28.これは恋ではない
「そうやって、俺達は誰かと一緒に世界を回していくんだよ」
目の前の女が
「……ふん、訳の分からないことを」
俺は不貞腐れるように身体を横に向けて、女から目線を逸らした。
俺は、この女―――アリエッタが苦手だ。
粗野な振舞いに、育ちも容姿も平凡。
エクスの女じゃなければ、俺が気にも留めないような人間だった。
『生憎、俺は売り物じゃないんでね。いくら積まれてもアンタのハーレムとやらに納品されるつもりはねえぞ』
思い返してみれば、初めて会った時から気に食わない女だった。
"クベイラ"の名を出せば、どいつもこいつも俺の機嫌を取ろうと媚びてくるのに、こいつはそんな素振りすら見せなかった。
まあ、俺の様な貴族が無条件で気に入らないという庶民も居ない訳ではない。この女もそういった類なのだろうと思っていた。
しかし、エクスに助け出されて俺の屋敷から去っていった翌日に、悪びれもせずに再び目の前にこの女が現れた時は半ば呆れてしまったものだ。
何なんだこの女は?
あんな目に遭わせた張本人に何故、そんな何ともないような顔で前に出てこれるのだ?
いつしか、王宮の訓練場をうろつくようになったあの女が、たまたま通りがかった俺に話しかけてくることもあった。
その内容も何の意味も無い雑談で、俺のことを貴族とも"クベイラ"とも思っていないような、まるで友人に話しかけるような態度に、俺は心底苛ついていた。
それだけではない。
こいつを連れ去った屋敷で。
八大幹部に追われた王城で。
そして、父上との事を忘れようと酒に溺れたこの夜で。
俺はこの女に醜態をさらし続けてきた。本当に気に食わない。
『でも、別にいいんじゃねえの?馬鹿でクズでも』
月明りで、唯一平凡とは少しだけ離れているアリエッタの赤髪が幻想的に輝いて見えた。
『お前が馬鹿だから、救われてる奴も居るんだよ』
ああ、気に食わない。腹立たしい。
この女はもしや、これで慰めているつもりなのか?
自分自身を卑下している男を、否定するでも奮い立たせる訳でもなく、ただ肯定するなんて。
馬鹿馬鹿しい。不愉快だ。
―――だが、何より気に食わないのは、この女の何の根拠も無い適当な言葉に、少しだけ心が軽くなっている自分自身が心底不愉快だった。
「いつまで寝てんだよ。まだ酒が抜けてないのか?」
アリエッタが俺に手を貸そうとするが、俺はそれを軽く払うと一人で起き上がった。
「ふん、馬鹿にするな。あの程度の酒ならもう抜けたわ」
「口に指突っ込まれて吐いてた男が何を偉そうに……」
「うぐっ……そ、それよりもだ!俺はもう平気だから放っておけ!お前も何処かしら行く所があるんじゃないのか?」
先程の醜態を誤魔化すように、俺は無理やり話題を変えようとすると、アリエッタは少し寂しげに苦笑を浮かべた。
「あー……俺の事は別に気にしなくていいんだよ。適当に飯食って帰るだけだったから行く所なんて無いよ」
「………ふん」
俺はアリエッタの手を掴むと、彼女を引っ張るようにズンズンと勢いよく通りを歩き出した。
「おっ、おいっ!いきなり何すんだよ馬鹿っ!」
「馬鹿はお前だ。そんな如何にも"落ち込んでます"という顔をして"気にするな"なんて、絵に描いたような面倒臭い女じゃないか」
「だっ、誰が面倒臭い女かっ!俺ぐらいサッパリしている奴は中々いないぞ!」
「俺の経験上、そういう事を自分で言う女がサッパリしていた事なんて一度も無いな。いいから黙ってついて来い」
ああ、本当に気に食わない。この女が何を望んでいるのか、分かってしまう自分が心底嫌だ。
「お前に余計な借りは作らん。今すぐに返してやる」
**********
「おや、エイビス様。王城に何か御用ですか?」
「エクスの客だ。通してやれ」
俺は王城の前で番をしていた衛兵にアリエッタを押し付けた。
「は?しかし、エクス殿達は会議中でして……」
