魔女の闇夜が白むとき

古芭白 あきら

壱章 常夜の魔女

第一話 常夜の魔女と森の家


 ――『常夜じょうやの森』


 そこは鬱葱うっそうと生い茂る木々が天を覆い隠し、数多あまた妖魔あやかし蔓延はびこる夜の如き闇の世界。


 只人ただびとが足を踏み入れれば二度と陽の光を見る事の叶わない、魑魅魍魎ちみもうりょうが支配する危険な場所でございます。


 そんな誰も寄り付かぬ筈の森の奥深くにポツンと一軒だけ小さな家がありました。


 いえ、それは窓は破れ壁も剥がれた家と呼ぶのもはばかれる粗末な破屋あばらやで、そこには一人のわか姑娘むすめが住んでおりました――




「あっ、いけない、お米が殆ど残っていないわ」


 蘭華らんかは寂しくなった米櫃こめびつを見て溜め息を漏らした。


「塩も切れかけているしまちへ買い出しに行かないと」


 気が重い……


 蘭華の紅玉のように美しい瞳がかげる。他人と顔を合わせるのが苦痛なのだ。


 とある事情で日頃から差別を受けており、蘭華は人の寄り付かぬ常夜の森の中で一人暮らしていた。


 いや、正確には同居する者達はいる。


 人ではないが……


 背に羽の生えた真っ白な兎がパタパタと器用に飛んで、蘭華のつややかな黒髪の上に乗った。


「人里へ行くの?」

「ええ、そうよ百合ゆり


 蘭華は頭の上のふわふわな生き物を撫でた。


 ――羽兎うと


 百合と名付けられた羽のある兎は人の善行に報いる精霊、霊獣の類いである。


「ならばわらわが供をいたそう」

牡丹ぼたん


 背後より炎の如くあざやかな赤い馬がぬっと近づいてきた。いや、馬と同じ四足歩行ではあるが、顔は竜のようで別の生き物であるのは明白だ。


 ――炎駒えんく


 彼女もまたれっきとした霊獣で、神獣として名高い麒麟きりんの傍系に当たる。


其方そなた一人では荷を運ぶに難儀しよう?」

「ええ、お願いするわ」


 蘭華の足元にトコトコと白猫が歩み寄ってきた。


「我も連れて行け」

芍薬しゃくやく


 蘭華の下裳スカートを前脚でよじ登るように掴む姿は愛らしい猫にしか見えない。だが、彼の全身から発せられる霊気は尋常ではなかった。


 ――白虎びゃっこ


 猫の姿をしているが本性は神格を得た巨大な虎である。霊獣どころか四瑞しずいの一柱で神獣である。


まちの奴らが蘭華に無体を働くとも限らんしな」

「ありがとう、とても心強いわ」


 これだけ強力な霊獣に守られているなら、人の住めぬ筈の『常夜じょうやの森』で暮らしているのも納得である。しかし、霊格の低い羽兎はともかく炎駒や白虎は人の身で御せる霊獣ではない筈だが……


