第38話 お前みたいな目
「そんな……」
シバは真っ青な顔でフラリと後ろに倒れかける。
しかし、エリスは容赦なく生き生きと説明を続けた。
「ここ十年で発見された大変希少な生物ですし。本来は上空一万から三万メートルに生息し、生きるのに食糧も水も要りません。姿は限りなく透明で、ただ下に下ろしてくる触手だけが赤黒く確認できるのみ」
「チッ、心当たりがありすぎるぜ……」
パジーは悔しげに舌打ちした。
「奴らはなんでそれを崇め奉ってんだ?」
「ハコガラの特性を利用するためですし」
エリスはシンプルに回答した。
「ハコガラから生命力を吸われた生物は、なぜか多幸感を感じるのですし。俗に整うと呼ばれていますが……。その快感を信仰の喜びと教えることで、信徒獲得の力としたのですし。ただ、それは麻酔のようなものでして、継続的に生命力を吸われると、病的な無気力に陥ってしまうんですし。それが今地上で流行っている病……」
「ガンフェッツ症候群……?」
ナイラが聞くと、エリスが神妙に頷いた。
「あれの流行り始めがハコガラ教の拡大と一致しているのは、偶然ではないですし」
「つまりなにか?あの教祖どもは自分達で撒いた病気を治してありがたがられてたってわけか。とんだマッチポンプだな」
「確かに、ヤマトさんたちも信仰に熱心そうだった」
ナイラが思い出す。
「そういう人が重たい被害を受けてたんだ」
「そんなまさか……。メルク様たちがそんなこと……」
シバがうわ言のように呟いていた。
「この悪行を知った先生は、証拠を掴むことで教団を抑えてきました。しかし、ついに彼らは暴力に訴え、証拠の受け渡しを要求してきたというのが、この事件の真相なんですし」
エリスはどこか誇らしげに話を終える。
しばらく、それぞれの沈黙が流れた。
「……あの政治家が良い奴だっつーのは腑に落ちねぇが、ま、全部信用するとしようか」
パジーが心底嫌そうにため息をつく。
「で、俺らがいたらそれは何となんのか?」
「ええ。二手に別れて、片方が地上でハコガラの気を引いている間に、片方が先生を救出するんですし。ハコガラは同時に離れた場所の触手を操れないので、きっと先生を救い出せます」
「……それだけ?」
ナイラが聞く。
「はい」
「どっちが気を引く係なんだよ」
「それは……」
彼女は苦笑いを浮かべると、パジーたちを手で示した。
「ていのいい囮じゃねぇか!」
パジーがキレた。
「ですが、ワタクシたちはただの事務作業員ですし!上は訓練を受けた方々に行っていただきたく!」
「命吸われる訓練なんか受けてねぇよ!」
パジーとエリスが言い争っている間で、シバがポツリと呟いた。
「本職、上行きます……」
「おいおい、こんな奴らのために進んで囮になる必要ないぜ。こいつら、俺らがどうなろうと先生様が助かればいいと思ってやがんだ」
「でも、直接確かめたいんです。メルク様のあの言葉が嘘だったのかどうか」
シバの眼差しは真剣だった。
「それに、結局本職たちだけでも大聖堂に行くつもりでしたし。なら、人が多いのは良いことです」
「それはそうだが……。納得いかねぇって話だよ。警察官にも人権あんの知ってんのか?まぁ俺は鳥だけどよ……」
「そんなこと言わずに。何卒よろしくお願いしますし」
ブツクサと文句を言い始めたパジーを、エリスは抱き抱えて頼み込む。
胸に埋もれたまま、パジーが呟いた。
「……まぁ、死ぬのも悪くねぇかな」
「すけべ鳥……」
ナイラが蔑むように言った。
「じゃあ、現地に着いたら、本職が大聖堂で気を引くので、その間にパジーと秘書さんたちは下に降りてください」
「私は?」
ナイラの問いに、シバが当然のように告げる。
「ナイラは安全なところにいてください」
「え、私もシバと一緒に行くよ。未知の敵には一人で行かない方がいい」
「ダメです、協力者を危険な目に合わせる訳には行きません。それに、危ないときは逃げるってナイラも言ってたじゃないですか」
「最初はそう言ったけど、今は違うよ」
彼女は瞳の奥で強い信念の光を閃かせた。
「シバもパジーも死なせられない」
「……シバ、こりゃ説得すんのは無理だ」パジーが両の翼を広げて首を振った。「お前みたいな目してる」
「……分かりました!なら、一緒に行きましょう!」
「うん」
シバの力強い声に、ナイラが頷く。
そのとき、今までずっと黙っていた人が声を上げた。
「あの、横からごめんね。おっちゃんはどうしたら……?」
タクシーの運転手がおずおずと手を上げていた。
「あー、散々な一日ですまねぇが、一旦一人で逃げてくれ……」
パジーが不憫そうに森の奥をさし示した。
――――――――――――――――――――
次話、ついに黒幕と対峙します。
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