第21話たかしの雑魚狩り日記⑥

ハサミムシはたかしの姿を認めると、まるでサソリが威嚇するようにその尾端にある巨大なハサミを振り上げる。しかし、そのまま振り下ろされると思われたハサミの用途はあたけの予想だにしないものだった。


ハサミが青白く光ったかと思うと、

ハサミの間にブラックホールのような渦巻く黒い球体が浮かび上がる。


球体はばちばちと激しく火花を散らし、空気を焼き焦がすような熱気を放ちながら瞬く間に膨張し、やがて直径2~3メートルほどの大きさへと変わった。


「…………」


裂け目の怪物の見た目と能力は一致しない。


たとえば、スズメバチのような怪物がいたとしても、

毒針を武器にするとは限らないし、カメムシのような怪物がいたとしても、

それが身を守るために悪臭やガスを放出するとも限らない。


あのハサミムシの尾にある尾角も獲物を捕らえたり、切断するためのものではなく、何らかのエネルギーを撃ち出して攻撃するために使われるものなのだろう。


「おい、何だよあれ!?」


あたけが叫んでいる。

しかし、どうでもいいことだ。目の前のこいつは弱い。


ハサミムシは目前の敵に球体を叩きつけるために全身を鞭打つようにしてスイングさせる。


ハサミムシの尾の先端に浮かび、渦を巻いていた球体は弾丸のように射出され、唸るような音とともに大気を押し退けながら凄まじい速度でたかしに襲いかかった。


「……」


あたけとありちゃんは咄嵯にその場に伏せていたが、たかしは一歩も動かず、漆黒の砲弾が直撃する寸前でそっと指先をかざす。


そして、たかしの指先が押し返すかのように触れた瞬間、球体はまるで最初からそこに存在しなかったかのように跡形もなく消失した。


ありちゃんが叫ぶ!


「うっす!!!」


裂け目の怪物に知性や感情があるかどうかわからないものの、

驚愕のあまり脳の電気信号と心臓の鼓動が同時に停止したかのように硬直し、

奴はその動きを止めていた。


あたけは慌てて立ち上がり、茂みの中から狙いをつける。

しかし、銃弾を放つよりも早く、ハサミムシは再び動き出すとたかしを薙ぎ払おうと大きく尾を振るった。


だが、ハサミムシの巨大なハサミがたかしを捉えることはなかった。


「……」


まるで散歩するかのような軽い足取り。


丹念に鍛え上げられた鋼のような墨色のハサミがアスファルトの地面を大きく陥没させて土煙を巻き上げた時、たかしはすでに死角へと回り込み観察を再開していた。


もちろん、彼が観察したかったのはハサミムシの様子などではない。


「あたけ、撃て」

「おっ……おお!」


たかしに指示された途端、あたけの膝ががくがくと震え始める。まるで寒風の吹きすさぶ雪山の頂上に立たされているかのようだ。

それでもあたけは極度の緊張と恐怖の中で引き金を引こうとする。


だが、銃声が響き渡るかと思われたその時、巨大な丸鋸の刃のようなものがあたけの傍らの茂みから高速で飛び出した。


ありちゃんだ。


「うっす!」


ありちゃんが金属バットを振りかぶって、ハサミムシに目掛けて思い切り投げつけたのだ。


ありちゃんの手元から離れた金属バットは恐ろしいまでの勢いで回転し、風を切りながら飛翔していくとハサミムシの下腹部に直撃し、そのままハサミごと胴体の大半を粉々に砕いてみせた。


「うっしゃあ!!」

「……は?」


あたけは思わず間抜けな声を上げる。


そんなあたけを気にするでもなく、ありちゃんは得意げに鼻をならし茂みから飛び出すと、下半身を失った痛みから逃れるかのようにのたうち回るハサミムシの上体を掴みあげ、そのままぐるんぐるんとジャイアントスイングの要領で振り回す。


ありちゃんの太い腕でがっしりと締め上げられたハサミムシの首からは、

ぶちり、ぼきり、と何かが潰れ、折れるような生々しい音が響く。


ありちゃんは欲しかったおもちゃを手に入れた子供のように

無邪気にはしゃいでいて、実に楽しそうだ。


あたけはその表情を見て、なんだか自分が情けなく思えてきた。


「うーーっす!」


ありちゃんは最後のトドメとばかり、ハサミムシの胴体を力いっぱい投げつける。


コンクリートの擁壁に叩きつけられた残骸は、

地鳴りのような震動とともに瓦礫を辺りに撒き散らすと、やがて崖の上から流れ落ちてきた土砂に埋もれて見えなくなった。


(やりすぎだろ……)


言葉を失い、ただ立ち尽くすあたけ。

一方、たかしはと言えばハサミムシの最期を見届けつつ、いつの間にか取り出したペットボトルのお茶を何事もなかったように喉に流し込んでいた。


「どうっすか先輩!」


「いいぞ、ありちゃん。よくやった」

「うっす!帰ったら褒めて欲しいっす!」

「もちろんだ」


たかしは思う。


(ありちゃんはしっかりと状況を観察し、先入観に囚われず、疑問に思ったことは何でもやってみようとする。その積極性は評価すべきだ。ただ、もう少し周囲への被害を抑える工夫も必要かもしれないな)


