし。
「何って、片付けです。汚れた物をいつまでもお嬢様のお傍には置いておけませんから」
「ふうんなるほど。ジャンヌさんはとても主人思いのようで。ですが勝手に出歩かないで下さいと申し上げましたよね? 食べた食器が嫌なら廊下に出してもらって構わないですから」
「そうですか。なら次からはそうします」
ジャンヌは不機嫌そうにそう受け答えしたけど、私もシスターの態度には薄ら不愉快さを覚えた。そんなに出歩かれるのが嫌なのかしらー……ってまあ向こうからすれば自分の家も同然の所を外部からの人間にうろつかれるのは嫌か。特に私みたいな見るからにワケあり令嬢ですって人間に怪我でもされたら責任問題だろうしね。
「ところでアデライド様、実はご用があるんです。今すぐ正門までご足労願いたいのですが」
「え、今からですか? どうしてまた?」
「実は先程門番から連絡が来てアデライド様の護衛騎士だと名乗る方がおいでだそうです。余程癖のある方なのか顔も見えず、うちのもん、こほん、門番も参っているようで……」
「顔の見えない護衛騎士……って銀の甲冑着てる人ですか? 一人?」
「はい、銀色の甲冑の方お一人だそうです」
間違いなく彼エドゥアール・ギュイ騎士隊長殿だわ。
銀甲冑なんて猛烈な勢いで彼しか該当しないでしょ。
でもどうして一人で? 他の二人は?
まさか面倒をお願いしたあの子に何かあって伝えに来てくれたとか?
エドが一人で来て私に至急コンタクトを取ろうとする理由なんてそれくらいしか思い付かない。だとしたら早く駆け付けないと駄目よね。
「わかりましたすぐに会います」
「ちょっと待って下さい。食べたばかりですしお嬢様は長旅でお疲れです。代わりにこのジャンヌめが参りますので、どうかお嬢様はゆっくりなさっていて下さい」
「え、ジャンヌだって疲れてるじゃない。何か決めないといけない事があったら二度手間にもなるし、私が行くわ。あなたは休んでて」
「お嬢様……っ、とても有難いお言葉ですけど駄目です」
「うーん、なら一緒に行きましょ。それで解決ね!」
「ええとそれは……」
「ね!」
「……わかりました」
私たちのやり取りを黙って聞いていたシスターニコラは何故か意外そうな顔をしていた。
「アデライド様は変わり者、あいえ、公平で優しい方なんですね。正直今夜の質素な料理には文句を言われるかと思っていたんですよ。けど杞憂でしたし、見るとほとんど召し上がって下さったようですし、いい意味でびっくりです。あたしが以前仕えていた貴族のご令嬢は侍女に心を砕いたりしませんでしたからね。知っている他の令嬢たちもそうでしたし」
過去に何かあったのかシスターニコラはどこかほろ苦いものとわだかまりの残るような面持ちになった。ああ、貴族令嬢の中にはわがままで気位が高くてただ身分が下ってだけで人を見下したり折檻する人がいるからね。このシスターの知る令嬢は不運にもその手の人間だったんだろう。
「シスターニコラは、だから令嬢仕えを辞めてシスターになったんですか?」
「……あ、ああはい、そんなところです」
少し変な間があったけど、苦笑いを浮かべたこの彼女も苦労してきたのね。さっき彼女の態度に腹を立てた自分を少し短気だったって反省したわ。
私とジャンヌとシスターはまだ雨が降ってるし、着ているドレスに泥撥ねしないよう外出用のフードマントを羽織って外に出た。音からそうだとはわかったけど、夕方までは小雨だった雨足は再び強まっていた。サスペンスの夜が来る……わけはないか。
ジャンヌに傘を差してもらいながら敷地内の暗い道をシスターの先導で正門へと歩いて向かう。
来る時は馬車だったから遠いとは感じなかったけど、実際の足で歩くと多少距離があるからまだ着かない。
