第6話 アラン殿下

「聖女様、お水をお持ちいたしました」


「…………」


「聖女様?」


「……なあ、レティシアは俺と同い年だろ? 二人のときは敬語は無しにしないか? 堅苦しくて話しづらい。あと、聖女様って呼ばれるのも気持ち悪い。エルネストでいいよ」


「はあ……」


 エルネストの秘密を知ってから数日。朝の祈祷を終えて部屋に戻ると、エルネストが何やら面倒なことを言い出した。


 まあ、気持ちは分からなくもない。というか、私も心の中では既にタメ口だったので、二人だけの時ならいいかもしれない。


「分かりました。二人きりの時だけですよ」


「よし! じゃあ、さっそく何か言ってみて」


 何という雑なお願い。私は溜息をつきながら、お願い通りに言ってやった。


「……エルネスト、お水を持ってきたわよ」


「ありがとな! ちょうど喉が渇いたとこだった」


 にかっと笑うエルネストは、雑な口調に似合わず、お人形のように綺麗な顔立ちをしていて、黙っていれば王子様のようだった。


「そういえば、レティシア、あとで王子が会いに来るんだって」


「そう、王子……。え、王子が来る!? それって第一王子のアラン殿下? 初耳なんだけど!」


「さっきレティシアが水を用意しにいってる間に神官が慌てて伝えに来た」


「なんでそんな急に……。未来の妃の品定めってことかしら。殿下に会うなんて、エルネストは大丈夫なの?」


「まあ、ちょっと会うだけだったら心配ないだろ。ちゃんと聖女らしい乙女を演じるって」


「ちゃんと気をつけるのよ。就職二日目で大事件に巻き込まれるとか御免だからね」


「ははっ、もう初日から巻き込まれてるだろ」


「笑い事じゃない!」


 エルネストは楽観的というか、呑気すぎてこちらが冷や冷やしてしまう。


 私の重要ミッションの一つは、「聖女エレーヌ」が断罪されて追放になるまで、その正体がバレないようにすること。


 いきなりアラン殿下に見破られる訳にはいかない。私はエルネストの身嗜みにちょっとでもおかしなところがないよう、念入りに確認するのだった。



◇◇◇



「やあ、聖女エレーヌ。急に訪ねて悪いね」


「わざわざお越しくださりありがとうございます、アラン殿下」


 アラン殿下が右手を上げて爽やかな笑顔で挨拶してくださり、聖女を装ったエルネストがにこやかに答える。


 アラン殿下の希望で、神殿の庭園でお会いすることになったので、今私たちは緑あふれる開放的な庭園の東屋にいる。


 明るい金髪に、青空を映したような碧眼が印象的なアラン殿下は、現在十八歳。


 これまでずっと婚約者を作らずにいたが、さすがにそろそろ決めなくてはという流れになって婚約者候補を何名か選んでいた。


 しかし、聖女が現れたことで、婚約者候補は検討段階で立ち消え、聖女を妃にすべし、ということになったという。


 それにしても、無理やり神殿に連れさらわれて、勝手に王子の妃にさせられるって、聖女の人権、だいぶないがしろにされてるよね……。


「私に何かご用でもおありでしたか?」


 エルネストが聖女の微笑みを浮かべながら尋ねる。


「僕の将来の妃はどんな子かな〜と思ってね。美人とは聞いていたけど、これほどとは。もっと早く会いに来ればよかったな」


 アラン殿下がパチンと片目を瞑って、ロイヤルウインクを繰り出してきた。意外とチャラ……いや、気さくそうな王子だ。


「妃だなんて滅相もない。少し前まで平民として暮らしていた人間です。殿下とは釣り合いません」


「王都全体に結界を張れるほどの力を持つ聖女なんだから、身分なんてどうでもいいよね。それに聖女と王族の婚姻はこの国の不文律みたいなものだから。でもまあ、確かに、いきなり婚約と言われても困るか。よし、じゃあまずはお互いを知ることから始めよう」


 アラン殿下はそう仰って、自分は火の魔法が得意だとか、愛馬で遠駆けをするのが好きだとか、黒髪ロングの女の子がタイプだとか、色々アピールを始めた。


 エルネストはお愛想の微笑みを浮かべながら相槌を打ったり、殿下からの質問に対して、お菓子が好きだとか、ピーマンが嫌いだとか、チャラい男はタイプではないとか答えていた。


 二人向かい合って話している様子を見ていると、エルネストは正統派美少女、アラン殿下は柔らかい雰囲気の美男子という感じで、見た目だけなら大変お似合いだ。


 私は先ほどから、二人の神々しい美形オーラに当てられ、神殿という場所にいることも相まって、ここは天使の住う楽園なのかと錯乱しそうになりながらも何とか正気を保っていた。


「ところで、エレーヌ嬢には侍女が付いているようだけど、護衛はいないの?」


「特にいません。必要もないので」


「そっか。必要ないとは言うけど、聖女という重要人物に護衛がいないのは心許ないな。それに、僕の妃になるということで、妬んでおかしな手段に出てくるご令嬢も出てくるかもしれない」


「……そんな有望な方が」


「え?」


「いえ、そんな無謀な方がと申しました」


 エルネストの奴、今絶対に「聖女に成り代わる野心を持つ有望な令嬢がいそうだ」とか何とか思ったに違いない……。


「そう。無謀にも程があるけど、万が一ということもある。そういうことだから、君に護衛騎士を一人見繕って付けさせるよ。後日ここに寄越すから、必ず側に置くようにしてくれないかな」


「え、そんな、お構いなく……」


「僕が心配なんだ。……おっと、そろそろ戻らないと」


 アラン殿下はそう言って立ち上がると、エルネストの手を取って、チュッと甲に口付けた。


「それじゃあ、また会いに来るよ、可愛いエレーヌ」


 手を振って颯爽と去っていくアラン殿下を見送ると、エルネストが手の甲をこれでもかと言うくらいゴシゴシと拭きながら、眉間にシワを寄せて呟いた。


「あの野郎、ふざけんな……」

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