第2話 異国の男性(ひと)
「初めまして。ハウディート・フォーレンと言います。私の言葉は通じていますか?」
青海に連れられてやって来たのは、琴星がこれまでに見たこともない、陽に映える金色の長い髪をなびかせている青年だった。
「金色……」
思わず声に出してしまった琴星に、隣に立つ星樹が「琴星」と、軽く窘めている。
「ああ、気にしないで下さい。どうやらこの国では、この髪色がとても珍しいようだと、何日か過ごしているうちに理解しましたので」
青海の隣、琴星に向かい合う形で立つ青年――フォーレンは、気分を害した風でもなくそう微笑んだ。
「す、すみません」
「いえいえ」
恐縮する琴星に柔らかい笑みを向けた後、フォーレンもあらかじめこの邸宅の主が誰なのかというのは、青海から聞いていたのだろう。
すぐに表情を引き締めると、改めて星樹の方へと向き直っていた。
「私の能力は、こちらが家業とされていることにも役立つはずだとオウミから聞いています。よろしくお願いします」
「紫吹家当主・星樹だ。国の政策と言われれば、こちらも無下には出来ないからな。ある程度の協力はする。が、深入りはしないでもらいたい」
つれないな、と青海は口元をひくつかせているものの、星樹はニコリとも笑わない。いたって本気だからだ。
「この紫吹家の中で見聞きしたことを国、あるいは青海殿に何でもかんでもぺらぺらと話されては困る。報告が必要なら、まずはその是非をこちらに問うてくれ。それが居住にあたっての条件だと心得てほしい」
青海やフォーレンが何かを言う前に「それと」と、星樹がさらにたたみかける。
「言葉は充分に通じている。この先、言葉が分からないフリをして余計な真似をしないようにということも併せて伝えておく」
「……なるほど。通じているのならば、よかったです」
あまり星樹が歓迎をしていないことは、その態度からも明らかなのに、フォーレンの方は少なくともそれに対する好悪を露にはしなかった。
さすが他国の大学で教鞭を取ろうというだけあって、普段から落ち着いているのかもしれない。
「私は資金集めのための会合も多く、邸宅にいないことも多い。この後もすぐに出かける。なので、用があればこの琴星に。本来ならもう一人、颯星という者を紹介すべきところだが、今は郊外の鉱山に技術者たちと出かけていて不在だ。そこは日を改めて紹介させてもらおう」
星樹があえて縁組の話に触れないのも、わざとだろう。
これには青海も苦笑いだが、当のフォーレンは「わかりました」と、静かに微笑んだ。
「ええっと……お世話になります、でしたか? オウミがそう言っていました」
「そうだな。せいぜい、国に貢献してくれ」
すげなく答えてこの場を離れようとした星樹に、青海が「まあ待て」と、声をかけた。
「会うのは旧民部省の連中か? 戻るついでに馬車で送ろう」
もしかしたら、星樹と何か話があるのかもしれない。青海はそう言いながら、渋る星樹を半ば強引に表へと連れ出していってしまった。
結果として、琴星とフォーレンがぽつんとその場に残されることになった。
「えーっと……本日はお日柄もよく、でしたか?」
挨拶の仕方でも青海に聞いたのだろうか。それにしては、ちょっとずれている。
どう説明したものかと琴星が頭を悩ませている間に、フォーレンが更なる問題発言をこちらへと投げて寄越した。
「絶好の契約婚日和ですね」
「……はい?」
ずれすぎて、思わず声が裏返ったほどだ。
「あれ? 間違っていますか? オウミが『緊張しているだろう場を和ませるのに最適だ』と教えてくれたのですが」
「……っ」
やはり、何も知らない異国からの訪問者に、おかしな単語を吹き込んだのは青海のようだ。
なるほど、これを聞かせたくないがために、さっさと星樹を連れ出していったのかも知れない。
「あ、あの……」
「何でしょう」
にこやかな笑みを崩さないフォーレンに、琴星の方が、どう話せばいいのか困惑を隠せない。
「その……契約婚とか……意味はご存知なのでしょうか……」
言葉に不自由がないことは見て取れるものの、それでも聞かずにはいられない。
恐る恐る尋ねてみれば、フォーレンは最初こそ面食らった表情を見せたものの、やがてクスリと口の端を持ち上げた。
「あらかじめ結婚生活についての取り決めを行ってからの結婚――これは、どの国でも同じ意味だと思いますよ?」
「で、ではなおさら……どうして……」
「大地の揺れ、その原因となる異形、その研究と対策のための必須条件だと、この国の上層部に勤める方から言われましたので」
「上層部……」
「オウミよりも上と聞きましたね」
さりげなく、とんでもないことを口にするフォーレンに、琴星は言葉が出ず、ただ大きく目を瞠った。
星樹は何とでもすると言っていたが、そういうわけにもいかないと、琴星にも分かった。
「す……すみません。ご研究のためとはいえ、私のような地味な――」
目の前の、この異国人に比べれば、十人が十人とも琴星の方が地味だと言うだろう。
そのくらい、この金色の髪は目立つのだ。
恐縮して身を縮める琴星を「いえいえいえ!」と、フォーレンが慌てて遮ってきた。
「どんな高慢な女性だったとしても研究のためには仕方がない、くらいに思っていましたので、むしろ嬉しく思っていますよ! まあ……こちらのご当主は、あまりこの話に納得していらっしゃらないようでしたが……」
