第35話 授業

寮の部屋に戻ったハルオは、ベッドに腰を下ろしながらリリィから借りた『実用魔法初級編』を開いた。


「ええと……“フレイ(着火魔法)”。大気中の酸素と指先に集めた魔力を結合させて燃焼を起こす――?」


(酸素? ……この世界に酸素って概念あるのか?)


妙に理屈っぽい説明に首をかしげながら、ハルオはページをめくる。

“危険:集中しすぎると爆炎になるため注意”と書かれていたが、好奇心には勝てなかった。


「とりあえず、やってみるか……」


ハルオは深呼吸して立ち上がる。

窓を開け、指先に意識を集中させた。


(魔力を指に集めて……酸素……結合……)


「フレイ」

――パチッ。


指先で小さな火花が弾けた。


「おおっ……! できた!」


その瞬間、勢い余って火花がカーテンに飛び移る。


「わ、やばっ! 燃えてる燃えてる!!」


慌てて水差しの中身をぶちまけ、カーテンを叩き消す。

部屋中に焦げた匂いが立ち込めた。


「……っぶねぇ……。」


息を整えながらも、ハルオの胸は高鳴っていた。


小さなライターほどの火をもう一度生み出し、ハルオはゆっくりと手のひらを見つめた。

そこに灯った炎は、まるで心臓の鼓動と同じリズムで揺れていた。


「次は……もう少し大きくしてみるか」


その時、背後から声がした。


「おい!新入生。寮の部屋では火気使用禁止だ!」


ギョッとして振り向くと、扉のところにクレインが腕を組んで立っていた。

「ク、クレイン!? いや違うんだ、これは実験で……!」

「ははっ、焦げ臭い言い訳すんな……」


クレインは笑いながら、火の消えた指先を見て言った。

「お前、もしかして魔法初めてつかうのか?だが王都じゃガキでもそれくらいはできるぞ」


「……え、まじで?」

ハルオは思わず固まった。

クレインはパンをかじりながら、当然のように言う。


「ああ。子どもの遊びで“光の玉飛ばし”ってあるだろ? あれ、魔力制御の初歩だ。

お前、まだその段階ってわけだな」


「そうなのか……」

「でもまぁ、焦ることねぇさ」

クレインがニヤリと笑う。

「ここは王立魔法学園。落ちこぼれも天才も、全員同じスタートラインに立つんだ。

……才能だけじゃ生き残れねぇ」


「お前が言うと説得力あるな」

「当たり前だろ? 俺は三か月でまだ昇級ポイントゼロだ!」

「フォローになってねぇよ……!」


ハルオは思わず笑ってしまう。

緊張していた肩の力が、少しだけ抜けた。


「ま、明日から本格的に授業が始まる。初等課程の“魔力制御”――

一番退屈で、一番奥が深ぇ授業だから受けとけよ」


「魔力制御……」

ハルオは再び、自分の手のひらを見つめる。

そこにはもう火はない。ただ、残像だけがぼんやりと残っていた。


「よし、じゃあ飯行こうぜ」

「お前、いまパン食ってなかったか?」

「まぁ気にすんな」

クレインが笑って立ち上がる。

「食っとかねぇと魔力の燃費が悪くなるぞ」


「……お前、それを言い訳にして常に食ってるだろ」

「よくわかったな」

「いや、見ればわかるよ」


軽口を交わしながら、二人は寮を出た。

夜の校庭には魔灯が点々と浮かび、月光を反射して石畳を照らしている。

学院の塔が白く輝き、どこか現実感のない美しさを放っていた。


(……明日から授業か)

期待と不安が入り混じった気持ちのまま、ハルオはその夜を過ごした。



――翌朝。


鐘の音とともに、学園の一日は始まる。

教室には新入生たちがざわざわと集まり、皆それぞれ杖やノートを手にしていた。


「なんか緊張してきたな……授業なんて大学以来か」

ハルオは思わず足をすくませた。


「初等課程・中途組、担当のミラ・エルノートです」

教室に入ってきたのは、淡い銀髪を束ねた女性だった。

白衣の裾を翻し、淡い光を纏うような静かな雰囲気をまとっている。


「おはよう。では“魔力制御”の授業を始めます」

声は柔らかいが、どこか芯の通った響きがあった。


「魔法は“力”ではなく“流れ”を操る技術です。

魔力を出すことは簡単。でも、“完全に制御”ができる人は少ない」


そう言って、ミラは片手を上げた。

次の瞬間、掌に小さな炎が灯り――一拍おいて、すっと消える。


「――制御とは、ただ燃やすだけではないの」


教室がしんと静まり返る。

ハルオはごくりと喉を鳴らした。


「では、あなたたちの“流れ”を見せてもらいましょう」


一人ずつ前に出て、小さな魔法を放つ。

光を生む者、風を起こす者、火花を散らす者――生徒たちの魔力はどれも個性豊かだった。


やがて順番が回ってくる。

「ハルオ、前へ」


(よし……昨日の練習を思い出せ)


深呼吸をして、指先に魔力を集める。

(ゆっくり、少しずつ……)


――ポッ。

小さな火が、静かに灯った。


ミラが頷く。

「悪くない。魔力の流れが素直ね。あなたは出力が多いみたいだから、細かい制御を重点的に練習しなさい」


「は、はい!」

ハルオは思わず姿勢を正した。


教室の後ろでクレインが小声で囁く。

「やるじゃねぇか、新入り」

「やめろ、集中できねぇ!」


ミラはそれを聞いて、くすりと笑った。

「――いいわね。そういう“緊張感のない”雰囲気、嫌いじゃないわ」


授業の終わりには、彼女が静かに言った。

「魔力は才能ではありません。日々の“感覚の積み重ね”と知識の集大成です。忘れないように」


その言葉が、ハルオの胸に強く響いた。

(よし、やるしかないな)


白塔の鐘が再び鳴り響く。

学園生活、最初の一日が――本格的に始まった。

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