「僕、邑の奴らキライ。いっつも蘭華をイジメるんだもん」

「仕方がないわ。この国は爵位と神賜術かみのたまものが重視されているのだもの」


 プンスカ怒る百合を蘭華は撫でながらなだめた。


 この国――日輪の国には二十等爵の身分制度がある。


 庶民は生まれた時に一位の公士こうしと呼ばれる最底辺の爵位を与えられる。


 これは五年から十年程に一度、賜爵ししゃくされて位階が上がっていくので年配の者は総じて爵位が高い。


 ただ、公士から始まる爵位にも例外はある。人が生まれながらにして持っている神賜術かみのたまものが有益な場合だ。


 神賜術は生まれた時に身につけている個々が一つだけ所有する固有の超能力だ。神よりの恩寵と考えられており、日輪の国では特殊能力を神聖視する趣きがある。


 だから、強大な神賜術を授かった者は二位の上造じょうぞうや三位の簪裊しんじょうを生後すぐに与えられるのだ。


「私は神賜術を授からなかったから……無爵位者への当たりが強くなるのも無理はないの」


 ところが、何故か蘭華は神賜術を授からなかった。その為、爵位授与も行われず、彼女は無爵位者――賎民せんみん扱いされていた。


 賤民とは商人や罪人、浮民などの事である。


「爵位に縛られる人とは業の深き憐れな生き物よ」


 麒麟の一種である牡丹は仁を尊ぶ瑞獣である。だから、爵位を根拠に蘭華へ非道を働くまちの人々を理解できない。


「身分とは秩序を維持する為のものじゃ。他者を虐げるのは本来の目的に沿わぬのだが」

「ふんっ、愚かしい」


 牡丹と違って白虎の芍薬は少々苛烈なところがあり、怒りを隠そうともしていない。が、今は猫の姿だけに迫力に欠け、何処か愛らしい。


 そんな芍薬に可笑おかしみを感じて蘭華は思わずくすりと笑った。


「そんなものでしか人の優劣を測れぬ愚者だから物事の本質が分からんのだ」


 笑われた芍薬は、むっとして威厳を取り戻そうと厳つい口調となったが、可愛い猫の外見では滑稽なだけである。


「だいたい、神賜術かみのたまものなぞ一部を除けば取るに足りぬ能力であろうに」


 神賜術は一人につき一つのみで、多くは大して強くはない。だから、市井しせいの者で希少な神賜術を持って生まれる事例は殆どなく、大抵が一位の公士から始まる。


 強い能力を授かるのはたいてい貴族か皇族くらいだ。


「それに比べて蘭華の方術は多種多様の事象を引き起こせる上に強大ではないか」


 蘭華は神賜術の代わりに強大な魔力を持って生まれてきた。その力で五行を操り様々な事象を引き起こす方術と呼ばれる魔術を体得している。


 蘭華のような方術を身に付けた者を『導士』と呼ぶ。


 導士の多くは医術や祈祷、結界の管理、妖魔あやかし退治などで生計を立てており、それは蘭華もまた同様であった。


 ちなみに宮廷に仕える導士は特に『方士ほうし』と呼び、在野の導士とは区別されている。


「そうだよね。それなのに蘭華はどうして爵位が貰えないのさ」


 芍薬の蘭華自慢に百合も乗っかってきた。


「それは神からたまわったものを重視しているからよ」


 多くの人は他人を測る確たる物差しを持たない。だから神という絶対者から授かる神賜術かみのたまものを持たない者は神から見放された不吉な存在と見做みなされる。


「これ、蘭華が困っておろう。それくらいに致せ」


 牡丹が困惑する蘭華を見かねて百合と芍薬をたしなめた。


 自分の為に怒ってくれるのは嬉しいが、逆に蘭華は彼らを諌めねばならない。霊獣は強力であり、その怒りを人々へ向ければ災厄と変じてしまうからだ。


 そうなれば霊獣も妖魔あやかしも変わらない。


「ありがとう牡丹」

「いや、元は此奴こやつらが悪いのじゃ」


 本当は蘭華とて自分に対する理不尽に怒りと悲しみを抱いている。その気持ちを押し殺さねばならない彼女の苦しみを牡丹は察してくれたのだ。


「なあ、まちへ行くのはよさぬか」


 牡丹に指摘され自分が蘭華を追い詰めていると悟り、居た堪れなくなった芍薬が話題を転じようと的外れな提案をしだした。


「森の恵は豊富だぞ?」


 常夜の森は人の手が入っていない為、その資源は有り余っている。


「人間はそれだけでは生きていけないの」


 米はまだしも塩は絶対に必要だ。


「それにね、芍薬が何度も私の衣服に爪を立てたでしょう?」


 蘭華の深衣に目を向ければ下裳スカートには至る所に穴やほつれがあった。かなり痛んでしまっている。


「修繕用に糸や反物たんものも買わないといけないのよ」

「す、すまん、この姿だと猫の習性に囚われる故……」


 百合と牡丹の冷たい視線にばつが悪くなり、芍薬は耳を横に倒してプイッと顔を背けたのだった。

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