デュアル・ハンターズ〜赤と黒の牙〜

蒼河颯人

序章 Anstron Hunter

序章 アンストロン・ハンター

 墨をこぼしたような空に蒼白い月が一つ浮かんでいる。

 凍えるような冷たい色をした月だ。

 それは霧のような黒い雲によって、少しずつ欠けているようにも見える。

 今日は何だか不気味な夜だ。


 その中を一人、逃げ惑う者がいた。この時間、普段なら彼は浮遊自動車レビテート・カーに乗って帰路についているはずなのだが、何故か徒歩だった。たまたまなのか偶然なのかは分からない。

 

 背広を着ているところを見ると、一見普通のサラリーマンのようだ。

 その男は鞄を両腕で抱えながら、視線を右往左往させていた。

 その男はぜえぜえと息を切らし、もつれそうになる足を必死に動かしている。その後ろから怪しい影がゆっくりと追いかけてきていた。

 ひたひた、ひたひたと。

 指す影が伸びているところを見ると、恐らく身長二メートルは優に越えているだろう。


 男が走っている道には、行く先々赤黒い水溜りがあちらこちら出来ている。首のない親子の胴体、まるでアジの開きのようにま半分にされた男といった、元々人間だった何体もの肉塊が視界に入ってきた。まるで己の未来を目の前に突きつけられているようだ。鼻を突くような異臭が漂ってきて、喉の奥から胃酸が溢れてきそうになる。それでも、生き延びるためには何とかして〝現実〟から逃げ切らねばならない――そう己に言い聞かせつつ、男は先を急いでいた。


「!!」


 突然何かにぶつかったのかその男は前につんのめり、勢いそのままに道路に倒れ込んだ。それと同時に、両腕から鞄が滑り落ち、がしゃりと音を立てた。恐らく、その中に入っていた割れ物にひびの一つでも入ったに違いない。だが、その鞄の持ち主はそれに構っている状態ではなかった。


「……ひぃっ……!!」


 背後に漂う殺気を感じた男はずりずりと後退るが、そのはしずしずと歩み寄り、死ぬ気で開けた距離はあっという間に埋められてしまう。彼は背に一筋の汗がすっと流れ落ちるのを感じた。


「お……お前……な……何故俺を追いかけてくる!?」

「……」

「……か……金か? 金……ならい……くらで……も……」

「……」


 男は声を何とか喉から絞り出したが、かちかち震える歯と震える舌のせいでなめらかな言葉とならない。彼の言葉を聞いてか聞かずか、そのは口を大きくがばりと開けた。ドアの外れたような音がして、それを目の当たりにした男はこれ以上広げられないばかりに目を大きく広げた。


 顎の関節なんて最初からなかったかのような大口。

 底なし沼のような空間。

 青白くぎらりと輝く牙。

 どう見ても相手が人間ではないことは明らかであった。


「グオアアアアアアアアアアッッ!!」

「ひぃいいいいっっっ……!!」


 腰が抜けたのか、その男は尻餅をついた姿勢のまま必死に後ろへと逃げようと両手両足をムカデのように動かした。眼前に迫る絶望に抗おうとなけなしの努力を試みているが、間に合いそうにない。


「だ……誰か……た……助け……!!」


 覚悟を決めた男は目をつぶった。まさか自分の最期が三メートル近く背丈のある、ヒトの形をした真っ黒な化け物に食い殺されることになるとは思いもしなかった。やり残したことが多い人生だったなぁと、走馬灯を脳内で回そうとした。


 その時である。

 

 ぼきりと何かが折れる音が周囲に響き、彼は思わず身を伏せた。


 何も起こらない。


 男はゆっくりと顔を上げ、音がした方向へと視線を合わせてみると、ヒトの形をした異形が、立っているその場所そのままで動かなくなっているのが見えた。それは左腕で右腕のあたりを押さえている。左指の間からぼたぼたとこぼれ落ちる循環剤が、地面を真っ黒に染め抜いており、その足下には肘から先の前腕が落ちていた。その指先はしばらくもぞもぞと動いていたが、痙攣を起こしたかのようにびくびくっと震えると、やがてぴたりと動かなくなった。


 その人ならざるものは、己の右腕を落とした相手に向かって静かに口を動かしている。何故か蒸気の漏れる音がして、非常に聞き取りづらいのだが、ぼそぼそと単語が聞こえてきた。


「ヒューッ……何ダオ前ハ!? ……俺丿邪魔ヲスルナ……!」

「るせえよ。てめぇみたいな知性も理性も捨て去ってるようなただのガラクタあやつり人形に名乗る名なんて、こちとら持ち合わせちゃあいねぇ」


 それは、若くてどこか粋がっている男の声だった。

 針のようにツンツンとした茶髪を持った青年が、黒いオープンフィンガーグローブから出ている右手の中指を立て、鼻息荒く息巻いていた。彼が持つアーモンドアイの中に、翡翠色の瞳が形良く収まっている。彼は襟を真っ直ぐに立てた、焔のような赤い上着を羽織っており、緑色のスラックスは彼の長い足を際立たせていた。