そう言えば御者は男性だから女子修道院には入れない。だから彼には馬車ごと一度ここを出てこの街のどこかの宿に今夜は泊まってもらって明日ジャンヌと帰ってもらう予定でいた。
歩いていると横方からバシャバシャと駆けてくる足音が聞こえた。
ランプを持っていないのか夜の暗さの中その誰かは自分の足に足を引っ掛けるようにして派手にすっ転ぶとうううと呻いた。傘も持っていなかったらしく全身ずぶ濡れな相手へとジャンヌが気の毒そうに声を掛けてやる。
「あのー大丈夫ですか? ……って御者さん!? どうしたんですか、どうしてまだここに?」
彼は途中で私たちだとわかっていたんだろう、がばっと顔を上げ立ち上がると必死の形相で訴える。
「お嬢様っ、ジャンヌっ、すぐにここから出ましょう!」
私とジャンヌはキョトンとして顔を見合わせた。
「ここは盗賊団に占拠されています!」
「「盗賊団!?」」
「はい! 殺されないうちに逃げましょう!」
「え、ええとちょっと待って落ち着いて?」
宥めようとしたけど、彼は切羽詰まった面持ちを崩さない。
「悠長な事をやっている暇はな――」
彼はようやくシスターニコラの存在にも気が付いたようで表情が瞬時に凍り付く。
「おっお嬢様その女から離れて下さいっ」
失礼にもその女呼ばわりされたシスターニコラは何も言わなかった。けど何かを言おうとしたのかもしれない。その矢先にランプの灯りと共に何人かのシスターが駆けてきたから言わなかっただけで。
御者は彼女たちを見て「お嬢様! あいつら全員盗賊です! しかも男です!」と更にパニクった様子で喚いた。
「「男?」」
急転する状況に、私とジャンヌは揃って困惑するしかできなかった。
この時御者の言う通りに何か逃げるなりアクションを起こしていたらもっと事は簡単に済んだかもしれなかったのに。
「居たぞあそこだ!」
「よくも逃げ出したな!」
建物の外に居たらしいシスターたちは昼間は目元だけだった顔を晒していた。
え、厳つくて人相も悪いんですけど? 聞こえた言葉遣いも粗野だし声も低かった。
御者はランプの光でもわかるくらいに震えて蒼白になっている。この時になってようやく私は彼の顔の痣に気付いた。どう見ても誰かに殴られた痕だった。そう感じたのはジャンヌも同じだったみたい。
「お嬢様、御者さんの話は本当かもしれません。あの人たちはどう見ても男性ですもの! じゃあ皆盗賊団!? どどどっどうしましょうどうしたらっ!?」
彼女は傘の柄を握る手にぎゅっと力を入れて不安な顔で身を寄せてくる。
シスターたちは確かに男だわ。わかりやすく髭面なんだもの。
私は走ってくるシスター男たちよりもシスターニコラをじっと見つめた。御者は彼女も警戒した。つまりはそうする理由が何かあるって考えて妥当だわ。
「はっ、はははっ あははははっ」
猜疑心を抱く私の視線を受け止めたシスターニコラが何が可笑しかったのか突如大笑いし始めた。その間にシスター男たちは駆けてきて、逃げようとした御者を二人掛かりで拘束する。しかも私たちの目の前で放せと暴れる御者を殴り付けて黙らせようとした。
「やめてっ!」
「きゃああっ!」
人が殴られる場面を近くで見たジャンヌが怯えて悲鳴を上げる。制止を叫んだ私も息をするのも恐ろしいくらいに肩が強ばった。
願いも虚しく御者は数発拳を受けて気を失ってしまった。元々細身なのと若くもないせいもあったと思う。後で目を覚ましてどこも深刻な異常がないといい。
最早何を説明されなくともわかる。
だけどこんな現実が信じられなかった。
ならず者たちが敷地内を堂々と闊歩している。
まさか、今や女子修道院全体が盗賊団の隠れ家になっているなんてどうかしてるわよ……!
