精算

雨と嘘

 まるでインフレしたバトル漫画を読まされた気分だ────


 まず自分たちは人器一体に至り、迷鬼神を消滅させた。会得した「魂隠道の奥技」も決して弱くはなかったはずだ。


 それなのに、続く〈解放者(リベレート)〉ゴウマ戦。〈戒放(リベレート)〉を使わせることもできず、ほとんど一方的に殺されかけた。


 嫌でも強者との実力さを痛感させられた気分だ。


 あそこでカサネが助けに来なかった未来なんて想像もしたくない。

「はぁ……俺はまだまだ弱いままだな……」


 シンヤは縁側に腰掛け、曇り空を眺める。


 あの分厚い雲の向こうからは、いつ雨が降り出してもおかしくはなかった。肌に当たる風は生ぬるく、不愉快なくらいだ。


「……」


 シンヤは曇天に向けて、手を伸ばす。


 それでも掴んだ手の中に残るものなんて何もない。


「……強くなりてぇな」


 我ながら、らしくないことを言ったと思う。自棄が回ったんだと自嘲していると、背後に気配を感じた。


 この雰囲気はトウカであろう。


「ねぇ……シンヤ」


「なんです……トウカさん?」


 きっと「弱音を吐くな」だとか「だったら真面目に修行しろ」だとか、そんなふうな事を言われると思った。


 だから、シンヤも軽く身構え、腰をガードする。今、トウカキックを喰らうわけにはいかないからだ。


 だが、彼女が次に放った言葉に耳を疑うことになる。


「シンヤはもう、〈封印師〉を止めるべきだと思うの」


「えっ……今なんて……」 


「聞こえなかった? 私はもう、貴方の〈武器師〉でいるのが嫌になったって言ったの」


 信頼していた命綱がぷつりと切れたような感覚だった。


 俯き、隠されてしまった彼女の瞳から真意を読み解くことはできない。それでも向けられた言葉は異様に攻撃的なものである。


「シンヤだって、もう気づいてるんでしょ! 自分に才能がないことくらいッ!」


「なっ……けど、俺たちは人器一体だって出来たんだ! 俺たちなら、もっと強くなれるはずで!」


「貴方は漫画の主人公でも、特別な血筋の人間でもない。貴方は偶然拾われただけの一般人なの! わかるでしょ!」


 鋭利な言葉の一つ一つが、シンヤを斬りつけていく。


「ッッ……トウカさん! それでも、俺は!」


「あーもうッ! しつこいなァ! アンタみたいな、グズとはもうコンビを解消したいって言ってんのよッ!」


 そこでトウカは、初めてヒステリックな一面を覗かせた。


 どんな時でも、凛として強いはずの彼女が声を高くしてシンヤを糾弾する。それは紛れもない拒絶であった。


「そんな、嘘ですよね……」


 シンヤは彼女に拒絶された。その事実に内からドス黒い感情が湧き上がり、絡み合う。思考が曇り、哀しみや惨めさ、悔しさが心を塗りつぶした。


 だが、それはシンヤの内にある感情を爆発させる要因にも成り得た。


「トウカさん────いや、トウカ!」


 シンヤは力に任せて、彼女の細い手首を掴み上げる。そのまま、彼女の赤い瞳をまっすぐに睨みつけた。


「なにが『アンタみたいな、グズとはもうコンビを解消したい』だ? どうして、そんな嘘を吐くんだよッ!」


「なっ……私は嘘なんて、」


「嘘を吐いてるだろーがよッ!」


 気付けば、彼女に向ける敬語が外れていた。


 黒鋼トウカという個人に対して、ここまで「怒り」という感情を剥き出しにしているのも、幼い頃以来であろう。


「俺もさ、最近気づいたんだけど。トウカって嘘を吐く時だけは、人の目を見ないよな?」


 それは彼女のクセであった。


 彼女は嘘を吐く時、いつも赤い瞳を瞼で覆い隠してしまう。きっと、根がバカ真面目な彼女は、人の目を見ながら嘘を吐くことができないのであろう。


 鈍いシンヤでは、その事実に気づくまで随分と時間が掛かってしまった。だが、気付けて良かった。


 彼女がその癖を自覚し、治してしまう前に気付けたのだから。


 そのおかげで、今彼女の言った言葉が全て嘘なのだと分かったのだから。


「教えてくれよ……トウカ。俺に嫌われるような嘘を吐いたって、もう分かるんだ。────気に食わないことがあるなら、謝るからさ。嘘なんか、吐かないでくれよ」

 

 ◇◇◇


 ポツリと、暗雲から雫が落ちてきた。


 雫は絶えることを知らず、次々と地に落ちては、弾けて消えてゆく。


 雨が降り始めたのだ。


 あの日────トウカが嘘を吐く決めた日も、こんなじっとりとした雨であった。


「……」


 あの日から今日まで、彼女はずっと嘘を吐き続けてきた。


 だが、そんな覚悟が揺らいでしまう。


「……わかった」


 彼女が胸の中で押さえ付けてきた秘密さえ、今のシンヤなら受け止めてくれると。そんな甘い期待を抱けるほどに、シンヤは強くなっていたのだから。


 だが、それではダメなのだ。


「……なら私も、もう嘘を吐かない」


 雨が降ってくれたおかげで、トウカはそのことを思い出せた。


 ◇◇◇


 トウカはもう瞳を閉ざさなかった。赤い瞳でシンヤを見つめながら、彼女は今度こそ嘘のない本音を綴る。


「シンヤ、もう一度言うね。────〈封印師〉なんて止めて、普通の高校生に戻ってよ」

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