第四十二話 失われた信頼
ケンさんは僕を見ながら、正確には突然開いた扉の先を見ながら、唯突っ立っていた。
「リーさんを何処へやったんですか?」
「…何を言っているんだ。」
「貴方でしょう?リーさんをさらったのは。」
「照葉?何があったか知らないが、俺がそんな事するわけ無いだろう。」
ケンさんはいたって冷静な声で応える。しかし、今となってはケンさんが冷静であれば冷静である程、疑わしいばかりであった。
「こんな事をする人はケンさんしかいないんです。正直に答えて下さいよ。」
「だからお前はさっきから何を言っているんだ。お前こそ正直になれ。そんなんだからまだ無意識に時間をいじってしまう程未熟者なんだ。」
「…!」
なんだって?僕だってやりたくてやってる訳じゃない。知った事もない感覚を呼び起こすことがどれ程困難を生むか。新しい事に挑戦する事に節々が痛み、制御出来なかった分の報いは自分に来る。僕にとってこの力を扱うことは、身体的にでも精神的にでも痛めつけられる地獄の拷問の様なものだった。その割には慣れて仕舞えばあっさり使えてしまう。八卦の引き継ぎが記憶を失うのも、ある意味力を簡単に修得する為なのかも知れない。記憶が残っている僕からしてみれば、自分が人間だという概念から抜け出す事がまず困難で、色んな感覚や感情に敏感になってしまう。神には分からんだろうけど、努力あってのこれなのである。下手に侮辱されては精神の安定様が違うんだ。
「おい、何とか言えよ。」
僕が思っているより、ケンさんもかなり怒っていた。
「何も言わないのなら、代わりに俺が一つだけお前に教えてやる。」
「…。」
「お前、自分の力量を確かめ直せ。優秀な内の部下が言ってただろう。"決めつけ"はいけないと。」
「…?」
そう言うとケンさんは僕をすり抜け玄関を出ていく。自分の力量なんて分かっている。無意識に時間をいじってしまう程の未熟者、だけどそれが何だと言うんだ。"決めつけ"?ケンさんこそ何を言っているんだ。僕らを殺そうとした癖に、教えてやろうだとか親みたいな態度をとっても無駄だ。僕は壮大に腹を立たせながら、後ろを振り返る。やはりケンさんの逃げ足は早く、もう彼の姿は見えなかった。直ぐに追うべきだったかとは思ったがもう遅い。彼は空に消えてしまった。
「何なんだよ…、」
僕はそのままソファにもたれ込んでしまい、すっかり気が抜けていた。
すると後ろからゴンさんやカンさん、ソンさんが階段に集まっている。
「話しかけても良いか。」
「どうぞ。」
「…さっき、ケンはずっと家にいた。俺等と一緒に。」
「それがどうかしましたか。」
「照葉の言う通りリーをさらった犯人がケンなら、どういうトリックを使ったんだ?」
確かにそうだ。僕は何とも言えなくなった。
「ダーがいるやないの。」
ふとソンさんが口を挟む。
「ダーの幻覚なら、もう一人のケンを出現させるのは容易い事や。何があったかはよう知らんけど、そんなに緊迫する状況なん?」
「「…。」」
僕らは申し訳ないと思いつつも、何も応えなかった。
「さよか。」
ソンさんもそれ以上聞くことは無く、察するように身を引いた。
「今はケンさんを追わないと。」
「そうだな。」「そうですね。」
僕らが玄関を出ようとすると、ソンさんも見送りに来てくれた。
「風の噂やけれど…最近森外れの竹藪なんかが騒がしいらしいなぁ。」
ソンさんがわざとらしくそう言うと、クスリと笑って手を振る。
「ありがとうございます!行ってきます!!」
「ほな、またな。」
「行ってきます。」「行ってくる。」
ソンさんが言っていた竹藪まで着くと、定期的に叫び声が聞こえてきた。何を言っているのかまでは分からないけど、きっと危機的状況では無さそうな、どちらかと言うと誰かを探している様子だ。少しずつ歩いて行くと、その声の主がケンさんだと言うことに気が付いた。
「この声、ケンさんですよね?」
「そのようですね。」
「反響し過ぎて何処から聞こえて来るのか分からんな。」
「はい…。」
「リーが消えた所ってのが此処か?」
「もう少し先なんですけど、大体この辺です。」
「そうか。」
「にしても、何故ケンさんが叫んでいるんでしょうか。」
「行ってみようにも、何処から聞こえてるんだか、」
森と違って、此処は崖が周りに多い為声が簡単に反響してしまう。声の大きさを頼りに行こうも、本人に辿り着ける訳ではない。
「…!」
振り向けば、身に覚えの無い液体の壁が立っていた。カンさんの仕業なのだろうけれど、一体何をしようとするしているんだろうか。
「これで発信源を探すんです。」
「これで?」
「はい。水は、音の吸収が良いんです。つまりこの壁を背に向けて立つと反射する音が消えるので、本来の通り音が聞こえる方にだけ進めば良いんです。」
「成る程!」
「でかしたカン!」
僕らはカンさんの作戦のおかげで難なくケンさんの元に辿り着こうとしている。ようやくケンさんが何時も身に付けている着物が視界に入ったと思えば、同時に恐ろしいモノも視界に入った。刃物だ。
(待って下さい!)
「どうs、」
(静かに‼︎)
(どうしました?)
(ケンさんの手元、刃物を持っています。)
(え、何故⁉︎矢張り八卦を滅ぼそうとしているという照葉君の読みは正しかったのでしょうか、)
(そうとしか考えられねぇ…ほんと、質悪ぃな。)
ケンさんは刃物を後ろに構えながら、慎重な様子で歩を進めていく。
(どうしようか。)
そう思い状況を確認していると、ふと気付いた事が二点。一つ、ケンさんの足元に誰かが倒れ込んでいる事。一つ、たった今遠くの方で、僕が把握しているのとはまた別の、人の気配がする事。ゴンさんも何かに気付いたのか、僕の肩を執拗に叩いてきた。
(あれ、リーじゃないか。)
(何処です?)
(ほら、アイツの足元。)
(本当だ、しかも血が出ています。)
(血?)
(はい、微かに鉄の匂いがします。)
遂に見てしまった。もう言い逃れのできない状況に陥っている。
(どうしようか。)
(んなもん、アイツを止めるしか無いだろうが。)
(でも、何故ケンさんはあそこから動かないんでしょう?それに、ケンさんの刃物をよく見て下さい。血なんて一切付いてませんよ?)
(だからどうしたってんだ。他に犯人がいるとでも?もう良いだろ。俺はアイツへの信頼を切り離す覚悟が出来た。)
と言うとゴンさんはいきなり立ち上がり、ケンさんに向かって角度を定めた。
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