「ヒューッ……茶色丿トサカ頭ニ翡翠色丿瞳……貴様……モシヤ!?」

「鶏じゃあるめぇし、トサカ言うんじゃねぇよ。俺は歴とした人間だっつーの」

「セーラスの犬!!」

「人を勝手に犬呼ばわりするんじゃねぇ!!」

「アンストロン・ハンター!!」

「……けっ。自己紹介の手間は省けて良いが、分かっているのならいちいち聞くんじゃねぇよぼんくら」


 くだらない応酬が続いたあと、異形の方がしびれを切らしたのか、先程まで獲物として追いかけていた男のことを放置し、突然現れた不良青年に向かって突進した。


「キエエエエエエエエエッッッ!!!!」

「おらよっ!!」


 茶髪の青年は長い足を投げ出すかのようにして、足底をその腹部に叩き込もうとした。

 人ならざるものは、胴体を捻るようにしてそれをかろうじて避けた。

 その反動を利用して背後から裏拳を赤い背中に叩き込もうとする。

 それを軽々とさけた彼は、左腕をむずと掴み引き寄せた後、その後頭部へと拳を思い切り突き上げた。


「おらああああああっっ!!」


 地響きを立てて地面にめり込み、相手の動きが一瞬止まった途端、青年の瞳の色が黄金色に輝いた。

 すると、彼の視界に映る相手の後頭部から不思議な映像が浮かび上がった。

 小指先位の小さなカード状のものだ。

 それは彼の瞳の色に呼応するかのようにゆっくりと浮かび上がってくる。

 完全に異形から抜け出したところのを確認、すかさず抜き去った。


「もらったぁ!」


 目的とするものを手にした青年はガッツポーズをとる。

 

「おっしゃあ! 捕獲完了!! ……って……うおぉあああっ!?」


 何かが破裂する音と共に、彼は突然真横から突き飛ばされた。衝撃に対し体制を変えて持ちこたえようとしたが間に合わず、バランスを崩して顔面ごと地面にめり込む羽目になった。


「ぶっ!!」

「ギャアアアアアアアッッッ!!!!」


 不良青年が盛大な鼻血を吹き上げるのと、異形が断末魔の雄叫びを上げるのはほぼ同時だった。

 いつの間にか、切断された左腕が足元に落ちており、その指先からは鋭利な鉤爪のようなものが突き出ていた。いつの間に出てきたのだろう。

 真っ黒な液体の上に腹ばいに倒れ込んだそれは、身動き一つしなくなっていた。

 よく見ると、それの背中のあたりに銃痕と、刃物か何かで切り裂いたような跡がある。

 その切断面からはバチバチッと、小さな火花が周囲に散っていた。


 周囲に灰色の煙が立っている中、もう一人の黒い影が現れた。右手には黒いワルサーPPK/Sタイプの拳銃が握られている。


「痛っ……てめぇ……!! それでも味方かよ!!」


 アーモンドアイに薄っすら涙を浮かべた青年は、己の鼻を手で押さえつつ、自分を突き飛ばした相手に対して文句をつけた。指の間からぼたぼたと血がこぼれ落ちてくる。慌ててポケットから取り出したティッシュで鼻から流れ落ちてくるものを押さえていると、機械のように抑揚のない声が差し込んできた。


「ツメが甘いな〝レオン〟。あと数秒ズレていたら、君の頭は毬のように転がっていた」


 その声の主はマッシュウルフスタイルの黒髪を持つ白皙の美青年だった。ロングコートといい上着やスラックスといい、上から下までがほぼ全て真っ黒な格好だ。左手にはいつの間にか、握りこぶしより一回り小さな円柱状の塊がおさめられている。その色白の指の間からは、真っ黒な循環剤がぼたぼたと足元に向かって流れ落ちているのが見える。


「目的物収集完了。このモノはそのチップを抜き去るのみでは完全に動きを止められないようだ。ウイルスに侵された〝コア〟も外すべき」


 冷たく響く声は、色白の美貌に良く似合っていた。黒のアイバイザーが目元を覆っており、彼の人間味を限りなくゼロに落としている。


「……ちっ。そうかい。ありがとよ。そんならすっかり借りが出来ちまったな〝リーコス〟」

「……」


 言い放つように相手に対し礼を言い終わるや否や、不良青年は勢いよく鼻をかみ始めた。

 黒髪の美青年は無言のままこめかみに手をやると、何を感知したのかアイバイザーの下で形良い眉を若干ひそめた。


「……急いで戻るぞ〝レオン〟。任務完了後は直ちに帰投せよと本部から指示を受けていた筈だ」

「もうかよ。ちーっと位寄り道したって……」

「……」


 この不良青年は「一杯やってからでも」とつい言いかけたが、相方から漂う氷点下のオーラを感じたのか、身震いをして前言撤回に回ることにした。


「あーあー分かった!! 分かったって!! そんなに凄まなくても良いじゃねぇかよぉオイ!! お前いちいち冗談も言えねぇなぁ!!」

「……」


 踵を返し、無言で颯爽と立ち去る黒髪の青年の後を、茶髪の青年は慌てて追い掛けた。


 そんな彼らの背後を、真上に登りきった蒼白い月が黙ってじっと眺めていた。



 ――ここはチキュウと似た星、ルラキス星。

 これはチキュウが滅亡した後の、遠い未来で起きた小さな出来事の一つに過ぎない。

 この星の平和を守るために、常に戦い続ける者達。

 これは、そんな彼らが出会い、数々の試練を超え、絆を深めていく物語である――

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