第28話 王都
オルド峠での戦闘でなんとかゴーレムを撃退した一行は、王都オルディアを目指して馬車を進めていた。
峠を越えた風は冷たく澄み、汗と血の匂いをすっと洗い流していく。 ハルオは荷台の縁に腰を下ろし、遠くに見え始めた街の輪郭をじっと見つめた。
「……あれが、王都オルディア。それに海ですか?」
地平線の先に城らしき輪郭と青い海。
ベスが眩しそうに目を細めた。
「そうさ。王都は海沿いに建ってる。南の港からは商船がひっきりなしに出入りしてるよ。」
まだ海は遠いが、風の中にかすかに塩の香りが混じっている気がした。
ゴルドが鼻を鳴らして笑う。
「オルディアの海は穏やかで深い。港には世界中の品が集まるんだ。
食いもんや珍しいもんも、金さえあればなんでも手に入る。」
「金さえあれば、ですか。」
ハルオが苦笑する。
「世の中ってのはどこもそうさ。」
ベスが肩をすくめた。
馬車が丘を下り始めると、広大な草原が広がった。
「王都は見えたが、まだ到着までは時間がかかる。だが道は真っ直ぐだし、ここから先は安全だ。」
ゴルドの言葉にハルオは頷き、流れる風を感じながら景色を見つめる。
しばらく進むと、道の先で大勢の人と馬車が集まっていた。
「あんたら、もしかしてオルド峠を越えてきたのか? よく無事だったな。」
「今、あそこはゴーレムが出るって噂じゃなかったか?」
「そのゴーレムなら退治したさね。」
男の目が大きく見開かれた。
「退治、だと? まさかあの巨体を倒したってのか?」
ベスがにやりと笑って肩をすくめる。
「運がよかっただけさ。ちょっとした騒ぎになってただろ? もう通れるよ。」
「そいつは助かる!」
男は嬉しそうに仲間へ手を振った。
「峠が開いたぞ! 道が通じた!」
その声に、周囲の商人や旅人たちがざわめき立つ。
「マジか!」「これで南都まで運べる!」
喜びの声があちこちで上がり、何人かはハルオたちに深々と頭を下げた。
ゴルドが苦笑しながら手を振る。
「まったく、ちょっと働くとすぐ英雄扱いだ。俺たちゃただの通りすがりだってのに。」
ベスが鼻で笑った。
「まあ悪い気はしないけどね。峠が通れりゃ、商人も農民も助かる。
たまにはこういう仕事も悪くない。」
ハルオは静かにその様子を見つめ、小さく息をついた。
(……人を助けるか)
列の中には、家族連れや旅芸人らしき一団の姿もあった。
それぞれが荷を背負い、期待と安堵を混ぜた表情で峠を見つめている。
やがて人の群れを抜け、再び馬車は道を進み始めた。
王都へと続く道は、岩肌がのぞくゆるやかな丘陵を抜けていく。
見晴らしのいい場所に出ると、遠く地平線の向こうに、海がかすかに光って見えた。
「あの西に見えるのが黒の森だ。きっとさっきの連中も、あそこを避けるか迷ってたんだろう。」
ゴルドが手綱を軽く引きながら、遠くの森を指さした。
黒の森――その名の通り、陽の光を受けてもなお暗く沈む木々の群れ。
まるで昼と夜の境界がそこだけ歪んでいるようだった。
「……本当に黒いですね。」
ハルオが思わずつぶやく。
ベスが頷く。
「あそこは樹海。枝が重なって陽が入らない。
昼でも薄暗くて、夜になると風が人の声みたいに響くんだ。
“呼ぶ影”の噂、覚えてるかい?」
「はい……返事をしたら戻れなくなるっていう。」
「そう。だからあそこを通るやつはほとんどいない。
峠を通るのが常識さね。」
ハルオは森を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「あの峠で戦ってなかったら……もしかしたら僕らも、あの森に迷い込んでたかもしれませんね。」
「そうなってたら今ごろ骨も残っちゃいないさ。」
ベスが笑うと、ゴルドが愉快そうに肩を揺らした。
「ははっ、縁起でもねぇこと言うなよ。だがまあ、運が味方してくれたのは確かだな。」
馬車はそのまま丘を下り、広い草原を進んでいく。
道の両脇では黄色い花が風に揺れ、遠くでは海鳥の鳴き声が聞こえた。
潮の香りが一段と濃くなり、空気にわずかな湿り気を感じる。
陽が落ち、空が茜から群青へ、そして深い夜の色へと変わっていった。
最後の残光が海の彼方に沈み、あたりは静かな夜の帳に包まれていく。
「そろそろ門が見えてくるはずだ。」
ゴルドがつぶやく。
やがて、街道の先――緩やかな平原の向こうに、白い石壁がぼんやりと浮かび上がった。
月明かりに照らされたその輪郭は、まるで闇の海に浮かぶ灯台のように静かに輝いている。
「……あれが王都オルディア。」
ハルオが思わず息を呑む。
城壁の向こうには無数の灯が瞬き、遠くから波の音と人々のざわめきが微かに届いた。
その温かな音の重なりが、峠での戦いの緊張を遠い記憶のように溶かしていく。
「やっと着いたな。」
ゴルドが深く息を吐いた。
「長かった……だがこれで飯にありつける。」
ベスがくすりと笑う。
「まずは宿を取ろう。腹も減ったしね。ハルオ、王都の料理はきっと驚くよ。」
「楽しみです。でも……お二人とはこれでお別れなんですね。本当にありがとうございました。」
ベスが小さく笑い、肩を叩く。
「気が早いよ、ハルオ。まだ今晩があるさね。」
「え?」
「そうだ、どうせ行く当てもないんだろ。飲むぞ。」
ゴルドが豪快に笑う。
馬車は夜風の吹く街道を進み、やがて王都の外門へとたどり着いた。
門前には列をなす荷車と旅人たち。松明の光が揺れ、兵士の槍先が月光を受けて鈍く光る。
「身分証を。」
兵士の低い声に、ゴルドが懐から金属板を取り出した。
「商人ギルド所属、ゴルド・バーネル。同行者は二名、冒険者登録済みだ。」
ベスとハルオもギルドカードを差し出す。
兵士はそれを確認し、無言で頷くと門を開いた。
門をくぐった瞬間、潮風とともに街の喧噪が一気に押し寄せた。
灯火が連なる大通りには露店が立ち並び、香辛料の匂いと焼き魚の香りが夜気に溶ける。
人々の笑い声、鈴の音、船を引く掛け声――
どれもが、闇の中で生きる光のように力強かった。
「すごい……夜なのに、こんなに人が……」
ハルオの瞳が、街灯の光を映して輝く。
ベスが肩を軽く叩く。
「王都は眠らない。気を抜くと本当に迷子になるよ。
まずは宿、ギルドは明日でいい。」
「はい!」
ハルオが元気よく返事をする。
ゴルドが笑いながら手綱を鳴らした。
「よし、それじゃあいつもの“風の宿”までひとっ走りだ!」
馬車が石畳を走り出す。
夜空には満天の星。
海の方角から鐘の音が静かに響き、王都の灯が波のように平原を照らしていた。
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