覇道への入り口

 それは三人の人間で作り上げた塔のように見える。シンヤに落ちる影は、それだけ目の前の存在が巨大であることの証明だ。


 首がない異形のはずなのに、餌を見つけて嗤っていることがハッキリと伝わってくる。


「鬼神クラス……見習いの私達じゃ」


「何言ってるんですかッ! 俺たちがやんないと、ユウたちがッ!」


 そう叱咤するシンヤの足は震えていた。


「チッ……なにビビってんだよ」


 鬼と鬼神が発する魂の圧は違いすぎる。鬼神は人の魂に刻まれた潜在的な恐怖を煽るのだ。これまで鬼に当たる異形を訓練で倒したことのある二人でも、その恐怖に気圧されてしまった。


 二人はカサネに再三警告されていた、ある内容を思い出す。


 人器一体に至れない見習いは決して、鬼神には近づいてはならないのだ。それは、一方的に魂を食われることにしかならないからだ。


「……」


 それでも、二人はヒナミとユウを守らなければならない。捻じ曲げられた空間の中に逃げ場はないのだから。


「……分かったわよ。……行きましょう、シンヤッ!」


「……おうッ!」


 先手必勝。相手が鬼神クラスであろうとも、思念同士の結合を断てば消滅させれる。


 迷鬼神が動きだすよりも早く、二人は内包された魂のほとんどを込めた、文字通り

の渾身の一撃を叩き込む。


「隠形術・絶断の刃」


「封印道ノ陸(ろく)・豪斬覇天蹴ィ!!」

 それが今の二人の全力でもあった。


 絶断の刃はその名の通り、対象を絶対に断つという思念の現れ。破壊力だけでいえば、消耗も大きな代わりにトウカが常用している「影踏(かげぶ)みの刃(じん)」の三倍を誇っていた。


 シンヤの放つ封印道ノ陸。それはトウカと同じ蹴り技で、その性質もよく似ていた。足を刃のように強固な魂で覆って、思念同士の結合を断つのだ。


 蹴りと斬撃の性質を合わせ持った一撃を、迷鬼神は正面から喰らう。


「……」


「……」


 二人はそのまま静かに着地して────自身の無力さを痛感させられた。


 まるで手応えが感じられないのだ。


「……マジかよ」


 迷鬼には空間を歪ませ、ダメージを逃す力を持っている。その力は鬼神になった今も固有の能力として引き継がれているはずだ。


 それなのにヤツはその力を使おうとさえしなかった。とことん、見下されているのだろう。


「オマエラ、ヨワイネ」


 人語さえも介した迷鬼神は、嘲るように二人を見下す。


「野郎ッ……! だったら人器一体で……ッ!」


 今のシンヤには、それしかなかった。人器一体ならば、少しはこの逆境をマシにできるはずだ。


「来い、雨斬ッ!」


 だが名前を呼ばれたトウカは拒絶する。


「無茶よ、アンタの魂はいま、大きく乱れてるんだから!」


 平常時でさえ失敗する人器一体が、敵の恐怖に押し負けたシンヤに成せるはずがない。下手をすれば、シンヤの腕はズタズタに引き裂かれ、二度とトウカを握れなくなるだろう。


「なら、どうするんですか⁉」


「黙ってて! それを今、考えてるんだから!」


 トウカは必死に頭を回す。自身の魂の乱れから目を逸らすように、この状況の打開策を思案した。


 相手の力は、自分たちと根本的な次元が違う。そんな存在に人器一体なしで立ち向かう。


「……どうすれば、いいのよ」


 迷鬼神には腕が存在しないわけじゃない。


 確かに、見かけこそ胴体が連なっただけのバケモノだが、その腕は空間の歪みの内側に隠されていた。


 見えない拳が突然にトウカの顎下に現れる。一手目。固く握られた拳は、彼女の頭部を軽々と弾き飛ばした。


 さらに二手目が彼女の足首を掴んで、逆に折る。逃がさないためだ。


「トウカさん……⁉」


 シンヤは彼女を受け止めるために走った。だが、そこにも迷鬼神の拳は迫る。


 三手目と四手目は、腹と顔面に。避ける余裕も、魂で防壁を形成する時間も与えてくれない。


「ぐっ……!」


 拳が深々とシンヤの魂を傷つけた。ダメージが体へと反映され、鎖骨が折れたのがわかる。鼻血を吹き出し、シンヤは地面へと這いつくばった。


 足を折られたトウカも同様に地面に伏せる。


 迷鬼神が行った攻撃は今ので四手。そして、迷鬼神は三人の上半身が連なったような姿をしている。


 つまり攻撃できる手があと二本も、残されているのだ。


「ッッ……逃げろ! ユウッ!」


「逃げて! ヒナミちゃん!」


 二人が叫んだ時には遅かった。迷鬼神の拳は容赦なく二人へと降り下ろされる。


 異形を見ることすらできない二人に、攻撃を防ぐ術はない。二人の身体は軽々と数メートルは吹っ飛ばされた。


 ユウの腕はおかしな方向に曲がり、ヒナミは額から血を流す。


「あ……あぁ……」


 シンヤの喉の奥から情けない悲鳴が漏れた。


 この場で二人を守れるのは、自分たちだけだった。自分たちは、二人を何が何でも守らなければならなかった。それなのに二人の魂は傷つき倒れている。


 悔しさと、怒りが混ざり合い、魂が黒く淀んでいく。乱れるなんてものじゃない。マグマのように沸騰した魂は、目の前の敵をただ叩き潰せれば何だってよかった。


「あぁぁぁぁぁああああああぁぁぁぁッ!」


 腹の底からシンヤは訳の分からない声を上げて、吠えた。その相貌で自分たちを嘲笑う鬼神を睨みつける。


「トウカさん、人器一体だッ! それしかねぇッ!」


「……奇遇ね。……私もおんなじこと考えた」


 目の前の敵と、弱い自分を許せないのはトウカも同じらしい。折れた足でも、立ち上がり、シンヤの横に並ぶ。


 二人の魂は荒々しく波打っている。それでも、さっきの恐怖とは違う。


 もしも、怒りで激しく波打つ魂の波長がピタリと重なり一致するのなら、人器一体はさらなる境地へと二人を導くだろう────

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