06 期待は裏切られ



 カルフスノウ大聖堂内。

 一体の龍が、女の訪れを待ち大聖堂──此処、龍司教の間へ扉が開くのを待っていた。


「………………」


 龍は、時折聖火に目を向け何かを確認しているような素振りをして顔を歪める。何を思って歪めているのかは分からない。ただ、聖火を見てはそれを繰り返し行っているのだ。


 そんな龍の横に、司祭の装いをした男が一人立っている。筋骨隆々で藍色の髪と髭が特徴的な中年の男性司祭だ。


 男性司祭は聖火を見ては顔を歪めるといった行動を繰り返し行う龍に対し、悲しげな表情をして言った。


「シヴィア様……お気持ちは分かりますが、ご友人かご自身か、選択の時は迫っています故に早々にご決断を…」



 男性司祭の嘆きに、シヴィア様と呼ばれた龍は深く溜息をつく。……相変わらずも、その瞳は聖火を捉えたままだった。勇猛と猛る白き聖火を、その龍の瞳は捉えて離さない。


 男性司祭はただ龍が口を開くのを待つのみ。



 やがて龍は聖火から目を離し、男性司祭を一瞬見てから自身の尾に視線をやり、やっと口を開いた。



「ヴォルゲンよ。我は奴を傷つけ、壊しとうはない。だが、このままでは我もそなたも、この街の皆も……」


 龍は、その威厳溢れる姿からは想像できないほど弱々しい声で続けた。


「我は実際には奴に何が起きたかは知らぬ。が、記憶を自らの思い出と共に記憶の奥底に閉じ込めてしまったということから何があったかは大体想像が出来る。この想像が合っているかは確認のしようも無いものだとしても、例えこれでも口にしてしまえば奴が壊れてしまうやもしれぬと思うと……我だけが救われるなど、友として嫌なのだ……」


「シヴィア様……」


 龍──守護龍、氷刃龍の護る街は、氷刃龍がいなければ滅びの運命を辿ることになる。そしてその氷刃龍の源は、聖火。だから氷刃龍は聖火を常に気に掛けている。異変にすぐにでも気付けるように。


「………龍神、と言っても人と同じく弱い生き物なのだな…我も、奴も…」


 氷刃龍がそうこぼすと同時に龍司教の間の扉が開いた。なんの合図もなく、突然に。




「氷刃龍様。例の彼女を連れてきました」


 無礼にもその事に気付かずにそう言ったのは、紺色の髪に花飾りをした女性、ラービスだった。その少し後ろには、病衣から着替えた女がいた。



「ラービス様。扉は、合図をしてから開けてくださいますか」


 男性司祭にそう注意を受けたラービスは、「すいませんでした」と一言謝り、自身の後ろにいた女の背中を押して氷刃龍の前へと出した。



「………………………………………………」


 女は、氷刃龍の前に出され緊張のあまり固まった。想像の遥か上を行く巨体と、龍の威厳を受けて。そして、どこか懐かしい氷刃龍をただただじっと見つめ続けた。



 そんな女を氷刃龍は何とも言えない面持ちで見た。頭の先からつま先まで、ゆっくりと。


 氷刃龍は一通り見終えると、女に問いかけた。



「女。我を知らぬか?」


 意表を突く問いかけに、女は驚いた。それは、どういうことかと。そう、表情に出して。


「……そうか。ならば」


 氷刃龍は女のその表情から言いたいことを察し、再び問いかけた。


「女。今記憶が戻るとしたら、汝は戻したいか?」


 それは、決断の問いかけだった。

 女が戻したいというなれば、氷刃龍が伝えるべき事を伝える。女が、壊れてしまうというリスクを承知であるのにも関わらず、私情を捨て、龍神としての役割を果たす為に。


 戻したくないと言えば……別の手立てを考えるしかないだろう。きっとまだ、時は余っているはずだ。


「……」


 女は氷刃龍からの問いかけを受けたが黙りこみ、聖火と氷刃龍を交互に見た。氷刃龍はその行動の意味が分からずも、女が答えるのを待つ。その様子を、男性司祭とラービスは見守っている。


 暫しの沈黙が場を支配した後、女は口を開いた。そして、重々しい口調で言う。


「私は…自分の記憶が今戻るとしたら、戻したい、です。自分が…何者なのかを知る為に」


 と、氷刃龍の瞳を見つめながら。氷刃龍はその真っ直ぐな女の瞳を見つめ返す。…女の薄紫色の瞳の奥に、微かながらに何かを感じた。


「……どうやら知る覚悟があるようだな」

 

「え……」


 その言葉の含む意味は、と女が困惑する。 知る覚悟があるようだな ……それは一体どういうことだろう。この龍は、自身について何かを知っているということなのだろうか……?


 女が暫くその事について思いを巡らせていると、氷刃龍が不意に呟き始めた。


「龍幻郷」


「?」


「アトウェルチェ」



 何を突然と言い出すかと思えば、意味のわからない言葉。龍幻郷、アトウェルチェ……意味が、分からない。女は理解していない顔で淡々と呟く氷刃龍を見つめるが、氷刃龍はお構い無しと呟き続ける……、が。


「………………」


 女の表情に変化はない。むしろ、それは何なのか?という疑問の表情を浮かべている。



「これでは駄目だと言うのか……?」



 氷刃龍は眉間らしき場所に皺を寄せた。そして、深く考え込んだ。







 そして時が過ぎること約五分。

 男性司祭とラービスは相も変わらずその場に立ち続け、女と氷刃龍との事の成り行きを見守っている。



 氷刃龍は考えに考えたが、答えは見つからなかった。代わりに、一つの憶測が頭をよぎった。


(もしかすると、だがこやつの記憶は……原因、でしか呼び戻されぬのか?こやつが記憶を封じてしまった原因…。かの日の思い出だけでは、意味なし、という事であろうな………)



 となると今、氷刃龍に出来ることは皆無である。目の前で期待に満ちた目を向けてくる女に対し出来ることなど、何もない。


「女よすまぬ。無駄な期待をさせてしまったな」


 氷刃龍は女にそう詫びた。期待させた割に、何もしてやれずに。簡単に、記憶が戻るものだとばかり思ってしまって。


氷刃龍が詫びると、女はその期待に満ちた瞳を曇らせた。自信の期待した 記憶が戻るかもしれない という希望が、その一言で見事に無駄だということが分かってしまったからだ。



「そ、う……ですか…。そうですよね、こんな簡単に記憶なんて戻るものじゃないですよね……」



女はそれくらいは分かっていた、というように平気な顔をして言ったが、やはり表情は固かった。口元も、無理をして笑っているように引き攣っていた……。



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