第10話 赤い絶望が船を狙い、呆然とした僕は幻聴に耳を貸す
赤い絶望がそこに立っていた。
黒なら斬れても、赤では斬れない。
全身を覆い尽くす赤は鎧のように竜源装をはじき返すと同時にその能力を全身に伝えているようで、明らかに、先ほど九の字に屠られた三体の魔動歩兵とは動きが違う。
足で踏ん張り、
エスミちゃんと呼ばれていたお下げの守護官が、盾をひっさげ、逃げゆく島民たちを守ろうと赤に立ち向かっているけれど、かろうじて敵の腕に出現した刃をいなすので精一杯。しかも盾の表面が削れていて、突破されるのは時間の問題だった。
『主人様、船には乗れなかったのですね。シズク様とコハク様は乗れたようですが。……そして、陸地に取り残された主人様の目の前に、異質な物がいる』
ナキの言葉に僕は頷く。
その通り。その通りだ。
異質。
変形した左腕は肘から手の先までが鋭い刃の形をしてる。
『魔動歩兵は体を変形して戦いますから。左腕を変形させて……あれ……右手には何を握っているんですか? どうして竜源装を使って戦わないんです?』
それは、近接戦闘に向かないからだよ。
全身の赤を保つ竜源装、右手に握られているのは弓だ。弦は魔動歩兵を構成するツタのような物で作られてる。矢は、見当たらない。
いや、まて。何かを準備している。
腰におかしな膨らみがあってそこにツタを伸ばし取り出した物は小刀に見えるが柄がない。握って使うには不便そうだな。
『それが鏃なんですよ、きっと』
そんなわけない。大きすぎる。アレを矢の先につけるんだとしたらそれは弓矢と言うより槍を飛ばす巨大兵器だ。
あり得ない。
あり得ない、よな?
エスミはついに弾き飛ばされてしまい、魔動歩兵は自由を得る。小刀のような鏃に赤いツタを這わせてそのまま槍のような矢を作り出すと、弓につがえて引っ張った。逃げ出した島民たちがそれを見て悲鳴をあげ、壁や建物の影に隠れる。
矢をつがえ、左手を刃から手に変えた魔動歩兵はギリギリと力を蓄え、そして、狙いを定めた。
川の方に。
おい、やめろ。
やめろやめろ!!
船はおびえきった水棲馬によって陸から離れてはいるものの、狙うには十分すぎる距離だった。いや、こいつならもっと離れていようとも、命中させるだろう。
エスミが起き上がり、状況を理解するとすぐ、盾が壊れるのも構わず魔動歩兵の弓に突撃した。わずかに、ほんのわずかに弓の位置がずれた瞬間に矢が射られる。
風を貫く高い音。
矢が船の先端をかすめた瞬間、まるで刀で切ったかのようにまっすぐ傷がついて、なお勢いが止まらず水棲場を数頭刈り取る。船が沈むほどの被害ではないが、もしこれが本体を捉えれば、刀で切り裂いたように穴が開くことは間違いがない。
あんなの反則だ。
エスミの盾はすでにヒビが入り壊れる寸前で、陽気だった彼女の顔に余裕は一切なく、突撃の影響で額から血が流れている。
他の守護官も加勢しようとしているが、すでに怪我をしている者たちが多い。手足だけが赤い魔動歩兵にさえ苦戦して負傷しているのに、九の字を戦闘不能にしたこいつを相手にどれだけ持つかわからない。
『おにい。あの日もそうだったよね。お父さんもお母さんも戦って、ネイロも飛び出していったのに、おにいはネイロを置いて逃げて一人だけ助かった。ネイロが逃げてって言ったからだけど、でもね、本当は逆だったはずなんだよ? おにいには力がなくて、ネイロには力があった。竜源刀を発動できるのはおにいじゃなくてネイロだった。だからネイロがおにいを守らなきゃいけなかったんだよ? おにいに力がないから』
逃げ惑う人々の中で僕は立ち尽くしてネイロの幻聴を聞き続けている。
船は動かない。水棲馬がやられて、帆のないその船を動かす術がない。
船に乗れば、コハクもシズクさんも安全だと思ってたんだ。
僕は明らかに気を抜いて真っ赤な魔動歩兵をただ見ていたんだ。
二人が安全なら僕はどうでもいいと思って……。
『どこまでも他力本願で、どこまでも傍観者で、どこまでも無責任な、おにい。逃げなよ。ネイロを置いていったみたいに、コハクちゃんも置いて行きなよ。そしてまた新しい妹を作ればいいんだよ』
そんなことできるわけがない!
