三度目の創世〜樹木生誕〜

湖霧どどめ

第1話 炎との出会い

 自動車の排気音を聞きながら、総吾郎はぼんやりと答えた。後部座席から見える外の景色は、赤い。炎と夕焼けが混ざり合い、より深みを増していくのが見て分かる。被るように、黒煙も揺らめいていた。生家とも言えるべき場所が燃えていく。それをぼんやりと眺めるしか出来ず、ただ……心の奥まで、焼けていく。


「2531年現在、純血種ってどれくらい居るか分かる?」


 さっきまで黙っていた運転手が、急に口を開いた。戸惑いながらも、「さあ」とだけ返す。口を開くだけでも筋肉に負荷を感じ、泣きそうになる。


「約百人、ってところだな。今の日本の人口は二億人ってとこだから二百万人に一人。あくまで現存している分は、の話だけど」

「…だから何だ」


 現存、という言葉に仄かな悪意を感じる。そんな感想を噛み潰し、総吾郎は運転席の男を睨んだ。ただでさえ角度的に見えづらい上帽子を深く被っており、顔は隠れている。口元や声、骨格で大体中年の男性だと判断出来るが、それだけだ。

 車内には二人だけ。しかし、抵抗しようにも手首にも足首にも鎖が巻いてある。先程「息苦しい」という理由で猿轡は解いてもらったものの、それ以外はどうも解放してもらえそうもない。おまけによく分からない薬を注射され、全体的に熱っぽさを感じる。

 熱。あの、炎。ゆらめきと共にあっという間に拡がりだし、皆を追いやった。


「値、もう既に付いてるんだよ」


 ハンドルを大きく右に切りながら、気さくに話しかけてくる。運転は荒々しい。窓に頭をぶつけたが、視界の揺らめきが増しただけだった。


「日本円換算で三百億ってところかな」

「そんなに?」

 

 ぎょっとして男を見ると、彼は軽く頷いた。


「そんだけ純血って貴重なんだよ。別に血統が何かに役立つってわけじゃないにしろ、レアっちゃレア。付加価値ってやつさ」

「そんな……」

「別に日本だけじゃない。重要視されるのは混じりっけの無さ。しかも君はまだ十代中盤…うん、価値は尚上がる」


 それを最後に、男は黙った。しかし総吾郎の目は、再び燃え盛る孤児院に向かう。心の延焼域も、増していく。しかし孤児院はぐんぐんと遠のいていくばかりだった。

 何故、あそこが狙われたのか。それについては、答えてもらえなかった。


「もうすぐ着くよ」

「え?」

「みな、」


 港、と言おうとしたのだろう。人身売買ということは海外へ売り飛ばされる、というイメージからそう推測出来た。しかし、男の口が固定されたまま動かない。同時に、自動車も急停止する。どんっ、と派手な音を立てて総吾郎は足場に転がり落ちた。呻きながらも、なんとか這い上がる。


「くそっ、『卍』か」


 まんじ、と。忌々しい口調。

運転席の扉が乱暴に開き、男が出て行くのが分かった。足音が、遠のいていく。

 まさか、このまま一人にされるのか。そんな不安が一瞬波打つも、すぐに止んだ。後部座席のドアが開いたのだ。相手は、運転席の男だ。


「立て!」

「うっ!」


 手に巻かれている鎖を引かれ、車外へと体が引きずり出される。火を放たれたあの孤児院程ではないものの、外は暑い。

 状況が掴めないながらも、総吾郎は前を向いた。男と向かい合うようにして立っていたのは、女だった。大きな黒い『卍』の文字が印字された白いコートを羽織っている。顔立ちは、気の強そうな日系だ。


