第7話 信号弾が上がって僕たちは避難船に向かおうとする

「守護官が酔っ払って、花火代わりに信号を撃ったんだろ」

「九の字が来たことに気が大きくなったんだ」


 そう、人混みは口ずさんで、空を見上げていた視線を船へともどす。この場でその信号を本気にしていたのは、ナキとシズクさんと、そして、船の上にいた九の字たちだけだった。


 船の上が光り輝く。一斉に動いた九の船の守護官たちは船の上から岸までの遙かな距離を悠々跳び越えて次々に着地すると、体勢そのままに建物の上まで跳び上がり、瓦を蹴って魔動歩兵を探す。頭上を駆けていくのを見て、でかい猫みたいだと思ったのはきっと僕だけじゃない。


 守護官たちは九の字の船に乗るようにと叫んでいたが、シズクさんは首を横に振って、


「あそこにいる人たちを見たでしょう? ぜーいんは絶対乗れない。行くよ、ヒーロー君、コハっちゃん」


 コハクを背負い上げた僕の腕を強く引いてシズクさんが駆け出す。


「あの信号弾って本当に?」

「わからないよお。でもこの島で今までしんごー弾なんて見たことある?」


 ない。あるわけがない。そもそもあの平和ボケした守護官たちが信号弾を持ち歩いているのすら見たことがない。唯一、スナオが何かの時のためにと腰にぶら下げているのは見ていたけれど。


 ってことはこの信号弾は誰かがわざわざ探し出して打ち上げたんだ。


 シズクさんの足はしっかりと目的を持って歩みを進めている。わけが解らずオロオロしている僕とコハクとは大違いだった。


「どこに行くんです?」

「どこの島にも避難用の船が用意されてるんだよ。運河を渡って他の島に逃げ出せるように。つーの島ならしゅーされてるし、いつどうやって逃げるかみんな考えてるもんだけど、この島じゃ知らない人の方が多いかもねえ」

『ネイロたちの村にもあったよね。覚えてる、おにい? この島よりは危険だったからみんな場所を知ってたよね。お父さんとお母さんはネイロたちに、隠れて魔動歩兵をやり過ごしたあとそこに逃げるように言ったの』


 でも逃げ切れなかった。

 覚えている。

 よく覚えている。


 幻聴を振り払うように首を振っていると遠くから悲鳴。

 コハクが驚いて僕の首にしがみつく。

 嘘じゃない。訓練じゃない。

 あの真っ赤な信号弾は、本物だ。


 コハクを背負う手にも走る足にも力が入る。中央にある堀と壁を左手に建物の裏路地を選んで走るシズクさんについて行く。


『主人様! この先おかしな気配がします! 注意してください!』


 ナキの声が耳をつんざき顔をしかめ、さっき言ってた敵の位置特定か、とおもいながら、ナキの存在を隠しつつシズクさんに告げる。


「この先、嫌な予感がするので気をつけてください」

「ふうん、ヒーロー君もわかる? なあんか変な感じするよねえ。そもそもしんごー弾が上がった場所、おかしーと思わない? ここは花弁でもちゅーおーに近い場所だよ。ふつーもっと花弁の外側から順にけいほーが鳴ると思わない? だってどーへーって外にしかいないんだよ。なあんでどーへーしんにゅーして全然混乱が伝わらずにいきなりしんごー弾だけここで上がったんだと思う?」


 それはまるで、


「まるで、外から侵入したんじゃなくていきなりこの場所に現れたみたいに?」

「そーそー。そーゆーこと。で、じゃあどうやって入ってきたんだろうね。どーへーがびよーんって飛んできてこの近くに着地して暴れてるんだと思う? そんなわけないよねえ。そんなことができるんだとしたらもっと前にやってるはず。百年じょーしんにゅーされなかったせつめーがつかないよねえ」

「じゃあ、誰かが中に入れたってことですか? 誰にも気づかれずに?」

「うーん。多分そうなんだろうけど、どうやったか全然わからんちー。じゅーよーなのはさ、どこから現れるかまったくわからないってこと……だよ……」


 シズクさんが足をとめ、僕の背中でコハクが悲鳴を上げる。島の外側と中央を分ける堀、竜の血で満たされたその場所には大きな船が停泊し、水棲馬が泳いでいる。あの船に乗ればこの島から逃げ出せる。


 しかし、


 元々そこに集まっていたのだろうたくさんの人が大通りに向かって走って逃げている。

 裏路地から出てきた僕たちはその様子を少し高い場所から見下ろしていた。


 異常だった。

 全てが異常。


 港なのか造船所なのか、とにかく船が停泊していたその場所で守護官が戦っている。九の字の船から駆けつけた人たちだろう、スナオよりも俊敏に動く彼らが対峙しているのは、


 両手足が真っ赤な魔動歩兵、三体。

 成人男性の二倍ほどの大きさがあるその体は、竜の血が染みこんでいるはずの地面をしっかりと踏みしめて立っている。


 おかしい。


 ヨヒラ島の安全が何を担保にしていたかと言えば、隣にある竜墓山にも島自体にも竜が眠り際限なく竜の血が流れて大地が赤く染まっていたからで、魔動歩兵が足を踏み入れればその体がグズグズと崩れ落ちてしまったからで、要するに、魔動歩兵は竜の血が弱点だ、という常識が前提条件になっていた。


 それが、こんなにも簡単に覆る。


 竜の血が弱点のはずなのに、その魔動歩兵は、この土地を、竜の墓を踏みにじるように、その真っ赤な足で立っていた。



――――――――――――――


次回は15:00頃更新です。

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