02 刺激を与えてやろう
それは美しい歌を謡う魔物で、その歌を最初に聞いたのは、当然と言えば当然のことに〈砂漠の民〉だと言うことだ。
「美しい歌を歌う砂漠の魔妖、ねえ」
エイルは変わらず、胡乱そうに言った。
「どっかで聞いたことがあるような気がするな」
「何だと。どこでだ。思い出せ」
命令されたエイルは嫌そうな顔をしたが、幸か不幸か、思い出せなかった。
「詩人の歌か何かで聞いたのかもな。そうだ、そんな話なら、俺よりクラーナの方が好きそうじゃないか。探し出して教えてやったらどうなんだよ」
「あやつはもう、私とは関わりたくないそうだ」
オルエンは肩をすくめた。
「せっかく残してやった力もあるのだが、それもまとめて持っていけときおった」
「力だって?」
「ちょっとした魔力のようなものだ。目眩ましなど、便利だぞ」
「
たとえ外見に支障があっても、歌うたいの技量はそこでは判断されないし、だいたい、クラーナの風貌は「フィエテめいている」、どちらかというと「優男」、美形だとまではいかなくとも、整っているといっていい顔立ちだ。
「何。女のように見せかけることもできる」
「……ものすごくやりたくないと思うけど」
「それは、お前だろう」
「クラーナだって同じだろうよっ」
エイルは声高に反論した。
「確かに楽しんではおらんかったようだがな」
珍しくもオルエンは素直に言った。
「それで、あやつに残っていた私の魔力の残滓はなくなり、あやつは一介の詩人として旅をしているという訳だ」
「クラーナのためにはそれがいちばんだって気がするね」
エイルは嘆息した。
「切りたい縁を切れたなんて、クラーナは幸せ者だ」
「失敬な」
オルエンは鼻を鳴らした。
「まあ、あやつはその手の話がほしければ自分で見つけるだろう」
「俺はほしいと思ってないからな、念のために言っておくけど」
「若い内から狭量なことを言うでない」
エイルは二十歳を越したところだが、オルエンは二十代の半ばほどに見える。だが、肉体はともかく、この魔術師がどうやらとんでもなく長い間を生きているらしいことはエイルにも判っていた。正確な年月を問うたことはなかったが、もしかしたら百年や二百年ではきかないのかもしれない。
だと言うのに、二十五、六歳ほどの青年の姿を保っているというのは詐欺である。しかもその顔は、女ならば誰でも、いや男でさえもきれいだと言ってしまいそうな美形ときた。
これがお得意の魔術で変えたのならば詐欺であってもまだ可愛げがあったが、たまたま「手近に使えた」身体がこれだった、というのがオルエンの言い分である。エイルはその身体、というより顔を見ると腹が立って仕方なかったものだが、一年も経つともう慣れてしまっていた。
正確なところを言えば、腹が立つのは変わらなかった。ただ、もともとの身体の持ち主に対して怒りを燃やす状態は過ぎ、いまではオルエンの言うこと為すことに腹を立てるのである。
「狭量でも何でもいいさ。俺はもう、伝説には飽き飽きなんだ」
二年前の〈変異〉の年にエイルが巻き込まれた──それとも、彼の避け難い定めであった──出来事は終わりを告げたものの、その結果としてできたのが「魔術師エイル」である。それまで彼には魔力のようなものなどかけらもなかったのに、これは「女王様」のとんだ置き土産だ。
あのとき彼をいちばん困らせた奇妙な能力だけは消え去っていることに感謝したが、どうせなくすのならば徹底的にやってもらいたかったところである。
「何を言う。〈風読みの冠〉については調べる気でいるのだろうに」
「そりゃ」
エイルはうろたえた。
「友だちの頼みだからな。伝承だから面白そうだって探る訳じゃない」
「頼まれた訳でもなかろう。勝手に申し出た」
「それが友人ってもんなんだよ。あんたには、いなさそうだけどな」
優しい青年だが気の弱いところはなく、仕事中は「
エイルが運命の悪戯、と言うよりは誰かさんの気紛れで「シュアラ・アーレイド王女殿下の魔術学教師」などの座についてからも彼はたまに下厨房を手伝い、ユファスを含む厨房の「戦士」たちと賄い食をともにすることも多かった。
そんなユファスが仕事場を離れると聞いたときは驚いたが、弟が心配でその旅路についていくことにしたのだと言う。
エイルはその弟であるティルドとも言葉を交わしたが、よく言えばまっすぐ、悪く言えば単純なところがある直情少年で、成程、身内でなくても心配になる、などと思ったものだ。
何でも、ティルドは北方の都市エディスンの兵で、王陛下の命令で〈風読みの冠〉と呼ばれるものを探していると言うことだった。とある事件がもとで、少年は〈冠〉よりもそれを奪った魔術師を探すことになり、兄とともにアーレイドを旅立った。エイルとしては、魔術師などを追うことになった友人とその弟が心配だ。
彼は魔術師としては駆け出しで、ろくな魔力を操れない。たとえば身を守るような手助けはしてやれないのだ。
ただ幸か不幸か、オルエンという「知識の宝庫」が彼を気に入って指導をしてくるから、通常に
それを面白いだの楽しいだの言えばオルエンは調子に乗るから、決して彼はそれを口にしなかったが。
「それで、本当に〈風読みの冠〉については知らないのかよ」
「嘘をついてどうする。知らぬと言ったら知らぬ。その代わりに知っているのが、その魔妖の話だ」
オルエンは話題を戻した。
「砂漠に暮らす者として、砂漠の不思議は知っておきたいだろう?」
「別に」
エイルは一蹴した。
「あの塔は快適だけど、俺は砂漠の神秘だの熱い風だの、特別な興味はないね」
「素直にならんか」
「ごく素直に答えてるんだけどな」
エイルは正直に言うが、オルエンには通じない。いや、判っているくせに真っ当に受け取らないのだ。腹が立つ。
「何でそんな話を俺にするんだよ。探りたけりゃ好きにすればいいだろ」
「塔とアーレイドの往復ばかりでは人生がつまらなかろう。刺激を与えてやろうというのだが」
「要らんっ」
本心からの叫びは簡単に無視された。
「意地を張るな。レイジュ嬢に振られてからうじうじと落ち込んでおるくせに」
「だっ、誰が落ち込んでるんだよ。そりゃ何ともないって言ったら嘘だけどな、俺は彼女の結婚を祝福できるさ」
シュアラ王女の侍女であるレイジュとは一年以上恋仲であったが、どうしてか彼女に惚れ込んだ下級貴族の息子が彼女の父親に結婚の承諾を得れば、若いふたりが駆け落ちでもしない限り結果は決まっているのがこの時代、世の常だ。もとより、レイジュには恋人よりも大事な存在がアーレイド城にいるのだから、エイル「ごとき」と駆け落ち「など」して城を離れるはずはないのである。
彼女が絶対に嫌だと言えば流れた話かもしれないが、結婚をしても侍女の仕事を続けることを認めるなどという――レイジュにとっての――好条件を提示する男など今後現れるとも思えなかったのか、それとも単純にエイルよりもそちらを好くようになったのかは知らないが、彼女はそれを受け、エイルとの仲を終わらせた。
仕方ない、と思う。それでも以前のように友人だと思っているが、いまでもふたりの間はぎくしゃくし、出会っても挨拶以上の言葉を交わすことはなかった。
少し寂しいが――仕方ない、と思う。
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