僕は逃げない!
『どうして? 逃げなよ。ネイロの時みたいに! 逃げなよ!!』
嫌だ!
僕は……絶対にコハクを守るって……決めたのに……。
『じゃあ何ができるの? 何もできないのに、コハクちゃんを助けたんでしょ? 道ばたでお腹をすかせて倒れてたコハクちゃんをさ。可愛かったよね。頼られて嬉しかったよね。だから失いたくないってただそれだけでしょ!? 全部全部おにいの自己満足でしかない! 代わりなんていくらでも――』
『そんなわけないでしょ!!』
ナキの声がネイロの声に重なる。
当然ながら、耳元で話しているんじゃないかってほどはっきりと聞こえるナキの声が勝つ。
僕はいつの間にか腰にぶら下がったナキ自身を握りしめていて、鞘の間から淡い光が見えていた。
『主人様はネイロ様のことも守りたかったはずです。家族を守りたかったはずです。でもそれは叶わなくて、守りたかったものを守れなくて、自分を責め続けてきたんです! 自分が無力だってことをこれでもかというほど思い知らされて生きてきたんです! 主人様の考えをずっと聞いてきた妾にはわかります!』
ネイロの声は沈黙を続ける。
そりゃそうだ。ネイロは死んだんだ。
ネイロを使って僕を責めていたのは、
僕が黙れば、ネイロだって黙る。
だから代わりに、僕が応える。
そうだよ。そしてそれは事実なんだ。
僕は、どうしようもなく、無力なんだ。
『違います! 違います! 自分を責め続けて、無力だってことを思い知らされて、それでもなお、主人様はコハク様を助けたんでしょう! それほどまでに勇気のある人間を妾は知りません! 今までの妾の所有者は守れなかった無力に打ちひしがれてしまえば、そこで守ることを止めてしまいました。失うことが怖くなって、折れてしまったんです。なのに、主人様はそうじゃなかった! 無力を知っても守ろうとした! そうでしょう!?』
わかんないよ。でもどうしても助けたかったんだ。
コハクをどうしても守りたかったんだ。
『主人様が諦めなかったからです! 自分を責め続けてなお、無力を思い知らされてなお、できることを精一杯やってコハク様を今まで守り続けてきた。戦えなかったのは確かです。でも、そうと知っていたから、戦う代わりに精一杯働いて生活を守ってきた。安全を確保するために、周囲の人との関係を良好にして目が届くようにした。コハク様の今があるのは主人様が守ってきたからです! 諦めなかったのは主人様の守りたいという気持ちが人一倍強いからです!』
僕は下唇を噛んで両手を握りしめ、コハクのことを思った。
コハクが僕に冷たくする理由くらい、とっくの昔にわかっていた。
九の字みたいに強くなるには、
無条件で甘やかしてしまう僕をはねのける必要があったからだ。
コハクはどんどん成長していく。
その姿を思う。
芝居に見入る姿も、僕の手を取って微笑む姿も、安心して眠りにつく姿も。
失いたくない。
もう二度と、失いたくない。
でも僕は無力で、戦えないんだ。
『今までは、でしょう?』
ナキを握る腕に力が入る。それは、出会ったあの日、手から離れなくなったときと同じ反応だった。刀身が鞘の中でこれでもかというほど光り輝き、抜かれるのを待っている。
僕がナキを発動しても並の守護官ほども力が発動できないだろう。
何せ発動なんてしたことがないんだから。
それでも……、
『主人様。もがいてください。戦ってください。コハク様を守り抜きたいなら、妾の手を取ってください! 今までのようにできることを精一杯やってください! まだ何もかも途中ですよ』
わかってる。
僕にしかできないことがあるのも。
九の字は魔動歩兵の右腕にある竜源装が赤の発生源だと言った。
魔動歩兵に黒い部分がなく、切り落とすことができないなら、
竜源弓そのものを破壊してしまえばいい。
不格好でも、弱くても、その一点にだけ全力を注げばいい。
非力でも、
無力じゃない。
僕の手で壊し、
僕の手でコハクを守り抜く。
「ナキ」
『はい、主人様』
「僕に力を貸してほしい。僕に取り憑いて、あの竜源弓を破壊するのを手伝ってくれ」
『承知しました!』
僕はナキを鞘から抜いた。
――――――――――――――
次回は明日12:00頃更新です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます