第四話 有為転変

雪華は現在、副部隊長の居室にいる。

何かしでかして反省文を書かされているわけではない。

先日の河内家での出来事を聞き、見解を求められていたのだ。


「んー、鬼に変化したんだ……」


彼女の次の言葉を待つ大きな黒い犬。

ではなく、樋口と今野だ。正座をしてこちらを見つめる姿が、待てをさせられている黒い犬に見えるのだ。


(なんかちょっと可愛いな)


「……変なこと考えてねぇでとっとと教えろよ」


クスリと笑いそうになっていると横から口を挟まれた。なぜわかったのだろう。

太々しく壁に寄りかかり、腕を組んで足を伸ばし交差している。


「翔悟ってエスパ……」

「全部顔に出てんだよ」


それ程分かり易いのだろうかと、むぅっと唸っていると、樋口も催促してきた。


「で、どうなんだ?」


どうと言われても、ただ呪詛によって女が鬼になったとしか言いようがないのだが……。


「“泥眼でいがん”とか“生成なまなり”って知ってる?」

「「「で、でい?なまな?」」」


三人が声を揃えて首を傾ける。


「じゃぁ、“般若はんにゃ”は流石に知ってるかな」


今度は三人ともうんと頷いた。


「能ではこの般若の面を女性の嫉妬や恨み、怒りの烈しさで使い分けてるんだけど……」


雪華はゴソゴソと懐を探り、五つの面を取り出し並べた。


(((どっから出したんだ)))


「どこから持ってきたかは聞かないでね」


分かり易いのはどうやらお互い様のようだ。


「この面のどれに近かった?」


今野達から見て、左から右に行くほど鬼に近い顔になっている。


「これだ」


樋口が指を指したのは右から二番目、通子殿の顔とそっくりだった。


「これは“般若”だね、“中成ちゅうなり”ともいうんだけど……」


雪華が少し険しい顔をする。


「なんだ、何かあるのか?」


普段は落ち着いている樋口も、余程気になるようで、少し前のめり気味だ。


「いや、その通子さんて人はとてつもない怒りと悲しみを抱えてたんだなって」


同じ女性として少し気の毒にさえ思う。


「本来はね、気持ちが抑えられなくなってくると、まずは“泥眼でいがん”に変化するんだよ」


そう話しながら左端の面を指す。


「まだ人っぽいな」


今野がポツリと言った。


「そうだね、この時点では周りの人たちも気づかないだろうね。そこからさらに思いが募って嫉妬や復讐心に囚われるとこの“橋姫はしひめ”と呼ばれる面のようになる」


左から二番目の面だ。

ここで雪華は因みにと、言い足した。

橋姫は平家物語の剣巻を元にした鉄輪かなわという能の演目で使用されていて、丑の刻参りで呪い殺そうとする女性をこの橋姫で表現してるんだよ。と。


ほぅ、と感嘆の声を漏らした。


(アホだと思ってたがそうでもねぇのか)

 

樋口は失礼にも大変見直した様だった。


(翔悟はこういった能に限らず古典とか好きだからかなり惹かれてるだろうな)


「それは面白いな」

 

樋口の思う通りかなり興味を持っているようだ。


「でしょ?で、その能でもう一つ使われる面があるんだけど……」

 

それがこれだと、橋姫の右隣を指す。

他に比べて少し不思議な面だった。


「これは鬼になりかけ、か?額のしたからちょっと赤っぽいな」

 

興味深々といった様子で翔悟が聞く。


「さすが、よく気付いたね。これはまさに鬼に変化していってるところなんだけど、“生成なまなり”と言って三人とも知ってるって言ってた“般若はんにゃ”になる前の状態だね」

 

そして雪華は続けて言う。

「樋口さんから聞いた話だけど、おそらく、その通子さんは泣いてる時にはもう“生成”の状態だったんじゃないかな。だからしきりに顔を隠してたんだと思う」

「その時に気付いていれば……!」

 

今野が悔しそうな声を出す。


「……どうだろうね。男が考えるより女ってすごく自尊心が強いし、想い人だからこそ、自分の醜さや暗い心を見せたくないって意地にもなるんじゃないかな」

 

慰めるつもりも、その女の肩を持つつもりもないが、そこで誰が優しくしようが、たとえ夫が改心しようがきっともう止まらなかっただろう。

珍しく真剣な顔をする雪華に今野と樋口は少々戸惑っていた。


「私も女だからね!えへっ!」

 

