第3話便利な電子マネー

「えっ!?」


「ここじゃ ”がもがも” は使えないよ」

「ココジャガモガ?」

「がもがもはあんたの電子マネーの名前だ」

「が、がもがもって言うんですか!?」

「ああ、使えないよ」


そんなバカな。たかしはカウンターを見る。


『スマホ一つでお手軽会計、電子マネー使えます』


そう大書されているではないか。

ちなみに ”がも” とは津軽以北でちん〇このこと。たかしは目を丸くする。


「うちでは電子マネーは ”ぽんぽこペイ” と ”どてらコイン” それから ”こたんば商店街決済” 以外は扱ってないよ」

「そ、そんな……」


たかしは呆然と立ち尽くした。


なんなんだその電子マネーのラインナップは、そんなの一度も聞いたことがない。

だがこのままでは食い逃げになってしまう。

店主の女の勝ち誇ったような笑みにいささか不快感を覚えながらも、たかしは他の支払い方法を探すしかなかった。


「お嬢さん」


たかしの肩越しに紳士が店主に声をかける。


(お嬢さん?)


たかしはまたも耳を疑った。


「……はい?」

「そのような呼び方をしている人はもうほとんどいませんよ。今やそれぞれ ”ポンペイ” と ”ふわふわかきぴり支払い”、それからこたんば商店街決済は ”うなぎ君もっきゃぽん!” へと名称を変えておりまして…… ”ぽんぽこペイ” という名前のものはなくなってしまったのです」


「あ、あら、そうなの……」


ハンサムな中年紳士からお嬢さんと呼ばれ、店主は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、消え入りそうな声で呟く。

一方でたかしは何が起きているのかまったく理解できずにいた。


(何故おばさんのことをお嬢さんと呼んだんだ?この人の身にも何かよくないことが起きているんじゃないか?)


「あ、あ、あの……」

「ん?」

「何だい?」


二人は同時にたかしを見る。


「あ、いえ……じゃあ現金で……」


「そうかい、ならちゃっぴーの気まぐれ一つだから26,000円だね」

「は!?」

「だから26,000円」

「に、26,000円!?」


「そう、ちゃっぴーの気まぐれだからね」

「は、はぁ……」


何てことだ。こんな店、もう来てやるものか。

もっとも、俺は今日死ぬのだから二度と来ることもないが。


たかしはしぶしぶ財布を取り出すと中身を確認する。

しかし、中には小銭が少々。26,000円には遠く及ばない。慌てたたかしが財布を振ると埃とカードがぱらぱらと床に落ちる。


「ちょっと!あんた、何やってんだい?!」

「すっ、すみません。えっと、い、いや、お金がなくて……」

「はあ……?」


店主がわざとらしく大きな声を上げる。


「……へえ、お金がないって、あんたどういうことだい?」

「い、いえ……電子マネーが使えないから……」

「じゃあなにか、あんたうちの店が悪いってのか」

「い、いや、その、そういうわけではないんですが……」


店主はたかしの顔からつま先までねっとりと舐めまわすような視線を送ると、ふふんと鼻を鳴らす。


「それにしてもあんた、本当にきれいな顔してるよねえ……」


たかしはゾッとする。

なんなんだこのおばさんは。頭がどうかしているんじゃないか。


しかし、たかしにはどうすることもできない。


「あの、その……ええと、僕は……ええと……いや……あの……」


これはちゃっぴーの気まぐれを食べた報いなのか。

それとも自分が自殺するためにここに来たせいで何か良くないことが起きてしまったのだろうか。


「だめだよ~、食い逃げなんて……ほら……」


店主はにやりと笑い、指を差す。


「へ?」


見れば厨房から先ほどの老婆が鎖鎌を握りしめ、こちらを睨みつけている。

その目つきは尋常ではない。心なしか輝いて見える。まるで暗闇の中でキラリと光る猫の目のようだ。


「ひいっ!」

「ああ、大丈夫、ちゃっぴーは優しい人だから」

「あ、あ、あの……」

「さあ、どうする?金が無きゃ……体で払ってもらうしかないね」

「そ、そんな!」

「じゃあ食い逃げしようってかい?」


「あ、いえ……」


どうしようもない。事態はどんどん悪化していく。

だが、その悪化の方向性、そしてその速度はたかしの予想を上回るものだった。


「食い逃げだと!!」

「許せねえぜ!!この店を潰そうっていうのか!?」


「……はっ、はあ?」


店の奥でバックギャモンに興じていた西部劇に出てくるごろつきのような男たちが一斉に立ち上がり、たかしを取り囲もうとする。


「この野郎、ふざけやがって!!」

「ぶっ殺してやる!!!」

「そうだ、ぶちのめしちまえ!!」


「え?あ、あの?」


男たちはみな、ビール瓶や銃のようなものを手にしており、たかしの動揺を煽った。


(こ、こいつら普段どういう生活してるんだ……?)