「シスター、いいえ、ニコラさん、私の持ってきた荷物はどこに?」
あなたも盗賊団なのねとは問わなかった。もうわかり切っている。
「はは、とっくにあたしらの懐さ。あーあ、こうも早くバレちまうとはね~え? 色々とやりづらくなるじゃないか。全くどうしてくれるのさ」
彼女が仲間だろう女装男たちを睨むと彼らは気まずそうにそっぽを向いた。しかもお前の縛りが甘かったんだろとか居眠りしてたからだろとか何とか責任の押し付け合いをする始末。
何か間抜けね。それもあってか私は腕力差のある彼らも脅威だけど、彼らに意見ができる女盗賊ニコラの方がどちらかと言うと危険かもしれないと思った。
ううん、この集団自体が恐ろしいわ。
彼らは人知れず体内に巣喰う病原体のように静かに周到に入り込んで外部に知られないように今日まで居たんだわ。
ここでジャンヌがハッとする。
「街で見かけた人相の悪い人たちもまさか……?」
「あ、なら食料品を沢山買っていくって言うのも……?」
私も思い至って呟くとニコラが鼻から声を出すみたいに「ふうん」と感心した。
「お宅らは洞察力があるようだね。こいつらは沢山食べるからねえ。そこそこ数もいるし、ここの食糧庫なんざ何日かで空になったよ。だから外で買わないとならなくてね。善良な庶民を装ってさ」
「だからお嬢様の夕食も質素だったのね!」
「あはは、あたしの故郷じゃああれが豪華な方なんだけどね。さすが贅沢様たちは住む世界が違うようだ」
ニコラの皮肉には動じず、だけどジャンヌは自らの失言を恥じるようにした。質素だと言う不満は持つ者の傲慢だったからだ。うん、うちは使用人も結構良い物を食べてるもんね!
黙っちゃった贅沢侍女に代わって贅沢主人たる私が今度は口を開く。
「街で品物の代金を踏み倒したりしなかったのは、ここの現状がバレないようにするためですよね? 腹を立てられたり怪しまれて通報されたり後を付けられたら潜伏が知られてしまう、と」
「そうさ。あんたみたいな金持ちの喜捨をまるっと頂戴すればどうせ元は取れてがっぽりお釣がくるんだ。余計な波風を立てる必要はないだろう」
「一つ訊きますけど、本当のシスターたちはどこに? まさか殺したんじゃ……」
「いやいやそれこそまさかだよ。あたしたちは執拗に追われる理由を増やしたくないんでね、無用な殺生は団で禁じているんだ。盗み以上に殺人なんてやった日には帝国騎士だけでなく厄介な教会騎士の連中も黙ってないだろうからね。安心しな、シスターたちは皆生きてるよ。縛って閉じ込めてある。ま、食事は一日一度だから空腹だろうがね」
「それを聞いて安心しました。でも潜伏を知った私たちの事はどうするつもりなんですか? ……私たちこそ口封じに殺すんですか?」
「そんなっ」
「いや今無駄な殺生はしないって言っただろうに」
ジャンヌは怖がって声を上げたけど、盗賊の言葉なんて信じませんって顔で私を見てからぐっと顎を上げて息を吸って吐いてして、私に傘を任せると雨の当たるのも構わずに私の前に出た。勇敢にも盾になってくれたのよ。
「どうかお嬢様には手を出さないで下さい! ……お嬢様、私が囮になりますからその隙にお逃げ下さい。門前には隊長さんがいるそうですし」
後半部分は私だけに聞こえるように声を潜める。
ああジャンヌ、あなたはどうしてジャンヌなのっ!