その空気を察してわざと戯けてみせる。


「はいはい」

「……樋口さんも結構女々しいタイプだよね絶対。ダッルぅ〜」

 

う〜と、態とらしく唇を尖らせて揶揄った。

加えてピヨピヨと音を立てる。


「始末書はお前が全部書けよ」

「え、やだ!ごめんなさい!!」

 

何十枚も、いや、百枚を超えているであろう束に拘束されるのはごめんだ。

即座に土下座する。


「ゆーじ!女の子に土下座なんてさせるもんじゃない!メッ!!」

 

今野はまるで母のように優しい。ちょっとゴリラ入ってるけど。


「先に言ってきたのはコイツだろ」

 

大人気なくフンと鼻を鳴らす。


「樋口さんはホント大人気ねぇや。にしても、綺麗な土下座ですね、写真撮って飾っときましょうか」

 

一人だけ特殊な性癖を発揮している。


「……続きを頼む」

「うんそうだね」

「おい、なんだよ」

 

話が進まなくなるので変態は一旦無視しよう。


「えっと、生成までいったんだよね。その次の段階が“中成ちゅうなり”または“なかなり”とも言って、一般では“般若はんにゃ”って名称で知られてるんだけど、今回の事件で見たのはこの段階だね」

 

右から二番目の面を指す。

まさにその通りだと三人ともうんうんと頷く。


「これはもう完全に鬼女になっちゃってる。正直言って、ここまでくるともう人に戻るのは難しい……というよりほぼ不可能」

 

結構はっきりと言う。


「じゃぁ、通子殿はあの時点で救いようがなかったのか?」

「そうだね」

 

雪華の返答に、今野はそうかとただ一言返した。


「……感傷に浸ってるところ悪いんだけど……」

 

今野の顔を見ていると、これから自分の話す事が悪い事のように思ってしまう。


「変化した後に姿が消えたって言ってたけど、未だ行方はわからないんだよね?」

「あぁ。陰陽師達もかなりの人数と時間を割いて捜索にあたってはいるんだが、なんの手掛りも掴んでないみてぇだな」

 

樋口が手元の報告書をペラペラと捲りながら応える。


「んー、ちょっと厳しいかも……」

 

三つの視線が集まる。


「鬼に変化した上に一瞬で姿を消すだなんて常軌を逸してる。人間離れした大きな力を持ってるのは凄く危険なんだ」

 

私の言ってる事わかる?と視線を合わせる。

なんとなくだが、伝わっていない雰囲気が漂っている。

そして雪華は意を決したようにふぅと軽く息を吐くとはっきりと告げた。


「多分だけど、もう“本成ほんなり”になってると思う」

 

スッと、最後の面を指差した。


「“真蛇しんじゃ”って言われることもあって、この前に“じゃ”っていうのが……」

「ちょっと待て待て!」

 

顔の前に樋口の手のひらが突き出される。


「どういうことだ?見てもいねぇのに何で分かるんだ?」

 

今野と翔悟も訳がわからないという顔をしている。


「いや、ただの憶測だよ?」

「それでもいい、説明してくれ」

 

どこからどう説明しようかと思索する。


「人間から鬼に変化するってそう簡単なことじゃないんだよね。例えば何かしら修行を積んでいるとかならまぁ出来るかもねって感じだけど、にっしーの集めた情報ではそんなことなかったみたいだし、言い方は悪いけどただの温室育ちのお嬢様だったわけでしょ?」

 

樋口がそうだと、肯定する。


「それを踏まえてなんだけど、樋口さん達が到着した時にはもう生成になってたとして、次の段階に進むのが早すぎるなって思ったの」

 

樋口も今野達と同じく首を傾けている。

未だ理解を得ていない様子に、雪華はんー、と少々の間考えた。

そして突然、“さて、問題です!”と切り出した。


「にっしーの情報の中に足りないものがあります!それは何でしょう?」

 

突然のクイズに戸惑いながらも、それぞれうーんと考えている。

雪華は両手の人差し指を立て、チクタクチクタクと言いながら横に揺らしている。


「わかんねぇ、降参だ」

 

しばらくして、やはり全く予想もつかなかったのだろう、頭が痛いとでもいうような素振りで降参した。


「はーい、じゃぁ答え合わせでっす!」

 

雪華はにっしーのまとめた報告書をズイッと目の前に突き出す。


「河内家の人たちの“あれ?可笑しいな?”っていうのが一切ないんです」

「「「“あれ?可笑しいな?”」」」

 

ますます理解出来ない。


「そう!この二つのお面見て」

 

泥眼と橋姫を指す。


「泥眼はまだ人っぽいけど、橋姫は?橋姫の顔貌になれば、どんなに他の女に夢中な夫でも違和感を覚えるでしょ?」

「……確かに」

 

二つの面を見比べて顔がキョロキョロとしているのがミーアキャットの様だ。


「というか、常に側に仕えていた侍女達が何も違和感ないのもおかしいよね」

 

うんうんと頷く三人。


「このことから、通子さんは河内家に乗り込んだ時に泥眼から橋姫への変化が完了して、その後すぐに生成になったって事なんだよ。たった一日、いや、数時間でここまで急激に変わるのはおかしいんだよね。そもそもの始まりは結婚する時からなんだから、もっと前に何かしらの異常があるはずだし」

 

雪華の言う通りだ。

樋口は何故だか胸がざわりとした。


「つまりこれはどういう事なんだ?」

 

もしかしたらと、思うところがないことは無いが、一応雪華の口から聞きたいらしい。


「察しの良い樋口さんなら何となく分かると思うけど、これは外部による何かしらの力が働いてるね」

「……やっぱりか」

 

河内邸で中西から聞いた情報を思い出す。


「遺体のあった場所には誰かが出入りしてたってにっしーの報告書にはありますね」

 

翔悟も同じところに目を付けていたようだ。


「通子さんは呪詛をかけたって言ってたみたいだし、素人が簡単にできることじゃないからね。その出入りしてた怪しい奴らが通子さんにも呪詛をかけてたんだと思う」

「“人を呪わば穴二つ”とは上手く言ったもんだなぁ」

 

今野の言う通りだ。

たとえ、誰のせいでもなく何かしらの不平等が要因で起こった事とはいえ、人の不幸を願っておいて自分だけが幸せになれるだなんて絶対に無い。

何かしらの形で必ず報いを受けるのだ。


「陰陽師達は消えた鬼の痕跡を探してるみたいだけど、本当に見つけるべきは黒服集団だね」

「そうだな!人間を探す方が簡単そうだもんな!よし、この話をおやっさんに報告しよう!」


今野が張り切って部屋を出ていく。

後には雪華と翔悟、樋口の三人が残った。


「そう簡単にいくかな……」

「ん?」

 

ポソリと呟いた雪華に翔悟が聞き返す。


「いや、にっしーの情報だと、僧侶と狩衣の集団だったらしいから……」

 

だから?と、翔悟と樋口が見つめてくる。


「それなりに良い御家から出家した人とかも混ざってんじゃない?狩衣は貴族もだけど陰陽寮の人も着てるし。そうなると今回の事件は上からの圧力で揉み消されるだろうね」

 

雪華の鋭い考察に、樋口は少々驚いたように目を見開いた。


「まぁ、私の考えはこんなもんかな?全部が全部当たってるとは思わないけどね。じゃぁ、私も仕事溜まってるから!」

 

雪華はそう言い残し、さっさと部屋から出て行った。


「結構勘が鋭いし頭も悪くなさそうだな」

 

樋口は雪華を見直していたようだ。


「今さらですか?結構周りのことよく見てますよ、あいつ」

 

翔悟は再び壁に寄りかかってあくびをしながら言う。


「……ふっ」

 

眠そうにゆるゆると話す彼を見て樋口は軽く笑った。


「……なんですか」


(しっかり認めてんだな、雪華のこと)


「いや、なんでもねぇよ。つーか寝んなよ?まだまだ始末書と報告書はたんまりあるからな」

「……グーグー」

「おい!!」

 

樋口は翔悟を無理やり叩き起こして紙の束と向かい合う。

後ろから聞こえる、何すんだうんこヤローという声は無視した。




樋口の部屋を後にしてから、雪華は自分の仕事をするべく洗濯室へと歩いていた。


(……多分だけど、私の推測は結構当たってると思う)

 

いつもとは違って、表情が少し暗く見える。


(よりによって翔悟のトラウマを引き出すような事件だなんて……)


「あんな事した奴らぜったいに許さない」

 

強く拳を握り一人呟いていると、後ろから声を掛けられた。


「雪華ちゃん」

「ん?あ、にっしー」

 