何とか青海がごまかそうとしていたが、確かに誰の目にも星樹の不機嫌さは明らかだったのだから、これには琴星も申し訳なく思ったほどだ。
「その……星樹兄さまがすみません……」
婚姻がどうのという話を抜きにしても、どう考えても、はるばる海を越えて技術と知識の供与のためにやってきた者に対する態度ではないことは分かる。
琴星はフォーレンに対し真摯に謝るしかなかった。
「いえいえ。えーっと……コトセさん? 貴女はセイジュの妹さんですか?」
「あっ、いえっ、そういうわけでは……えっと」
「?」
一瞬説明に困った琴星だったが、いつまでも玄関ホールに立たせたままにしておくわけにはいかないとそこで気付き、フォーレンを部屋に案内するためにくるりと身を翻した。
「さ、先に、お部屋、案内します」
「普通に話してくださって大丈夫ですよ? あまりに古典的な言い回しでなければ、理解できます」
変にカタコトになってしまい、焦る琴星にフォーレンはクスリと笑う。
「これでも、大学で教える立場の者ですし」
「あっ、そうですよね? すみません、なんか、どうしていいか分からなくて……」
「どうぞ、普段通りに」
これでは、どちらがもてなす側なのかが分からない。
まずは部屋に案内して、お茶を用意しなければと、琴星は自分の中で気持ちを切り替えた。
「ちなみに、この邸宅には使用人はいないのですか? どうにも違和感があるのですが」
一階の南向きの一角に、来客が寝泊まりするための客間がある。
まだ式も挙げていないだろうと、未だ反発する星樹の主張にさすがの青海も反論が出来なかったのだ。
なので琴星もそこにフォーレンを案内し、まずは紅茶を用意する。
そうして戻ったところで、荷物を解こうとしていたフォーレンが目を丸くして琴星を見つめた。
「コトセさんがご用意下さったのですか?」
「食事や洗濯をしてくれる、通いの家政婦さんと、来客対応が中心の管理人の方がいます。庭師や馬車の整備をする者も定期通いです。馭者も、用があれば呼ぶ……といった感じでしょうか。あ、フォーレン様が大学と往復されるための馬車は、時間を決めて頼んでおくつもりだと聞いていますので、星樹兄さまが戻られたら、聞いてみていただけますか?」
家政婦は、今の時間だと夕食の買い出しに出ている。管理人ではお茶は淹れられない。この場でもてなせるのは琴星ひとりなのだ。
そういうと、フォーレンが何とも言えない表情になった。
「……では、いずれ私がコトセさんにお茶をお淹れしましょう」
「フォーレン様がですか?」
「私の国は紅茶文化ですからね。だからコトセさんも、紅茶を出してくださったのでしょう?」
「は、はい。フォーレン様がお暮らしになると聞いたので、少し勉強しました」
「ありがたいことです。ですがそう、毎日毎日コトセさんに淹れていただくのも気が引けますので、時々は私も淹れさせていただくようにしますよ。お礼として」
「お礼……」
この邸宅には、人が少ない。
紫吹家の内情を必要以上に悟られないため、住み込みの使用人は、一族の中で既に現役を退いた高齢の者の中から、星樹が厳選している。
だから琴星も「何も出来ない」ではやっていけないのだ。
「コトセさん、それではタダ働きではありませんか?」
「いえ、私もこの家の直系の人間ではありませんから……衣食住を保証される代わりに、出来るだけのことをする。それだけのことなので、お気になさらないで下さい」
「そういえば……先ほど、セイジュは兄ではないと言っていましたね? 詳しく聞いても?」
そう言ったフォーレンは、部屋にあった別の椅子を、琴星に勧めた。
本当はポットの紅茶を琴星にも勧めようとして、部屋にカップがないことに気が付いたからだ。
せめてと椅子を勧めるフォーレンに、琴星もここは折れるしかなかった。
どうせこの先ここに住まうのであれば、いやでも気付く話だからだ。
「もちろん、話せる範囲で構いませんよ。セイジュはあまり深入りしてほしくなさそうでしたから」
短時間で随分と星樹の持つ空気を読めたものだ。
やはり普段から、教師として色々な生徒を受け持ってきたからだろうか。
「あの……では、フォーレンさんがどうしてこの国にいらしたのかとか、地を揺らす異形の魔物を退治出来るとはどういうことなのかとか、そのあたりのことは伺っても大丈夫でしょうか? その話があれば、星樹兄さまも納得しそうな気がするので……」
琴星が一方的に話をしてしまったと思われるのは避けたい。
「ああ、それもそうですね」
国から話すことを止められている――とでも言われたらどうしようかと思ったものの、思いがけずフォーレンは、あっさりと琴星の言葉を首肯した。
「ではやはり、コトセさんのカップも用意しましょう。きっと、途中で喉が渇きますよ」
それは話が長くなるということだろうか。
内心不安になったものの、国が招いた異国の教師に対して、琴星が上から目線で何を言えるはずもない。
とはいえ、何をどこまで話せるものなのか。
琴星は内心悲鳴を上げながら、フォーレンと向かい合うように腰を下ろした。
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