第44話 初体験

 「なんとか日が暮れる前に着いたな」

 「はい。セント・ジョーズ・ワートから馬車が出ていたのは助かりましたね」

 「ああ。さすが温泉地だな。それに途中まで馬車に便乗させてくれたバート殿にも感謝だな」

 「お土産買って行かなきゃですね」

 私たちが件の温泉へ出かけたのは2月も半ばになったよく晴れた日。馬車を乗り継ぎ目的の温泉地、ヨークに着いたのは村を出て5日目の夕方でした。

 ちなみに今夜の宿は集落から少し離れた場所にある酒場。1階が酒場で2階が宿になっています。兼業宿と言う一般的な業態ですが1泊200メロという格安料金、宿代だけでも目を引くのには十分だけどさらに鍵付き個室もあるとのこと。それも追加料金不要となれば即決以外に選択はありません。

 「宿もこの通り。ちゃんと取れましたし、荷物置いたらさっそく行きましょう」

 「そうだな。でも良かったのか。わざわざ部屋を分けなくても良かったんだぞ」

 「鍵付きの部屋が一人用しかなかったので。さすがに鍵のない部屋は怖いですからね。あ、これアリサさんの部屋の鍵です」

 「確かに預かった。それにしても鍵付き個室がある宿とは珍しいな。良く見つけたな」

 旅慣れしているはずのアリサさんが驚くのも当然。この国の宿屋、特に酒場を兼ねた小さな宿はもれなく雑魚寝。大きな街にある専業の宿を除けば個室があること自体がすごく珍しいことなんです。きっと温泉地で湯治客が多いからだろうけど、やっぱり鍵付きの部屋の方が安心できます。

 「――それじゃ、アリサさん。また後で」

 「ああ。あ、そうだ。ここの主人に聞いたんだが、通りを西に行ったところに浴場があるらしいぞ」

 「そうなんですか」

 「どうやらここで一番大きな浴場らしい。そこに行ってみるか?」

 「はいっ。すぐ支度しますね」

 笑顔で応える私は宿のご主人から預かった鍵で客室の中へ入ります。部屋の中はベッドと簡易テーブルだけでまさに寝るだけの部屋と言った感じ。1泊200メロの理由がなんとなく分かった気がします。

 「ま、寝るだけだしね」

 何日も過ごすわけじゃないし、床で寝ないで済むだけ良いかな。エルダーに来て野宿もするようになったけど、やっぱりふかふかのお布団で寝るのが一番だよね。

 「――さてと、早く支度して温泉行こうっと」

 お店をエドに任せてまでヨークに来たのは温泉を楽しむ……じゃない。温泉がどのように病気に作用するか調べる為。湯治が治療法の一つと認知されていると言ってもその原理は分かっていません。

 「原理さえ分かれば調薬にも役立てるとはずなんだよなぁ」

 きっと薬草の成分に似た何かが作用していると思うんだけど、それ以上に初体験の温泉に浮かれている自分がいるのは言うまでもありません。エドがいたらきっと笑われるけど好奇心旺盛なのは良いことだよね。


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