「現行犯ね」


 高い声に、男の力が強張る。鎖の絞まりもきつくなり、痛みに体がよじれた。


「『卍』が何の用だ! 悪いがこっちは」

「急いでるって? その子、おおかた何かに使う気なんでしょ。通せない」

「くそっ!」


 急に、力が解けた。男の手から離れた鎖より先に、総吾郎の体がアスファルトへ落ちた。打ち付けた身が、焼けるように弾け痛む。薬の効果が薄まっていっているのだろうか。

 ぼんやりとしていく男の影を追うと、男の体は女へと向かっていた。構えからして、何かを女に突き刺そうとしているのが分かる。


「に、逃げっ」


 自分の口から咄嗟に出たものの、女に言ったのか男に言ったのか分からない。しかし二人には聞こえているはずもない。


「馬鹿じゃないの」


 崩れたのは、男だった。女には、何も刺さっていない。しかしその両腕からは、緑色の何かが生えていた。葉がついているということは、蔓だろうか。男の下に赤い血溜まりが広がっていくのと同じくらいの速度で、蔓が女の体に皮膚を破って潜り込んでいく。彼女は無表情でそれを受け入れているが、痛みなどは感じないのだろうか。やがて女が普通の体に戻りきった時、その大きな目が総吾郎へと向いた。


「大丈夫?」

「え……あ、はい」

「嘘つき」


 女のヒールが、ぴくぴくと小刻みに脈打つ男の体を容赦なく踏みつけて総吾郎へと寄っていく。やがて総吾郎の目前にたどり着いた時、屈みこんだ彼女の手が総吾郎の頬にそっと触れた。あまりにもひんやりとした感触に、体が波打つ。彼女の眼が、じっと総吾郎を捕らえた。


「随分と熱いけど」

「あ……その、さっき変な薬打たれて」

「なるほどね。じゃあ、自力じゃ動けないか」


 女は一言「待ってて」と囁くと、ポケットから小型の携帯電話を取り出し、耳に当てだした。すぐに繋がったらしく、先程までと変わらない抑揚の無い口調を携帯電話に浴びせだす。


「架根だけど、『neo-J』の車一台とっ捕まえた。二人乗ってて、片方が十代くらいの一般の男の子なんだけど……え? ああ、かもね。分かった。じゃあとりあえず連れて帰る。何か薬やられてるから、一応医療部言っておいて。……は? ああ、大丈夫、再起不能にはしておいたから。詳しくはまた後で通す。今から二十分くらいで帰れると思うからよろしく」


 携帯電話を乱暴に閉じると、彼女は改めて総吾郎へと向き直った。腰まで伸びる艶やかな黒髪、吊り気味の大きな目、恐らく総吾郎よりも少し高いと思われる身長。ぼんやりと見ていると、無表情のまま彼女は総吾郎の襟元を掴んだ。


「うおっ」

「あっちに私の連れが車を停めてるから」


 熱と麻痺で、体の感覚がおかしい。一瞬大きく揺れたかと思うと、彼女に抱きかかえられているのが分かった。細腕に似合わない怪力に驚くも、それより先の疑問。


「あ、あの、どこに」


 彼女が歩くたびに、大きく膨らんでいる胸元に顔が埋まる。しかし、今はそのことに対し喜んでいる場合ではない。実際女も気にしていないようだった。


「『卍』へ君を連れて行って治療するの。大人しくしないと、今ここで海に投げ捨てる」

「あ、あなたは」

「架根アキラ、二十二歳。『卍』作戦部に所属してる」


 それだけ答えると、彼女は黙った。どうやら、必要なこと以外話したくないタイプの人間のようだ。他にも何かを聞こうかと思ったが、その前に大きなトラックが見えた。荷台の部分に大きなビニールシートが被せられており、あちこちに『卍』の文字が柄のように印字されている。


「あの……『卍』って」


 聞こえなかったのか、アキラは目もくれずに助手席の扉に数度頭突きをして音を鳴らす。すると、助手席の扉が開いた。


「おお、お疲れ。やっぱ『neo-J』か」

「ええ。あと、これ」


 助手席に座らされた総吾郎を見、運転席の男は首を小さく傾げた。


「日系……ん? もしかして純血か」

「多分ね。何か打たれてるみたいだから、早い目に医療部に診せたいの。出して」

「おう」


広い助手席にアキラもまた乗り込むと、男はトラックを発進させた。乱暴な揺れを感じた直後、総吾郎の意識は揺り落とされていった。




「ん、」


 目覚めて初めて見えた景色は、真っ白な蛍光灯が貼り付けられた天井だった。まるで病院のように、何もかも白い。そこで、どうして自分がここに居るかを思い出す。ゆっくりと上半身を起こすと、脳が頭蓋骨の中を転がるような気だるさが襲ってきた。しかし、あの注射の成分はなくなっているらしく、熱っぽさは消えている。感覚も正常だ。

