Episode 3 相棒は不要だ
タカトが部長室のドアを軽快な音をたててノックすると、その部屋の主から即返事が帰ってきた。相手を落ち着かせるようでいて、そのくせ尾てい骨までしびれてくるような、魅力的なテノールヴォイスだ。
「誰だ?」
「本日付けで配属となりました、タカト・レッドフォードです」
「入り給え」
ノブに手を掛け、部長室内へと入ると、スリーピースのグレーのダークスーツを身にまとった、ロマンスグレーの髪を持つ男がデスクの椅子にゆったりと腰掛けていた。
輪郭のはっきりした顔だちで、鼻は長くてまっすぐ、目は長めの眉毛の下で横一線に綺麗にならんでいる。年は四十前半位だろうか。
イーサン・ヘムズワース――彼は〝執行部〟のトップである――はタカトに視線を合わせると、懐かしそうに目元を細めた。不良青年は肉親に会えたような安心感を覚えたと同時に、何故か異質な雰囲気を感じ、その方向に視線をちらりと向けた。――一人、彼にとって見覚えのない人物がいる。
(ん? ……あれは誰だ? )
その机の前に見知らぬ青年が一人立っていた。黒髪で、上から下まで真っ黒な格好をしている。タカトは何故か背中の産毛が総立ちになる感触がした。季節はまだ春になったばかりで肌寒いが、それだけのせいとは思えない。
「久し振りだな。タカト。元気にしていたか?」
「ガキの時以来だから、本当に久し振りっすね。元気もなにも、突然どうしたんすかヘムズワースさん。分析室での用事が済んだら、そのままここへ来るようにと、事務部のおっさんから言われたから来たんすけど……」
「ああ。君に伝えるように指示したのは私だからね。早く顔合わせした方が互いのためと思ってな」
イーサンは少し顎を上げると、視線を黒尽くめの青年へと向けた。その彼はと言うと、呼吸をしていないのではと誤解されそうな位、微動だにしない。漂う雰囲気は本当に血の通った人間なのか疑いたくなるほど、機械的な冷たさを帯びている。
「彼が今日から君と組む相手である、ディーン・マグワイア君だ。詳細は後で話すが、これから先の任務は彼と協力してこなして欲しい。ディーン。こちらは、今日から君と一緒に任務にあたってもらうタカト・レッドフォード君だ」
タカトは目を見張った。正直言って、嫌な予感しかない。かろうじて顔には出さなかったが、心の中ではその場から逃げ出したくて仕方がなかった。
(マジかよ~。この人形みたいに色んな意味で融通が利かなそうで、硬そうなヤツが俺の相棒だと言うのか!? はあああ……出来れば勘弁願いてぇなぁ。何か気が合わなさそうだし)
マッシュウルフスタイルの黒髪に白皙の肌。
艷やかな後ろ髪は項に沿って流れ落ちていて、襟元につくほどの長さがある。
目鼻立ちの整った、貴族的で怜悧な美貌。
まつ毛の長い二重の切れ長の目で、瞼はまるで筆で書いたように美しい。その中に鋼のような銀色の瞳が収まっている様は、金属のような強靭の意思を持っているかのようだ。
口元は横に結ばれたままである。
身長はタカトより少し高く、百九十に少し足りない位だろうか。
膝裏まで長さのあるロングコートを羽織っているが、高身長の彼に良く似合っていた。
世界中の美女が顔色を失って逃げ出すほど奇跡のように美しい彼は、タカトとは違った意味で結構目立つ美青年だった。年齢は近そうである。
(せめて相棒は女性社員の方が良かったのによぉ)
セーラスの〝執行部〟は職務的に過酷な上、血生臭い内容が多く、ただでさえ花となる女性職員が少なさそうな部署だ。むさ苦しい男に比べれば幾分かマシだが、彼は誰が何と言っても生物学的に「男」である点に変わりはない。内心しょげ返っている不良青年を尻目に、その金属のような美青年は銀色の瞳をわずかに瞬かせた。
「……部長。僕に相棒は不要と、先日申し上げた筈ですが……」
ごくわずかに開いた口元から、抑揚のない硬質な声が押し出されるかのように出てきた。彼の理知的な冷たい美貌に大変良くあっているその声色には、明らかに不満気な意味合いが込められていた。