「だったら、会議が終わるまで応接室にでも通しておけ。もう会議が始まってから数時間は経っているだろう。そろそろ終わってもおかしくない筈だ」
「い、いえ。ですが無関係の民間人を今の城内に入れるのは………」
「こいつはエクスの関係者だ。もしも何か有れば俺の責任にすればいい。それとも、お前がここで衛兵じゃなくなる理由を作った方が早いか?」
「い、いえ!承知致しました!」
俺と衛兵のやり取りを、アリエッタが白い目で見つめていた。
「うわー……絵に描いたような嫌な貴族だな、お前」
「放っておけ。俺が無能だと影で笑われているのは百も承知だ。今更、悪評の一つや二つ増えたところで気にするか」
そして、それは少し前までの自分だったら、受け入れることが出来なかった"傷"かもしれない。
結局、これが"今"の俺なんだ。
馬鹿で、見栄っ張りで、家の名前が無ければ何の力も持っていない子供。
未来のことは分からないが、今の自分については多少は認めてやることにしよう。
もしかしたら、一人ぐらいはこんな俺だからこそ救えている"誰か"が居るかもしれないしな。
「っていうか、さっきから何なんだよ!俺、別にエクスの所に連れていってくれなんて一言も……」
「あーはいはい。そういうのいいから。おい、このうるさい女をさっさと連れて行ってくれ」
「はっ、それでは、えーっと……そこのお嬢さん?応接室へご案内するので、こちらへ」
「ほら、衛兵に迷惑をかけるな。さっさと行ってこい」
「うぅ……覚えてろよエイビス……」
「忘れるものか。これで看病の借りは返したからな、アリエッタ」
衛兵に連れられて、渋々と城内へ消えていくアリエッタを見送ると、俺は苦々しい顔を浮かべた。
「……ふん、嬉しそうな顔をしやがって」
これでも、今まで相手にしてきた女の数は両手足の指では足りない程度に嗜んでいる。あの女の表情を読み取ることなんて造作も無い。
表向きは嫌そうな顔をしていたが、もしも奴に尻尾が生えていたなら千切れんばかりに振り回していたことだろう。本人に自覚が有るかまでは分からないがな。
そんなことを考えながら、俺は小さく笑みを浮かべた。
これは、恋ではない。
既に焦がれる程に愛する男が居る女に、そんなものを抱くほど馬鹿ではないつもりだ。
なら、これはきっと"友情"と呼ぶものなのかもしれない。
それぐらいなら、エクスの奴も大目に見てくれるだろう。
「エイビス様ーーー!」
王城から去ろうとしていた俺に、戦場へ向かわせていた護衛の者達が駆け寄ってきた。
「エイビス様!一体どちらへ行かれていたのですか!?我らが戻るまで城内でお待ちくださいとあれ程申しましたのに!」
「お前達……父上の所へ帰ったんじゃなかったのか?」
「……はあ、一体何を仰っているのですか?」
「お前達は……父上の命令で俺に仕えていたんだろう。俺の思いつきで前線に送らされて、いよいよ愛想を尽かしたんじゃなかったのか?」
俺の言葉に、護衛の者達は一様にキョトンとした顔を浮かべた。
「もしや、新手の嫌味ですか?確かにエイビス様の下へ戻るのが遅くなってしまいましたが……」
「此度の戦で前線へ向かったのは我ら自身の意思です。不服であれば命がけの戦いに身を投じることなど出来ませんよ」
「それに、確かにドヴァリ様からエイビス様の護衛に当たるように命令はされましたが、ここに居る者達は皆、自らの意思でエイビス様に仕えているのですよ。首輪で繋がれている訳でもあるまいし、嫌ならとうに護衛を辞めていますよ」
今更何を言っているのだと、不思議そうな顔を並べる護衛の者達を見て、俺はばつが悪そうに頭を掻いた。
「………やれやれ、本当に俺は救いようの無い馬鹿だな。こんな近くに居る人間のことさえ分かっていなかったとは」
「エイビス様?」
「何でもない。……お前達!今日はご苦労だった。流石はこのエイビス=クベイラの護衛だ!誰一人欠けずに俺の下へ戻ってきたこと、誇らしく思うぞ!」