 六畳くらいの、誰もいない空間だった。窓はなく、周辺が真っ白な壁で、真っ白な床、真っ白な天井と白尽くしである。今寝そべっているベッドもまた、白い。

 とりあえずどうすればいいのか分からないので、もう一度ベッドへと沈んだ。清潔な、アルコールのような匂いがする。

 孤児院は、どうなったのだろう。あれだけの大きな火事だ、きっと無事ではない。自分や数人の子ども達が別々にさらわれていく間、何人もが炎に呑まれていった。悲鳴、燃える音、あの赤い空。全てが、鮮明に思い出せる。


「ちくしょう……」


 逃げられなかった。誰も、助けられなかった。もう十五歳になって、孤児院の中でも年上の部類にいる自分が。

 唇を噛み締めていると、扉が開く音がした。慌ててシーツをどけると、部屋の入り口に若い男が立っていた。染めすぎて傷んだかのような橙色の髪に、派手な眼鏡をかけている。羽織っているよれた白衣の下は、ごく普通のTシャツとジーンズだった。


「あー、起きとったんか」


 関西弁だ。慣れないイントネーションに勝手な違和感を感じていると、男は無表情なままベッドへと近付いてきた。


「よかったよかった。危なかったんやで、あと一時間でも遅れてたら多分死んでたんちゃうかってな。打たれた薬、あれ遅行性の劇毒やったみたいでな」

「あ、ありがとうございます」

「どうもどうも。ああ、そういや名前聞いてへんねよな」

「……田中、総吾郎です」


 ふうん、と男は興味深そうに目を細めた。


「タナカ、か。なるほど、田中孤児院の子ってのはほんまやったんやな」


 孤児院の名を聞き、総吾郎は目を見開いた。「知ってるんですか」と尋ねると、男は深く頷く。


「今となってはタナカって名前、あの孤児院と他たまーにおるくらいやしな。純血種特有の名前になってもうとるし」

「あ、あの! 孤児院、どうなったんですか?」


 切羽詰ったような声で問うと、男はさらりと「全焼」と答えた。


「お前がここに来たのが昨日の夜八時やから、……あれから十八時間くらいやな。朝、うちの調査部が見に行ったんよ。そしたら孤児院自体は全焼、死者は八名。まあ何人かはうち関係が保護したし、行方不明者も出とるけどな」


 淡々とした報告を聞き、血の気が引いていくのを感じた。しかし、瞬時に体内が熱く燃え上がる。気だるいまま無理矢理ベッドから降り、駆け出そうとする。しかし、右腕を掴まれた。


「どこ行くねん」

「っ……!」


 答えられず、口をつぐむ。男は溜息をつくも、手を離してはくれない。


「あのな、嫌なことで申し訳ないが言わなあかんことある。……聞け」


 そのまま総吾郎をベッドへと誘導すると、座らせた。それに大人しく従うと、男は壁にもたれかかりまた淡々と話し始める。


「田中孤児院の本来の存在意義や」

「存在意義?」

「田中孤児院におった子どもや院長達を思い返してみ」


 火事の記憶の向こう側を、手繰り寄せる。可愛い、素直な義弟や義妹。今はもう出て行った、優しい年上の義兄や義姉。そして、いつも笑顔で居た院長夫婦。幸せだった、平穏な日々。