声を掛けてきたのはにっしーこと中西だった。


「誰かと話してた?」

「え、誰とも話してないよ?」

「そっかー、邪魔したらアレかなって思ったけど……」

「どうかしたの?」

 

心配をかけないよう、いつものように話す。


「これ、雪華ちゃん宛に届いてたよ」

 

両手で抱えるほどの郵便物の中から、便箋を取り出し、はい、と手渡す。


「私に?誰だろう?」

 

訝しげに受け取った便箋は真っ白な無地のもので、表面中央に「八瀬 雪華 宛」とだけ記載があり、裏面には何も無い。

誰からなのかわからない上に、雪華がこの隊舎で生活していることは、関係者でも極少数の者しか知らないはずなのでますます怪しい。

中身もどんな内容か全く見当も付かず、その場ですぐに確認しようとした。


その時……


——ドオオォォンッッ


何かが大きく破裂したような音と共に、地鳴りが響いた。


「え、何!?」

 

驚いた中西は郵便物で自分の頭を守るように覆っている。

相当ビビったようだ。


「外からっぽい、行こう!!」

「え、ちょ、危ないから中に居たほうが……雪華ちゃん!」

 

中西が言い終わる前にとっとと駆けて行ってしまった。


(あの気配はきっと……!)




大きな衝撃が起こる少し前——

樋口は自室で翔悟と共に始末書と報告書の山に立ち向かっていた。

唯一同じ苦しみを分け合えるはずのソイツは横で舟を漕いでいる。


(コイツ……一回でいいから切っていいかな。いいよな。よし)

 

樋口は切れ長の目をさらに鋭くさせ、翔悟の胸ぐらをガシリと掴んだ。


「おいテメェ」

「グー……グー……」

「狸寝入りしてんじゃねぇ!起きろコラ!」

 

目の前で怒鳴られた翔悟は眠そうにうっすらと目を開けた。


「も〜、何ですかぁ?せっかく良い夢見てたのに」

「ほぉー、そりゃどんな夢だったんだ?」

 

頭に血が上ってきているのか、こめかみに薄らと血管が浮いている。


「アンタを葬ってこの俺が隊のトップに立ってるんですよ。いやぁ、これは正夢になっちまうなぁ〜」

 

ブチッと、樋口のナニかがキレる音がした。


「今ここで永遠に眠らせてやらぁぁぁっ!!!!!!」

 

翔悟の頭に拳骨が落ちようとしたその時……

 

——ドオオォォンッッ


「何だ!?」

 

衝撃音と地響きに、くだらない言い争いがピタリと止む。


「樋口さん、おそらく長屋門の方じゃないですか?」

 

翔悟も内心驚きつつも、努めて冷静に考える。


「誰かからの攻撃か事故か……確かめに行くぞ!」

 

翔悟が頷くと、二人は刀を携え急ぎ駆けて行った。


「ここにテロでも起こそうってんなら随分ふてぇ野郎ですね」

「とっ捕まえて妖の餌にしてやる!」

 

テロを起こすような者とあまり変わりない物騒さである。




樋口達と同じく、長屋門へ向かっていた雪華は珍しくひどく焦っていた。


(もし、もしも、あの二人なら勝ち目はない……!)

 

焦燥感に駆られながら靴を履き、少し高い踵に転びそうになりながら玄関の間を飛び出した。

 

隊舎から門まで約八十メートル程、内から見て左側には、交代で門番をする隊員達の休息の間が置かれている。

そこから次々と待機していた隊員達も飛び出し、門の方向へ駆けていくのが見えた。

 

雪華が辿り着いた時には、何十人もの隊員達と樋口、翔悟も既に到着していた。


「っ、はぁ、はぁ……」


急いで駆けて来たことに加え、焦りもあるからか息が乱れている。

整えるために下を向き浅く深く呼吸を繰り返していると、後ろから追いかけて来た中西が雪華の背をさすってくれる。

突然の出来事に取り乱す隊員達の喧騒の中、聞き慣れた懐かしい声がはっきりと耳に届いた。


「久しぶりやな、雪華」

 

鼓動の音が大きくなる。まるで耳の中に心臓があるようだ。


「っ、れいにぃ……!」

 