(はあ? なんだそりゃ? 相棒は不要だと? 要請されてここに来た俺の立場は一体どうなる? )
心の内で小さな炎がぱちぱちと音を立て始めたタカトを視野に入れつつ、イーサンは机に肘を付き、両指を組んだ手の甲に顎を乗せた。輪郭の際立った顔はまっすぐ前方へむけられたまま、ディーンの瞳から視線を外そうとしない。決然とした顔つきと、意図のあることを感じさせるやや前のめりの姿勢には、どこか獲物を逃さぬ肉食獣のような雰囲気が感じられた。
「……ディーン。君の力を信じていない訳ではない。私は君の実力を充分把握しているつもりだ。我が執行部に所属している全職員は、基本的に一人でこなせるメンバーが勢揃いだと自負している。だが、何でも背負いこむと負担が増し、本来の能力を発揮できないばかりか命を落とす危険性も高い――それは君も重々分かっているはずだと思うのだが?」
「……」
「これは命令だ〝リーコス〟。これから先、君は彼と組んで任務に当たってくれ給え。これは全ての分析検査の結果より既に決められた事項だ。分析官〝エフティヒア〟の知能に狂いはないからな」
「…………了解しました」
ギリシャ語で〝満足〟とか〝幸福〟の意味を持つ言葉を分析用AIの名前に付けるセンスも中々凄い。一体誰が名付けたのだろう。
(一体何なんだ今の間は!? そしてその〝リーコス〟がひょっとしてあいつのコードネーム!? 一匹
勝手な推測をしつつ、「まぁまぁ……決まったもんはうだうだ言ってもしょーがねぇし、これから宜しく頼むぜ」と、タカトはディーンに向かって右手を差し出した。印象としては微妙だが、挨拶代わりの〝握手〟ぐらいはしておくべきだろうと思ったのだろう。しかし、その相手は一瞥すらせず「部長、もう用はないですよね? それでは僕はこれで」とドアの方へと顔を向けた。
通り抜けざまに抑揚のない声がタカトの耳に突き刺さった。それは凍てつくような冷たさを持っていた。
「僕は普段通りにいく。これから先、ただの足手まといだと生命はない」
美青年はそう言い捨てたあと、右手を差し出したままのタカトを置き去りにして、部長室を静かに退出した。
◇◆◇◆◇◆
「あんの野郎……!! 」
執行部の部長室から出てきたタカトは突然激怒した。廊下にあるごみ箱でも蹴飛ばしたい気持ちだったが、そういう八つ当たりの的に出来そうな都合の良いものは、生憎周囲に何もなかった。
「……そりゃあ俺新人だし? 配属されたばかりのここのシステムは良く知らねぇからあんまり言えねぇけどよぉ。着任早々時限爆弾を持たされたような気分だぜ!」
「……まぁまぁ、タカト。落ち着け」
「これが落ち着いてられるかってんだ! お前だったらどうよ? あぁん? 今みたいに冷静に構えてられるのかよ!?」
ガイスは鼻息がやたらと荒い旧友をなだめようと、無駄なのを承知で努力だけはした。タカトは短期な上気性が荒く、一度爆発すると鎮火させるのに一苦労することを嫌でも良く分かっているからだ。彼を所属フロアへと案内するよう上から指示を受けた彼の旧友は、単に運が悪かったとしか言いようがない。
「……いや……そう言われても……職場の異なる俺がお前の代わりにはなれんし、ここはもう運命というか御愁傷様というか……」
「あんだとごるぁああっ!?」
「オイ! こら! 止め……!!」
目つきもガラも悪い男が、人の良さそうな男の胸ぐらをつかんで、前後左右に乱暴に揺さぶる構図は、どう見てもチンピラかヤクザが善良な市民をいたぶってる図だ。檻から逃げ出した獅子から食われそうになっている生き餌の気分って、こんなものだろうかとガイスは虚しい想像をしてしまった。
(あああ、予感的中……! 愛用のカップにヒビ入るし、今朝夢見が悪かったもんなぁ。執行部の事情を知っていたから、何となく嫌な予感はしてたけど……)
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