 総吾郎の回想の内容が想像出来たのか、男は再び溜息を吐いた。


「子ども達、ほとんど純血種やろ」

「っ何で……!」

「そういうとこやねん、田中孤児院は。純血種がレアってのは知ってるやろ」


 確かに、総吾郎をさらった男もそんなことを言っていた。しかし、いまいちピンとこない。男は首を傾げながら、小さく唸った。


「やっぱ知らんのか。あのな、今は」


 ――時は四世紀程遡り、2115年。日本に、正体不明の「革命」が起こった。その「革命」は五十年に渡り、世界に空白をもたらした。そしてまっさらになった世界には、何もかもが「なくなっていた」のだ。記録だけを残して。

 日本は、「ゼロ」になった。あらゆる歴史や文明など、記録自体は残っている。しかしそれらによって築かれたはずの発明や物体は何故か全てがなくなっていた。そして、人々は残された記憶だけを頼りに日本を「再構築」した。

 しかし「再構築」された日本は、今まで存在していた世界とは本質的に変わっていた。かつて無い物を作った時とは違い、今回は失われた物を作り直している。そのため、本質から「良い物」へとまるで一足飛びのように作ることが出来た。そのため、かつて文明や発明はかつてとは比べ物にならない程急発展したのである。

 そこで日本は、区別することにした。「革命」以前を「旧日本」、革命以後を「新日本」と。


「世界各国にも、時期は差があるにしろまったく同じ現象が起こっとる。しかも『革命』が起こってる最中は、他の国がその国の存在を綺麗さっぱり忘れとることも最近分かった。ここまでは、知ってるやろ」


 頷く。ここまでは、孤児院の中で習った。学校には行かせてもらえなかったが、それは「この孤児院の子だから」と言われており、皆納得していた。自分たちは普通の子ではないから、と。


「問題はここからや。『新日本』は色々考えた」


 自分達は、発展している。他国とは比べ物にならない程に。「革命」を経て、急発展した「新日本」は更に自分達を発展させようと目論見始めた。


「これは『革命』が起こった国全部の共通意識らしくてな。そこで始まったんが、混血による発展作戦や。他所の強い血を取り込もうって」


 あらゆる他国から、様々な人種を集めて日本人と「配合」し、子どもを生ませた。そのため、混血児が激増。更に、「革命」後の他国の同じ発想により日本人がさらわれるようになり、日本でありながら純血の日本人……「純血種」が減っていったのである。


「勿論、人身売買は建前上禁止されとるけどな。それでも悪どい奴はやんねんや、タチ悪い奴になってくると赤ん坊やったり子どもやったりさらって洗脳かけよる。勿論正規の手順踏んでやってくる奴もおるのはおるけど、ごくまれや」

「まさか……」

「田中孤児院は、まさしくそれや。人身売買の温床。今まで摘発されへんかった理由は……まあいずれ知るやろ」


 院長達の言葉を思い出す。


『十六歳になったら、お前達を幸せにしてくれる人達が来るからね』


 そうやっていなくなっていった、年上の子ども達。そういうことだったのか。

 唇を噛み締める。もう何度も噛んでいるせいで、口の中に血が回ってきた。しかし、他にどうすることも出来ない。男はそんな総吾郎の顎を掴み、顔を上に向けさせた。無表情だったその顔は、少し苦しげな目をして総吾郎を見つめる。


「あのな、田中くん。いま選択肢が二つある」


顎から、手が離れる。それでも、総吾郎は彼を見ていた。


「一つは、ここを出て日本を放浪するか。まあその黒い髪と目を見たら純血種って一発で分かるから、見つかったらまた捕まるのがオチやわな。もう一つは」


 羽織っている白衣を掴み、襟に付いている何かを見せ付けてくる。それは、「卍」の形をした黒光りするピンバッジだった。


「ここ、『卍』で働くか。安心し、三食ついてそれなりに安全や。……何やらされるかは、正直まだ分からんけどな」


 最後の一言だけが気にかかったが、それまでの言葉を脳内で反芻する。

 純血という理由で狙われ、家とも呼べるべき場所を燃やされ、ここに来た。そして今、究極とも言える選択を突きつけられている。しかし、もう答えは決まっている。全ては、あの火事。そして、その犯人達。

 ……真相を、知らなければ。


「二つ目で」


  その目はもう、真っ直ぐ前を見据えていた。

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