ガンドライドはあくまで裂け目とそこから現れる怪物たちを相手に戦うために魔女が設立した秘密結社であり、人助けのための慈善団体ではない。

それでも後の活動に支障をきたすような被害をいたずらに出すわけにもいかない。そのために必要な配慮は惜しむべきではないだろう。


たかしはあたけに近寄ると、その肩に手を置いた。


「あたけ」

「え、ああ……悪い、また何も出来なかった……」

「そうじゃない。お前はよく頑張った」

「そ、そうかな」


「目撃情報を収集し分析したのも、道路を封鎖するために地元住民と交渉したのもお前。それから道中でお前は常に安全運転を心掛けていたし、テントの設置に適した場所も見つけてくれた。それに何より、お前が持ってきたたこ釣りゲームのお陰で俺たちは退屈せずに済んだんだ。これは紛れもなく、俺やありちゃんにはないお前の功績だ。誇ってもいいだろう。だからもっと胸を張ってくれ」


「う、うっす」


たかしの言葉を聞いたあたけは照れ臭くなったのか、

頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。


何度なく繰り返したお決まりのやり取りだが、今回はいつもと少し様子が違っていた。


あたけが口を開く。


「でもさ、俺ももっと強くなってみたいよ。お前みたいになるのは無理でもさ……」

「……」

「……い、いや、別に今のままでも十分満足してんだけどさ!なんていうか、ほら、やっぱり憧れみたいなものはあるじゃん?そういうのって大事だと思うんだよ。わかるだろ?」

「……まあな」


「……」


それはあたけの本音だったのだろう。


たかしには相変わらず他の者の気持ちというものがよくわからない。

だが、伯父さんの強さに憧れて必死にサンドバッグを殴り続けていたたかしには、あたけのその思いだけは痛いほどよくわかった。


あたけは続ける。


「だからさ、その……たまには俺に格闘技とか教えてくれないかな。頼むよ」

「わかった」

「マジか!?」


「ただし、今まで言ってなかったことだが、お前はまだ、ガンドライドの正式なメンバーではない」

「??……えっと……それってどういう意味??」


「つまり、あたけ。お前は立場上、訓練生のままだ。お前が俺のチームに所属しているのは、俺が組織にかわって訓練をするという名目で特例として許可されたに過ぎない。お前がガンドライドの正式なメンバーとして迎え入れられるかどうかは、俺の評価次第ということだ」

「なっ!なる……ほど?」


「付け加えると、ありちゃんはガンドライドの幹部候補だ。彼女は将来的に幹部になることが約束されている。だが、お前は違う。これからの頑張り次第では幹部になれる可能性もあるが、現状では幹部どころかガンドライドの正式な一員としてさえ扱われていない。この差はとても大きい。お前がガンドライドのメンバーになるために越えなければならない壁はいくつもある。それらを全て乗り……いや、いいだろう」


「…………」


「俺は評価すべき部分はきちんと評価する。ありちゃんと同じようにな。だから安心しろ。そして、自信を持て。お前はきっと強くなる。いつか必ず俺を追い越す日が来るはずだ。お前は……俺と違って本物の吸血鬼なんだからな」


「あ、ああ……」


あたけは露骨に落ち込んだ様子を見せていたが、

たかしにはその理由がまったくわからなかった。


彼にわざわざこんな言い方をして釘を刺したのは、ありちゃんに対する対抗意識を持たせればあたけは奮起してくれるだろうと考えたからだ。


しかし、たかしの予想に反し、あたけはなぜか落ち込んでいるようだった。


「まあ、そろそろ撤収しようか」

「……いや、たかし、さっきからありちゃんが一人でなんかやってるぞ」

「ん……?」


あたけが指さす方を見ると、ありちゃんはいつの間にかスーツを泥だらけにしながら崩れた土砂の中を泳ぐようにかき分けていた。


「うっす!うっす!」


「ありちゃん、何をしているんだ」

「先輩たちが話してる間にちょっと探し物っす!」

「探し物……?」

「うっす!」


ありちゃんは土砂の中から何かものを引っ張り上げようと試みているようだ。


「もしかして金属バットか?」

「うーーっす!!」


ありちゃんは彼女は躊躇なく土の中に腕を突っ込み、巨大な岩を軽々と持ち上げながら、土砂の下敷きになってしまった金属バットを探し続けているようだった。


「ならみんなで探すか」

「ありしゃす!」

「あ、ああ、俺も手伝うよ!」


三人は協力して土砂を掘り返し始める。

すると程なくして、土くれとハサミムシの残骸の中からありちゃんの金属バットが姿を現した。


「うっす!これっす!あったっす!」

「よかったな、ありちゃん」

「うっす!ちょーうれしっす!先輩方に感謝っす!」


ありちゃんは金属バットを嬉しそうに抱きしめると、

そのままくるりと回転してみせる。


たかしは無邪気に喜ぶありちゃんの姿を見て微笑ましく思うと同時に、ずっとこの三人で活動を続けていきたいと願うのであった。

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