第42話 ハコガラ様の力


メルクが鼻で笑った。


「素手で勝てる相手だと思ってるのか?」


その台詞を言い終わった瞬間、彼の姿はそこから消える。

シバの動体視力が影を捉えたときには、丸太のような太い腕が襲い掛かってきていた。


ガードした片手に重たい衝撃が走って、シバは横様に弾かれた。

受け身を取り、立ち上がる。しかし、その時には既に巨体は目の前にあった。


再び襲い掛かる腕を蹴り上げ、シバはその反動で距離を取る。

が、まるで磁力で吸い付いているかのように、メルクはすぐに間合いを詰めてきた。


「ハハッ!追いついてないぞ!」


猛烈な攻めを受け流しながらシバは隙を探すが、フェイントからの不意の一発が顔面に入った。


「うぐっ……!」


シバの体は後ろに吹っ飛び、背中から地面に落ちる。

口が切れたのか、血の味がする。

起き上がると、視界がぐらついているのが分かった。


「うぅ……。また脳震盪起こしそう」


頭を振ると、メルクがこちらを見てニヤニヤ笑っていた。


「まだやれるのか?頑丈だな」

「鍛えてるので」


シバは口の血を吐き捨てて言った。


「でもすいません、もう殴らないでもらってもいいですか?」

「ハハッ、今更命乞いか?もう遅い――」

「いえ、そんなのじゃなくて。あんまり怪我すると、保険の等級とかで課長に怒られちゃうので」


メルクの苛つきようは明らかだった。


「人をバカにするのが得意なようだな……。そんなことは生きて帰れたときに考えな」

「そうですか……。なら、仕方ないです」


シバは、ふぅ、とひとつ息を吐くと、目を閉じた。


「なんだ?やっぱり殴られたくなったか?」


メルクが笑って駆け出した。


シバはそのまま動かない。

瞼の裏の暗闇に、静かに集中している。

五感から受ける情報が、脳に集約され、苛烈に熱されていく。

音、匂い、空気の流れ、存在――


次第に、頭の中で周りの情景が構築されてきた。

迫ってくるメルクの気配も、暗闇の中にハッキリと形をとる。


再び目を開けたとき、彼には一本の道筋が見えていた。


「はっ……?」


振りかぶっていたメルクが、自分の懐に目を見張った。


一瞬前まで目の前で無防備に立っていたシバが、いつの間にか自分の右脇をかいくぐり、背後に回ろうとしているのだ。


シバは鮮やかにターンするまま、メルクの脇腹に反撃の一発を加えた。


「ぐっ……、クソがッ!」


メルクが振り返りざまに振り回した腕が、空を切る。

姿が再び消えている。


「な、なんだ⁉どこにいる?」

「真横です」


彼がその太い腕をどけると、その影でシバがニッコリと微笑んでいた。

メルクが慌てて拳を入れるも、彼はヒョイとメルクの背後に避けてしまう。


「ホッとしました。動きは早いですけど、見えないほどじゃないですね」

「急に何が……!追いついてなかっただろ……!」

「今までは少し日常モードだったので」


軽く手首を振りながら、シバが言った。


「今はちょっと集中してます」


そう言うシバの目の奥には異様な光が宿っていた。

今の彼の瞳は透徹して深く、余計な感情が消え去っている。


見た目に変化はなくとも、別人のような落ち着きと神秘的なオーラに、メルクは一瞬気圧されてしまった。


「この……!」


メルクがもう一度振りかぶるも、シバはスルリと避けてしまう。

まるで柳の枝を相手にしているようだ。


「ふぅ……」


シバが再び息を吐くと、一段と雰囲気が増した。


「あなたの攻撃は、これから全部空振りです」



――――――――――――――――――――


次話、シバの本領が発揮されます。





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