世代的に西部劇のことがわからないたかしには、妙な恰好をした連中にしか見えなかった。


「あ、あの、ちょ、ちょっと待ってください、話を……」

「話なんか聞くか!やっちまえ!」


一人の男がたかしに掴みかかろうとした瞬間、たまたま足元に落ちていた土偶を踏んでしまう。


「うおっ!?」


バランスを崩した男はつんのめるようにして、椅子の背もたれに顔面からに派手に突っ込んだ。

衝撃で水の入ったボトルが倒れ、こぼれ出た液体が男たちのズボンを濡らす。


「がっ……」


倒れた男の鼻から真っ赤な血が流れ出した直後、店内に怒号が響き渡った。


「て、てめえ、よくも……」

「いや、僕、知りませんよ!」


「ぎゃあっ、痛ぇよぉおおお!!!」


「おい、しっかりしろ、傷は浅いぞ!」

「やべえよ、こいつ……鼻が……くっそ……!」

「ゆ、許せねえ……!」


「え、えぇえー……」


しかし、不思議なことに流血を目の当たりにした彼の頭脳はどんどんと冴えていった。

店内の混沌の様相とは裏腹に、これまでたかしの思考を邪魔し続けていた霧は晴れ、視界が広がり、冷静に周囲を見渡すことが出来た。


「あ……」


たかしの目の前に拳が見えた。

だがたかしは目を閉じず、むしろ見開き、その拳を凝視していた。


二人の男が殴り掛かってくるのがわかった。だが、のろのろとした動きだ。顔面に届くまで十数秒はかかりそうに感じた。


(あ、あれ?避けた方がいいのかこれ?)


そう思った瞬間、たかしは軽く身をかわす。


「え?お、おわぁっ!?」


次の瞬間、風が吹き抜けたかと思うと、二人の体は宙を舞い、そのまま床に叩きつけられていた。

受け身も取ることも出来ず、男二人は激しく腰を床に打ち付け、悶絶している。


「ぐあぁ……あが……」

「い、いてえ……いてえよ……」


何が起きたかわからない。

店中の人間がたかしを見ている。


(……何だこれ)


のたうち回る男たちを見つめながら、たかしが思ったのはそんなことだった。


「こ、この野郎……!何しやがった……」


たかしは喧嘩など小学生3年生以降はしたことがない。

長身で、鍛えたこともないのに体格のよかった彼は、愛想笑いを浮かべているだけで大抵のトラブルを回避できたからだ。


ところが今はどうだろう。

二人の男を軽々と投げ飛ばし、しかもそれが自然と出来てしまったのだ。


だが、今はそれを考えている暇はない。


視界の端にビール瓶が振りかぶる男が見えた。ごろつきたちの一人だ。しかしそいつもまたやはり鈍重で、ふざけているのかと思うほどその動作は緩慢だった。


「お前っ!」


たかしはスローモーション映像のようにゆっくりと迫りくるビール瓶のラベルを眺めながら相手の腕を軽く払う。するとバランスを崩された男は自分の頭をビール瓶で強打してしまった。


「い、いでえええ!!」


男はその場にうずくまり、涙目で悲鳴を上げ続ける。


(何が起きているんだ?)


なぜこんなことになっている?

こいつらはどういう理由で暴れてるんだ?


自分はただ現金払いをしようとしただけなのに。

そんなことを考えていると、銃を構えながら呆然と突っ立っている男と目が合う。


「なっ、なっ……て、てめぇ……!」


たかしの動きはもはや引き金を引くより早かった。


男の手首を掴んで軽く捻ってやると、恐怖のあまり叫び声を上げながら、男は天井に向けて発砲する。

弾丸は天井に当たり跳ね返ると、たかしの頬をかすめてカウンターの上にあったハーバリウムを吹き飛ばした。


(ほ、本物かよ!?)


「……けっ、喧嘩だ!食い逃げだ!銃撃戦だ!!」

「な、なんだよ、こいつ……!」

「い、いかん!住民を安全な場所まで避難させろ!」


店内で悲鳴が上がり、客達は逃げ惑う。

ろくろを回していた原始人はカウンター席から転げ落ち、後頭部を強かに打つとそのまま卒倒する。マラカスを振り回していたアミーゴたちは外に逃げ出そうとするも、運悪くポンチョをドアに引っ掛けてしまい、その場で他の客とおしくらまんじゅう状態で騒いでいる。


「うわああ!!」

「や、やばい、殺される……!」

「に、逃げろ!!」

「どけ!押すんじゃねえ!!」

「誰か助けてくれー!!」

「おら、早く逃げないと撃たれちまうぞ!」


若い女の授業員は潤んだ瞳でたかしを見つめたまま動かない。

店主は床にうずくまり、店内をうろついていたたぬきを抱きかかえて震えている。その顔は蒼白を通り越して土気色になっていた。


「いや、どうなってんだよマジで……」


たかしは自分が置かれた状況に混乱しつつも、まるでテレビ画面の向こう側の出来事でも見ているかのようにどこか他人事のように感じていた。


今や誰も彼もが自分のことを怪物か何かと勘違いして恐れ慄いているようだ。


……ただ一人を除いて。

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