そんなの駄目って言おうとしたら、気絶した御者を縛って一人に担がせたところだったシスター男たちの一人が近寄ってきた。
「おいニコラ、この上玉二人を縛っておくなんて言わないよな?」
「言わないさ。今から門に行くんだよ。このお嬢様の護衛騎士が会いたいと頑固でね」
「チッ護衛かよ。なら片方を人質としておけ。下手に助けを求められても困るからな。その間俺らが丁重に持て成しておいてやるからよ。とりあえずこっちの女でいいか」
男の一人がジャンヌに近付いて顎を掴んで顔を覗き込む。
「ほほー、こうして傍で見るともっといいな」
「こらちょっとあなた! うちのジャンヌに気安く触んないで頂戴!」
傘を放り出して引き離そうとする私を男はマジマジと見つめてきた。
「ひょお~、やっぱりこっちの女にするわ。こんな時でもなけりゃここまでの別嬪さんと縁なんて結べねえしな」
ジャンヌから手を離した男はへへへとやけに下卑た笑みを浮かべると私の腕を掴んだ。ぐいっと強い力で引っ張られてたたらを踏む。
「お嬢様!」
ジャンヌは抗議に声を荒げ阻止しようとしたけど、逆に振り払われて雨の地面に尻餅をついた。
くっ、振りほどけない。このまま連れて行かれるなんて冗談じゃないわ。でも私やジャンヌの細腕じゃ太刀打ちできない。男は私をぐいぐいと無理矢理引いて行こうとする。
どうしよう股間を蹴る? ううんその前に誰か助けてって思った時、ニコラが男の手を掴んで足を止めさせた。
「悪いがあんたたち彼女は駄目だよ。言ったろ、彼女には来客があるって。門にいる奴はどうやら彼女でないと対処できなそうなんだよ。大体、そういう行動は慎むようにって言ってるだろうに」
意外にも眉をひそめて彼女は本気で不快そうにしている。
「はー、ホントそういうとこ硬えよなあニコラは」
「硬い? ……あたしがどうして団にいるのか知らないわけじゃないだろう?」
「あ……、ああ、あーあー悪かったよ」
どうやら彼女の地雷を踏んだらしいわね。殺気さえ向けられて凄まれた男は怯んだのを悔しげにしつつもあっさり引き下がった。
結局彼女は男たちを追い払った。そっちはそっちで必要な仕事をちゃんとやりなって窘めてすらいたっけ。現状私たちにはどうにもできないから気の毒だけど御者にはまだ彼らと居てもらうしかなかったけど。
ホッとした反面彼女に感謝すべきか悩む。
彼女はシスターじゃない。服だけがそれのならず者だ。私は落ち着こうと深呼吸した。
「ニコラさん、どうもありがとう」
彼女はびっくりしたようにしたけど、助けてくれたのは助けてくれたんだしそこはお礼を言っておくわ。
ただ、彼女だって盗賊団の一員で、こっちに正体がバレて甘い顔なんてできるわけもない。このままじゃ私とジャンヌも縛られ閉じ込められるかもね。そんなの冗談じゃないわ。その前に逃げるなりした方が賢い選択だと動こうとした矢先、視界に銀の鋭い反射が入った。
「アデライド様、門で助けを求めたり下手な真似をすればこの侍女の命はないよ」
「ジャンヌ!」
「お、嬢様……っ、わたしの事は置いて、逃げて下さいっ!」
「そんな事できるわけないでしょう!」
私の思考を察したように素早く動いたニコラがジャンヌの後ろから腕を回して首にナイフを突き付けていた。
「エドには言わないし逃げたりもしないわ! だからジャンヌを傷付けないで!」
「お嬢様っわたしの事はいいのです!」
ジャンヌはまだ私に逃げるよう叫んだけど、叫び声で悟られてもまずいからとニコラから早々に猿轡をされてしまった。それから、ジャンヌはナイフで脅されながら、私は二人の前を歩かされるようにして門へと向かった。二人は傘を差せないけど私はどうしてかよりにもよってニコラから促されて傍に落ちていたのを拾って差した。勿論ランプを持つのも私。因みにランプは傘付きのだから雨で消えたりはしなかった。
これは後で知ったけど、本物のシスターの中には今の私みたいに仲間を人質にされて泣く泣く外部の業者とのやり取りをさせられていた人もいたそう。あとは雑用とかね。
盗賊団の潜伏が可能なのも、ここがとりわけ閉鎖的な場所だからだ。
けど、ずっと留まるのは不可能よ。
どこかで綻びができるはず。
例えばエドが街の雰囲気がおかしいと感じたように、他にも違和に気付く人はいるはずだもの。
そうでなくとも教会の管轄だから定期的か不定期かは知らないけどいつかは教会の誰かが訪れるだろうしね。閉じ込められてるシスターたちだってそれまで雌伏して待つんじゃないかしら。
正門にたどり着くと私一人だけ外に出された。予想通り門番も一味だった。シスター男だったわ。門を出る前にジャンヌを拘束しているニコラからは再度変な気を起こすなと釘を刺されたけど、ふん、起こすわけないでしょ。
で、知らされていた通りに相手は銀甲冑だった。
「エド、お待たせ。どうしたの?」
何事も起きてませんの
あーこっちか。長く待たせて機嫌が悪くなったのかも。
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