第43話 昇級条件

実技試験の翌日。

学園長室の前で、二人はそわそわと立ち尽くしていた。


「おいハルオ。お前、なんかやらかしたか?」

「いや何も。クレインこそフェンリルの件、誰かに言ったんじゃ…」

「するわけねぇだろ、バカ」


くだらない押し問答。

その最中、扉が静かに開いた。


「入れ」


二人は緊張で背筋を伸ばし、中へ進む。


学園長は書類を手に椅子へ深く腰かけていた。


「呼んだ理由だが……まずは実技試験の結果についてだ」


学園長はハルオの成績表を机に置いた。


「平均点がせいぜい岩に傷をつけられる程度の中、この切断精度はすばらしい」


「……は、はあ」

ハルオは自分を褒められている実感がなく、曖昧に頷いた。


一方のクレインも、試験官の評価がやけに高かった。


「まあな。俺は天才だからな」

したり顔で胸を張る。


学園長は椅子に背を預け、指を組みながら二人を見据えた。


「それともう一つ伝えることがあってね。先のフェンリルの件だ。」

一拍置き、静かに続ける。

「毛束が本物、いや正確にはフェンリルの幼体ということが判明した。つまりあれは魔王の子だ。」


空気が一段重く沈む。


「魔王の……子?」

ハルオの喉がひとりでに鳴る。


学園長は静かに頷く。


「眷属、あるいは分体とも言える。幼体ゆえ魔力は未成熟だったが、放置すれば王都一つは容易に喰い尽くす」


クレインが苦笑交じりに肩を震わせた。


「お前、そんな化け物と戦ってたのかよ」



学園長は淡々と告げたまま、机の引き出しを開ける。


「というわけで、提出した魔物素材は通例通り加点100点とする。

筆記、実技の結果も申し分ない。君たちは本日付で昇級だ。おめでとう」


「……ありがとうございます」


ハルオは素直に頭を下げた。


「それと、さらにもう一つ。こちらが本題だ」

学園長の表情が険しさを帯びる。


「フェンリルの幼体に対し、討伐隊を編成することにした」


「討伐……隊?」


クレインが目を見開く。

その言葉の重さを、すぐには飲み込めなかった。


学園長は鋭い視線で二人を射抜いた。


「毛束の調査を終え、王城への正式な報告も済ませた。

それとは別に、王都近郊では奴の目撃情報が相次いでいる。

ギルドではグレートウルフの上位種としてすでに討伐依頼も出ている。

幼体とはいえ、魔王の血脈。放置すれば確実に災厄となる」


ハルオの背筋に、ひやりと冷たいものが走る。

あの森で感じた、吐き気を覚えるような圧迫感が蘇る。


「そこでだ、ハルオ、クレイン。君たちには討伐部隊に参加してもらいたい。

もちろん断っても構わない。本来なら、声のかからぬ危険な任務だ。

だが君たちは、あれに遭遇し、生き延びた。さらに試験でも力を示した。

学園としても、ギルドや聖騎士団に後れを取るわけにはいかない。

使える戦力はすべて投入するつもりだ」


「……聖騎士団って」


クレインは口を尖らせながらも、拳に力がこもっていた。


学園長は小さく息を吐く。


「王城への報告が済んだ以上、彼らも動き出す。

フェンリルの素材は、学園にとっても極めて貴重だ。

これは王城、ギルド、そして我々学園──

三者の威信をかけた争奪戦になる」


その言葉の重みが、室内に静かに沈んでいく。


そして、学園長は続けた。


「もちろん、対価も用意している。

今回の討伐で成果を挙げれば、特別加点300点を与える。

つまり、上級課への昇級条件を満たす数字だ。

加えて、報奨金の支給も予定している。

──そして、ここで力を示せば聖騎士団への道も開かれるだろう」


窓の外から差し込む光が、張り詰めた空気をさらに際立たせていた。


クレインがふっと息を吐いた。

どこか投げやりに見えるその顔に、微かな焦りがにじんでいる。

「聖騎士団への道‥‥」


隣のハルオは、静かに前を見据えていた。

心の底にある恐怖――そのさらに奥で、言葉にならない何かが燃えていた。


「……行きます」


短く、しかし迷いのない声だった。


クレインがちらりとハルオを見て、肩をすくめる。


「だってよ。じゃあ俺も付き合うか。お前ひとりで突っ込ませたら、どうせ死ぬしな。それに俺にもやる理由はできた。」


学園長は口元をわずかに緩め、静かに頷いた。


「承知した。詳細は追って伝える。

──三日後、決行だ。心して備えよ」


その言葉を最後に、室内は再び静寂に包まれた。


二人は無言で立ち上がり、ゆっくりと部屋をあとにする。




廊下に出た瞬間、張り詰めていた空気がふっと解けた。


「三日後か……」

クレインが肩を回す。


「短い準備期間だな」

ハルオの声には焦りがなかった。むしろ、静かに熱を帯びていた。


「お前、怖くねぇのか?」

クレインが半分呆れたように言う。


ハルオは少し考え、答えた。


「怖いさ。でも、またあいつと戦える」


クレインが思わず足を止める。

横目でハルオの表情をうかがい、つぶやく。


「……お前、嬉しそうだな」


ハルオは、はっとしたように視線を逸らした。


「そんなつもりじゃ──」


「いや、わかるよ。あの時、逃したのが悔しかったんだろ」


ハルオの拳が、小さく震えた。


「……あいつは、あの時本気じゃなかった。次は、本気を出させてやる」


クレインはしばらく黙っていた。

廊下の窓から差す夕日が、二人の輪郭を鋭く照らす。


息を吐いたあと、いつもの調子が戻る。


「いやー、相変わらず厄介な性格してるな」

「お前もな」


「とりあえず飯でも行こうぜ。腹減った」


「飯か……そうだな」

ハルオの返事は素っ気なかったが、どこかほっとした色があった。


二人は並んで食堂へ向かう。

夕方の廊下は、帰寮する生徒たちで少しだけ騒がしい。

誰も、彼らが三日後に命を賭けるとは思っていない。

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