第3話 たなばた
「大友さん、入りますよ」
「ああ」
昼間を担当する若い女性職員が、短冊と筆ペンを持ってきた。
「今日ね、みんなで七夕の飾りをするから、おじいちゃんもお願い事を書いてね。
何色がいい?」
「別に願い事なんて無い」
「そんなこと言わないで、何でもいいんだよ。だから、ね」
そういうと、無理やり小さな机に短冊を置き、そそくさと次の部屋へ行こうとする。
「ドアは、閉めといてくれ」
声をかけられたことでこわばった職員の肩がストンと落ちる。
「閉めとくね」
置き去りにされた短冊と筆ペンを暫く放置していたが、ふと思い立ち、百人一首の大伴家持の
『かささぎのわたせるはしにおくしものしろきをみればよぞふけにける』
と、書く。そして車椅子をゆっくりと窓際へ移動させた。
朝の雨が嘘であったかのような晴れ渡った外の道を、日傘を差して汗を拭いながら歩く人がいる。
ここにいると、季節もわからなくなっていくな。
効きすぎる冷房用のひざ掛けを、また引き上げながらつぶやくと、麗羅の短冊の願いを思い出していった。
いつものように夕飯をすませて、宿題をすることを促すと、もじもじしながら、
「あのねおじちゃん、れいら、たなばたがしたいんだよ」
「へ、七夕?」
「うん、今日学校で、みんなでいろがみに、おねがいごとを書いたんだけど、れいらのおねがいはね、せんせいが『もう一度書いて』って」
「なんで?」
「わかんない。
あとでね、さいしょに書いたのは、返してくれて、『これは、おうちでそっとおいのりしようね』って、先生が言ってた」
「そうか、その返してもらったやつ、おじちゃんに見せてごらん」
ランドセルから取り出された、二つ折りされた短冊を見ると
『ままがれいらをすきになってくれますように』
と書かれていた。
おそらく、教室に飾られ皆が読む状況でこの短冊は、好奇の対象にされてしまうのでは、という教師の判断だったのだろう。
「麗羅、おじちゃんと七夕するか」
「うん、おねがいしたい」
「じゃ、おじちゃんが明日、笹と短冊を用意するから、いっぱいお願いしよう。
それにな、お願いは、教室に飾るだけじゃだめなんだ、笹にくっつけて川に流さないといけないんだ」
「流しちゃうの。れいら、おいておきたい」
「川に流して、神様に読んでもらうんだよ」
「へええ」
目を丸くした麗羅の、嬉しそうな顔につられて笑ってしまった後で、さて、どこで調達すれば良いのか考えた。
次の日、自分の心配は全くの杞憂であると悟った。
昨日まで気づかなかったのが不思議なくらい、街は七夕一色で、親子で作る七夕セットだの、こども用天体望遠鏡セットだの、何故か浴衣や花火までが商魂逞しく所狭しと飾られていた。
適当な大きさの笹と七夕お飾りセットを買うと、麗羅が待っているだろうアパートへと急いだ。
思った通りその日の麗羅は、いつもにも増して大友の帰りを待ちわびていた。
そして晩ご飯もそこそこにビニール袋をあけるのも、もどかしいかのように七夕セットをテーブルに広げる。
好きなようにさせてやろうと、あえて手伝わず夕飯の片付けをしていたが、でこぼこの笹飾りを作り、願い事を書き終えた麗羅は、大友のために一枚だけ短冊を残していた。
「おじちゃんも書いて」
そう言われて、麗羅の書いたものを読んでみる。
本当は、麗羅が幸せになりますように。と書きたかったが、
『ままがおじちゃんのようにおいしいごはんをたべさせてくれますように』
『ままがだっこしてねてくれますように』
『ままがおこらないようにれいらがよいこになりますように』
『おじちゃんがぱぱになってくれますように』
習いたての拙い字で、この小さな手で一所懸命に書いた麗羅の今を思うと、目頭が熱くなってとっさに上を向いた。
「おじちゃんどうしたの」
無邪気に尋ねる幼い瞳に、必死で笑い
「いや、何を書こうか考えているんだ」
と、湿ってしまった声で答えた。
結局、短冊に書けることは思いつかず、漠然とした大人の考える麗羅の幸せ、なんて願いが叶って本当の麗羅の願いが叶わなかったらいけないなどと、その時は何故か真剣に考えてしまい、昔、学校で無理やり覚えさせられた百人一首の歌を書くことにした。
作者の苗字が漢字は違っても、同じ『おおとも』という響きだったので、なんとなく親近感を覚えた歌だ。
「おじちゃんのお願いは、なに?」
覗きこむ麗羅に読んで聞かせてやる。
「れいら、わかんない」
「おじちゃんのは、お願いごとじゃないんだ。七夕のお話は、学校で教えてもらっただろう。かささぎっていうのはな、織姫と彦星が一年に一回逢うために羽を広げて橋になってくれる鳥なんだよ。
それでな、霜っていうのは、天の川のたくさんの小さな星が白くキラキラ光っているのを例えているんだ」
「たとえって」
「わかりやすく、別の言葉で言う事。でいいかな」
まだ幼い麗羅に説明するのは難しかったが、説明の仕方を考えることで、さっきの切ない思いから逃れられるのには救われた。
「大友さん、大友のおじいちゃん、短冊できた?」
慌ただしく、ドアを開ける職員にため息しながら
「ああ。」
とだけ答える。
「できてるやん。飾っとくね。何書いたの?かささぎの、これ、日本語?」
「何も思いつかなかったから、歌を書いておいた」
「歌?こんな短い歌ってあるの?でもおじいちゃん、字上手いね」
なにか褒めなければいけないというルールでもあるのか、いつもとってつけたような、褒め言葉を言われるのに虫唾が走ったが、
今はまだ、麗羅との思い出の空気に包まれていて、全てを中和した。
センターのロビーの壁に貼り付けられた笹に、彩りやバランスを考えながら、二人の職員が手分けして短冊や飾りを貼り付けていく。
面会に来ていた女性が、立ち止まって懐かし気に七夕飾りを見ていた。
「ああ、真野のおばあちゃんとこの」
職員が気づくと
「いつも、お世話かけます」
と、伏し目がちに頭を下げる。
ええ、本当に。と言いたいところをぐっと抑えたながら、あんな親に育てられても日本人なら七夕の思い出があるんだな。だからこの人まともなのかな?一瞬で思いを巡らせた西川が、真野の娘の目線の先を追い
「ああ、大友のおじいちゃんの短冊?七夕なのに冬の歌なんか書いて、変でしょう」
「えっ?」
「ほら、だって、霜が白いって」
「ああ、これは、天の川の星が、一面にある様子を、霜の白くてキラキラ光っているみたい。って例えてて、かささぎっていうのは、織姫と彦星を逢わせてくれる鳥らしいので、七夕の歌ですよ」
「え、そうなんですか。有名なんですか?この歌」
「あ、いえ、私もあんまり知らないんですけど。たまたま」
そういうと、真野の娘は、何故か顔を赤くして、挨拶もそこそこに母親の部屋へと行った。
西川は、自分が会話している間も作業の手を止めなかった、もう一人の職員に
「知ってた?」
と聞くと、聞かれた方は、まるで興味が湧かないように
「知ってるわけないでしょ」
と答えた。
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