雪華はゆっくりと顔を上げ、爆撃により砂煙のたつ門を正視する。周囲も静まり返っている。


砂煙の奥には二つの影があった。

そして、ゆっくりと現れたその男は意地の悪そうな笑みを浮かべ、雪華を真っ直ぐに捉えていた。


洌士れいじ、やりすぎです。門がすっかりなくなってもうたやないどすか」

 

意地の悪そうな男はれい兄と呼ばれた男のようで、その右側には女性のように美しく、柔らかな関西弁で嗜める男が立っていた。


光留兄みつるにぃも……」

「お久しぶりどす、雪華ちゃん」

 

光留兄と呼ばれた男はにこやかに笑い、軽く会釈をする。肩より少し長く伸びた髪がサラリと垂れる。


「っ、なんで、こんな……!」

 

二人の所業に衝撃を受け、声が震える。


「なんやお前好き勝手やってるらしいな?」

 

洌士は威圧的な態度だ。


「私は、ただ……っ」

「ちょっと待て!お前ら何者だ?雪華の知り合いなのか?」

 

勝手に話が進みそうになったところで樋口が口を挟む。いつもの冷静さは無い。


「知り合いというか、その……」

 

雪華ははっきりとせず言い淀む。

どこから説明したらいいのか……。

この状況のせいもあり、上手く頭が回らないのだ。


翔悟や隊員達の視線も、自分に集中しているのを感じる。

ぐずぐずと考えあぐねていると、フンッと鼻で笑う声が聞こえてきた。


「なんやお前ら、何も聞かされてへんのか」

「何がだ」

 

洌士の態度や言動に、イラついたように返す樋口。こめかみに薄らと血管が浮いている。


「いや、何も?ただ、お前らは何の関係も無いゆうことや」

 

その言葉に、その意味に、樋口を含めその場に居る全隊員達の怒気が高まった。


「テメェ……」

「そういう言い方はやめて!私がここに居たくて居るの!」

 

樋口がキレる前に、雪華が言い返す。


「ここに居たい?何も話してへんのやったらここにおる奴らだーれも信じてへんのやろ」

「違う!!少しずつだけどちゃんと説明しようと思ってたし、何より迷惑かけたくなかったから……!」

 

いつかはちゃんと自分の能力や、それにまつわる“家系”の事も話そうと思っていた。


「今更や。もう戻れ」

 

こっちへ来いと顎で指図する。

抵抗すると実力行使に出るだろう。被害は扉の破壊だけでは済まないかもしれない。

 

雪華は俯き、小さく溜息をついた。


「……わかった」


「「「!」」」

 

あまりにも素直に従うので隊員達だけでなく、樋口も目を丸くした。


(ここは一旦引いた方がいい)


とりあえずこの場を収めるために、言う通り洌士の元へ向かおう。

歩き出そうとしたところで、行く手を遮られた。


「いいのか、お前は」

 

翔悟の声に、俯いていた顔を上げた。


「お前はどうしてぇんだ」

 

真っ直ぐな彼の瞳が見下ろしている。

 

一旦引くとして、ここへ戻って来れるのだろうか。

女中として来て未だ半年も経たないが、ここを離れるのはとても名残惜しく思えた。

胸がギュッと締め付けられる。


「私は……ここに居たい……」

 

翔悟はフッと軽く笑うと、洌士の方へ振り返り、刀を向けた。


「なら、渡すわけにはいかねぇよな」

 

彼の言葉に隊員達も刀を抜き、洌士と対峙する。

肌がピリつくような緊張感が漂う。


「言わんこっちゃない」

 

やれやれと首を振る光留。


「お前ら……生意気やな……」

 

洌士はそう一言放つと、右手のひらを上に向け、何かを持ち上げるようにゆっくりと動かした。


瞿麦雫くばくだく……」

 

地面から無色透明で少し濁りのある花が花弁を開きながら浮き上がる。

花弁から花托へかけて粘性のある露のようなものが流れ、ポタリポタリと雫を落としていた。

その花の形は縁に細く切れ込みが入り、撫子によく似ている。


「! お願い!やめてっ!!」

 

彼の術をよく知っている。何をしようとしているのか察知し、懇願する。

そんな雪華を守るよう自分の後ろに隠し、一歩前へ出る翔悟。


二人の会話を聞いていた樋口も刀を抜く。


「オメェら……雪華を渡すな!」

「「「おぉーーっっ!!」」」

 

隊員達は樋口の喚呼に雄叫びを上げ、洌士へ一目散に突撃して行く。


「みんなやめて!止まって!!」

 

士気が上がった彼らは止まらない。


「……妹に群がる悪い蟲は、今の内に潰しとかなあかんなぁ」

 

洌士は不適な笑みを浮かべている。


「はぁ……手加減はしてくださいね」


その隣で光留が困ったように深いため息をつき、一歩下がった。


彼の言葉にフンと鼻を鳴らすと、上へ向けていた手の平を強く握る。

それと同時に浮遊していた花達が、身を縮こめるようにギュッと花弁を閉じた。


(! なんだ!?)