あの赤髪の女に言われたことを思い出す。
俺達は俺達に出来ることを……か。
なら、とりあえずは……こんな馬鹿についてきてくれるこいつ等を労うことから始めるとしよう。
「とりあえずは祝勝会だ。通りの馬鹿騒ぎに俺達も混ぜてもらうとしようか。金なら俺がいくらでも出してやるぞ!」
**********
「はぁ、なんで、こんな事になったんだ……」
衛兵さんに案内された応接室で、
だだっ広い応接室で如何にも高そうな調度品に囲まれながら、一人ぽつんと座っていると、何とも言えない居心地の悪さに胃が痛くなってきそうだ。
「ちくしょうエイビスの奴め。俺に何の恨みがあって……いや、恨みは色々ありそうだったわ」
ここに居ない馬鹿貴族に愚痴をこぼしながら、する事も無いので窓から通りを眺めた。
既に結構遅い時間だったが、未だに街はお祭り騒ぎを続けていた。
それは、エクス達が命がけで守った温かい光景で。
俺はまるで自分のことのように誇らしかった。
「アリエッタっ!」
「うひゃいっ!?」
突如、部屋の扉が荒々しく開かれた。
男の叫び声と物音に驚いた俺が、音の方に目を向けると、応接室へやって来たエクスがズカズカと早足でこちらに向かってきていた。
「よ、よう、エクス。急に押しかけて来ちまって悪かっ………」
俺の言葉は、駆け寄ってきたエクスに抱きしめられたことで最後まで続かなかった。
「エ、エクス!?」
「……よ、よかった……無事で、本当に……よかった……」
抱きしめられたことで奴の顔を確認することは出来ないが、その涙声からエクスが酷い顔をしていることは想像に難くなかった。
俺は苦笑を浮かべながら、落ち着かせるように奴の背中を軽くポンポンと叩いた。
「大袈裟だっての。お前達が頑張ったおかげで俺は何ともねえよ。……だから泣くなって」
「……うん、ごめん。カッコ悪いところを見せちゃって」
「馬鹿野郎。お前がカッコ悪かったことなんて、今までに一度だってねえよ。それよりも、お前も他の皆も大怪我とかしてないのか?」
「うん、無傷とはいかないけど、フィロメラさんやリアクタちゃんの治癒魔法で治せる範囲の怪我だったから、僕達は全員無事だよ」
「そっか。安心した」
皆の無事を聞いて、ホッとした俺はエクスの腕の中で丸く………
なってる場合じゃねえ!?
「な、何やってんのお前っ!?」
「うわわっ!?」
俺は耳まで赤くなるのを感じながら、エクスを突き飛ばした。
エクスが困惑した顔を浮かべて俺を見つめてくる。
「ア、アリエッタ?急にどうしたの?」
「"どうしたの?"じゃねえよ!いくらお前にその気が無かったとしても、こんな所をリアクタに見られたら、どう言い訳するつもりなんだよ!?」
「……えーっと、前から気になってたんだけど、何でアリエッタはそんなに僕とリアクタちゃんの事を気にしてるの?」
「い、いや……だって、お前とリアクタって、その、恋人同士なんだろ?」
「………はぁ?」
「………あれぇ?」
俺とエクスが間抜けな顔を向けあっていると、応接室の入口の方に居たリアクタがおずおずと挙手をしていた。
「えーっと、アリエッタ。私とエクスさんは別にそういう関係じゃないですよ?」
あっ、そうなの?
………んんっ?
待って待って、なんでリアクタがここに居るの?
何ならフィロメラにレビィにヴィラも居るぞ。全員じゃねえか。
「えーっと、リアクタ」
「なんですか、アリエッタ?」
「どこら辺からそこに居た?」
「"馬鹿野郎。お前がカッコ悪かったことなんて、今までに一度だってねえよ"って辺りから……」
「ほぼ最初からじゃねえか!?」
ビックリするほどクオリティの低い俺のモノマネをしているリアクタを見て、俺は羞恥心で死んだ。
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