09.蝕む病魔
「退けぇー!敵の先鋒は八大幹部だ!俺達では止められん!!」
"東の"砦に突如現れた魔王軍。
その先頭で人類軍の兵卒達を蹴散らすのは、返り血で禍々しく染まった三叉槍を振り回す巨大なリザードマン…魔王軍八大幹部の一人"魔槍"であった。
事前の工作も万全。人類軍の主力は陽動に騙されて西の砦に集結している筈。
奇襲としては完璧なタイミングだったはずなのだが………
「ぬぅんっ!」
裂帛の気合と共にリザードマンが三叉槍を中空に向けて振るった。
激しい金属音が鳴り響き、弾かれた何者かが八大幹部の眼前に降り立つ。
「…なるほど。貴様が勇者エクスか」
「………」
リザードマンの目の前に幽鬼のような眼をした男が、ゆらりと立ちはだかった。
人類軍最大戦力、救世の英雄、勇者エクスである。
貧弱な人族とは思えないプレッシャーにリザードマンは槍を構え直す。
「…人類軍の対応が早すぎる。内通者か?事前にこちらの作戦が漏れていたとしか思えん」
「………」
「ふん、敵と語る舌は持たんか。まあ、いいだろう」
リザードマンの全身の筋肉が膨れ上がる。
溢れんばかりの殺気は、常人であればそれだけで気絶しかねない程だ。
「北の大陸では我が友"氷獄"を打ち破ったと聞いた。その剣の冴え、俺の槍とどちらが上か確かめさせてもらおうか」
「………タ………」
「何………?」
何やら小声でブツブツと呟いているエクスに、リザードマンは怪訝な顔をする。
「アリエッタ…会いたい…アリエッタ…アリエッタ…会いたい…アリエッタアリエッタアリエッタ………」
「呪文…いや、自己催眠か?奇妙な技を使う戦士だ………面白い!」
リザードマンが大地を蹴って駆け出す。
雷の如き一突きを、エクスは剣で難なく受け止める。
そして、リザードマンは目前の男の瞳を見つめて戦慄した。
「この男…全ての感情を凍てつかせたような虚無の瞳…!
一体どれほどの死線を越えれば、このような目になるというのだ………!」
「アリエッタ…?………お前はアリエッタじゃない………アリエッタは鱗なんて生えてない………何でお前はアリエッタじゃないのに僕の前に居るんだ?」
「…ッ!!」
リザードマンが、その強靭な下半身の力でエクスから遥か後方に跳躍する。
「…ば、馬鹿な…この俺が………八大幹部である"魔槍"の俺が人族如きに恐怖して後退しただと…!?」
「アリエッタは何処だ…?隠してるんだろ………なあ、早くアリエッタを出せよ………」
リザードマンは驚愕と屈辱に全身を震わせた。
「認めん!認めんぞ!俺が畏怖するのは、この世で魔王様ただ一人!」
「あっ!今、聞こえた!アリエッタの声が!なあ、お前にも聞こえただろ!」
魔王軍の勝利の為に、何より己の誇りの為に、この男は何としても殺さねばならない。
リザードマンの決意と共に、三叉槍が炎に包まれる。
「この槍の真の姿を見せるのは魔王様以外では貴様が初めてだ………!
覚悟せよ、人族の戦士よ!その首を貰い受ける!」
「そうか、分かったぞ!お前を怖がってアリエッタが出てこないんだな!すぐにこいつ殺すから待っててねアリエッタ!ヒャッハァァァーーー!」
八大幹部と勇者の二度目の激戦が始まる―――!
*********
そして、その光景をドン引きしながら見つめている者達が居た。勇者エクスの仲間達である。
「…なあ、フィロメラ。あいつ一体どうなってんの?」
「私に聞かれましても…正直、ここまで重症なのは想定外でして…」
人類軍最大の戦力にして、この戦場で最も重篤な
一人は"星詠みの賢者"フィロメラ。
もう一人は、人族よりも強靭な肉体と長大な寿命を持った竜族の戦士レビィである。
「レビィ、エクスくんの援護に行かなくていいの?」
「さり気なく私に病人を押し付けようとするな。それに要らないだろ。あいつ今なんかアホみたいに強くなってるし」
レビィの言う通り、本気を出した"魔槍"を相手に、エクスは終始優位に立ちまわっていた。
半端な援護はかえってエクスの邪魔になるだけだろう。
会話をしながらもフィロメラは魔術で、レビィは巨大な斧で周囲の魔族を屠っていく。
「この間の里帰りから戻ってきてからだろ。エクスの様子がおかしくなったの。何か知らないのかフィロメラ」
「他人様の恋愛事情をペラペラ話すのは気が引けますねー」
「ほぼ答え言ってるじゃん。なに、エクスの奴フラれたの?」
「いえ、それ以前の話というか。半端にアプローチをかけたせいで恋しさが暴走してしまったというか」
「なんだよ、告白してもいねえのかアイツ。勇者のくせにヘタレかよ」
「勇者のくせにヘタレなんですよね~」
和やかに話しながらも、二人はエクスの戦いに横槍を入れようとする魔族を的確に排除していく。
エクスと比べると数段落ちるが、彼女達の戦闘能力も一般兵とは隔絶しているのだ。
「…とりあえず、この戦いが終わったらエクスくんは里帰りさせてあげないと駄目ですね。
戦闘能力が強化されていても、この状態は不健全です。他の仲間達も怖がってますし」
「賛成。私もこえーよ今のエクス。でも、いいのか?」
「まあ、王城への報告は私がやりますよ。今のエクスくんを王に謁見させる訳にはいかないですし」
「いや、そうじゃなくて」
「このままじゃ、そのアリエッタとかいう奴にエクスを取られちまうんじゃねえの?」
「………はぁ、レビィが何を言っているのかよく分かりませんね」
「素直じゃねえな。私はお前とエクス結構お似合いだと思うんだけどな。まあ、好きにすればいいさ」
「何を言っているのかよく分かりませんが、エクスくんに余計な事を言わない方が身のためですよ?」
「はいはい、人族の恋愛って奴はよく分かんねえなあ」
エクスの居る方角で人類軍の歓声が上がる。
どうやらエクスが八大幹部を討ち取ったようだ。
あとは大将が破れて撤退する魔王軍を追撃するだけの消化試合である。
「おっ、勝ったみてえだな。やっぱ強いわアイツ」
「………あの、レビィ」
「なんだ?」
「………私、そんなに分かりやすい感じでしたか?」
「さてな、少なくともエクスの奴は気づいてないだろうが………私にはバレバレだったぞ」
「う…うぅぅ~~~………」
フィロメラは顔を赤くして、その場に座り込んでしまう。
その様子をレビィは微笑ましげに見つめていた。
「やっぱり人間ってのは、かわいい生き物だなあ」
*********
「こんにちわー。お姉ちゃん」
「おっ、いらっしゃい。ミラちゃん」
今日も今日とて店番である。
「安心してね、お姉ちゃん。今日は窓の外に
「お、おう。そうなの?」
随分とピンポイントな報告をした後に、ミラちゃんは陳列棚から茶葉の入った袋を持ってくる。
この店は『道具屋』という何を取り扱っているのかイマイチ分からない、極めてフワッとした業種だが、要はこの村の専門店がカバーしていないもの全般を取り扱う雑貨屋である。
「はい、まいどあり~」
「ありがとう、お姉ちゃん。………あの、お姉ちゃん。今度の休日って何か用事ある?」
「ん?いや、特に予定は無いけど………」
「そ、それじゃあ………今度の休日、私と一緒に遊びに行きませんかっ」
おおっと、ミラちゃんからデートのお誘いだ。
ミラちゃんは一人っ子だからか、俺のことを姉のように慕ってくれているので、たまにこうして俺をデートに誘ってくれるのだ。
「いいね。それじゃあ、一緒に遊ぼうか」
「やたっ!約束ね!」
ミラちゃんは嬉しそうに小さく飛び跳ねた。ほっこり。
ミラちゃんは目鼻立ちも整ってるし、あと数年もすればきっと美人になるだろう。
今世の俺が男だったら、是非とも将来を見据えたお付き合いをしたいところである。残念ながら現在の俺は女なので御縁が無かったが。
「…でも、ミラちゃん。俺は嬉しいけど、どうせなら男の子とかを誘った方がいいんじゃないかな。気になる子とかいないの?」
「わ、私はそういう人いないし…お姉ちゃんと一緒の方が楽しいもん………」
ミラちゃんは頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。思春期という奴だろうか。
異性との距離感が上手く掴めないから、気心の知れている同性との付き合いの方が居心地が良いのだろう。
「ぼやぼやしてたら、あの
何やら難しい顔でミラちゃんが呟いている。
内容はよく聞き取れなかったが、あの顔は何か悩みごとがあるのかもしれないな。
今度のデートの時にそれとなく聞いてみるか。
そんな事を考えていると、突然店の扉が乱暴に開けられた。
「いらっしゃいませ」
「…ふん、しけた店だな」
おおっと、厄介事の気配。
俺と同い年ぐらいの身なりの良い男が、商品に目もくれずに、ずかずかと俺の前まで歩いてきた。
この村の人間じゃねえな、こいつ。
「お前がアリエッタだな?」
「そうですが…何かお探しでしょうか?」
「いや、探し物なら目の前にある」
男は手を伸ばすと、指で俺の顎を持ち上げて、無理やり自分に俺の目線を向けさせた。
顎クイである。
(元)男が男にこんな少女漫画ムーブをさせられた嫌悪感で全身に鳥肌が立つ。
辛うじて、目の前の男を突き飛ばさずに済んだのは、客商売としての最後の一線がギリギリ理性を保ってくれたからだ。
「ふーむ…顔はまあまあ。勇者の女というから、もっと絶世の美女を想像していたが…」
あっ、俺まあまあレベルなんだ。
周囲が馬鹿みたいに美形しかいないから、美的感覚の調節がもう全然分からないんだよな。
………勇者の女?
勇者って、エクスの事だよな………?
「だが、その髪はいいな。この国で赤髪の女を見るのは初めてだ。こういう変わり種が一人ぐらいハーレムに居てもいいだろう」
「はあ、そりゃどうも。………ハーレム?」
俺は目の前の男が何を言っているのか分からず、怪訝な顔をしてしまう。
あとそろそろ顎クイを止めて欲しい。
「そうさ、俺の名はエイビス=クベイラ。
こんなド田舎の人間でも、"クベイラ"の名ぐらいは知っているだろう?」
「………どちら様ですか?」
「………えっ、知らないの?クベイラ家だよ?あのクベイラ家」
全く知らん。
俺が頭上に巨大なはてなマークを浮かべていると、エイビスと名乗る男は一瞬しゅんとした表情を浮かべたが、すぐに気を取り直した。
「………まあいい、知らないなら教えてやる。俺はエイビス=クベイラ。王都に居を構え、国王にすら影響力を持つクベイラ家の息子だ。
わざわざ王都から、こんな辺境までお前を迎えに来てやったのだ。感謝するがいい」
「すいません。何を言っているのか、全く理解出来ないのですが」
「理解する必要など無い。お前はこれから俺の愛人として王都で暮らす。これは決定事項だ。
安心しろ。貴様に贅沢な暮らしはさせてやるし、貴様の両親にも、この店を畳んでも暮らしていける程の大金をくれてやる」
あっ、こいつ客じゃねえな。ただの人攫いだ。
俺は接客モードをオフにした。
しつこく顎クイを継続していたエイビスの手をバシッと振り払う。
「生憎、俺は売り物じゃないんでね。いくら積まれてもアンタのハーレムとやらに納品されるつもりはねえぞ」
「ふっ、中々面白い女だ」
「その少女漫画ムーブをやめろォ!さっきから鳥肌が凄いんじゃ~!」
俺はおぞましさに身震いをして自分の身を抱いてしまう。
だが、目の前の男はこちらの話など全く聞こえていないようだ。
「ククク、良いぞ。従順な女には飽きていたんだ。エクスの女を奪うというのも実に小気味が良い!
前線から帰ってきたあの男が、俺の隣に居るお前を見た時の反応が実に楽しみだ!」
………さっきから気になっていたが、こいつ根本的な所を勘違いしていないか?
「なあ、エクスの女って誰のこと言ってんだ?」
「貴様に決まっているだろうアリエッタ。その赤髪、間違えようがない」
どうやら俺はエクスの女だったらしい。人違いである。
「いや、俺はエクスの幼馴染だけど、別に恋人でも何でも無いんだが…」
「ふん、誤魔化そうとしても無駄だ。エクスの周辺の人間関係は密偵が調査済みだ。貴様という恋人のこともな」
その密偵クビにした方がいいぞ。
「さて、お喋りはこれぐらいにしておこうか。続きは王都でな。おい、連れていけ」
エイビスが店の外に声をかけると、ごつい男がぞろぞろとやってきて俺を取り囲んだ。
やべっ、ガチの奴じゃんこれ。
折角、エクスのヒロインルートを回避したと思ったら、馬鹿っぽい貴族の愛人ルートとか聞いてないよ~。とほほ~。
「お、お姉ちゃんを何処に連れてくつもり!お姉ちゃんを離して!」
おっと、ミラちゃんが馬鹿っぽい貴族に噛みついたぞ。
気持ちは嬉しいけど、この馬鹿っぽい貴族は、下手に刺激すると何をやらかすか分からんから、ミラちゃんには大人しくしててもらおう。
「ミラちゃん、お姉ちゃんは大丈夫だから」
「で、でも…」
「すぐに戻ってくるよ。それよりも、父さんと母さんが戻ってきたら事情を説明しておいてくれるかな?」
「わ、分かった…お姉ちゃんが馬鹿っぽい貴族に性奴隷にされるために連れていかれたって伝えればいいのね?」
「うん…もうちょっとマイルドに伝えてくれるとお姉ちゃん嬉しいな………あと、何処でそんな言葉を覚えたのか今度教えてね………」
「手荒な真似はしたくありません。どうか、こちらへ」
「分かってるよ。俺以外の人間に手を出すなよ」
俺は意外と紳士的なごついおじさんに抵抗せずに付いて行く。
店を出るとTHE・成金趣味と言った感じの悪趣味な馬車が俺を待ち構えていた。
「さあ、行こうかアリエッタ。王都へ」
俺はエイビスが差し出した手を無視して馬車に乗り込む。
多分、ここで抵抗しても両親や村に迷惑をかけるだけだ。
こいつが本当にやばいレベルの権力の持ち主だったら、抵抗すれば一家全員が処罰されるかもしれない。
俺はこの状況を脱する為の手段を考えながら、馬車に揺られて故郷を後にした。
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