第26話 奴隷
トリスの鍛冶屋で新しい防具を新調したハルオは、ベスと別れたあと、先にゴルドが向かったという宿屋を探していた。
(この装備……なんだか冒険者っていうより、全身黒で暗殺者みたいだな。
でも……かっこいいかも。)
通りのショーウィンドウに映る自分を見て、ハルオは思わずにやりとした。
しかし次の瞬間、我に返る。
「……そういえば、宿屋ってどこだ? ベスと別れたのはまずかったか……。」
通りには行商人の呼び声や、馬車の車輪の音が溢れている。
王都へと続く交易都市・トリスの夕暮れは、どこを見ても人の波だ。
道の両側には酒場や道具屋、露店が並び、いい匂いが風に乗って漂ってくる。
(二人の行きつけの宿なら、それなりに大きくてゴルドの名前を出せば見つかるかな?)
ハルオは通りの看板を見上げて、不安そうに歩いていた。
そのとき――
「お兄さん、なにか探してるの?」
ふいに声をかけられ、振り向くと、きれいな女の人が立っていた。
「実は連れの人が先に宿屋で待ってるんですけど、それがどこかわからなくって。」
「ふ〜ん、この辺だと《銀の杯亭》が人気の宿ね。それより、ちょっとこっち見てかない? 見たところ高ランクの冒険者でしょ。」
そう言って女は強引にハルオを裏路地の店まで引っ張っていく。
店に入ると、そこに並んでいたのは首輪をはめた少女たちだった。
「え……奴隷?」
「そ、いい子がそろってるわよ。どう?」
「この子たちって、誘拐されてきた子たちなんじゃ……」
「違う、違う。ちゃんと合法よ、安心して。この子は親に売られた子、あっちは犯罪奴隷。物を盗んで捕まったの。で、こっちが親が借金を踏み倒して夜逃げした子ね。」
女はにこりと笑いながら言ったが、その笑みの裏には冷たさがあった。
「合法……?」
ハルオは小さく繰り返す。
少女たちは怯えたように目を伏せ、ひとりは小さく咳き込んでいた。
その首には、鉄の輪が光っている。
「ほら、この子なんてまだ十二歳よ。手先が器用でね、薬草の仕分けでも掃除でもなんでもできるわ。」
「すいません、俺、出ます。」
そう言ってハルオは店を飛び出した。
外に出た瞬間、冷たい風が頬を打った。
夕方の喧騒が戻ってくる。通りの明かり、笑い声、焼き肉の匂い――。
だが、さっきまでの賑やかさが、どこか遠く感じられた。
(……あんなのが、合法なのか。
この世界では、人の命さえ値札がつくのか……)
胸の奥が重く沈む。
それでも、立ち止まっているわけにはいかない。
「……宿屋を、探さないと。」
ハルオは深呼吸をして、再び歩き出した。
頭を切り替えるように、露店の灯を一つ一つ追っていく。
やがて、遠くに大きな木製の看板が見えた。
《銀の杯亭》――金の装飾が刻まれたその文字に、ようやく安堵の息が漏れる。
(ここだ……!)
扉を押して中に入ると、ランプの火とスープの香りが迎えてくれた。
カウンターでは、酒瓶を片手にゴルドが上機嫌で笑っている。
「おおっ、坊主! 遅かったじゃねえか!」
「すいません……ちょっと道に迷ってました。」
「迷う? ははっ、トリスの道は慣れねぇと迷路みてぇなもんだからな!
ところでベスはどうした?」
「実は途中で別れまして‥‥」
「な?それじゃ一人で来たのか、たいしたもんだ。」
コルドは上機嫌に笑って、ジョッキを掲げた。
「ほら、座れ。ここは料理もうまいぞ。腹も減ってるだろ?」
「はい、少し……」
ハルオはようやく肩の力を抜き、向かいの席に腰を下ろした。
暖炉の火がやわらかく部屋を照らし、煮込みの香りが漂ってくる。
旅の疲れが、ようやく溶けていくようだった。
「まったく、ベスのやつも人が悪いな。
あいつは昔から“できる奴”には容赦しねぇ。」
「そうみたいですね……でも、頼りになります。」
「ははっ、気に入られたな坊主。」
その時、入口の扉が開いた。
冷たい夜風とともに、見慣れた影が入ってくる。
「お、噂をすればだ。」
ベスが手を振りながら近づいてきた。
「遅れた。よかったハルオもいたね。」
「なんとか見つけました。」
「そりゃ上出来さね。」
ベスは笑って席につき、店主に声をかけた。
「スープとパン、それから肉料理を三人分。あと――エールを大ジョッキで!」
「また飲むんですか……」
ハルオが苦笑する。
「飲まずに寝られるかい。今日はいろいろあったんだ。
新しい装備に昇格祝い、それに無事にトリスまで辿り着いた。
そうだろ、ゴルド?」
「まったくだ!」
ゴルドが勢いよくジョッキを掲げる。
「よし、ならば――乾杯だ!」
三人のジョッキがぶつかり、澄んだ音が宿の中に響いた。
人々の笑い声、暖炉の火の音、漂う香ばしい匂い。
ほんのひととき、平穏がそこにあった。
ハルオはジョッキを傾けながら、ふと天井を見上げる。
(……この世界は、想像よりもずっと広くて、深い。)
それでも、心のどこかに確かにあった。
――あの裏路地で見た、首輪の少女たちの瞳。
「ベスさん、この街には奴隷がいるんですか?」
「なんだ、欲しいのか?」
「さてはかわいい子でも見つけたんだろ。」
ゴルドとベスが同時に茶化すように笑う。
どうやらこの世界では、“奴隷がいる”というのは特別なことではないようだった。
「なんだ、同情してるのか?」
ベスが少し真面目な声に変わる。
「確かにかわいそうなやつも多いさ。でも、奴らにも事情がある。
借金、罪、戦争――理由はさまざまだ。
ただし昨日みたいに無理やり攫うような連中は、あたしも反対だ。
あれは人間のやることじゃない。」
「……でも、生きるために、ですか?」
ハルオが問い返す。
「ああ。世界じゃ、誰もが“生きるため”に何かを差し出してる。
金だったり、体だったり、信念だったり。
あんたが戦うのも、生きるためだろ?」
「……そう、ですね。」
ハルオは小さく頷いた。
エールの苦みが、胸の奥まで沁みる。
「ま、気にするんじゃないよ。全部背負い込むには、まだ若すぎるさね。」
ベスはそう言って、ジョッキを掲げた。
「今日は飲んで寝な。明日からまた旅だよ。」
ゴルドが豪快に笑いながら肉を頬張る。
「そうだ!明日は南街道を抜けて王都まで一直線だ!」
ランプの炎が三人の影をゆらりと揺らした。
外では夜風が街の屋根をなで、遠くで鐘の音が鳴り響く。
その音を聞きながら、ハルオは小さく息をついた。
(……それでも、あの瞳を、忘れちゃいけない。)
静かな夜が、ゆっくりと更けていった。
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