第二十三話 常夜の魔女と奇門遁甲


「やっぱり邪悪な妖獣だったか!」

「俺達が来たからにはもう大丈夫だ」


 駆け付けた子雲達は虎の姿になった芍薬を見ると、状況を良く確かめもせず武器を蘭華達に向けてきた。


「また現れたな慮外者共め!」


 芍薬が咆え、子雲達が殺気立ち、睨み合う両者。


「芍薬、止めなさい!」


 蘭華は何とか騒動を収めようと声を張り上げた。


「知るか、こんな恩知らずなまちぶっ潰してくれる!」

「そうよ! やっちゃえ芍薬」


 だが、芍薬は聞く耳を持たず、それを翠蓮が煽り立てた。


まちを脅かす邪悪な妖魔あやかしめ!」

「我らが成敗してくれる!」


 子雲や利成達が武器を手に応戦の構えだ。


「お願いだからもう止めて!」


 蘭華は悲鳴にも似た声を張り上げた。


「何が止めろだ!」

「貴様らがまちを脅かすからだろうが!」

「何よ良く調べもせずに分からず屋!」

「我の力を思い知れ!」


 だけど蘭華の声は届かない。もはや双方の戦意は高く、衝突を回避できる状況ではなくなっていた。


「牡丹、手伝って」

「承知じゃ」


 もう言葉では止められないと判断した蘭華は強硬手段に出た。


「芍薬伏せ!」

「うみゃ!」


 突然の強制待てに芍薬は体勢を崩す。


「ま、またやったな!」

「この馬鹿者、自分から騒ぎを大きくしてどうするのじゃ!」


 奇異な格好で地面にうつ伏せ喚く芍薬を牡丹が一喝した。そして、顎をしゃくって前方を示す。


「あれを見よ!」

「――ッ⁉」


 その方向を見て芍薬は目を見開いた。


「我が頭上に天を拝し、我が足下に地あり、以て五行を配す……」


 蘭華が虚空に指を走らせ何かぶつぶつと呟いたかと思うと地面が光り出す。


「……天子天権を拝し天帝をまつる……庶幾こいねがわくは……開け八門!」


 それは上空より俯瞰すれば蘭華を中心にした八角形の陣が見て取れただろう。


奇門遁甲きもんとんこう『八門』か⁉」


 その陣の正体に気付き芍薬は驚愕した。


 奇門遁甲は方術におけるの方位占術の位置付けとされているが、その真価は天上の最高神『天帝』の力を借り受ける呪法にある。


 それだけに強力な方術であるが、膨大な魔力を必要として並の導士では使用に耐えられない。しかも、方位を重視する呪術であり本来なら遁甲盤が必要な筈だ。


 そこで蘭華は代用として魔力で地に光の遁甲盤を現出させたのである。


「何て無茶を!」

「その無茶をさせたのはお主じゃ粗忽者!」

「みぎゃ!」


 伏せの体勢で身動きの取れない芍薬の頭を牡丹が容赦なく踏み付ける。ぼふんと白猫の姿に封じられ芍薬は牡丹の蹄の下敷きにされた。


「お主もじゃ」

「きゃあ!」


 次に牡丹は翠蓮の襟首を咥えて宙ぶらりんにする。牡丹が芍薬と翠蓮を押さえ込むのを確認した蘭華は再び子雲達と対峙した。


「今更その妖虎を下がらせても遅いぞ!」

「俺達が悪しき輩を屠ってやる!」


 子雲が剣を片手に、利成が槍を腰に構え走り出す。


傷門しょうもんは殺意、害意を招き、杜門ともんは狂気、乱気を生ずる――閉じよ傷門、杜門!」


 だが、天に向けて立てた二本の指を蘭華が振り下ろすと怒気を漲らせていた子雲達に変化が生まれた。


「なん……だ?」

「力が抜けて……」


 続いて蘭華は子雲達へ指を向ける。


休門きゅうもんは正心、静心に帰す――我が前方に休門を配す!」


 狂気にも似た怒気の炎を燃やしていた子雲達の瞳が凪いだ湖面の如き柔らかい光を灯す。


「俺……どうして剣を?」

「何やってんだ俺?」


 戦意を失い子雲達は次々に武器を下ろしていく。


 奇門遁甲『八門』は天帝の力を降ろし人心を掌握する強力な方術である。並大抵では打ち破れず、蘭華に激しい憎悪を向けていた子雲でさえ戦う意志を挫かれていた。


「済まぬ蘭華、妾がこの馬鹿を止められておれば」

「大丈夫よ。芍薬も私の為を思っての行動だもの許してあげて」

「甘やかすでない。奇門遁甲をしくじれば術者は無事では済まないのじゃ」


 奇門遁甲はとても強力だが諸刃の剣でもある。術に失敗すれば術者は天帝の怒りを買う。大怪我を負ったり魔力を失ったり、最悪死まで賜った例まであると聞く。


「この馬鹿は妾がきつく仕置きしておくゆえ」

「うみゅ〜」


 牡丹の蹄で身動きを封じられた白猫の芍薬が申し訳なさそうに両足で顔を覆った。


「済まぬ蘭華」

「ごめんなさい蘭華さん」


 可愛らしい姿で謝る芍薬とその側で眉を八の字にする翠蓮に蘭華はくすっと笑った。


「大丈夫よ二人共……」


 この二人は蘭華の為に怒ってくれた。だから蘭華は二人に何の恨みも無いし怒ってもいない。そう伝えようとした時――


「無事か蘭華!」


 白銀の髪を振り乱し美しい青年が走り寄ってきたのだった。

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