 

異様な雰囲気をいち早く察知した樋口は隊員達に怒号を飛ばした。


「一旦下がれ!」

 

先頭を征く隊員と洌士の間は十メートルも無い。


「手遅れや。——水銜枷すいがんか!」

 

滴らせていた露を溜め込み、今にも破裂しそうな程膨らんだ花々は、その花先を隊員達へ向け、一斉に開花した。


「「「!」」」

 

咲いた中央部分から、粘液の塊を砲弾のように勢いよく飛ばす。


「何だ!?」

「うわ!手がっ!!」

「んぐっ」

 

無数の飛来物は隊員達の手足を絡め取った。

まるで意志があるかのように固く纏わり付いている。


「ちっ、身動きが、取れねぇ……っ」

 

樋口も両足を塞がれてしまった。


「へぇ、刀で切ったんやな。自分やるやんけ」

 

言葉とは裏腹に全く驚いている節はない。


「そっちは全て切り落としたみたいやな」

 

洌士は雪華を守る男へ目を向ける。

翔悟はただ無言で睨み返した。


「翔悟……もういいから……」

 

これ以上被害を出したくない。


「黙ってろ。嫌なら行かなくていい、ここがおめぇの“家”だろうが」

「っ、でもっ!」

 

翔悟は雪華の制止を無視し、刀を構え直して洌士へ切り込もうと足を踏み出した。


それと同時に、足元から顔に向かって何かが飛び込んできた。

それは先程、翔悟が切り落とした粘液の砲弾だ。

瞬く間に口を覆い、手足を拘束する。


——ドサッ

 

縛られた足の膝裏をその粘体に突かれ、その場に倒れ込んでしまった。


「っ」

「翔悟!」

「翔悟!くそっ、ぐっ……!」

 

樋口も他の隊員全ても口を塞がれてしまった。

とにかく助けなければと、目の前で横たう翔悟の術を解こうとしゃがみ込む雪華を影が覆う。


「お前、一番気に食わへんな」

 

既に目の前まで洌士が来ていた。


「足の一本でも折ったほうがえぇな」 

「んぐっ」

 

話すことの出来ない翔悟は、更にきつく縛り付けられる痛みに苦しげな声を上げた。


「もうわかったから!お願いだから術を解いてよ!!」

 

彼の前に立ち必死に懇願する。

瞳には薄らと涙が浮かんでいた。


「端から黙って言うこと聞いといたらええんや、もう行くで」

 

鼻を鳴らし、得意げな顔で言い放つと、さっさと出口へ向かう。

その背中が何とも恨めしい。


「珍しく時間掛かりはったなぁ」

 

光留がくすりと笑う。

洌士はそれを無視して、自分の肩をほぐしながら通り過ぎて行った。


「雪華ちゃんもそんな顔せんと、行きましょか」

 

悔しげな顔で、洌士の背中を睨み続けながらトボトボと歩く雪華を促す。


(絶対に、どついたるわ……)

 

だが今は、大人しくついて行かなければ。

これ以上誰も傷付けないように……。


「んんーっ!」

 

もうあと少し、一歩踏み出せば長屋門を出てしまうというところで、後ろから声が聞こえた。


振り返ると翔悟と目が合った。

「行くな」と、必死に訴えかけている

苦しみながらも真っ直ぐに視線を向ける彼に、心が痛んだ。

樋口さんも隊員達にも迷惑を掛けてしまった。

 

この惨状を、彼を直視出来なくて、前を向き直した。


「ごめんね……っ、ありがとう」

 

声が、肩が、少し震えている。

泣くな、泣くなと自分に言い聞かせる。

これだけ迷惑を掛け傷付けた自分に、涙を流す権利は無い。

 

雪華は溢れそうになるものをグッと堪え、隊舎の門を出る。

後ろを振り返る勇気は無い。

視界には、少しぼやけた自分のつま先だけが映っていた。

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